孝久の白昼夢
――面倒だ
部屋にこもったまま本を手に孝久は愚痴った。
久人は屋敷や島を見て回りたいと言って秀元を連れて出かけて行った。
その間、孝久は部屋にこもることにした。
面倒な話を持ち掛けられたものだ。しかも命がかかっている。
気が重い。
生来人助けなどというお人好しの仕事は肌に合わない。
そもそも人助けをするような面じゃない。
そういうことはお人好しで変人の久人にほとんどを任せればいいのだ。
悪人面で、傍若無人で、口も態度も悪くやさしさのかけらもない孝久はただ黙っていればいい。
久人に呼び出されればただそれに連れまわされて見るだけだ。
ここには狐がいます、地縛霊がいます、あそこの浮遊霊には首がないです。
想像したら腹が立ってきた。
――面倒だ
再度愚痴る。
今度は久人に対してではない。
背後に感じる気配についてだ。
背後からのびる白い女の手がページをめくる孝久の手に重なった。
質量のない手はひんやりと冷たい。
しなやかに伸びる指。ぼんやりと光る白い、白い手。
女の手は手から腕へと伝い、頬に添えられる。
優しく、その手は頬を撫で、またその手は降りてゆく。
そして、首に掛かった。
――ずっと……
耳元でささやく声。
今まで知らぬ顔を決め込んでいた孝久も視線を降ろした。
胸の方まで手は下りてきている。背中の方から手をまわしてきている。
確実に、背後にいる。
――ずっと……待っておりました……宗正様……
宗正。
昨夜の夢の中で孝久が呼ばれた名前。
頭の中をその名前が駆け巡り、めまいを覚えて気が遠くなる。
――――
暗い闇の道を女の手を引いて走っていた。
周囲に気を巡らし、女を気遣いながらそれでも息をひそめて道を急ぐ。
何かから逃げていた。
女の手はひんやりと冷たい。
「宗正様っ……」
「急いで……気づかれる前に島を離れましょう」
手を取り合って逃げる。
向かった先は入り江。
月が海面に姿を映し、その場は波の音しか聞こえない。
入り江には何もない。
「舟が……っ」
「そんな、兄様どうして……あぁっ!」
何もないことに二人して驚愕する。
そして女のほうが突如振り向き、声を上げた。
宗正が振り返ると、首を絞められた。
紐が首に食い込む。
さっきまで手を引いていた女とは違う着物の柄が見えた。
死に物狂いで抵抗して女を蹴飛ばす。
「ごふっげふっ……あなたは――」
首を絞めた別の女を認識したとき、横から別の人間に殴られ、倒れた。
――ゆ……ずる……
その言葉を最後に白昼夢は終わり、現実に引き戻された。
―――――
気づくと女の手はすでにない。
背後にあった気配も消えている。
額には汗がにじんでいた。
何だったのか。今の一瞬の幻覚は。
何から逃げていた。
誰に首を絞められた。誰に殴られた。
様々な疑問がよぎる。
そして首をさする。
――ゆずるとは、なんだ。
日はすでに傾き、蝉の声だけがその場を場違いに賑わせた。