孝久は夢を見る
――なんなんだ、あの男。
夜。
夕食を終えた孝久はそれから部屋で休むことにしていた。
敷いてもらった布団に横たわり、天井を見上げて考え込む。
淳一に会ったことをきっかけにして芽生えた妙な既視感についてだ。
あの立派に手入れされた美しい中庭。
古めかしい島民たち。
どれもが妙な既視感を覚える。
まるでかつてこの島を訪れたかのような。会ったことがあるかのような。
懐かしさにも似た妙な感覚。
そんなもの、典型的な現代人の孝久には覚えがあるはずないのだ。
今は平成の時代。
好景気に沸き、技術が日に日に進歩しつつある科学の時代だ。
戦争が遠い過去になった時代に生まれた孝久には、こんな時代劇に出てくるような古めかしい島に覚えなどない。
それとも、日本人にはこの古めかしい時代劇のような世界は体に深く根付き、共通して懐かしさを感じるのだろうか。
――いや、そんなものではない
そんな普遍的なものでも抽象的なものでもない。
もっとみずみずしく記憶に深く残っているような、心がざわつくような、
そんな得体のしれない、それでも具体的な何かなのだ。
それに、淳一のことも説明がつかない。
秋人の友人だというが、そもそも孝久は秋人自体にあまり親しくしていない。
秋人は変人とお人好しの詰め合わせ状態の葛西家ではもっとも常識的で一般的な性質を持つ男だ。
祖父の久四郎や兄の久人のような予想もつかない行動もせず、着実に手堅く生きているような現実的な男だ。
そんな常識的な秋人にとっては孝久というアクの強い人種はどうもなじみにくいようで、親しく会話したこともない。
そもそも孝久が葛西家に引き取られた時は秋人は中学生で思春期の只中にあった。
明人にとっては孝久は異分子でしかない。
それゆえに秋人の友人というのに孝久は会ったことがない。
兄の久人ならまだしも、孝久が淳一に既視感を覚えることなどあるはずがないのだ。
それなのに、なんだ、あれは。
あのじめっとした目つきも、うっとうしいほどに気弱な空気も、幼い顔立ちも、薄い無精ひげも。
何もかもが錯覚させる。
何かが思い出せそうで出てこない。
だが昔何度もその顔を見ていた。その声も、そのしぐさも、何もかもを。
考えども考えども、思い当たる記憶はない。
もういい。今日は長旅で疲れた。
もう休もう。眠ってしまおう。
考えるのは明日でいいはずだ。
考えるのをいったん止めた孝久は、そのまま眠りについた。
―――――
夢を見ている。
小さな舟。船頭に舵を任せ、夢の中の孝久は水平線を見つめている。
目の前に広がる景色を美しいと感じていた。
次第に島が近づく。
小舟の中、孝久は着物を着ていた。
船頭も古めかしい安っぽい着物を着ている。
頬を撫でる風は潮を含み、吸い込むと晴れやかな気分になれた。
「あれが音櫛島ですか」
「へえさようでございます」
問えば船頭が答える。
島に到着し船から降りると、長身の若い男が出迎えに来ていた。
癖っ毛に薄い髭、捨てられた子犬のような表情をした童顔の優男。
淳一と同じ顔をしていた。ただその姿は白シャツではなく、夢の中の孝久と同じような着物だ。
「ようこそお越しくださいました。使用人の直政と申します。
さあ、屋敷へご案内いたします」
淳一と同じ顔の男――直政の導きに従って道を進む。
島の外から来た人間に島民は作業を止めて注目する。そんな彼らに軽く手を振ると、返事はなく目をそらされた。
現実の島と何一つ変わらない風景が広がっている。
「本土からのお客人が珍しいのでしょう。他意はないのです。
どうかお気を悪くなされぬように」
「いえ、かまいません。
自分は所詮は余所者でございますから、こうして出迎えに来ていただけるだけで十分ありがたい」
「宗正様は確か絵師でございましたね」
「ええ。
日本の風景のすべてを描きたいと流浪の身でして、風のうわさでこの島の祭りのことを伺ったものですから」
すごいですね、と直政は笑う。
辛気臭い顔をしているがやはり子犬のように従順でわかりやすい。
夢の中の孝久は孝久とは異なっていた。
宗正、それがこの夢の中での名前。
聞き覚えがないはずなのにどうにもよくなじむ名前だ。
導かれた先には國守邸があった。
現実と変わらず立派な佇まいをしている。
そして同じように荷物を下女に預け、直政の案内を受けて屋敷の中を進む。
手入れの行き届いた見事な美しい中庭が見えた。これももちろん今日昼に見たものと何一つ変わらない。
「素敵な中庭ですね」
「宗正様のお部屋はご希望の通り、中庭が特別よく見える部屋にしてあります」
「それはありがたい」
そんな他愛のない話をしながら進んでゆく。
そしてようやく当主の待つ部屋に到着した。当主の部屋の場所も同じ。
すっと直政は障子を開ける。
「直政です。客人の宗正様をお連れしました」
そう断りを入れ、中へと促す。
部屋の中に入ると、男がこちらに背を向け窓に面した座卓に向かっていた。
何か書き物をしていたようだが男は筆を持つ手を止め、ゆっくりとこちらに振り返ろうとした。
そこで、夢は終わった。
やけに生々しく、みずみずしく記憶を刺激する不思議な夢だった。