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後編(1)

前回と同じくやや下品な表現が出てきます。 ご注意下さい。

 翌日の朝には旦那はもう何時も通りで、私の挨拶にも「ああ」と短い返事を返したきりだった。

 昨晩私と一緒に旦那を出迎え、交わしたやり取りも知っているメイドは少し不満げに「あのクソが」と、仮にも貴族に仕える使用人としてあるまじき発言を零していたが、一体彼女は何を期待してたんだろう。 疑問に思って聞いてみたけど、彼女は黙って首を横に振っただけだった。 その前についた重い溜息は、私に向けたものじゃないよね? 大丈夫だよね? 彼女はうちの旦那のことを嫌ってはいるが、私のことはそう嫌っていないと信じてる。 だって私は彼女が好きだもん。 いや変な意味じゃなくてね? めくるめくる乙女の園的な意味じゃなくてね。

 だって彼女は優秀なのだ。 現に私は今、彼女が選んでくれたドレスを着て、装飾具を付けて、靴を履く。 それでこれまた彼女がそれに合ったヘアメイクをしてくれている。 その上、騎士になれるくらい強い彼女はちょっとした憧れなのだ。 自立した女性の凛々しさっていうのは、本当に眩しい。 私も何時かはそうなりたいものだ――と思って気がついた。 私いま、完全に旦那にタダ飯を食べさせて貰っている身だからなれなくない? まあ離婚したら別だけど。 離婚したら取り敢えず、医師団から貰える給料をアップして貰おう。 それで城下町に小さな一戸建てでも買って、ペットとか買うんだ。 ああでも子供はちょっと欲しいな。 誰か種だけくれないかな。

 と、ここまで思ってさすがに不謹慎かと思ってやめた。 離婚は私個人の問題だけではすまなくなる。 子爵家に迷惑が掛かるのは御免だ。 でもまあ普通だったら離婚しても可笑しくないレベルなのかな、とは思ってる。 旦那の浮気って立派な離婚事由になるよね? ただ彼処まで公然とやられると離婚、離婚と騒ぎ立てる気にもならないというか、ぶっちゃけどうでもいいというか……。 そういえば私はそれでいいとして、他の愛人さんとかはどう思っているんだろう。 自分以外の女と寝ている男に何も思わないのかな? 或いはうちの旦那がそういうところ、きちんと割り切れる人としか付き合っていないのか――。


「って忘れてた!!」


 此処まで考えて私はとっても重要なことに気がつきました。 寧ろなんで今まで気がつかなかったんだ、私。

 貴族らしくない大声を上げても、うちのメイドは気にしない。 多分部屋の外にまで漏れるレベルの声だけど誰も気にしない。 この屋敷は本当に大らかなで、そういう意味ではもの凄く居心地が良いのだ。

 ……と、思考が別の路線に突っ走りそうになった。 私がすっかり忘れていて、今再び忘れそうになった重要なこと。 それは即ち、


「愛人さんに会ったらなんて挨拶すれば良いんだろう!?」


 鏡越しにメイドにそう言うと、またもや彼女は、こいつ大丈夫か?的な視線を浴びせてきた。 つらい。

 一発カマしてやったらいいんじゃないですか、とついで彼女は口にする。 いやいや、そんな物騒な挨拶が通用するのはヤンキーの世界ぐらいなもんだからね。 貴族は窮屈だけど、ヤンキーはヤンキーで窮屈そうだ。 喧嘩に明け暮れる生活なんて私には到底出来ないし、そもそもなんで旦那の愛人にそんな喧嘩腰の挨拶をしなきゃいけない。


「奥様、お願いですから普通に考えて下さい。 愛人と正妻対決ですよ? 寧ろどんな態度で挑むつもりなんですか」

「いや、挑むつもりなんてそもそもな……。」


 私の言葉が尻すぼみになったのは、メイドの目が怖かったからである。 なにあれ。 軽く人殺せるよ?

 すっかり怯えた私に、彼女は深い深い溜息を吐きながら一つの案を出してくれた。


「普通に 『何時も主人がお世話になっております』 とかでいいんじゃないでしょうか。」


 彼女はそう言いながら器用に結い上げた髪の仕上げにトパーズの髪飾りを差す。

 あ、なんかそれ漫画かなんかで読んだことあるわ。 でもなんかあれ、嫌味臭くてちょっと嫌い。 だってなんか上から目線じゃない? 『主人が』のフレーズは多分『私の主人が』という意味が込められているもん。 私のものですよ、貴方にはちょっと貸してあげているだけですよ的な感じ。 いや、ひょっとしたら最近、貴族言葉に毒されているせいで裏の裏まで読み過ぎなのかもしれないけど。 どちらにしてもしっくりこない。

 んー、と唸る私にメイドは少しだけ肩を落とし「頭の良い奥様ならその場のノリとテンションでなんとかなりますよ」と言ってくれた。 え、やった。 褒められた。

 ――自分で言うのもなんだが、私は結構単純なのだ。


***


 さて、私がこんな回想をしたのには意味がある。

 それは何故か?……その状況が一向に訪れないからですよ!!

 舞踏会というものは貴族の社交場だ。 普段地方に住む貴族達もこのシーズンばかりは競って都にやってきては、様々なパーティーに顔を出し、まるで鬱憤でも晴らすかのように話しまくる。 まあ情報交換というのも兼ねているんだろうが、どちらにしても会場に入ったが最後。 終わるまで馬鹿みたいに人に絡まれる。 子爵家に居たときもそうだった。 あ、言っておくけど、馬鹿みたいに絡まれるのは別に私が美人だからとかそういうわけじゃないからね。 私の顔は至って平凡だ。 化粧をすれば多少は見られる顔になるが、そんなのどこの女性も同じ。 ボン、キュッ、ボンなダイナマイトボディーでもないのであしからず。 これ自分で言ってて悲しくなるけどな!


 まあつまり何が言いたいかというと、普段は向こうから砂糖に群がる蟻の如くやってくる人々が全然こっちに寄ってこない。 みんな遠巻きに私達を見ているのだ。 なにこれ、動物園のパンダかよ。 しかも私達を見ながらなんかコソコソ耳打ちし合っていたりするので大変気分が悪い。 何だ、何が言いたい。 格好は可笑しくないはずだ。 だってあのメイドが選んでくれたわけだし。 じゃあ隣に佇む旦那に原因があるのかと思ったが、彼も別段可笑しい格好をしているとは思えない。 男性のファッションは全然分からないけどね。 ジャケットもベストもズボンも光沢のある黒い布着で少し暗めだけど、襟やボタン留めの部分には金糸と銀糸で刺繍が施されているから十分派手やかで品が良い。 私は結構好きなセンスだ。


 ちなみに舞踏会に出席する際は、パートナーの髪や瞳を思わせるようなものを身につけていくのが基本だ。 私の場合は旦那の瞳と同じ色の髪留め。 旦那はもう、その服自体が私の髪色。 多分面倒だったんだな。

 

 じっと旦那を観察していると、なんだと言わんばかりの視線が上から降ってきた。 ただでさえ平均身長が高いこの国の中でも大柄な旦那と一般的日本人女性体系の私じゃ、ヒールを履いてもかなりの身長差がある。 相変わらず寄らば斬る!みたいな目つきをしている旦那に私はすっかり慣れているが、よくよく思えばこの目つきが人が寄ってこない原因じゃあなかろうか。

 大丈夫ですよ、怖くないですよ。 近づいても噛みつきませんよ――と周囲にテレパシーを送ってみたが誰も受信してくれない。 切ない限りだ。

 しかしこのままでは、私がこの舞踏会に来た目的が達成できない。 というか愛人ならこの人、見かけほど凶暴じゃないと知っているんだろうから寄ってきなさいよ。 私が居たって気にしないで秋波を送れ。 根性を出せ!

 とまあ、そんな風に思っていたら不意に声をかけられた。 あ!と思ったが聞こえてきたのは男性の声だったので残念。 いやひょっとしたら男の愛人、か? うちの旦那、両刀だったっけなぁ。


「こんばんは、ブルボン伯爵夫人」


 私の抱く疑惑をよそに、声をかけたきた男性は至極慣れた様子で膝をついて、手袋越しに私の手にキスをする。 この人誰だ。


「ジル・ヘッセン」


 旦那がぼそっと呟いた声に、私はハッとした。 そうだこの人がヘッセン卿だ。 結婚式で会ったわ。

 やや赤みがかった金髪にラベンダー色の瞳。 少し顔のパーツが中央に寄っているような感じだけど、結構イケメン。 何よりも人の良さそうな目元と、穏やかに響くアルトの声がポイント高めだ。 うちの旦那よりは全体的に小柄だけど、だからこその細マッチョ具合が実に好みだ。


「やあ、ブルボン卿。 来てくれて有り難う。 正直、来ないかと思ったよ」

「……来たくはなかったな」


 友好的なヘッセン卿に対して、うちの旦那の無愛想なことと言ったら! まあ来たくなかったのはわかるよ? 舞踏会嫌いだもんね。 でも頼むからもうちょっと機嫌良さそうに振る舞え。 仮にも主催者の前だからな!

 思っていた以上に対人スキルが低い旦那に頭を抱える私をよそに、ヘッセン卿は特に気分を害した様子もなく軽く笑っただけだった。 結婚式にも来てたし、この感じを見ると結構仲が良いのかな? ひょっとしてほんとに愛人? いやでも愛人を結婚式には呼ばないだろうし、そもそもこれは愛人に対する態度じゃなかろう。


 ヘッセン卿が来てくれたのが呼び水になったのか、徐々に私達の周りにも人が集まり始めた。 というか主に私の周り。 長いことこういう場所には顔を出していなかったので、物珍しいみたいだ。 口々に私の近況を尋ねられたが、特にお話するようなことはない。 仕事以外はほんと、この一年全く変わり映えのしない毎日を送っているのだ。 ちなみに一部私が社交界に出てこなかったのは妊娠しているせいだと勘違いしているお馬鹿さんもいて、出産予定なんかさりげなく聞かれたが、そんな予定はこれぽっちもないと明言しておいた。 そもそも一度もヤってないのに妊娠するわけなかろうが。 それともこの国ではコウノトリが赤ん坊でも運んでくるわけか? まあ皆さんが私達夫婦の性生活事情など知るはずもないんだけどさ。


 私が色々な人とお話している間、旦那はずっと隣で黙りこくっていたが、ふとその腕を引かれたらしいとこを目の端に認めた。 お! ついにお出ましか? と思ってうきうきしながら横目で様子を窺ったら、案の定、相手は女性だった。

 少し鬱陶しそうな表情をしていた旦那に、私は心の中で舌打ちをする。 やめろ、私の前だからといって取り繕うな。 むしろ全力で愛を囁け! 残念ながらこのテレパシーも届かないようだ。 旦那の腕に豊満な胸を押しつけながらバルコニーを指差す貴婦人に、旦那は小さく首を横に振る。 いや、行ってこいよ!


 ちなみに笑っていると罅が入るんじゃないかと思えるくらい化粧を厚塗りしているその貴婦人は、何時かの講演会でお会いした方だ。 名前は確かエーリカだった気がする。 二人の様子をこっそり窺っている

と、不意に肩を叩かれた。 振り向くと其処にはいまいちぱっとしない男性の姿。 誰この人。 あ、エーリカさんのお兄様? どうもー。 エーリカ兄が私をダンスに誘ってくれたので(多分妹と旦那を二人っきりにするために)、私も気を利かせてその誘いに乗ろうとしたら何故かうちの旦那にがっちり腕を捕まれた。 軽く腕を振って解こうとしたが、解けない。 さすが騎士団長。 つーかエーリカさんと話ながらばっちりこっちの様子も見てるの? 集中しなさいよ、会話に。

 エーリカさんはそこで初めて私の存在に気がついたと言わんばかりに、私の方を見下みおろしてきた。 同じ女性だがこの国の人は大抵私よりも背が高いので、この表現は正しい。 多分、見下みくだされているわけではないはずだ。 多分。


「エリナ様、以前の講演会では貴重なお話有り難う御座いました」


 にっこりとエーリカさんが笑う。 何故だろう、蛇に睨まれている蛙の気分が今もの凄く分かる。

 なんでこんな敵意丸出しなんだ、と思ったら、そういえば一応旦那の正妻になるんだし、愛人からしたらうざったい存在だよなということに気がついた。 あ、どうしよう。 挨拶。

 メイド曰く、頭の良い私は今この状況に尤も適した平和的挨拶を思いつけずに、少し口ごもった。


「あ、いえ、此方こそご出席いただき有り難う御座いました。 今、エーリカ様のお兄様にダンスのお誘いをいただいたのですが、構いませんか?」


 よし、なんとか噛まずに言えたぞ。 緊張するとアドレナリンが出てきて口の中が乾いて、なんだか喋りにくくなる。 エーリカさんが良く出来ました、と言わんばかりに艶然と笑った。


「ええ、勿論。 それじゃあわたくしはブルボン様にお相手をお願いしたいわ」


 構いませんでしょう?と媚びるように笑う彼女は、多少化粧が厚いことを除けば私から見ても魅力的だ。 厭そうに顔を顰める旦那は、けれど仕方ないというように私の腕を解いた。 つーか今まで掴みっぱなしだったことに驚いたけどね。 そういえば、エーリカさんから薫った香水の匂いは、帰ってきた旦那からよく匂ってくるものと一緒だった。 大分お気に入りの愛人らしい。 よし、ダンスを踊りながら二人の様子を観察して、あわよくば愛を囁き合う会話をこっそり聞こう。

 私はルンルンな表情で、エーリカ兄の腕を掴んでこっそりと囁いた。「ダンスは苦手ですの、お目こぼしくださいね」と。 可愛らしく。 恐らくこのエーリカ兄、顔面偏差値がやや低めなところからみてもあまり女性慣れしているタイプではなさそうだ。 そう思って上目遣いで言ってやれば、彼は顔を真っ赤にしながら無言で何度も頷いた。 チョロい。

 私はこれでダンスそっちのけで旦那と愛人を観察することが出来る権利を得たわけだ。やったね。


 この国の舞踏会はワルツが基本だ。 色々と細かい曲順があるらしいことは知っているが、私も詳しくはよくわからないというか興味がないというか。 取り敢えず今流れているのはスローワルツなので、なんとかステップは踏める。 というかエーリカ兄が顔の割に……失敬、思っていた以上にダンスが上手だったので、相方としてはこの上なく楽だ。 よしと思って、旦那の方を窺うと、エーリカさんは元よりうちの旦那も中々上手にダンスを踊る。 エーリカさん化粧分厚い割に綺麗な人なので、うちの旦那と組むとそれはもう絵になる。 ちなみに私とエーリカ兄も絵になる。 モブ的な意味で。

 それにしても、愛人とダンスを踊っている割に、旦那の顔はもの凄く渋い。 一度目が合いそうになったので思いっきり逸らしたが、なんかもうほんとナイフというよりもチェーンソーみたくなってた。 ジェイソンか、己は。 そこで私はある考えに辿り着く。


 ひょっとしてうちの旦那――愛人にもあの仏頂面を崩さない……?


 もしかして愛人さんもそれを分かってて、というかむしろそれがいい!というドM体質で、それでだから、うわぁ――めくるめく大人の世界というやつですか、旦那。 私は痛い感じのは嫌いなので、ほんと仮面夫婦で良かったな、としみじみ思った。 いやぁ、縄とかまでなら多分いけるけど、蝋燭とか鞭系はちょっとね。

 

 こんな感じでダンスを踊っていると、曲は既に終盤に差し掛かろうとしていた。 そこで事件は起こった。

 ……て、言うとなんかちょっと火サスっぽいよね。

 まあ冗談は兎も角、会場の隅でもの凄い音がしたのだ。 ドッチャーンと何かガラスが割れたような音に、バサッと誰かが倒れたような音。 一瞬、オーケストラの人達がシンバルでも落としたのかと思ったがそんなわけがない。 何事かと周囲は騒然としたが、曲は止まらないまま、けれど私はそんな中で踊りきれるほど太い神経はしていないから、すぐにエーリカ兄から体を離した。 いつの間にか横で踊っていた旦那も同様。 さすがに騎士団長というだけある機敏な動きで騒ぎがした方に駆け寄っていく。 私もついでとまでにその後を追って、なぜかエーリカさんやエーリカ兄もついてきた。


「も、申し訳御座いません……!」


 土下座でもするんじゃないかという勢いで(この国にはそういう文化はないけど)、平身低頭謝り通している年増な給仕の後ろに、人の足が見える。 誰かが、倒れている。

 私は反射的に給仕の横をすり抜け、倒れている人の元へ駆け寄った。 まだ年若いメイドだった。

 助け起こすと、そのメイドは苦しそうに顔を顰め、「どうしたの?」と尋ねると「申し訳、ございません……」と細い声でそう言った。 違うから、私ちょっと今、真顔かもしんないけど、全然怒ってないからね! 私は慌てて表情を緩めた。


「違うよ、気分が悪いのか聞きたいだけ。 どうしたの?」

「め、まいが……して。 体の力が――、」

「そっかそっか。 今もめまいがする?」

「は、い」


 周囲を見渡すと、私と旦那、年増給仕とエーリカ兄妹以外には誰も彼女のことを気にかけていないようで、幾人かは遠巻きに見て何かコソコソ言っている。 その態度にイラッとしたが、私はぐっと堪えた。


「何か、変な病気でも持っているんじゃ……エリナ様。 あまり近づかないほうが、」

「あ?」


 エーリカ兄が恐る恐るに言ったのに、私は思わず普段被っている猫を何処かに追いやって、物騒な声をあげてしまった。 後から考えればちょっと申し訳ないなと思うが、緊急事態の最中にそんなこと言うエーリカ兄もエーリカ兄なので特にフォローをするつもりはない。


「ちょっとそこにあるジュースとって」

「は? ジュース?」

「いいから早く」


 取り敢えず目についたエーリカさんに指示を出す。 「なんで私が」とか小さな声で文句を言っているのが聞こえたがまあスルーだ。 まあ後から思えば、偉そうにごめんねとなるわけだが、今は黙って従えよぐらいにしか思えない。

 エーリカさんがとってきてくれたジュースを、抱き起こしたメイドに飲ませてあげる。 彼女の体は驚くほど華奢だった。

 ジュースを飲むと直ぐにめまいは良くなったようだ。 青白かった顔色が徐々に赤味を取り戻し始める。 ふむ、やっぱり低血糖だったか。


「今日、ご飯とか食べてなかった?」

「もうすぐ、結婚式で……ダイエットをしてて――」


 あーなるほどね。 恥ずかしそうに目を伏せた彼女に私はしたり顔で頷く。 分かるわー乙女だもんね。 結婚式にほっそりとしたドレスを着て、綺麗だなって思って欲しいよね。 すっごく良く分かる。 まあ私はしなかったけどな! というか結婚式とかやるの? めんどい、ぐらいに思ってたけどな!

 脳内が乙女とはかけ離れている私はさておき、既に自力で体を起こせるまでに回復したメイドさんに言っておかないといけないことがある。


「気持ちは分かるけど働く前にはご飯食べないと。 今みたいにまた倒れちゃうよ。 もしダイエットしたいなら、もっと色々体に無理がないダイエットを教えてあげるから、今度うちの屋敷に来なさい」

「……ありがとうございます」


 そういったメイドはゆっくりと立ち上がり、深々と一礼した。 念のため今日はもう下がるように言っておく。 本来は私にそんなこと言う権利はないんだけど、まあ旦那の愛人疑惑があるヘッセン卿の舞踏会だし。 身内的な感じで許して貰えたらいいなって思ってる――というかヘッセン卿はこんな時に何処行った!? 

 私がそう思ってぐるりと周囲を見渡すと、なぜだかうちの旦那以外みんな遠巻きに私を見ていた。 なんだなんだ。 私、ドレスにジュース零したか?

 そう思って慌てて自分の紅いドレスを見るが、特にそんな跡はない。 まあこの色なら零してもそんなに目立たなそうだけど。


「こんな場所で膝をついて、まるで品がない……」


 コソコソと囁き合う声が不意に私の耳に届いた。 は?と思って、もう一度周囲に見やれば、彼らはまるで汚いものでも見るかのような、そんな嫌な視線を私に向けた。 え、なんで人を助けてそんな目を向けられないといけないんだ?

 真剣に悩み始めた私に、旦那が立ち上がれと言わんばかりに白い手袋で覆われた手を差し出した。

 それを見た瞬間、あ、なんか嫌だなと思った。 多分周囲の冷たい視線もあって、もの凄くナーバスになっただよね。 そんなつもりは無かったんだろうけれど、まるで手袋越しじゃないと私に触れないと言わんばかりの態度がもの凄くかんに障った。

 だから私は旦那の差し出した手なんて無視して、さっさと一人で立ち上がった。 よく見るとヘッセン卿も少し離れたところで困ったような視線を私に向けている。 一体全体なんなのさ。

 とてもじゃないがもう舞踏会に参加し続ける気にもなれず、私は大股で出口の方へと向かっていく。 私が通ろうとする道はサァァと人がはけていくので、まるでモーゼにでもなったようだ。 私のあとについてきてくれる人はいないけど! ――あ、なんか旦那は慌ててついてきてるわ。 なにあんたも帰るの?


「全くもってブルボン伯爵も何故あんな女を……」

「平民相手に分別を知らない」

「ブス」


 横を通り過ぎるとき、なんか色々とグチグチ言われてた。 小さな声だったけど多分私に聞こえるように言ったんだろうな。 最後の一言とかただの悪口だろ!? 私は基本平和主義者だけど、売られた喧嘩は買うぞコラ。

 と、いちいち突っかかるのも負け犬みたいで嫌だったので、私は扉の前でくるりと彼らの方に向き直り、子爵家で血反吐を吐くんじゃないかと思ったぐらい仕込まれたあのお辞儀を完璧してやった。 それからにっこりと顔面の筋肉を総動員して、満面の笑みを作る。 何人かが其処でうっと声を漏らしたが、一体どういう意味のうめき声だ。 理由次第じゃぶっとばすぞ。 まあそんな感じで溜まりに堪った鬱憤を晴らすかのように静まりかえった室内に、私は声を張り上げた言った。


「全くもって倒れた平民一人助けられない貴族なんて、ほんと底が知れてますね!」


 ――――うん、反省してる。 でも後悔はしてない。


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