髪長姫は消える
――すべてを終わらせる、か
孝久は眠る小春を挟んで髪長姫・燕と対面した。
――この女は譲を誤解していた。
ずっと誤解されたままでは、譲が哀れだ。
ならばその誤解を勘違いをすべて解かなければ、いつまでも孝久の中から宗正は出ていってくれない。
そのすべてのけじめをつけるためにも、彼女とは話をしなくてはならない。
「こうして面と向かって話をするのは初めてですね」
「………そう、ですね」
小ぶりの形の良い唇が声を紡ぐ。
質量のない霞がかった美しい女だ。
「ずっと、そこで聞いてくれましたよね。
俺はあなたにも聞こえるように言ったつもりですが」
燕は静かにうなずいた。
死んだように眠る女を挟んで、生者と死者が語らう。
前世では恋人同士だった二人も、現世ではただの他人。
孝久の燕に対する姿勢も、宗正がとるものではない。
「すべて……ここで拝聴しておりました」
「あなたはずっと、譲を恨んでいた。
今でもそれは、変わらないのでしょうか」
直接的な質問に、燕は眠っている小春を見下ろす。
そしてまた孝久を見つめた。
「私にとって、兄様はとても温かく、穏やかな方でした」
燕は語り始める。
「兄様はずっと私を守り、当主と髪長姫としてでなく、兄と妹として接してくださいました。
だからこそ、あの夜のことは裏切られたと思いました」
「手紙のことですか」
はい、と燕はうなずく。
「憎くて、憎くて……ずっと、ずっと恨んでおりました。
愛した分だけ、憎く思いました」
「だがそれは――」
「わかっております」
質量のない手が震える。
伏せられた瞳には悲哀の色がにじんでいる。
ずっと兄を呪い、その恨みを抱えて燕は存在してきた。
「あの手紙は兄様のもとに届いていなかった。
その行き違いが、こんなことになったのですね。
そして私はずっと、兄様を苦しめ続けてしまったのですね」
「それなら今度は直政を恨みますか?」
意地悪な人、と燕はこぼす。
燕は閉ざされた戸の向こうにいるはずの淳一に目を向ける。
「すでに直政は死に、生まれ変わり別の方になった。
彼は、直政とは違う。
私がいつまでも恨んでいたら、彼はずっと直政を引きずることになるでしょう。
もう、音櫛島でのことは終わったのです」
「そうですね。譲がすべてを終わらせた」
燕は力なく笑った。
「直政は、病に伏せていたところを兄様に救われました。
身寄りのない直政はそれ以来兄様にずっと仕えてきました。
親よりも尊い存在と心酔し、兄様にすべてを尽くして仕えてきました。
そんな彼にとって、兄様の最期を見てしまったことは大きな衝撃だったと思います」
「譲の、最期?」
それは過去の話だろうか
「私がずっと恨み続けたことで、兄様は自害された。
直政の目の前で、兄様は死んだのです。
あの時の兄様の顔は、今にして思えば、とても……寂しそうでした」
質量のない体からは涙はこぼれない。
ただその華奢な体は震え、瞳は伏せられた。
妹は兄を恨み続け、兄を死に追いやった。
そのことを少し後悔しているように孝久の目には映った。
「私は兄様と島のすべてを呪いながら死に、生まれ変わっても恨んできました。
ただ島が滅ぶことを望み、宗正様と出会い、島から逃れることを夢見てきました。
ただその妄執にずっと、とらわれてきました」
そしてその妄執によって孝久は音櫛島に招かれた。
「その時の私はいつからか、兄様や宗正様と時を過ごした私ではなくなっていました。
どこかぼんやりとして、でも鬼のように恐ろしい何かだった、そう思います」
そして燕はそばに眠る小春の顔に手を添えた。
「この娘にも、悪いことをしました」
「小春さんにも……ですか」
質量のない白く冷たい指が小春の髪に触れる。
東京に戻ってから小春は長い髪をバッサリと切り落とし髪長姫でなくなった。
肩を越すまでの長さになってもその黒髪は美しい。
「この娘が私とは異なることが、私には許せなかった。
だから私は、この娘からすべてを奪ってしまいました。
心も、感情も、時間も、大切なものをすべて奪ってしまいました」
だからずっと小春は眠り続けている。
「私とこの娘は魂は同じ、だけど同じ存在ではなかった。
彼女が眠っているときに魂は私の時に戻り、肉体から離れて私として活動できました」
「それが島で俺が見たあなただったのですね」
島に来てから何度も現れた髪長姫。
孝久に眠る宗正の部分を揺り起こし、孝久を惑わせた。
「私が現れるときはいつだって彼女は眠り、私が消えない限り、彼女は目覚めなかった」
「そして今もあなたがここにいるから、小春さんは眠っている」
燕からすべてを奪われた小春は人形のように無機質だったのか。
「すべてを、彼女に返そうと思います」
小春はすべてを取り戻し、燕は小春になる。
髪長姫の恨みはここで消える。
「それがいいでしょう。彼女のためにも、あなたのためにも」
「あなたは宗正様とは違う。でも、お優しい方ですね」
最後に、燕は笑った。
その笑みは、とても美しかった。
美しい輪郭は急速に霞み、その姿を消した。
ゆっくりと、小春の瞼が動いた。




