邪悪な清教徒の足音
潤姫の容態は安定し、少しずつ元の生活に戻れそうな、そんな予感を感じさせるその一方で、背後で不穏な動きがし始める…。
「おいキャシー、お前一体どういう趣味してんだよ?!」
「これくらい露出した方がかわいくていいのよっ!」
「これじゃ下着同然だっ!お前基準で物を考えるなぁっ!」
潤姫の病室ではマイケルとキャシーが言い争いをしている。原因は、キャシーが潤姫に用意してきた洋服だ。グレンチェック柄のワンピースで、胸元に大きなリボンが付いている。そこまではいいのだが、肩なし・ミニ丈がマイケルには気に入らないのだ。
「年頃の娘にこんな格好させられるかっ!どんな害虫がたかってくるかわかったもんじゃねぇっ!」
「潤姫にたかるような命知らずの虫なんて、こいつくらいしかいないわよっ!」
とキャシーは勢いでそばにいたビルを指さしてしまった。マイケルも潤姫も
「え…?」
とビルの方を見た。皆の視線を一気に浴びたビルは、戸惑いを隠せない。
「俺…虫?」
マイケルがキャシーの頭をはたく。
「バカかお前はっ!」
マイケルとキャシーの壮絶なやり取りに、ビルと潤姫は訳も分からず圧倒されていた。
「でもさでもさ、このリボンは絶対潤姫には似合うでしょ?!このリボン、捨てがたいでしょ?!ね?ねっ?」
全員に懸命にアピールするキャシーにほだされたのか、潤姫は少しはにかんだ様子で
「それ、退院の時に着るよ…。」
と言った。が、すぐにこう付け足した。
「できれば、カーディガンとカラータイツも…。」
これではキャシーが主張する露出がすべてなくなってしまう。キャシーは潤姫に食い下がった。
「ちょっとそれどおゆうことよっ?!肩の傷ならちょっとしか出ないから大丈夫よっ!」
潤姫は困惑した様子で返す。
「か、肩の後ろに大きい火傷の痕があって…。それに、けっこう全身傷痕だらけで…。」
その一言を聞き、キャシーもようやくクールダウンした。
「それじゃあしょうがないわね。わかった、任せといて。」
と潤姫にウインクした。
潤姫の一言が少し気になった者がもう1人…。ビルは潤姫が撃たれたあの晩のことを思い出した。
〈そういえば、あの時は気にしてる暇がなかったけど、確かに古い火傷の痕があったな…。あの感じだと10年くらい経ってる感じだったけど、スラムにいたくらいだから、あのテの傷はあっても不思議じゃないか。潤姫にしてもあまりいい記憶じゃないだろうから、深く追究しないことにしとこう。〉
「ったく…。にしても、思ったより元気そうで安心したよ。」
マイケルが潤姫に微笑んだ。
「娘の通ってるハイスクールで毎年ハロウィンパーティーをやるんだ。遊びに行ってみろよ。娘には俺から言っとく。家でお前のこと話したら、お前と同い年の娘が会って話してみたいって興味津々でさ。」
〈ハイスクール…。そっか、私くらいの年だと普通はハイスクールに行くんだ…。〉
スラム街で李邦に拾われてから、潤姫は訓練の合間に訓練所で最低限の勉強をしたに過ぎず、学校に通った経験はない。潤姫自身が興味を持たなかったせいもあるが、彼女を外に出すことに李邦が強い懸念を示していたためだ。李邦には命を拾われ育ててもらった恩がある。訓練所から外に出そうとしなかった理由を潤姫の方から聞くことははばかられた。だが、潤姫は信じている。理由こそ定かではないが、すべては李邦が自分の身を案じてのことだったと。
「いいじゃない。こっちじゃ香港と違ってオフもあるんだから、この機会にもっと世の中見て楽しんだ方がいいわよ。」
未知との遭遇には、誰でも多かれ少なかれ恐怖心を抱くものだ。マイケルとキャシーの気持ちはありがたいが、必要以上に外の世界に接することに、潤姫は漠然とした不安と恐怖を抱いていた。それに、かれこれ1年半以上社会の闇を相手に寿命を縮めるような日々を送ってきたのだ、外を歩けばいつ背中を撃ち抜かれるか、他人を巻き込みはしないかという緊張感は香港から離れても潤姫の中から消えることはない。ためらいはあったが、キャシーにも言われ断れない状況に追い込まれた潤姫は、
「そうね、行ってみる。」
と苦笑した。
「あ、そうそう。ビル、昨日の話、まさか忘れちゃいないでしょうね?」
キャシーが思い出したようにビルを見て言った。ビルは突然話しかけられ、
「えっ?」
と驚いた様子でキャシーの方を向いた。キャシーの口元は笑っている。そのやり取りを見た潤姫は、
〈ビルが言ってた『埋め合わせ』の件かな。〉
と何の疑問も持たなかったが、彼女は気付いていなかった。確かにキャシーの口元は笑っているが、ビルを見る彼女の目は一切笑っていないことに。ビルはもちろんキャシーの言わんとしていることはわかっていた。ビルは昨日キャシーが彼を連れ出して話した内容を瞬時に思い出していた。
-「昨夜セディと潤姫が捕えた犯人グループの中に、折れた黒い十字架のタトゥーのある男が2人いたの。1人は、最初に教会に立てこもった男。もう1人は、後から入ってきた反キリスト教団体のうちの1人。あんた、あの子のバディなんだから分かるわよね?そのタトゥーが何なのか。」
「…イーヴィル・ピューリタンの構成員の証。」
「…何か妙だと思わない?」
「まさか…。」
「そのまさかよ。今までイーヴィル・ピューリタンの絡む事件は香港に限られてた。それが、潤姫がこっちに来て、しかもよりによって彼女の当直の日に、構成員がこっちで事件を起こした。もちろん私の憶測でしかないけれど、奴らが潤姫をターゲットにしてる可能性は十分考えられる。偶然にしちゃあまりに出来過ぎてるからね。
本来なら、すぐに潤姫に話して警戒させるべきなんだけど、今はまだタイミングが悪い。それは、あの子をそばで見てるあんたが一番良く分かってるでしょ?」
「…ああ。」
「あんたが、暴走しそうなあの子のストッパーとしてきちんと機能できるような存在になるまで、この事は絶対に潤姫の耳に入らないようにして。バディのあんたが細心の注意を払うのよ。いいわね?」
「ああ、分かってる。」
「それと…さっき潤姫にあんだけ痛い思いさせたんだから、治ったらきっちり埋め合わせしてやんなよっ!」-
ビルは潤姫の方をちらりと見た。幸い、潤姫の顔にはまだ疑念の表情は浮かんでいない。
「あ、ああ。もちろんだよ。」
キャシーに真顔でそう返してから、ビルは潤姫に笑顔を見せた。
「後始末はお前に任せるよ。ヘタな汚れを吐かれる前に掃除しといてくれ。じゃ、頼んだぞ、トミー。」
男はスマートフォンの画面をタップし、電話を切った。アンティークの肘掛椅子にどっかりと座り込み、大きくため息をつく。
「はあぁ…。」
「思いつきで雑魚にやらせちゃうから、しくじるのよ。」
深紅のドレスを身にまとい、カールのかかった長い金髪を掻き上げながら、若い女が男の対面に座った。男はにやにやしながら答える。
「ああ、まったくだ。あの教会は元々俺のモンだったし、上手くいけばこっちでの拠点にできると思ったんだが。あいつらやり方がまるでなってねぇ。末端の構成員じゃ、この程度か。」
女はグラスに赤ワインを注ぎ、口に運んだ。
「次からは、あなたが直接やった方がいいんじゃない?」
「そうしたいのは山々だがな…。ところで、上海の方は上手くいってるのかい?」
男の問いに、女は不敵な笑みを浮かべた。
「ええ。あなたと違ってこっちは慎重にやらなくちゃ。昨日から彼が現地に入ってるの。彼なら大丈夫だわ。」
「フィアンセが上海じゃ、寂しいだろう?俺が相手しようか?」
「あんた、殺されるわよ?」
「そいつは、ジョークにもならねぇ。」
男は苦笑しながら立ち上がり、高層ホテル最上階のガラス張りのスイートルームからワイングラス片手に夜景を見下ろした。
「さっさと釣り上げてやりたいところだが、迂闊に引くとこっちが痛い目を見る。活きの良すぎる魚は、暴れさせて少々弱らせてからじゃないと、生け捕りにはできないのさ。そうだろう?ジェニー…」
女が笑う。
「やぁだ、何言ってんの?」
男は女の方を振り向き、相変わらずにやにやしながら言った。
「失礼、こっちの話だ。」
足音が聞こえる。どこに向かっているのか、どこに行こうとしているのか、今はまだ定かではないくらい小さな足音。しかし、その足音は間違いなく聞こえる。邪悪な清教徒の足音が…。
Live Through 2に続く
Live Through、ひとまず完結です。この話を簡単に表すなら、潤姫のGRO本部デビュー編といったところだったかと思います。
この先、Live Through2・3…と少しずつですが潤姫の知られざる過去が明らかになっていきます。こつこつ書いていきますので、縁あってこの駄文をお読み下さった方々、ぜひ続編にもお付き合い下さい。