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短編集

存在しない出席番号

作者: 岩月クロ
掲載日:2015/07/10

「それでは朝礼を始めます」

 教卓に出席簿を置き、教室を見回す。子供達はいつも通り、総じて怠そうな顔をしている。くあり、と欠伸をする者も多い。せめて隠せよこの野郎、とはとても口には出せない。

 海堂(かいどう)夏樹(なつき)は、一年B組の担任教師だ。名前から分かる通り、夏生まれだ。とはいえ、運動とはほぼ無縁の生活を送ってきた。のらりくらりと日々を生きていたつもりだったのに、どういう訳か、高校教師なんてものになってしまった。

 本日も異常無し。メモ欄にその旨を記入したところで、不意に違和感を覚えた。


 ──なんだか、足りない、ような。


「せんせー、早くしてよー。次、俺ら移動なんだけどー」

「あ? あ、あー、悪い悪い」

「もー、夏バテー? 勘弁しろよなー」


 やけに間延びした口調の子供に、悪い悪い、ともう一度繰り返し、へらりと愛想笑いをする。教師は気を遣うことが多くて、大変だ。

 出席簿に視線を落とす。先程、一瞬のうちに湧き上がった違和感は、既に霧散していた。

 気のせい、だったのだろう。

 七月に入り、暑さは増している。おそらく気が遠退いていたのだ。水分補給に気を付けなくてはいけない。


溝内(みぞうち)は今日は風邪で休みだそうだ。他の二十五人は、いるな。はい、じゃあ解散」


 一声掛けながら、出席簿を閉じた。次いで、担当学科の記録簿を開く。次は一年D組の授業だ。“移動教室”は、教師だってあるのである。

 ああ、それにしても暑い。海堂は、シャツの首元を扇ぎながら、荷物を小脇に抱える。

 今日も、なんでもない一日が始まった。



 授業で解答権を与える時、誰から当てていくかは、意外と重要だ。

 例えば、日付と同じ出席番号の生徒から。例えば、角の席の生徒から。例えば、各列の先頭と最後尾でジャンケンして負けた方から。──人によって様々だが、そこには決まった法則があるべきだ。それによって、生徒は「今日当てられるかもしれない」とあらかじめ予測することができる。

 これがもし法則性が無いと、「あいつ俺を当てやがった」と何故か恨まれたりする。ぶっちゃけ、そんなことをこちらに言われても、という感じなのだが、しかしわざわざ恨まれる理由は無い。必要な時は恨まれたって良いが、不要な恨みは正直、ストレス以外の何物でもない。


「じゃあ今日は十三日だから、男子の十三番。三十四ページの一行目から、次の句点まで読めー」


 開始と同時に教科書を開きながら、いつものように告げれば、「先生何言ってんのー」と生徒に笑われる。


「十三番の男子はいないよ」


 何故、という疑問がフッと沸き、そしてすぐに意識の底に沈んでいく。

「ああ、……そうだった、十三番の男子はいないんだったな」

 暑さで頭がやられているらしい。がしがしと頭を掻き毟れば、「何してんの先生」「記憶力が退化してんだよ。ほらもう歳だからさ」と揶揄(やゆ)される。うるせーなぁ、歳なんて十くらいしか違わないだろうよ。


「あ、女子の十三番もいませーん」

「二十三番の男子もー」


 くすくす、くすくす。

 笑い声が頭に響く。少しムッとする。

 顔に笑みを張り付けて、海堂は生徒を指名した。

「なら三番の女子からな」

 えー、とブーイングが起こった。いつも十ずつ足してくのに、と文句が聞こえるのを、笑顔で封じる。偶にはこれくらいの反撃、許されると思う。


 ──何かが、足りない。


 その違和感に、蓋をする。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「それでは朝礼を始めます」

 教卓に出席簿を置き、教室を見回す。子供達はいつも通り、総じて怠そうな顔をしている。机に突っ伏す生徒も数名。チョークを投げていいだろうか。駄目だろうな。昨今では、そんなジョークすらも体罰になってしまう。

 本日も異常無し。メモ欄に記入する。


「二十五人、全員いるな。はい、じゃあ解散」


 今日は文句を言われる前に、朝礼を終えることができた。次の授業は一年A組だ。B組は今日は移動教室ではないらしく、友達同士で楽しそうに喋っている。

 気楽なもんである。しかしまあ、楽しそうなのは良いことだ。高校生活、なんだかんだであの頃は楽しかったなあ。

 首の後ろに手を当てながら、教室を出る。


「せんせー」

「ん? 内倉(うちくら)か。どうした?」

「や、あのさー。訊きたいことあんだけどー」


 いつも通りの間延びした口調。

 こいつ悩みなさそうだなあ、と思う。だが人の心の中というのは、見た目からは分からないことも多い。だから、多分悩みもあるのだろうなあ、と逆のことも考える。全くもって、扱い難いお年頃である。漏れなく自分も、しっかりそうだった訳だが。

 しばらく、あー、だか、うー、だか言いながら頭を捻っていた内倉は、覚悟を決めた顔で、口を開いた。


「溝内、今日は休み?」


 ──ミゾウチ?


 海堂は首を捻った。

「何組の生徒だ?」

「何言ってんの、せんせー。頭でも打ったのかよ、B組に決まってんだろー。うちのクラスじゃんか。昨日、風邪で休んでただろー」

「そんな名前の生徒はうちにはいないだろう」

「いるだろ!」

 苛立ったような口調に、理不尽な、と顔を顰める。最初からいない生徒に関して知らないことを責められても、どうしろというのだろうか。問題の当て方と同じだ。教師がどうこうできるものではないのに、何故こちらを責めるのか。

 極めて遺憾である。しかし、それはどうやら内倉も同じだったようだ。

 彼はひどく苛立った顔で、それでいてひどく傷付いた顔で、何より恐怖を押し込めたような顔で、「みんな揃いも揃って頭おかしーんじゃねーの!」と言って走り去っていった。


 切羽詰まった顔だった。

 追い掛けるべきだろうか。


 逡巡する。キーンコーン、と本鈴が鳴り始めた。

 既に廊下に、人の気配は無い。


「……──あ、やばい。授業が」


 海堂は慌ててA組に向かった。

 教室に入る。やけに空席が目立つが、こんなものだろう。なにしろA組は、三番と六番、九番、それから──とにかくいない生徒が多いのだ。十四番の生徒は男女共にいるようで、安心する。また笑われたら堪ったものではない。

 くすくす、くすくす。ああ、笑い声が耳につく。振り切るように、頭を左右に揺らす。


「それじゃあ、始めるぞ」


 記録簿を開き、前回の授業までの進み具合を確認する。今日は四十一ページからだ。

 今日も、なんでもない一日が始まった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「それでは朝礼を始めます」

 教卓に立ち、教室を見回す。子供達はいつも通り、総じて怠そうな顔をしている。何かが足りない気がする。すぐに何が足りないか、気付いた。出席簿だ。出席簿を職員室に置き忘れた。しまったなあ、と頭を掻く。

 本日も異常無し。心の中で呟く。後でメモ欄に記入しておかねば。


「今日は二十四人か。欠席はいないな。はい、じゃあ解散」


 出席簿、いつ取りに行こうか。時計を確認する。一時間目の授業は、B組だ。ああしまった、記録簿まで職員室だ。暑いからか、どうかしている。そうこうしている間に、本鈴が鳴った。全員、素直に席に着く。その素直さが今は憎い。


「先生、なんで何も持ってないの?」

「職員室に全て忘れてきた」

「はっ? 馬鹿なの? マジでぼけた!?」

「馬鹿じゃん。ばーかばーか」


 くすくす、くすくす。

 殴りたい。自分も殴りたいけど、こいつらも殴りたい。

「じゃあ先生が戻ってくるまで自習な」

「自習!」

 生徒の目が輝く。自習は間違っても、自由時間ではないのだが、言ったところで意味が無いだろう。言っても言わなくても、真面目に自習をするのはほんの一握りだ。

 ただ、彼らは気付いているのだろうか、授業が遅れるということは、その分後でキツキツ詰め詰めの授業になるということに。場合によっては、ほんの少し休み時間を食うかもしれないということに。

 とはいえ、この件に関しては、他でもない海堂本人が悪く、生徒はそれに巻き込まれた形なのだが。都合が悪いので、この事実に関しては隠し通そうと思う。


 廊下を走る訳にはいかないので、早歩きで進む。そういえば、彼に注意し忘れた、と今更思う。


 ──彼?


 海堂は足を止めた。彼とは誰だろう。

 しかし彼は、確かに昨日、いた。自分と話していた。


 ──せんせー。


 海堂のことを、先生と呼んでいた。とんでもなく生意気な、ごく普通の生徒だった。

 彼はどこだ。彼は、誰だ。


 くすくす、くすくす。


 どこからか、笑い声が聞こえた。

 生徒の笑い声だ。教室の中から聞こえる。──なんの変哲も無い。違和感も無い。普通のことだ。当たり前のこと。


 なのに、どうしてか。

 心臓がドクドクと波打つ。


 気のせいだ。蓋をしろ。

 海堂は足を動かし始めた。出席簿を、記録簿を取りに行かなければ。そう、職員室に。今から、職員室に行って、それを持ってくる。そしてB組で授業をするのだ。


 一心に足を動かし、ようやく自分の席に辿り着く。

 出席簿と記録簿、それから教科書。その他必要な、いつものワンセットを手にする。


 出席簿。ああ、そうだ。

 メモ欄に、異常無し、と書かなくては。忘れないうちに。


 ペンを取り出し、出席簿のメモ欄に記入する。これでもう大丈夫だ。密かに安堵する。もう忘れてしまえば良い。


 ──せんせー。


 声がした。頭が痛い。熱中症だろうか。水分補給をしなければ。こめかみを押さえながら、ため息をひとつ。鞄からペットボトルを取り出す。

 ごくり、と喉を震わせ、茶を飲む。


 ──せんせー。

 背後から、声が掛けられる。

「内倉か。どうした?」

 いつものように、応える。


 声にしてから、数秒。息を飲み込む。

「ウチクラ……?」

 ウチクラとは誰だ。そんな生徒は、B組には、いない、いや、いる。いる?

 いない。違う、いないはずだ。

 そんな生徒、海堂は知らない。自分は曲がりなりにも教師だ。自分のクラスの生徒くらい把握している。そんな生徒はいない。──いないだろう?

 くすくす。笑い声が聞こえる。

 そうだ、笑い話だ。笑いの種だ。こんなことを考えているなんて、また笑われる。いないはずの生徒が、いるかもしれないなんて。


 トン、と。

 指先が、触れる。



 ──出席簿。



 まるで何かに吸い寄せられるように、それを開いた。メモ欄に踊る、異常無し、の文字。毎日、毎日。繰り返し、繰り返し。

 生徒の名前を、上から、指を這わせていく。あ、い、う。う。


 ──うちくら。


「いた」

 七月十四日。丸がついている。

 彼は、昨日確かに、いた。


「そう、だ。そう、ミゾウチ……」


 七月十四日、空欄。七月十三日、風邪で休み。その前は、ひたすら丸が続いている。

 休みマークすらない、空欄。

 存在しない、その証。

 本日、異常無し。延々に踊る言葉。

「嘘だろ、おい」

 紙を捲る。指をなぞる。上から、名前を探す。誰がいる。誰がいない。何人いる。何人いない。


『今日()二十四人か。欠席はいないな。はい、じゃあ解散』


 本当は、何人だった?

 なんで気付かなかった。何故、全員、気付いていないんだ。こんな異常事態に。欠けた教室に。

 くすくす、くすくす。

 生徒の笑い声が、欠けていく。

 いつからだ。いったい、いつから。

 捲る、捲る。捲る。捲────





「せんせー、気付いたー?」





 ────捲る手が、止まった。

 頭が痛い。口が渇いている。これは、体調不良だ。自分の息遣いが、やけに大きく、そして荒く聞こえる。その後ろから、声が響いている。笑い声。


 くすくす、くすくす。

 くすくす、くすくす、くすくす。


 ひとり、ふたり、さんにん、いや、もっとたくさんの密やかな笑い声が、


「ねえ、せんせー」


 わらいごえが、




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 キーンコーン、と本鈴が鳴った。

「いよっしゃ、終わったー!」

 途端に周りがきゃあきゃあと騒ぎ始める。これでも大きな声でお喋りすることは我慢していたのだ。騒いでいたら、隣のクラスで授業を行っている教師が注意しに来るかもしれない。それは御免だ。口を出されたくない、という無意識下の満場一致によって、なんとなく全員がそうしていた。

「あ、次の授業、体育だ」

「やば、早く行って着替えなきゃ」

 次々に立ち上がっていく。

「日直の奴、黒板消してけよー」

「言われなくても分かってるっての」

 でかでかと『自習』と書かれた文字を雑に消す。誰だよ、こんな大きく書いたやつ。もっと小さくてもいいだろうに、面倒な。

 そもそも、


「先生、どこ行ったんだよ」


 教室に笑い声が響いた。




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