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髪長姫の転寝  作者: 四谷 秋
導入
2/42

悪人面は恩人に会う

  ――面倒くさい


 葛西くずにし孝久たかひさは心中で愚痴りながら恩人の家を見上げた。

 身寄りを亡くした自分を引き取り大学にまで通わせ、就職先の紹介、独立の支援までしてくれた。

 一生働いても返せないほどの恩がこの家にはある。

 それでも人に自主的に会いに行くというのは面倒くさい。たとえ恩人であってもだ。


 住宅街の中でそれほど目立たない少し大きめの一軒家。とても日本有数の資産家の家には見えない。

 表札には『葛西』と刻まれている。孝久の苗字と同じ字を書くがこちらは『かさい』と読む。

 引き取られた当初はなぜこんなにも苗字がややこしいのかと不思議に思ったが、慣れというものは便利だ。

 そういうものだと受け入れたら途端にどうでもよく思えた。



 あまり家を見上げていても大した時間稼ぎにならないし、不審人物に思われる。

 ただでさえ孝久は悪人面なのだ。


 呼び鈴を鳴らし名乗ると、少しして気のいい笑みを浮かべた中年女性が出てきた。


「孝久ちゃん、いらっしゃい」

「お久しぶりです」

「そんな他人行儀ないいかたしなくてもいいじゃない。ここは孝久ちゃんの家も同然なんだから」


 家も同然。女性はそうは言うものの、とてもそう身近に感じることはできない。

 この家に引き取られたのは高校生の時分だ。すでに葛西孝久という人間が形成し終わった後のこととなる。

 孝久にとってはここはかつて生活をした場であっても、恩人の家という認識でしかなく、自分の家という実感はない。

 母のように支えてくれた目の前の女性にも、恩義を感じこそすれ身内の情などはない。

 そんな心情の孝久には女性の言葉に応えられるものは持ち合わせていなかった。


久四郎きゅうしろうさんは?」

「ああ、おじいちゃんなら部屋で読書してるわ。孝久ちゃんが来ると聞いて楽しみにしてたのよ」

「そうだといいですけど……ああ、これお土産です」


 ひょいと近所のケーキ屋の紙袋を女性に渡した。


「これおじいちゃんが好きなお店ね。おじいちゃん喜ぶわぁきっと」

「みなさんでどうぞ」

「ありがとねぇ。ささ、上がって上がって」


 手土産を受け取った女性は孝久を招き入れ、手土産を冷蔵庫に入れるために台所へ走っていった。

 気はいいが話し出すと長くて困る。

 黙らせるにはさっさと手土産を渡すのが一番だ。



 恩人の部屋に行く前に洗面所を借りて鏡を見た。改めて粗相はないか身だしなみを確認する。

 自分の顔を見てひと際目を引くのが、目だ。

 目じりこそはやや垂れているが刃のように鋭く相手を射すくめる三白眼。

 この目が孝久の顔を整った印象よりも先に悪人面と周囲に伝える。自分でもこの目つきで睨まれれば胸糞悪いだろう。

 それ以外は厚めの唇、高い鼻、キリリと締まって吊り上った太い眉、眉間に刻まれた皺。

 艶やかな黒髪は男の割に長く、耳が隠れるほど。前髪も長く顔に垂れ下がっている。暑苦しい顔だ。


  ――いつまでも鏡を睨んでも仕方がないか


 特に気になるところはない。強いて言えば目つきの悪さだがそれは改善しようがない。

 あまり恩人を待たせるわけにはいかず、そのまま奥の部屋へ向かった。


「孝久です」

「ああ、入ってくれ」


 声をかけると、年を重ねていても張りのある返事がふすま越しに帰ってくる。

 了承も得たのでふすまとあけると、背の低い卓に向かっていた老人が顔を上げた。


「久しぶりだな、タカ坊」

「お久しぶりです」

「ただの爺にそんなかしこまったような口をきくな」


 ただの爺といえないほどにあんたは財と権力を持っているだろうが。

 そんな言葉がのどまで上り詰めたが、言うだけ無駄に感じてそれは呑み込み、向かいに座した。


 対面しているのが、恩人、葛西かさい久四郎きゅうしろう

 この家の主であり、この国の経済発展に貢献した財閥を築き上げた傑物である。

 もう結構な高齢で第一線から退いたものの、まだまだ活力が有り余り健康そのものである。


「仕事の方はどうだ?」

「おかげさまでうまくやれていますよ。

 そちらも相変わらずといいますか、よくもまあ……お元気で」

「相変わらずお前は口の利き方がなってないな。まあ、わしは死なんよ。

 玄孫やしゃごの顔を見て日本一のご長寿になるまでぜーったいに死なん」

「そこまで生きてたら化け物ですよ。

 冗談でもご隠居がおっしゃれば真実味が出てしまうのが恐ろしいところですが」

「まあ、玄孫はできればでええがせめて曾孫の花嫁衣裳でも見ておきてぇな」

「曾孫どころか、あなたの孫は二人ともいい歳こいて独身でしょうが。

 相変わらず寝言だかボケてるんだかわからない戯言ざれごとをほざいてますね」


 恩人に向かってあまりにも無礼な口の利き方の孝久に、久四郎は怒るでもなく快活に笑った。

 昔と何一つ変わらない。

 孝久がこの家に来たとき、久四郎は巨万の富を持つ日本有数の資産家で、孝久はただの高校生でしかなかった。

 つながりなどない。それでもこの老人は孝久を引き取った。

 本人が言うには孝久の祖父とはかつて交流があるというが、そもそもそれもただの文通相手。

 事実、孝久は引き取られるまでこの老人に直接会ったことは一度もない。

 そんな希薄な縁でも引き取られてこれほどの恩を受けるに至ったのは、この老人の懐の深さもあるが、やはり孝久の性質が大きい。



 『見える』のだ。

 他の人間には見えない、見えてはならない、この世の住人でないものが生まれつき見える。

 この体質のせいで孝久は幼いころから周囲の人間から疎んじられ、孤立してきた。

 見えると言ってもそれが孝久にとって当たり前であったので恐怖も特にない。


 だが、他者はそうではない。

 それが理解してからは見えても口にしてこなかったが、一度疎まれてしまってはそう簡単に関係は元には戻らない。


 久四郎はその体質を理解して引き取ったのだという。

 祖父からこの体質について相談されて憐れんだのか、興味があったのか。

 詳細はわからないが、今更聞いても虚しいだけだ。

 ただこの体質故に孝久は孤立しがちな少年期を過ごし、この家に引き寄せられた。


「それで今日はどうした? わざわざ来んでも近々わしの誕生会があるだろうに」

「それですが仕事が立て込んでおりまして、祝賀会には参加しますが、プライベートの誕生会には欠席いたします。

 今日はようやく時間を見つけられたのでそのことを直接伝えに」

「なんだ、来んのかつまらん」

「つまらなくて結構」


 幼子のようにいじける姿は、すでに長寿の祝いを何度も経験した老人がやっても可愛くもなんともない。

 むしろ鳥肌が立つ。

 人は年を取って童心に帰るなどともいうが、それにしてもこの老人は童心に戻りすぎな気がする。

 これではただの変人でしかない。

 それでも第一線を退いたとはいえ片手で巨額の金を動かせるというのだから手におえない。



「ともかく用件は伝えましたし、お元気そうで安心いたしました。

 私はこれで――」

「ただいまー」


 そろそろ退室しようと腰を浮かした時に、玄関の方から声が響いてきた。


「おお、帰ってきたみたいだな」


 面倒な男が帰ってきた。小さく孝久は舌打ちを漏らす。

 あの男と顔を合わせればまた話が長くなるし、面倒ごとに巻き込まれる。

 そのうえ恩人でもあるから始末に負えない。

 少し玄関口で話し声がしたと思えば、すぐに足音が近づき、ふすまが開いた。


「ただいま、爺さん。孝久くんもいらっしゃい」

「……お邪魔しています」

「そう嫌そうな顔しないでほしいな。ただでさえ君の顔は凶悪なんだから。

 今日は何? 仕事休みなの? 仕事中毒の君にしては珍しいね」


 来てすぐにその男の口はよく回る。入ってきたのは細い銀縁眼鏡をかけた和装の優男だった。



 葛西かさい久人ひさと

 この家の長男であり、久四郎の孫にあたる。そして孝久のもう一人の恩人である。

 鋭さのない瞳、平均的な高さで取り立てて大きくも小さくもない鼻、極めて平均的な口。

 華もなく凡庸で地味な空気を漂わせ、孝久のような鋭くかつ毒を含み人の目を引き寄せる悪人面とは真逆の印象を与える。

 華がなくとも不備もなくそこそこ整っており、細い銀縁の眼鏡がよく似合うインテリ風な顔立ちだ。

 和装でなくスーツ、もしくは白衣でも着れば雑誌に載るような青年実業家や若手エリート医師よりも様になるだろう。


「そっちこそ、教室はどうしたんです。平日でしょう」

「仕事中毒の君は日付の感覚が鈍っているから気づいていないだろうけど巷は夏休みだからね。

 僕も昨日から夏休みだ」

「小学生向けの学習教室なんだから夏休みこそが最も需要があるでしょうが」


 久人は財閥の御曹司で巷では一流といわれる大学を出ておきながら、学習教室の先生に収まっている。

 変人だ。

 財閥の御曹司、大企業のエリート街道、そのすべてを捨てて選んだ道が学習教室の先生である。

 実際、大学生の時代でも近所の小学生の夏休みの宿題を見るなどをしていた。教える能力は十分にあるわけだ。

 かくいう孝久も大学受験の際には特別に家庭教師をしてもらい、その名残で今でも『先生』と呼ぶ。

 親戚や周囲には学歴ばかりの道楽息子とのレッテルを貼られたが、全く気にするそぶりを見せない。

 むしろ開き直っている。

 久四郎の変人ぶりを十分なほどに受け継いでしまった。


「だめだめ。まだ付近の小学校は夏休みに入ったばかりだ。

 子供たちも遊びたい盛りなんだし、邪魔しちゃいけない。

 夏休みの宿題を見てあげるのは……そうだね、八月に入ってからかな。

 さすがにお盆は休むけど」

「……はあ」


 道楽でやっているような商売だということは本人もわかっているらしく、内容は初歩的な予習復習、長期休みの宿題を見てやる程度。

 ほぼ趣味だ。だから月謝も安い。


「子どもはいいよ。

 小難しいことや小賢しいことなんか何にも考えてない単純にして純粋無垢だ」

「そうですか」

「孝久くんも大人より子どもと接する商売をするといい」

「子どもは嫌いです」


 子どもも孝久を嫌っているだろう。


「正確には親たちが君を邪険にしているだけだと思うけどな」

「勝手に思っていてください。なんにせよ、俺に子ども相手の商売は無理です」


 それだけを言って今度こそ帰ろうと腰を浮かせる。

 この男に関わると面倒なことに巻き込まれるからだ。

 それでも久人はまあまあと言って孝久を座に押し付けた。


「ちょうどよかった。孝久くんに連絡しようと思っていたところなんだ。

 例の仕事の依頼が来たから、一緒に来てもらうよ」

「なっ……」


 予想通り面倒な話を持ち込まれた。


「嫌ですよ。こっちは先生と違って夏休みがないんですから」

「いいでしょ。君の目が必要なんだよ」

「お祓いぐらいいつも先生だけで済ましてきたじゃないですか」

「今回は特別なんだよ」


 久人は食い下がる。


「大体、道楽息子のあんたがなんでそれだけ継いだんですか」

「それは僕が力をもって生まれてきたからだね。

 ほら名前にも”久”の字が入ってるだろう」

「世は平成ですよ。どれだけ時代錯誤なんですか」

「あれ、誰でもない孝久くんがそれを否定しちゃう?

 僕のこの副業のおかげで今も平和に生活できてるくせに」

「ぐっ……」


 恩着せがましい物言いをしてくる久人。

 孝久にはこの方法が一番よく効く。

 思わず孝久は言葉を詰まらせた。


秋人あきひとの高校時代の友人からの依頼でね、祭りが始まるまでにちょちょいと悪いものを祓うだけの簡単な仕事だ。

 祭りが始まるまでの間は滞在してほしい。もちろん、仕事は休んでね」

「冗談でしょう」


 仕事を一日以上休むなんてとんでもない。


「一週間かそこら休むだけだって。仕事中毒の君にはちょうどいい休養になる。

 海の幸が豊富でさらには温泉もある島だからついでにリフレッシュしていこうよ」

「グルメも温泉も必要ありません」


 仕事に穴をあけるわけにはいかない。


 そう頑なに拒んでも久人は一歩も引かない。

 その横で久四郎がノリノリで話に食いついてきた。


「温泉まであるのか。どんな島だ?」

音櫛島おんぐしじまだよ。リゾート開発が進んでる神流島かんなじまのすぐ隣だね」


 聞き覚えのない地名だが、神流島ならばよく聞く。

 豊かな自然と温暖な気候、上流階級の別荘地にもなっている場所だ。

 ただ、久四郎はその場所を聞いてその目が鋭くなった。

 久人はその久四郎の異変を見届け、孝久に選択を迫る。


「一緒に来てもらうよ。決めた話だから」


 眼鏡の奥の瞳がまっすぐ孝久を見据える。


「…………わかりました」


 結局、恩人には逆らえない。

 引きずられるように孝久は音櫛島へ行くこととなった。



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