当直の晩に(6)
漆黒の夜空に輝く月の光とは、こうも人の心を惑わすのか…。月明かりの下で、人は懺悔したくなるものなのだろうか…?月明かりの下で生まれた連帯感なのか、ビルもセディも己の過去を明かす。そして、セディが勤務に戻り静まり返った病室で、ビルはかつて味わったことのない感覚に襲われる…。
「何か、余計なこと話しちゃったな。ごめん、セディ」
ビルはそう言って顔を上げた。その顔には、いつもと変わらぬ人の良さそうな表情を浮かべていた。ビルが努めて気持ちを切り替えたのは、セディにもよく分かった。
「いや…。それより…」
セディは潤姫に視線を移した。まだ麻酔が効いているおかげで熟睡している。セディにはどうしてもビルに言わなければならないことがあった。あの現場に入っていないビルには、なぜ潤姫が撃たれたのか真相を話さなければならないとセディは感じていた。
「すまないグレイ、琴堂寺が撃たれたのは俺を庇ったせいなんだ…。」
セディは内心ビルに責められることを覚悟していた。あの時自分がもう少し早く人質と移動していたら、潤姫はうまく2方向の敵を捌けたのではないか。セディはずっとそう考えていた。だが…。
「何となく、そんな気はしてたよ。」
セディにとってビルの反応は予想外だった。だが、日頃から潤姫のことを理解しているビルならば、彼女が撃たれた理由にもある程度察しがつく。そう考えると、ビルのそんな言葉にも納得できた。
ただ、セディにはあの時の潤姫の行動がずっと引っかかっていた。そして、それは潤姫にとって決してプラスにはならない、だから何とかしてやらなければいけない、そんな気持ちが後押しして、彼の口を開かせた。
「ならば気付いていると思うが、琴堂寺には、生きることへの執着心がない。でなければ、平気で自分の体を盾になどしない。あれだけの実力があれば弾丸を避けられたはずだ。だが、自分が避けると後ろにいる俺や人質に当たり、さらに銃撃が続いて脱出が困難になると判断したのだろう。琴堂寺は、あの時瞬時に自分と俺たちの命を秤にかけ、迷わず俺たちの命に重きを置いた。隊員としてはパーフェクトな選択なのかもしれない…だが、人間としては恐ろしい思考だ。自分の命を軽んじている。
戦地で仲間の戦死する様を目の当たりにしたか、多くの敵を手にかけたか、そうした兵士によく見られる心理現象にそっくりだ。そういう若い兵士を何人も見てきたが、琴堂寺にも似たような過去があるのだろうな…。」
「セディ…。」
心身ともに傷ついた兵士を何人も見てきたというセディの素性がビルにはいささか気になった。しかし、自分もそうであるように、この組織には過去の古傷を背負った者ばかりが集まる。うかつに聞くことはできない。だが、聞こうとして途中でやめたビルの気持ちを、セディは酌んだ。
「祖国では、陸軍の軍人だったんだ。父は同じ陸軍の幹部だった。3年前、父が軍の過激な若手と共にクーデターを起こして失敗し、俺にも嫌疑がかけられた。冤罪で処断される前に、母を連れてこっちに亡命してきた。」
「…そうだったんだ。」
「その時の心労がもとで母は体調を崩し、入退院を繰り返している。ちょうど今も、ここと同じ階に入院している。」
セディが苦笑した。
「とんだ巡り合わせだね。」
ビルもセディと苦笑した。セディはふと腕時計を見た。病室に入ってから、1時間近く経っていた。セディは立ち上がり、上着の内側からリボルバーを1丁取り出し、そっとビルに渡した。礼拝堂の中で、潤姫が脱出するセディに持たせた、あのリボルバーだ。グリップに付いていたはずの潤姫の血は、きれいに拭き取られていた。
「琴堂寺のだ。これのおかげで、人質を無事に保護できた。目を覚ましたら返してやってくれないか。」
ビルはリボルバーを受け取ると、潤姫の顔をちらっと見た。そしてすぐにまたリボルバーに視線を移した。SWの44マグナムだ。
〈こんなの持ってるのかよ…。〉
ビルが少々呆れた表情を浮かべるのも無理はない。それを察したセディが言った。
「あの細腕でよくもまあ44マグナムなんぞと思うが、XS-2000をあれだけ自在に操るんだ、それくらいの銃の方が彼女にとっては扱いやすいのだろう。出動前にデスクの引き出しから持ち出していた。普段から万一の時のために常備しているのだろう。オートは高性能の反面部品が多いから手入れは難しいし故障も多い。その点リボルバーは性能は劣るが構造が単純で弾詰まりも起きない。銃を良く知る人間は、オートの故障に備えてリボルバーを持ち歩く。」
「へぇ、初めて知った。銃のことは素人だから。」
「無理もない。さてと…」
用はすべて済んだ。セディはいよいよ病室を出ようとして、
「さすがのリーも待ちくたびれるだろうから、そろそろ引き上げるよ。あとのことは俺とリーに任せて、お前は彼女のことだけ考えていればいい。」
と、潤姫を指さしながら言った。そして、ドアを開けようとしたが何かを思い出したように手を止め、ビルの方を振り返った。
「そばにいて、すべてを受け入れ、帰りを待っていてくれる者の存在…それがあれば、自然と自分の命の重みに気付く。琴堂寺にとって、お前がその存在になるのがベストじゃないかと、俺は今日思った。」
そう言って、セディは再びビルに背中を向け、軽く手を上げ病室を後にした。
〈ま、バディだからね、そういう存在にならなきゃとは思ってるけど。潤姫もまだ16歳だし、それくらいのつもりでやってかないとな…〉
ビルはセディの言葉をそう解釈しながら潤姫の方に目をやった。もちろん、セディの意図していたところは違うのだが、ビルにはそういう解釈しかできなかった。
〈まだ、16なんだよな…〉
潤姫の寝顔を見ながら、ビルは思った。
〈組んで1週間ちょいだけど、任務中はそんなの全然感じさせなかったな。何かすごい大人というか…。こうして見ると、まだまだ幼いな。でも…〉
無意識のうちに、ビルはまじまじと潤姫の顔を見つめていた。
〈不思議だな…見た目は幼いのに、何かすごく…〉
ビルはそっと潤姫の頬を撫でた。
〈綺麗だな…ずっとこうしていたい…。〉
なぜだろうか、胸が高鳴る。窓から差し込む月明かりが、潤姫の顔をぼんやりと照らす。ビルは潤姫を見つめながら、今まで味わったことのない静かな幸福感を覚えていた。その時だった。
「ピンコン!」
突然インターホンが鳴った。ビルははっと我に返り、潤姫の頬から手を引っ込めた。
「は、はいっ!」
〈な、何だったんだ、俺は一体どうしたんだ?!しっかりしろっ!〉
慌てて深呼吸をし、病室のドアを開けた。そこには、ひとりの中年女性が心配そうな顔つきで立っていた。
「王所長…。」
そこにいたのは、GRO訓練所所長・王李邦だった。
「キャシーから連絡受けて…。」
「どうぞ。」
ビルは李邦を病室に入れた。李邦は静かに潤姫のそばに行き、丸椅子に腰掛けた。
「親より先に死ぬなんて…私は、私は、許しませんからね…。」
李邦は涙ぐんで潤姫に語りかける。
「いつかこんな日が来ることは覚悟の上であなたを育ててきたけれど、この若さで…酷いわ、酷いわよ。」
〈…ん?所長、どういうつもりだろう?〉
李邦の言葉はどうもおかしい。まさかとは思ったが、ビルは念のため確認してみることにした。
「あの、所長?キャシーからは何とお聞きになったんですか?」
李邦はハンドバッグからハンカチを取り出し、涙を拭きながら答える。
「潤姫が撃たれたって…。せめて死に目には会いたかったわ…。ううぅ…っ!」
感極まったのか、李邦はハンカチで口元を押さえながら嗚咽した。だが、李邦は明らかに勘違いしている。
「所長、彼女生きてますけど…。」
言いづらい状況ではあったが、このまま勘違いされていても困る。ビルは恐る恐る李邦にそう言った。
「へっ?!」
ハンカチで口を押さえたまま、李邦は目を丸くした。
「かなり重症でしたけど、もう命の心配はありませんから。今はまだ麻酔が効いてて、それで死んだように寝てるんです。」
李邦は再びハンカチで涙を拭き、照れ笑いを浮かべた。
「あら、やぁね私ったら!撃たれたら死んじゃうもんだと思ってて…。ほんとやぁね、アハハハハ…」
「ハハハ…」
〈この人、天然?〉
李邦に調子を合わせながら、ビルはそう感じていた。人のことは言えないはずなのだが…。
「グレイさん、今夜はこのまま潤姫に付いてて下さるの?」
気を取り直した李邦がビルに問いかけた。
「あ、はい、その予定ですけど。」
「なら良かった。私、この後すぐに中国に発つことになってて、付いててあげられないの。着替えとかはキャシーにお願いしておくから、この子のことお願いしますね。」
「あぁ、はい…。」
「じゃ、失礼しますね…あ、そうそう。」
さっきのセディのように、李邦もまた病室を出る前に思い出したように付け加えた。
「この子、昔から痛みだけは表現しない子なの。どんなに痛くても声一つ上げないの。て言うか、上げたくても上げられないみたいなのよ。発見が遅れると厄介だから痛い時は痛いって言うように何度も言って聞かせてきたんだけど、どうも本人にもどうしようもできないみたいでね…。」
「わかりました。良く見ておきます。」
「助かるわ。それじゃ。」
李邦を見送ると、ビルはため息をついた。
〈何だか、突然竜巻が来て去っていったような感じだな…。〉
そして、李邦が帰って再び静まり返った病室で、ビルはさっきのあの妙な感情を思い出した。
〈あれは何だったんだろう…?不整脈でも出たか?疲れてるのかな、俺。うん、久々にメス握って疲れたんだ、きっとそうだ。少し仮眠取ろう。そうしよう。〉
言い聞かせるように心の中でそう唱えながら、ビルはベッドの向かいに置かれている長椅子に横になった、が…
〈ダメだ、全然眠れない。〉
月は白け、夜が明けようとしていた…。
セディは軍人だったんですね。屈強なボディにもこれで納得。リーに対する命令口調にも納得。でも、セディとリーはこれでうまくいってるんです。はたから見るとどうなのと思うようなことでも、当事者でなければわからないってこと、よくありますよね。
それにしても、ビルの方はまるで小学生の初恋ですね。素直に好きだと認めればいいものを…。でも、ビルにはできないんです。思春期の頃、彼の脳は勉学に支配されていましたから。
一方、潤姫の気持ちも気になるところですが、それはこれから少しずつ…。あまりにじれったい時はきっとキャシーが何か仕掛けるはずです。