二人組は島へ向かう
――何を考えているんだ、こいつ
音櫛島の隣、神流島に到着して早々、孝久は久人を眺めた。
神流島は火山による温泉、豊富な海の幸と風光明媚な風景が有名なリゾート地である。
ある企業が一手にリゾート開発を進め、資産家たちの別荘も建てられている。
そんな先進的なリゾート地だというのに。
「もうすぐ依頼人と落ち合う場所だよ」
この男は和装だ。目立つ。
「先生、こんな場所に和装なんて浮きすぎでしょう。いらぬ注目を集めます」
「何を言っている。これが僕のスタイルだ。首のしまるような窮屈な服はごめんだね」
わかっていたが、やはり何を言っても無駄だった。
「それに、僕以外に和装の人はいるよ。ほら」
そういって久人が示す方向には深く暗い色の和服を着た男が立っていた。
孝久は悪人面だが、この男はどちらかといえば強面に分類されるだろうか。
刃のように鋭く相手を射すくめる目、高くしっかりとした鼻、とがった顎。細面ながら渋く、鬼気迫った空気を醸す。
男はこちらに気付き、歩み寄った。
「葛西久人さんとお連れの方でしょうか」
「はい。あなたは?」
「國守家の使いの者です。こちらへどうぞ。音櫛島へお連れします」
無駄も隙もない動作で久人たちを導く。
侍。
それがこの男の印象だった。
男は貴志秀元と名乗った。名前もまた古風だ。
秀元は依頼人の家に仕える使用人であり、今回久人たちの出迎えに遣わされたのだという。
案内されるままにタクシーに乗る。
「ここから島の裏手まで行きます。
少々時間もかかりますが、それほど大きな島でないのでご安心ください」
そしてタクシーは動き出した。
景観も売りにしているだけあって、窓から見える景色は確かに美しい。
どこまでも青く広がる海と空。
都会からそれほど距離が離れていないというのに、海を隔てただけでこうも景色が変わるものだろうか。
仕事を忘れてゆっくりした時間を過ごすには申し分ない場所だと言える。
だからこそ別荘地としても観光地としても人気を集めているのだろう。
さらにに火山による温泉も効能が優れており、かつては湯治目的に島を訪れる人間も多かったようだ。
極め付きに豊かな海からもたらされる新鮮な海産物が自慢とくれば、もう極楽も近い。
「これから向かう音櫛島とはどのような島なのですか?」
それほど大きくないとはいえ島の裏側まで山をぐるりと回るため、移動には時間がかかる。
その間に目的地に関する情報を集めようと久人は秀元に問うた。
「都会から来られた方には退屈な自然しかない島ですよ。
今でも古めかしい生活を続けています。電気もガスも通っていません」
秀元の言葉がそれまで窓の外をぼんやりとみていた孝久を会話に引き寄せた。
「待ってください、それじゃあ電話線は」
「もちろんありません。ハンディホンやポケベルの類は圏外です」
最悪だ。
仕事の情報が全く得られない。対する久人は全く気にしていない。
「そうやって連絡をとろうと急ぐあたりが仕事中毒なんだ」となぜか少し勝ち誇っている。
反論しても無駄だと思うが、孝久が仕事中毒なわけじゃない。
久人が仕事に無頓着なだけだ。
リゾート地かと思えばとんでもない田舎に来てしまったことになる。
「音櫛島は神流島の開発を一手に引き受ける國守観光開発の社長が所有するさらに小さな島です。
神流島と比べれば見どころもなく、ただただ古く時間が止まったままの島ですが、食べ物と温泉ならばそろっています」
「それはいい。都会の喧騒を忘れるには神流島よりうってつけだ」
「気に入っていただけて嬉しいです」
秀元の表情はちっとも嬉しそうでない。険しい表情のままだ。
この男は笑うのだろうか。
「少々不便なところですが、でき得る限り不自由はさせないつもりです」
「いえいえお構いなく。こちらも仕事で来ていますので」
――俺の仕事を無理やり休ませてな
心中で孝久は毒づく。
そこから久人は運転手と世間話を始めた。
やれ、神流島に人気タレントがお忍びで来て乗せただの、この島の食べ物はうまいだの、これから音櫛島に行く自分たちには関係のない話ばかりだ。
一方の孝久は黙って窓の外を見ていた。
前の助手席に座る秀元は相変わらず険しい表情のまま前を見ている。車内の空気は二分されていた。
――――
ようやく島の裏手につき、タクシーから降りた。
山を一つ越えただけで島の様相はがらりと変わっていた。
今までが華やかで現代的なリゾート地であれば、ここは昭和の生活臭が漂う集落である。
「音櫛島から神流島へ出稼ぎに来ている者たちの住宅地です。
音櫛島には病院や学校がありませんので、島民のための病院や学校も備えてあります」
「通院や通学に海を渡るというのは少し不便ですね」
「島を変えずに、時代に適応するための手段です」
そこまで音櫛島は昔の生活を続けているのか。想像するだけで、孝久は寒気を覚えた。
これから自分たちが向かう島は、異常だと感じざるを得ない。
「ここから音櫛島はすぐそこです」
港に案内されて小型のボートに乗る。
音櫛島は定期船は一日に三本、それ以外の時間に神流島に向かう際はボートや小舟を使うらしい。
音櫛島は神流島以上に都会から、時代から切り離されている。
ボートに乗り込んだ後、久人は会話の矛先を久人に向けて今度は依頼人について情報を集めた。
「依頼人の國守淳一さんというのはどのような方なのですか?」
「神流島の開発を担っている國守観光開発の社長のご子息です」
「ほう……」
「依頼については淳一さんが言い出したことですが、当主や島の人間の総意でもあります。
祭りの成功が最優先ですから」
「島の人間の総意、ですか」
言葉を反復し、引き出す。孝久はそれに興味がなくとも耳に入ってくる。
秀元が言うには、音櫛島には定期的に行われる祭りがあるらしく、それが島の人間にとってはとても重要な物らしい。
その祭りを行うために不安要素は排除したいというのが島の人間の考えだそうだ。
「その祭りというのは?」
「豊作と島の安寧を願う一般的なよくある祭りです」
祭りなどほとんど形式的なものと考えている人間が東京では多いことだろう。
本気で豊作だの安寧などを祭りで願う人間などこの平成の時分には珍しい。時代錯誤な島なのか。
そこまで孝久は考え、やめた。どうせ無駄なことだ。
島の厄を祓うのは久人の仕事。孝久はただ、どこにどのようなものが憑いているのか見るためだけに連れてこられたのだろうから。
そして三人は島に到着した。久人と孝久はボートを下り、秀元はボートをつなぎとめる。
それからまた秀元の案内の元、依頼人の待つ國守家へと向かった。
島の道は舗装されていない。電気の線も見当たらない。予想通り、時代錯誤だ。
何より全員和装だ。
神流島とは変わって今度はシャツ姿の孝久が浮いた形となっている。
それより孝久にとっての島の印象は醜悪だった。
景色などは常人の目で見る限りには昔ながらの風景で神流島と同じく、いや神流島よりは自然の美しさを感じるだろう。
島の人間たちは農作業や漁を行い、自給自足の生活をしていることがうかがえる。
だが、孝久の目には地獄絵図でしか映らない。
怨霊がそこかしこにはびこっていた。
地面を這いずりまわったり、宙に浮かんだり。
焼けただれているかぶくぶくに膨れているか、滅多打ちで原形をとどめていないものもある。
それらが孝久の視線を感じ、こちらにまとわりつく。
それは孝久にとっては日常と変わらないはずなのだが、数が異常に多い。
この小さな島のどこを見渡してもうじゃうじゃと生者と区別がつかないほど蔓延っている。
気持ち悪い。
しかし、これは孝久だけが感じるものだ。
「綺麗な島ですね」
「そういっていただけると恐縮です」
あっけらかんと久人は島を見回している。
そして國守邸に到着した。
島を見下ろす高い位置にそびえる立派な日本家屋だ。随分古い建物だが傷んだところはない。
そして島の中で例にもれず死霊が吹き溜まっている。どうしてここまで死霊がたまっているのだろうか。
そこさえ無視してしまえば、時代劇に出てくるような立派な屋敷であり金持ちの家と考えれば葛西の家よりもずっと様になっている。
門をくぐるとパタパタと足音を立てて数人の使用人――下女というのがあっているか――が出てきた。
秀元は彼女らに久人らを任せ、去っていく。
「さあおあがりください。旦那様が待っております」
「ではお邪魔します」
中も広々としている。そのまま奥へと入り、案内される。
廊下を行く際に、中庭が見えた。
手入れの行き届いた美しい日本庭園だ。自然を愛でることは孝久には縁遠いが、なぜかこの中庭は立派で心惹かれる。
屋敷のやや奥まった場所に当主の待つ部屋があった。
「旦那様、お客様がおつきになりました」
「通してくれ」
重みのある声が帰ってきて、下女は障子を開ける。
床の間を背にして、渋い顔をした壮年の男性が座っていた。
醸す空気は重々しく、威圧感がある。
だがそれに物怖じするような久人でも孝久でもなく、するりと部屋の中へ入った。
座るよう促され、前に置かれた座布団に座す。
例にもれず、当主も和装だ。
白髪が交じった髪をオールバックにし、眉間の皺が額にまで至り深く刻まれている。
そしてこちらを見据える目には重力のような迫力を帯び、気の小さい人間ならすぐに委縮するだろう。
この男もまた強面の類に入る。
「國守家の当主、國守耀賢にございます。この度は東京から遠路はるばるこんな田舎島に来ていただき――」
上っ面の挨拶。口調は丁寧だが、その視線は絶えず威圧感を与えている。
「葛西久人です。こちらは助手の葛西孝久くん」
「助手です」
「ややこしいでしょうから名前で呼んでください。
ところで、依頼文を書かれた淳一さんは……」
「淳一は所用で出かけております。夕食までには戻ってきましょう。
そちらで改めて紹介いたします」
耀賢はせっかくこんな田舎に来たのだろうからゆっくり羽根を伸ばすようにと祭りまで滞在することを勧めた。
冗談じゃない。だが、決定権は久人にあり、久人はその話に乗り気だった。
結局耀賢との話を終えた後は下女によって泊まる部屋に案内された。
「こちらが久人さまのお部屋、その隣が孝久さまのお部屋となっております」
「ありがとうございます」
部屋に到着して荷物を降ろす。
色味がないが渋みがあり、落ち着く。祖父の部屋もこんな調子だったと思う。
座卓は窓に向かうようにぴったりと壁際にある。そこに座して一息つく。
仕事がない。
今頃東京ではどうなっていることだろう。
孝久の代わりは他にもいる。戻ってきたときには居場所がなくなっているかもしれない。
そんなことを久人は理解しているのか。
まあ、今更久人に言っても仕方のないことだろう。
どうせもう来てしまい、久人が気が済むまでここにいなくてはならないのだ。
久人や耀賢の言うように羽を伸ばすにはちょうどいい機会かもしれない。
死霊さえなければなおのこといいのだが。
――――
読書をして時間をつぶしていると夕食に呼ばれた。
豊かな自然とあって出された料理は今朝採れたばかりの野菜だの魚だので旬で新鮮な物ばかりだ。
食事の席には耀賢と、島では珍しい白シャツ姿の若い男がいた。その顔はうつむいていて良く見えない。
「久人さん、孝久さん、紹介いたします。息子の淳一です」
耀賢はそういって、二人に若い男を紹介した。
紹介され先ほどまでうつむいていた顔を上げた青年に、孝久は目を奪われた。
申し訳なさそうに沈んだ表情。
無造作に加えてくせっ毛なのかところどころはねた髪、ちょろちょろと生えた薄い髭。
憂いを帯びたと言えば聞こえがいいが、実際のところ湿った暗い表情の目。
すっきりと通った高い鼻。への字に曲げられた唇は薄い。
じめっとした暗い印象を与えながらも顔立ちそのものは童顔の部類に入る。
強面の耀賢の面影など全くない。捨てられた子犬のような表情だ。
だがそんなものはどうでもいい。
なぜだかは分からない。
しかし、強い既視感を孝久は淳一に覚えた。
この男は、何だ。