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Live Through  作者: 木田 麻乃
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夜が明けて(2)

 手のかかる妹に世話を焼く気分を味わうキャシー。潤姫はキャシーに自分の怪我を治療したのがビルであることを告げられ…。

 ドアの開く音に、潤姫はぎゅっと閉じていた瞼を少し開けた。息をするだけで精一杯で、ビルとキャシーの姿を見ても何も声に出せない。その様子に、ビルは申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんごめん、大丈夫?…じゃないね、全然。」

 ビルは点滴のチューブにあるジョイントに注射器を取り付け、鎮痛剤を注入した。その動作は少しの淀みもなく、実に正確で速かった。それを見たキャシーが言った。

「さすが、手慣れてるわね。」

 なかなか即効性のある鎮痛剤のようだ。少しすると、潤姫の眉間から皺が消えた。額の脂汗がすーっと引いていくような感覚を潤姫は感じた。潤姫はおそるおそるビルの方を見ようと首を左に回した。体を動かしても右肩の傷にはほとんど響かない。潤姫の顔を見て、ビルもほっとしたのか少し微笑んだ。

「コレ片付けてくるね。キャシー、ちょっと潤姫のことお願い。」

 ビルは注射器と鎮痛剤を入れてきた器を持って病室を出た。潤姫は黙ってビルを見送ると、今度はキャシーの方を向いた。キャシーは病室の中を歩き回っている。

「所長から着替え預かったから、ここ入れとくよ。」

 とロッカーを開けたかと思うと、

「コレも所長から。好物なんだって?」

 と、ベッドの隣のチェストにレモンキャンディーの詰まった小瓶を置く。そして病室の隅に片付けられていた丸椅子をベッドのそばまで運んでくると、ようやく腰を下ろした。

「いろいろ、ありがと。」

 キャシーにそう言った潤姫の顔からは、もうすっかり苦痛の表情は消えていた。これで余計な気を遣わなくて済むと思ったのか、キャシーも安堵の表情を浮かべ、いつもの口調で話し出した。

「なぁに、手のかかる妹ほど可愛いものよ。…良かった、ずいぶん楽になったみたいで。」

 潤姫の顔に微かに笑みが浮かんだ。痛みが引くと思考回路も正常に戻る。

〈そういえば、何でビルが薬を…?〉

 潤姫は病室の入口とキャシーを交互に見た。思考回路は正常に戻ったが、聞きたいことをうまく言葉にできない。これはどうも彼女の性格によるものだろう。だが、キャシーは潤姫の表情や仕草から、彼女が何を思って何を知りたがっているのかすべてお見通しだった。さすが諜報隊員といったところだろうか。

「ああ見えて、あいつ医師免許持ってるのよ。昨夜ゆうべ、あなたが運ばれてきた時にはここ急患でごった返してて、ドクターの手が足りなかったの。だから、」

 キャシーは潤姫の右肩を指さした。

「その傷ビルが治したのよ。セディの話だと、あまりの手際の良さに手の空いた当直のドクターらが見物に来てちょっとした騒ぎになってたんだって。あいつ、腕は確かみたいだから安心しな。」

「そうだったんだ…。」

〈どうしよう…何か複雑。よりによって何で彼なの…?ていうか、何なのこの気持ちは?これで良かったんだよね、なのに何が気に入らないの?違う、気に入らないんじゃない、何となく嬉しかったりもするし…でも何か違う…とりあえずお礼の一言くらいは言わなきゃ。〉

 潤姫の心の葛藤は、彼女の気付かぬうちに表情に出ていた。当然、キャシーもそれを見て潤姫が何に思い悩んでいるのかすぐに見当がついた。彼女の中の小悪魔がケタケタと笑う。

「あんた、ほんと可愛いわ。」

 キャシーはしみじみそう言った。

 キャシーにはわかっていた。潤姫はビルに恋をしている。いくらやむを得ない状況であったとはいえ、男性として意識している相手に、心の準備もないまま服を脱がされ裸を見られているのだから、心中穏やかではない。しかし、潤姫はビルに対する恋心を自覚していない。正確には、彼女の強すぎる理性がその自覚を邪魔している。確かに潤姫は恋愛とは無縁の世界で生きてきた。だから、どういう感情が恋なのかよくわからないのも仕方ない。それでも恋をすれば「これが恋か」と思い知るのが人の常。それができないのは、親しい人を失う悲しみを知っているから。それも、自分のせいで…。自分と親しくなれば相手にも危険が付きまとうことになる。そして、相手を守り切れなかった時、自分も深く傷つく。相手を危険に晒したくないという感情と、自分もまた二度と傷つきたくないという感情から無意識のうちに他人と深い関係を築かないようにし、ビルに対する気持ちもまた、彼女のそんな理性が必死で否定しているのだ。

〈これは、お姉さんが手を貸してやらんとねぇ…。〉

 「お待たせ。」

 ビルが戻ってきた。すると、キャシーは立ち上がり、

「そうそう、ビルに用事があったんだ!潤姫、帰る前にちょっとビル借りるよ。何か欲しいものとかあったら遠慮しないで連絡してよ!じゃあね。」

 と一気に言うと、ビルに手招きして病室を出ていった。ビルは少々困惑した表情で、

「すぐ戻るから。」

 と言い残しキャシーに続いた。病室に1人残った潤姫は、白い天井をぼんやりと眺めた。

 無機質な天井を眺めていると、昨晩のことが思い出される。激痛で思うようにならない体と薄れゆく意識に激しく動揺していた自分を振り返る。

〈…情けないな。死への恐怖はとっくに捨ててると思ってたのに…。〉

 潤姫は静かに瞼を閉じる。瞼の裏に、かつて兄のように慕っていたジョゼフの姿が浮かぶ。今彼女の前にいるジョゼフの表情は暗い…。

〈ごめんなさい。まだ、償う方法が見つからない…。〉

 彼の表情は変わらない。

〈許してもらおうなんて思ってないの。ただ、あなたが味わった苦しみ以上の罰を受けなければならないってことはわかってる。死ぬことがその一つだと思ってた。なのに、昨夜の私はそれに怯えていた…。そして、こうして生きている…。〉

 閉じた目の目尻から涙が一筋、こめかみを伝い枕にみ込んだ。

〈それとも、死ぬことは逃げることなのかな…?死んで終わりにしちゃいけない、生きてもっと罪の意識に苛まれるべきなのかな…?〉

 彼女の中のジョゼフの口元が、嘲笑に歪んだ。つられて潤姫も冷たい笑みを浮かべる。

〈そうよね、これで終わりかななんて、甘かったわ…。〉

 ゆっくり瞼を開けると、そこには薄暗い天井が黙って佇んでいた。ジョゼフの姿はなく、薄暗い天井は徐々に白くはっきりと存在し始めた。


 やはりキャシーですね。潤姫とビルの仲を進展させるには欠かせない存在です。これからも存分に働いてもらいましょう。

 潤姫にとって非常に大きな存在だったジョゼフ。彼の死がどれほどショッキングであったか…。ただ、彼女の場合必要以上に自分を責めてるような、そんな気がします。

 だいぶ先の予定ですが、このジョゼフの存在は話のキーになってきます。彼の死には、潤姫の心に大きな傷となっただけでは済まされない何かが…。

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