悲劇は終わる
――起きたか
孝久は目を覚ました小春を見つめる。
小春はよろよろと上体を起こした。
「生きてた」
「勝手に殺さないでください」
「死んだような顔してたから、死んでたと思った」
「どの口が言うんです」
さっきまで死んだように眠っていたくせに。
そう言葉が出かけたが、言っても仕方がない。
最後は小春と話をつけなければ。
譲の遺書を届けなくてはならない。
「譲のこと、聞いたようですね」
「譲? ……ああ、秀元のこと」
船の中で久人から秀元が譲本人であると聞かされても、小春にはその実感はない様だ。
小春にとっては、秀元は秀元なのだろう。
「秀元は、いい奴だった。いつも私を気遣ってくれた……」
ぽつぽつと小春は語る。
「夜に座敷牢から外に出してくれた。
屋敷の外の話をしてくれた。昔話をしてくれた」
「ずっとあなたのそばにいたのですね」
小春は小さくうなずいた。
「秀元がいたから、座敷牢にいても不自由は感じなかった。
でも、それはきっと私が燕だったからなんだろうな」
ぐらりと首が傾いた。
まだ人形のようだ。
声も表情も虚ろで血が通っていない。
「前世なんて知らない。私にとって秀元は秀元だった。
でも、秀元にとって私は小春じゃなくて、燕だったんだと思う」
孝久は宗正と、淳一は直政との境界がぼやけた瞬間がある。
譲に至っては秀元の要素はなく、譲としてもう一度生まれてきた。
だが、小春は違った。
小春と燕は別人で、記憶や意識の共有もない。
一般の生まれ変わりと同じように前世の記憶も人格も持ち越すことなく生まれてきた。
「子どものころから、ずっと……剣道を教わってきたのになぁ」
小春は雨が降る窓の景色を眺める。
孝久は大きく息を吐いた。
「今回、一番の勘違いをしているのはあなたですよ」
「私?」
不思議そうに小春は視線を孝久に向ける。
孝久はまぶたを伏せ、その裏に過去の映像を映す。
スケッチブックに触れたときに見た記憶。
あの記憶が確かなら、今の小春は重要なことを見逃している。
「あなたは、望まれるなら死ぬと言った。
島のために死ぬことに恐れはないと言った」
「本当にそう思っていた」
「まだ気づかないのですか」
孝久は前かがみになり、小春との距離を詰める。
近づく悪人面に小春は何の反応も見せない。
「あなたは島のために死のうなんて気持ちはない」
「え?」
きっぱりと孝久は言い切った。
「ただ、秀元がそれを望んでいると思っていたからそれをかなえようと思っていただけです」
「秀元が望んでいるから……」
ほんの少しだけ、小春の瞳が揺らいだ。
「正確にはこれもあなたの勘違いの一つですが、
あなたは秀元があなたの死を望んでいると思った。
だから秀元のために死のうとして、座敷牢に閉じ込められることも、死ぬことも恐れなかった」
「私は……秀元のために……」
孝久の言葉を小春は繰り返す。
わずかにその瞳に生気が戻る。
「あなたの行動の理由のすべてには秀元がいた」
ぽかんと開いた小ぶりの唇が、かすかに動いた。
虚なガラス球の瞳が初めて感情を映す。
「私は……」
「あなたのスケッチブックに触れた時に見えました。
あなたのスケッチブックには秀元の姿ばかりが描かれていた。
あなたは――」
孝久の言葉を最後まで聞かずとも、ようやく小春は自分の大きな見落としに気付いた。
「私は、秀元が……好きだった……?」
ずっと気づかずにいたこと。
目をそむけていたことを口にする。
口にすること、言葉にすることは、認める事。
認めた瞬間に、ガラス球の瞳が濡れた。
雫が頬を伝う。
「私は……ずっと……子供の時からずっと……ずっと……」
「気づかなかった理由は俺にはわかりませんし知る必要もない。
ただ、そこに気付いたのなら他の勘違いを解きましょう」
小春は大きな勘違いをしていた。
自分の気持ちに目をそむけていたことから始まった勘違い。
孝久は遺書を小春の手元に置いた。
宛名は燕ではなく小春。
「そのことに気付いた後なら、この手紙も読めるでしょう。
それですべての勘違いは解けて、全部終わる」
目の前の白い手紙。達筆ながら無骨な毛筆での文字。
中を開き、読む。
『お前のこれからが幸せであることを願う』
とても短い手紙。手紙の宛名は小春。
これは燕ではなく小春だけにあてられた手紙。
「勝手だ……」
ぽつりと小春はつぶやいた。
雨の音が遠くなりゆく。
「私は……秀元がいてくれるだけでよかったのに……
秀元がいなくなったら、私の幸せなんか……ないのに……」
ボートの時と同じように小春は涙を流す。
短い手紙を抱きしめて声をあげて泣く。
その様子をただ孝久は見つめていた。
「絶対に……忘れてやるものか。一生……覚えててやる」
泣きじゃくりながら震える声でそう言った。
涙をぼろぼろとこぼしながらも、その瞳は穏やかな色を見せる。
初めて、血の通う人間の顔をみせた。
燕は小春が秀元に惹かれていることが許せなかったのだろう。
だから小春からすべてを奪ってしまった。
それが返された今になって小春はその思いに気付いた。
それによって虚ろな人形だった器が満たされ、小春は人になった。
これから小春は、小春として人として生きることができるだろう。
それを見届け、孝久は部屋を出た。
「終わりましたか」
「ああ……全部な」
淳一が声をかける。
これですべて終わった。
「じゃあ俺は帰る。秋からは頼むぞ新人」
「はい、所長」
淳一に見送られて孝久はアパートを立ち去る。
激しかった雨が勢いをなくし、湿った空気が包み込む。
雲に覆われた空を見上げ、哀れな男に思いをはせる。
一度死に、そして再び生まれ、もう一度悲劇を繰り返す。
そして最期まで島に縛り付けられて、すべての罪を背負って炎の中に消える。
炎に囲まれた部屋の中、自らの罪と他人の罪、島全体の罪を背負い、島と心中する。
最期まで、誰かに頼ったり依存することもできず、
一人で勝手に苦しみ、勝手に責任を負って勝手に死ぬ。
――哀れだ。
だが、彼の一生は不幸ばかりではなかった。
スケッチブックに描かれた譲はすべて穏やかな優しい顔をしていた。
小春のそばにいた時間は彼にとってかけがえのない時間だっただろう。
何もない人生ではなかったはずだ。
おそらくは、彼も――……
そこまで考え、孝久は一人笑った。
孝久らしくない、と。
(了)
これにて本編完結です。
以降はサイドストーリーとしてこの物語の最重要人物の一人称物語が続きます。
よろしければそちらのほうもよろしくお願いします。




