8日目、終わりは待ってくれない
幸せな時間程過ぎるのは一瞬で、
別れを迎える時間はいじわるな程すぐにやってくる。
「学生の頃は1週間が凄く長く感じたのになぁ」
目が覚めて、時計を見ると8日目の朝だった。
いつものベッドに寝ている筈だけど、感覚が戻っていると別のもののように感じられた。
数年ぶりに四肢に力を入れると意思がちゃんと伝達される。頭から指先まで生きる意志が流れこんでいる。
腹筋の方はあまり使い物にならなかったので肘を立て、身体を起こした。そして布団をめくり、足を触る。
そしてお腹、腕、胸、口、目、耳、全ての感触が正常に機能している事を確認した。
「…いや、唇だけおかしい」
何故とは恥ずかしくて口に出せない。
あのまま私は気を失い、こちらに戻ってきてしまったようだ。
今は隣にない温もりが寂しい。
部屋の隅にある鏡を求めて足を下ろすも、少しバランスを崩して転んでしまった。
「あいたたた…。これは慣れないといけないかなぁ」
昔の感覚とは違う四肢に、ギィの名残を感じて嬉しくなった。
久しぶりに見る自分は驚く程変わってなく、冷凍保存でもされていたかのように肌つやがいい。カサカサのしわくちゃになっているかもと覚悟をしていただけに安堵も大きい。
何も変わっていなかったが、少し異変があった。
赤い跡が首元から見えている。
「ひえぇっ!!?」
慌てて襟を寄せて隠すが、深呼吸をして、そろりと中を覗く。
パジャマのボタンが開ける限界の胸の辺りまで、赤い跡がそこら中に散らばっていた。
「ここ…これってキスマー…!?」
昨日のあの時にいつの間にこんなものをつけられたんだ!?記憶がない!勿体ない…!じゃなかった!慌てて下半身を確認するが、違和感はなくほっと胸を撫で下ろした。
べべ別に残念とは思ってないからねそんなはしたないくぁwせdrftgyふじこlp;@!?!
「ていうか…うう…ギィったら…!これ見られたらどうすればいいのよ…っ!」
「千陽!?」
振り返ると扉を開けて、目を大きく見開いたまま固まっている両親がいた。
「千陽…お前……立―――」
お父さんはカタコトになり、お母さんは口をぱくぱくしているだけで声は出ていない。
2人の驚きぶりに面白くなって笑ってしまう。
「完治、できちゃいました。ただいま、かな?お父さん、お母さん」
石化が解けた2人は、涙をためながら私を抱きしめてきた。2人ぶんで重たかったけど、今の私なら受け止められる。
大切な両親の愛を、この両腕で。
それから私の病室は大変だった。
主治医から看護士、友人から他人そして挙句に他の患者まで私の回復を祝ってあれよあれよと夕方までドンチャン騒ぎだった。
うるさくしていいのかと主治医に聞いたら、「いいんです私が責任をとります」とカッコいい事を言ってくれた。けど、うん、心配だ。
余談だが、次の日の地元の新聞にこの事がでかでかと載っていたらしい。
久しぶりにはしゃいだせいもあって、心地よい疲労感が私を襲う。
両親が病室の掃除をしているのを手伝っていると、プリンの空の容器が目に入り、慌ててお母さんにかけよった。
「おお、お母さん!プリン!プリン!!」
「え?まだ食べたりないの?」
「そうじゃなくって!違うくて!!」
ギィの為にプリンを沢山あげる事を今の今まですっかり頭から出ていて私はパニックになった。今6時になったばかりだから閉店まであと1時間ある。
だけどあのプリンの人気は凄いから、今の時間で残っている可能性は限りなく低い。平日だけど、そんなの関係ない。
半泣きになりながら事の経緯を説明すると、お母さんは胸をドン!と叩いて笑った。
「お母さんに任せて!千陽の恋のキューピッドに不可能はないわ!」
そう言って「恋!?どういう事だ!?」とわめくお父さん(運転手)を連れて飛び出していった。
1人になった病室はとても静かで、落ち着かなかった。
8日目。
泣いても笑っても最終日。物音一つない空間は思考をクリアにさせ、それをむざむざと実感させられた。
騒いでいた時はいい、それに気が紛れていた。だけどこうやって考える時間を作らされるとどうしようもなく、それしか考えられなくなった。
ベッドに横になり、身体を赤ちゃんのように丸めて、頭を抱え目を瞑る。
そんな事をしたって別れを拒否できるわけもないのに。
「あーあ…私こんなんで明日から大丈夫なのかなぁ…」
恋は人を臆病にさせる。まさにその通りだ。心がグラグラの折れ折れだ。
でもそんな酷い顔をギィに見せて心配させるのも嫌だしで胸中は堂々巡り。
するといきなり扉が開き、ジャジャーンという声と共にお母さんが入ってきた。手にはルヴォワールの箱。でもあれからまだ10分も経っていない。あの店までは病院から少なくとも車で15分はかかるはずだったが。
「え?どうしたの早くない…?」
「えへへ聞いてよ千陽、お母さん凄くラッキーだったの」
「ラッキーって何?まさか他の患者さんのお見舞いをパクって来たんじゃないでしょうね!?」
そんな事しないわようとぷぅと頬を膨らます。
「お母さん達、病院を出た所であの黄色いプリンの人とばったり会っちゃってね!自分が居た時にはもう残り僅かだったから行くのは無駄になるって。そしてなんとその方がどうぞってくれたのよー!」
「プリンの人が!?なんで!?」
箱の中には8個のプリンとスプーンが所狭しと並んでいた。ピンク色に輝くプリンに後光が見えた。成瀬さん、なんて仏の如き御心…!
「元々貴女に届けるよう言われてたから丁度よかったんですって。んもう、よそよそしいのね、プリンの人は。騒がしくて入りづらかったのかしら?でもお母さん、売り切れていたらお店のスタッフ脅してでも作って貰うつもりで行ったから助かっちゃった」
てへっと可愛く肩をあげたが言ってる内容は恐ろしい。プリンの為に犯罪には犯して欲しくはないので、成瀬さんに手を合わせた。
だから今度2人でお礼を言いに行こうねとお母さんと約束をした。
「ああ、それにしても今日もカッコよかったわねぇ」
「よかったねぇ」
「本当よかったわぁ。でもね、前見た時はとってもクールでお色気たっぷりだったんだけど、今日はね、こう、なんていうか、他を寄せ付けない鋭さでお母さんゾクゾクしちゃった!」
「クール?あの人ってどっちかって言うと癒し系とかワンコ系でしょ」
あの童顔癒し系の成瀬さんをクールというには世のジャンル分けが杜撰すぎる。
「ええ?ワンコ?まぁ犬だったらドーベルマン系かもしれないけど何か違うわねぇ」
「だって成瀬さん、茶髪で垂れ目で凄い童顔じゃん。20歳前半に見えてもおかしくないくらい」
お母さんが顎に人差し指を当てたままこちらを見た。驚いている顔をしている。
「…千陽、それ誰かしら?」
それは、私も言いたいデス。
お母さんがさっき会って来た人は、黒髪ストレートで切れ長の目をした少し冷たい感じの近寄りがたいオーラを放つ人らしい。
それを人はミステリアスと呼ぶのよとお母さんは力説していた。が、私は今混乱していてよく状況が飲み込めない。
プリンの人だと思っていた成瀬さんはお母さんが会っていたプリンの人ではなく、今日会ったその人が一度だけお母さんと会った事のあるプリンの人だと言う。
「どういう事ぉ…?私のプリンの人は成瀬さんだよー?成瀬さんがその人に届けさせてくれんじゃないの?それかイメチェンでもしたのかなぁ…」
「うーん、どうなのかしらねぇ。お母さん分かんない」
謎を解こうにも手がかりが皆無すぎでいきなり迷宮入りしそうだ。なにせ連絡先も知らない、全く赤の他人なのだから。
「まぁいいじゃない今は!無事手に入ったんだし、そんな事は放って置いて、今は彼と楽しむ事を考えないと!」
プリンが欲しいだなんて可愛い彼ねぇとうっとり目を細めるお母さんを、今まで空気と化していたお父さんがじとりと睨む。
「母さん!また!」
「あらごめんなさい、あなた。そんなヤキモチやかなくても」
2人の夫婦漫才(別名いちゃいちゃ)が目の前で繰り広げられる。
本当にこの謎はもう解く気がないらしい。あまりののんびりっぷりにふと笑みが零れる。
そうだ、私は今ギィの事だけ考えればいい。
目の前の両親のように自分達が重なる未来はないけれど、せめてこの気持ちは全部ギィに伝えられるよう。
*
「あれ」
目が覚めた私は背中の固い感触に違和感を感じる。
いつもなら温かいギィの腕の中にいるのに、今日は地面の上に寝転がっていると気づいた。
身体を起こして映る景色は昨日見た雄大な景色。地面を見ると光が消えていった。魔方陣とかそういう類のものなのかな?で呼び出されているのか。そしていつもわざわざ運んでくれてたという事か。
それよりこの地の主はどこにいるんだろうと振り返ると、木にもたれて座っているギィを発見する。
「ギィ!」
私は立ってギィの傍にかけよった。
寝ているのかな、と覗きこむと目は開いていた。私を見ている真紅の目。それはいつも通りだったけど、何かが違った。
「…ギィ?」
顔の近くで声をかけるも反応はない。手を振っても無反応。
怖くなって身体を揺すった。肩や腕を掴んで起きるように強く揺すったら、腕がだらんと足の上から落ちる。
手が仰向けに力なく垂れ下がるのを見て、体が震えた。
―――これ、よく知ってる。
私が身を持って体験した事だ。
「う、そ…。なんで…?どうしてギィが…?」
両手で顔をはさんで真紅の目に自分を映しても、こちらを見ているがどこか遠くを映しているような目は動かない。心臓に耳を当てるとここは正常に動いていた。
「やっ…ぱり…」
ギィが動かなくなっていた。私と同じ、石になっている。
ぺちぺちと頬を叩いても私に応えない。どうして、なんでと疑問ばかりがわいてくる。
最後の日なのに私に触ってもくれないの?
触って欲しいとギィの右手を持って頬をすり寄せて手の平にキスをすると、耳の奥でキィンと何かが響いた音がした。
「すまん、千陽。少し繋ぐのが遅くなった」
「ギィ!?喋れるの!?よか…っ」
「そのまま我の手を唇に当てていてくれ」
「どういう事…!?」
訳がわからないまま持ちやすいようにギィに出来る限り近づいて、右手にずっとキスをしたままギィの返事を待つ。
「さて、どう話してよいのやら」
「全部!隠さずに全部よ!じゃないと怒るから!!」
私のその押し迫った様子にギィの小さく笑う声が響く。
「まぁ簡単に言えば、千陽、そなたの身体と我の身体を入れ替えさせて貰った」
「入れ替えた…?」
「気づいているだろう?…頭の中に、奴がいる事を。それがそなたを蝕んでいるという事を」
あの頭痛の事だろうか。
「今は思い出そうとするな。無理に暴けばそなたが壊れてしまう。思い出すのは記憶が戻ってからに」
「記憶?記憶ってなんの?私それも無かったって事?」
「それも、呪いなのだよ」
呪い。
やっぱり私の身体は病気ではなく呪いだったんだ。
「そなたの呪いはこちらの住人がかけたもの。そしてそれを解くにはこちらの住人しかいない。だがそなたの身体を呪いから解放するには我の力だけでは足りなかったのだ。だから転換の方法をとった。我の身体の機能をそなたの身体に、呪いは我に身体に移す事で完成する」
「でも今…ギィと会話してる…」
「我の言葉は千陽の頭の中に直接音を響かせている。そなたの声は聞こえないが、唇の振動を通して読み取っているからそう感じるだけだ」
喉がカラカラで声が出ない。
そう言えば、初めからギィの唇は動いていなかった。
優しくしてくれるのが恥ずかしくて視線を逸らしてばかりで、記憶に映っているのはギィの綺麗な笑っている顔。
ずっと笑みを浮かべているばかりだったと、今更ながらに気づいた。
という事は。
飛んでいる時に私の話を聞いてくれなかったのも、
やたらずっと唇を触るのも、
私の態度に気づかないのも、
ずっと座っていたのも、
なにもかも?
どこか噛み合わないもどかしい思いをしたのは、全てギィの身体が石になっていってたという事で。
そんなギィの変化に気づけなかった自分がバカすぎて泣けてきた。
ぽたぽたと落ちる涙は、ギィの手に伝い、筋を残して地面へと吸い込まれていく。
「泣かないでくれ、千陽。…そなたに泣かれるのは辛い」
「でも…、ギィ…っ」
「それに言ったろう?我が千陽の為にしたいだけなのだ。いや、せねばならぬのだよ。我はそなたに辛い目に合わせた」
「辛い目…?」
私の記憶の限り、そんな事はされた覚えはない。むしろ幸せな記憶しかない。
ならばきっと、今の私にない記憶の中にあるのだろう。
でも、どうして、
「そこまでしてくれるの…?私はギィのなんなの?」
「…それは今の我に話す権利はない。だが…覚えていて欲しい。そなたを不幸にするつもりはなかったのだ…っ」
私はギィを抱きしめた。
感覚があるなら伝わればいい。私がこんなにもギィを好きな事を。愛しいという気持ちを。自分の身体を賭して私を救ってくれるこの優しい人に。
持って来たプリンを開封して、スプーンで一口すくう。本当はあーんしてギィに食べさせたかったんだけどね。すくったプリンを自分の唇に擦り付ける。
そしてギィの開かない唇に押し付けた。
「…私はギィが好きだよ。たった数日しか一緒にいられなかったけど大好き。私はしつこいよ?ずっとギィの事を覚えててやる。忘れろって言った事を忘れてずっと好きでい続けてやるんだから」
甘くなった唇を手の平に押し付けながら私は笑って言ってやった。
『初恋は叶わない』
ならば一番大切な記憶として、後生大事にするよ。
「ふ。それは記憶が戻ったら同じ事が言えまいよ」
「私をなめちゃいけないよギィさん」
「それは恐ろしいな」
小さく笑った後に、そなたの額を我の口へと促され、私は目を閉じた。
私はちゃんと笑えているだろうか。
ギィの手を握ったまま私は額を寄せた。
温もりが私の額を伝い、奥にじわりじわりと広がっていく。
最後の呪いは私の記憶。