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――むせ返るような緑。
昔の人は恐らくこんな光景を目にしてその言葉を口にしたのだろう。
苔むした世界。
捩れた大樹が支配する世界。
中天に差し掛かる太陽は決して大地に力強い光を、恩恵を与える事無く、木々の力へと変えられるのみ。
薄暗い闇と、植物の呼吸による湿度が満ちる中に、それでもヒトの手、石畳が覗くそここそが――
大森林遺跡ドライアド。
「……」
何と言うか――
「すげぇマイナスイオンだ!」
オラ、ワクワクしてきたぞっ!
「あ、今の子でもソレ知ってるんだね?」
「再放送で見ましたんでね」
「そうか、再放送か。僕も年を取る分けだ」
「リアルタイム世代ですか?」
「まぁ、一応そうだね」
ガチャがちゃガチャ。
重装甲の鎧を纏い、ハルバートを肩に担ぐカツヨシさんと適当な会話をしながらテコてこテコ。
トンネルを潜るとそこは――で始まる名作が有った様な気がするが、扉を開けた先に広がっていた異世界は、そこの主の色を強く反映した緑色。
それに飲まれない様に残った遺跡部分を道とすることで、如何にか体力を抑えて歩いているのだが、一歩外れるだけでそこに在るのはこの迷宮を構成する木々の根が張り巡らされ、とてもじゃないが歩けそうにない。
この迷宮の《竜》はそんな道では無い場所を生活の場としているモノが大半なので、本来ならば、足場の不利に目を瞑って森の中に入って行かなければならないのだが――
「あ、これ罠ですよね? 狩猟用? 何が取れるんですかね?」
「いや、対僕等用だね、これは。地図の通り、この辺に集落があるらしい」
何事にも例外はある。
虎人。若しくはワータイガー。
獣種、れっきとしたヒトのソレが獣とヒトの二つを持つのとは違う二足歩行のヒトの形をした虎。両目のどちらかが垂直スリットの瞳孔持つ竜眼に、《竜》である証に代わっている正真正銘の《竜》。
ヒトの形を真似したその《竜》は群れを造る。
ヒトの形を真似したその《竜》は集落を造る。
大森林遺跡ドライアド。その遺跡部分に。
虎人は《竜》としては弱い部類――と言う分けでは無い。
この迷宮、別に扉ごとに難易度は設定されていないので、扉から近い場所に普通に初心者が太刀打ちできないレベルの奴がうろ付いていたりするのだ。
そんな中で、虎人をランク付けするなら中の中。
ただし、これは種として。
この迷宮の主である真正の《竜》に仕える彼らだ。成体の戦士階級の中には洒落に成らないレベルのも居るが、そこは集落。戦えない女子供や老人も居る。
下手に道なき道で相手のフィールドでやり合うより、まだ遺跡部分でそう言った非戦闘員をヤった方が初心者には安全なのだ。
戦えないモノを、逃げ惑うモノをやっちまった方が楽なのだ。
「……」
割と――どころか完全に下種の考えである。死にたい。
しかもそんな弱い部分を突く際も、基本は二対一で当たれと言われた。死ね。
何が誇り高い戦士だ! ――と壁ドンしたい所だが、壁は無いし、代行業者も見当たらない。その上、誇りを持って良いのは強い奴だけだ。
弱者は誇りなんて持ってはいけない。少なくとも表に出してはいけない。ソレを表に出して良いのは、ソレに見合う程に強くなってからだ。
例えば、そう。苦虫を噛み潰すよな表情でこの指示を俺達に下した一人のサムライの様に。
だから俺は弱い部分を、弱者を選んで殺す。今回は。
弱い俺は、今は誇りを持たずに弱者を狙う。
あぁ、それでも――できれば子供で無く年老いた奴を狙いたかった。
先行していた俺がカツヨシさんに『敵、発見』のハンドサインを送ったのはそう思ったタイミング。
視線の先には一匹の《竜》。
子供の虎人が居た。
□■□■□
作戦と言うほど大したモノは無い。
身軽で、更に『動ける』方である俺が先行。体制を崩し、そこに威力のある得物を持ち、しかし遅いカツヨシさんが来て止めを刺す。
呆れる位にシンプル・イズ・ベスト。
だから。
だから、石畳を蹴り付けた。
伏せ。猟犬を真似る様に濃い緑の中で伏せ、溜めいていたバネを解放。
僅か一カ月。それでも一カ月。それだけの時間を走る事だけに費やし、鍛えた足にて目指すは一点。そして見据えるは一点。
描く軌跡はひねりもなにもなく直線。
トラックに撥ねられる猫の様に、反射的に身体を竦める小さな虎人。
刀を抜く。腰だめに置き、刃先は前に。
何時ぞやのタタラのセリフが似合いそうなドス突き。速度をそのまま威力に変える一手。
石畳、蹴って。
身体、近付いて。
逃げられる。
「ッ!」
「ちぃっ!」
ヒトでは不可能なノーモションからの大跳躍。零れる悪態。
彼の持っていた薪が地面にばら撒かれ――ソレを踏み抜き、再度距離を詰める!
一、二の三で放つ一手は跳び膝。狙うは顔面。
「グルァ!」
「! 止めるのかよッ!」
一見無造作に出された右手で膝が止められる様に思わず驚愕。
全ての威力は一瞬で零へと変わり、その手を一寸たりとも奥には押し込めない。
子供? これでか? これが、このレベルが――《竜》か。
驚愕は一瞬。受け手を軸に身体を流し、放つは一撃。
変則型のローリングソバット。
首を狩り獲る様にして放った一撃を伏せる事により避けられ、流れてしまったこちらの身体をねらって爪の、一撃。
「――ははッ」
思わず、零れる笑い。
噴き出す、赤。鮮血。
頬から噴き出すソレを無造作に拭い、呼吸を一回。合わせる様に手の中の小太刀を空へ投げる。
くるん。一回転。
それを、はしっ、と握り直し、左足引いての半身。
「――はァー」
「グルルル――」
落ち着け。
攻めるな。守れ。
俺に与えられたのはその方向の力だ。
呼吸、深く。
目の前の虎、伏せて。
――かちっ、どこかで時計の針が鳴った。
「グルガァァァアァ!」
「――、――」
猛攻、猛攻、或いは猛攻。
爪の乱舞。それは恐らく、虎人の戦う為の技なのだろう。
動きの中に積み重なる年月が見える。
動きの中にコレに狩られたモノの怨念が見える。
容易く、想像できる。
これに無残に蹂躙されるジョンが、ソウタが、カツヨシさんが。
容易く、想像できる。
これをやり過ごすツバキさんが、教官殿が、そして――自分の姿が。
「――ひゅ」
呼気。鋭く吐き出して――
打つ、打つ、打って、打って、打つ。
視線は観。
全体を捉える観の眼。出所の肩の動きで、視界にて踊る肘の角度で、猛攻の全てを予測し、予見し、捌く。
「ガァ! ――!」
「――疾ッ!」
耐えきれず、後ろに跳ねる虎。
体格は力だ。
威力は重さに。速さは筋力に。体力は大きさに。依存する。
尽きた呼吸を補充する為に距離を取った虎は小柄。
対し、体格に勝る俺は――追の一手。
ジッ。踏み足、軸足の右の足裏から擦過音。靴底が石畳の上を抉り、蹴り足。左を打ち出す回し蹴り。
魅せる為――と誤解されそうな程に派手な大技。
それに見合った威力の大技。
それを。腹に叩き込んで――
「――~~」
虎を吹き飛ばす。
体重の軽い彼は面白いように地面を転がり、出っ張った木の根に身体を叩き付けられて動きを止める。
「――ゥ! ――ゥ!」
当たり所が良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか、フラフラと立ち上がろうとするも、それは不可能。獣の様に威嚇の声を発するが、四肢に力は無く、先程の猛攻が嘘の様に弱り切った様子。
「……」
そんな《竜》に無造作に近付き、喉を踏み付ける。
「! !」
抵抗。足を爪で引っかかれるが、そこに威力は無く、更に力を、体重を掛ければ撫でる様なモノに代わる。
「……」
「~~! ~~!」
無言で見つめる先には涙を讃えた瞳。虎人とは言え、子供であることが分かる幼い顔立ち。
「……」
――兄上! がんばれ! な!
何となく、タタラを思い出してしまった。
「は、」
吐き出す笑いは軽く。
喉を潰そうと力を込めていた足をどかし、ゆっくり回れ右。
駄目だ。誇りは無いけど、情はある。
あそこで喉を踏みつぶせるだけの気迫は俺には無い。
「カツヨシさん。無理だ。他の《竜》探し……――ッ!」
反射。咄嗟に飛んだのは右。
石畳に身体を叩き付ける様な勢いで転がった俺が目にしたのは――
「……ぐる」
ぐったりしたカツヨシさんを引きずるでかい虎人が居た。
その視線の先には、先程の子供の虎人が居て。
その眼は獣と《竜》のもの双方が真っ赤だった。
「グガァァァァァアアァァァァッ!」
「……」
激おこですね? わかります。
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