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髪長姫の転寝  作者: 四谷 秋
終章 ~終幕~
28/42

音櫛島の最期

  ――さて、どうしたものか……


 東京に戻ってから三日間、孝久は使い物にならなかった。

 非日常から日常へ戻るための整理がつかず、東京での暮らしに対応しようと奔走する淳一や放心する小春を眺めていた。


 仕事を催促する電話がかかってきたことによってようやく孝久は現実の日常へと覚醒し、仕事に忙殺されかける日常へと戻った。

 数日間仕事にあけた穴を取り返すために昼も夜もなく書類とにらみ合い、取引の場に参加する。


 そういった日々をつづけることで、あの島で起きたこと、殺されかけたことも遠い過去に追いやろうとした。




 だがそれでも、忘れることはできない。

 島に取り残した秀元――譲がどうなったのか。

 眠りにつくたびに夢の中に宗正として譲との記憶が展開され、胸が締め付けられる。

 あの哀れな男はどうなったのか。



 何度も逃げようと試みて、最後には逃げることを諦めた。


 もとより孝久は逃げるのは嫌いだ。

 そして孝久は久方ぶりに久人に会うことにした。



「先生さよならー」


 学習教室は久人の言葉通り再開されていた。

 教室が終わるのを待ち、見送りに出た久人と顔を合わせる。


「随分と久しぶりだね。君にしては珍しいんじゃない?」

「休みがとりづらかっただけです」

「仕事中毒め」


 今度の孝久は何も言い返さない。

 久人は教室へと招き入れた。


 倉を改装した教室は教科書で見る寺小屋の様だった。

 子供用の小さな座卓が並んでいる。

 その奥で本が積まれた久人が良く使う座卓があった。

 畳敷きで座布団が人数分。とりあえず孝久は久人の座卓の正面の卓につく。

 久人は自分の座卓についた。


 相変わらずの和装。

 時代錯誤な光景が音櫛島の日々とつながる。



「孝久くんは新聞を見たかな。それとも避けていたかな」

「仕事を再開するまでは読む気がありませんでした」

「それじゃあ、読んでいないわけだ。

 まあ無理もないと思うよ、すごく小さな記事だから」


 そして久人は孝久の卓の上に新聞を投げ置いた。

 日付は東京に戻ってから二日後だ。

 久人は身を乗り出し、ある小さな記事を指した。



『音櫛島にて集団自決』


「これは……っ」


 そこには音櫛島のその後が簡潔に記されていた。

 久人はその内容を告げる。


「島の大部分の人間が集団自決、あるいは無理心中をはかった。それから……」


 嫌でも目に付く記述がある。

 孝久はその記述を読んだ。


「『高台の屋敷が全焼、その中に貴志秀元さん(三八)と思われる焼死体を発見』」


 譲が死んだ。


 簡潔に書かれた記事にはその詳細が書かれていない。


 すがるような目で孝久は久人を見つめる。

 久人は眼鏡の位置をなおし、新聞を取り上げた。


「一週間前にね、耀賢さんが僕を訪ねてきた。

 島で何が起きたのか話してくれたよ」


 島から外に出た耀賢は絶対的な権力を発揮できる場所を失い、小さく衰えて見えたという。

 和服ではなく洋服であったこともまた彼をどこにでもいる小さな存在と思わせたそうだ。


「耀賢さんはしばらく儀式の場で呆けた後、ようやく屋敷に戻ったらしい。

 その時には屋敷は島民の男衆に包囲されていた。

 興奮状態にあった男衆は國守家を非難して、屋敷に火をつけた。

 古い木造の日本家屋だ。よく燃える」


 髪長姫と孝久たちが逃げたことによって儀式を行えなくなった。


 生贄を求めて血走った目で追いかけてくる島民たちの姿は、頭に焼き付いている。

 もはや同じ人間とは思えず、獣に近かった。

 あの状態の彼らなら、屋敷に火をつけるという行動もおかしくはない。


「地獄絵図だったらしいよ。

 逃げようにも殺気立った連中が屋敷を取り囲み、屋敷から飛び出せば殺される。

 屋敷の外で死ぬか中で死ぬか。絶体絶命の状況。

 地下に逃げても儀式の場は袋小路で存在も知られている」

「見つかるのは時間の問題、ということですか……」

「だけど耀賢さんは助かり、譲さんは死んだ」


 そこから予想できることは一つだ。


「譲が、耀賢を助けたのですね」

「ああ。

 大脱出の奇術のタネは案外単純。

 書斎の座卓の下に当主専用の書庫にしている穴倉がある。

 それが禍で地震が起きた時に入り江の洞穴と偶然繋がり、入り江には一隻の船があった。

 耀賢さんはそれに乗って神流島へとのがれたというわけだ」

「いまどき、子供だましにもならない陳腐なものですね」


 推理小説にこんなことがあれば読者のクレームが殺到しただろう。


「耀賢さんも知らなかったらしいから、おそらく禍の後に当時の譲さんが生前に見つけた物だろうね。

 そしてそのことを含めた書庫の伝承を次期当主に伝える前に死んだんだろう。

 だからその場所の存在は譲さんしか知りえなかった」

「島の人間にはもう知りえない場所だったというわけですか。

 ですがそれでみ見つかるのは時間の問題ではないですか」


 久人は少し口ごもり、そして孝久を見据えた。


「その入口の上で譲さんは死んでいたらしい。

 誰もが気味が悪くなり近づかなかっただろうね。

 そうして耀賢さんは島から逃げることができた」

「入口の上に、譲が……」


 譲は死んでもなお耀賢を逃がそうとした。


「その後耀賢さんは警察に通報。警察が島を訪れると、集団自決が発覚というわけだ。

 國守の屋敷から譲さん――正確に言えば貴志秀元の死体が見つかった」

「屋敷は全焼したんですよね」

「ああ。彼の遺体は黒焦げだった。

 東京で受けた歯の治療痕によってようやく身元が分かったらしい」


 やはり、譲は死んだのだ。


「悲劇を終わらせるにはそれ以上の悲劇で壊すべきだと僕は譲さんに言った」

「その結果が譲を含める島の大部分の死。もはや島は滅んだと言っても間違いではないでしょうね。

 集団自決という災害よりも胸糞悪い事が起きた島には、しばらく人は寄り付かない」

「ああ。神流島に出稼ぎに来ていた人も島に戻ってくることはないだろうね」


 久人は息をこぼし、座椅子にもたれかかる。


「音櫛島は死んだ……」

「悲劇の引き金はまあ間違いなく僕だろうね。

 そして譲さんは耀賢さんを逃がし、島と島の常識と一緒に心中した。

 常識が崩壊した人々は拠り所を失い、自決した。

 そうして得たものは小春さんと君の命だけだ」


 久人の指が孝久を指す。

 孝久は自分の手を見つめたのちに頭をかいた。


「俺が言うのもなんですが、数だけで見たら割に合いませんね。

 あのまま儀式をしても変わらなかったんじゃないんですか」


 そういうと、久人は身を起こし孝久を睨みつけた。


「そういうものは言わないほうがいい。

それに、あのまま儀式を行ったところで、また禍が起きていたよ」

「小春さんは生きることに執着していないようでしたが」


 意地悪だな、と久人は孝久をたしなめた。


「たとえ小春自さん身が現世との執着を断っていられたとしても、だ。

 燕さんは死ぬことを拒んでいた。

 燕さんの恨みが島にたまる恨みと結びつき禍は起きたはずだよ」

「どっちにしても、音櫛島は滅ぶ定め、ですか」


 災害が繰り返されるよりも、譲は島そのものを終わらせることを選んだのか。

 久人はもう一度座卓に背を預け天井を見上げて息を漏らした。


「あの儀式はね、元は侵略者が先住者を処刑したことを正当化するために作った方便なんだよ」

「どういうことです?」

「東京に戻ってから、古い記録をあさった。そしたらでてきたよ」


 久人は眼鏡をはずし、目を伏せる。

 少しその表情は疲れていた。


「いつしかその方便が真実として島の人間に刷り込まれ、処刑は儀式になった。

 そうなった時から、呪いは始まってた」

「儀式をすれば島は繁栄すると島の人間は信じていた」

「そう。それが呪いなんだ」


 その妄執こそが島の呪いの元凶だと久人はいう。


「もうその時点で島は滅びに向かっていた。

 死んだ人間の怨念どころの話じゃない。

 現在生きている人間の心の中に歪んだ島の常識がこびりつき、妄執となって巣食っている」


 「気持ち悪くてたまらない」と久人は言い捨てた。

 投げやりな言動。

 その奥から孝久は久人が怒っているのだと察した。


 譲の死に、怒っている。


「実に恐ろしきは死んだ人間より生きた人間さ。

 死霊の呪いは祓えても生者の妄執は祓えないからね」


 狂気に満ちたあの夜は脳にこびりついている。

 狂信者から信仰を奪えば手におえない。あの時は命の危機を感じた。


「神格化された幻想を掲げて作り上げられた儀式。

 外から見てそれがどんなに異常でも、島民たちがそ島が繁栄したと信じ込めば、それは実際に効果のあることなんだ。

 だから、たちが悪い」


 こつこつと右手の人差し指で卓をたたく。

 その音が少しの沈黙に響く。


「僕は島の存続という選択肢を捨てた。すべてを壊して強引に終わらせた。

 堕ちた幻想の代償は教祖の死だ。

 過去に託宣を誤った巫女はその代償に死ななくてはならなかった。

 それと同じようにね」

「國守家は死ななくてはならなかった……。

 それを譲はすべてを一人で背負い、耀賢を逃がした」


 救えなかった、と久人はため息とともにこぼした。


「結局、彼は最後まで島に囚われ、島から逃げられなかった。

 死の間際まで國守家の当主として立ち振る舞ったんだろう」


 ――やはり、哀れだ。


 そうとしか孝久には思えなかった。




「耀賢さんがね、持ってきてくれたよ」


 そうして久人が卓の上に小さなセキュリティボックスを置いた。


「譲さんの部屋から見つかった。

 耀賢さんを逃がすときにこれだけは必ず回収に来るように言い残したんだって」

「最初から、死ぬつもりだったということですか」


 小さなナンバー式の鍵がかかったセキュリティボックス。

 金属製で少し煤がこびりついている。


「君なら開けられると思うよ」

「……はい」


 触って見えた記憶の中の譲と同じ数字を入れて、鍵を開ける。

 中には和綴じの帳面と手紙があった。宛名は小春。


 次はその帳面と手紙に触れる。

 この手紙は儀式の直前に久人が儀式を壊すことを信じて小春に残した遺書だ。

 そしてこの帳面は日記だ。


「その手紙を持って彼女に会いに行きなさい。

 そこですべてを終わらせるんだ。これは、君が相応しい」



 彼女とは、小春か。それとも燕か。

 あるいは両方だろう。



 孝久はそれをもって、その場を辞した。




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