3日目、見える世界は美しい
思い出していた。
段々手足が動かなくなり、最終的には呼吸もできなくなって死んでしまう病気とかあるらしい。
だけどそれではない、と聞こえなくなる前に耳に流れ込んできた。
あれは病気ではなく、まるで呪いのようだ―――と。
「ブレイク?」
私の声が、いつもの電子音に紛れて消えていく。風はない、ギィもいない、いつものベッドに戻ってきた。
喉の調子を窺うと、どうやら通常の感覚のようで問題はなかった。
「すいません。誰かいますか?」
いくら個室とはいえ病院なので、少し控えめに喋ってみると、息を飲んだ音が聞こえた。
「誰か、いるんですか?」
「君…耳も聞こえているのか?」
返事を返された!と言う事は私の独り言も聞かれたんだな!?是非もう「何故に石化の呪文ww」とかツッコんで昇華して欲しいよ!ううう恥ずかしい。
「あ、えと、はい。耳と口だけ治り…ました。変な話ですが」
「そうなんだ…それはよかった。そんな奇跡が起こるんだね」
どうやら声の主は男の人みたいでテノールの音が優しく耳に響く。段々声が大きく聞こえてくるので近くに来たみたいだ。
「私もよく分からないけど、奇跡みたいです。またこうして話をする事が出来るとは思いませんでした」
「そうだね。ああ、早くこの奇跡を他の人に知らせてこないと。皆喜ぶよ」
そう言って折角座ったベッドから立ち上がり、足音が遠ざかる。
「あ、あのっ!待ってください!」
「…何か?」
「あなたは誰ですか?いつもプリンを買って来てくれる方ですか?」
そうであったならばお礼を言わなければならない。そしてどういう関係で通っていてくれてたのかも知りたい。
「え?…ああ、そうだよ。君が好きだと聞いていたからね。今日はお花も持ってきたんだ」
「そうなんですか!お花までありがとうございます。私あそこのプリン、本当に好きなんですよ。まだ食べられないのが悔しいです。早く食べれるようになりますけど!」
花のいい香りと一緒にふわりとただよう甘い香り。ケーキの匂いかな?プリンと一緒に持って来てくれたのだろうか。
「あはは。じゃあ早くプリンを食べれるように頑張って貰わないと。こいつも報われないからね」
「はい!」
「それじゃあ僕はここら辺で。君を待ってる人達に嫉妬されてしまうからね」
そう言って布団をぽふっと撫でてから出て行った。1人になった病室はとても静かだが、ギィに貰った果汁のような甘い残り香に、こちらにいてもギィが傍にいるみたいで嬉しくなった。
「あ、そう言えば名前聞くの忘れてた」
失敗した。プリンの事で頭がいっぱいになってて失礼な事をしてしまった。久しぶりの会話でテンパっているんだよね、そういう事にしておこう。聞きたい事はまだあったけどあの人も忙しいのかもしれないし、迷惑はかけられない。
次に来た時にどうすればいいか考えていると、扉が開いて思いっきり壁に当たる音がした。
「千陽…っ!!お母さんの声聞こえる…!?」
「千陽!父さんだ、分かるか!?言ってみろ!」
「ちい、ちい、生き返ったって本当!?」
「ちいちゃぁあん私もう駄目かと思ってたよぉぉおお」
いきなり沢山の声が聞こえてきてビックリして口をパクパクしていると、口に沢山の手が押しつけられた。
「ほ、本当だ…口が開いてる…!」
「喋って!なんでもいいから声を聞かせて千陽!」
ちょ、ちょっと待て、声を聞かせてと言ってるが口と鼻を押えているぞ!段々苦しくなってきたんだが!
私の思惑など知らない周囲は益々ヒートアップしていく。
「先生!千陽全然喋らないじゃないですか!どうなってるんですか嘘だったんですか!?」
「え、いや私も知らされただけで何も分からないんです…!」
「ちぃちゃぁん早く起きてよぉ。一緒に遊ぼうよぉ。ばかぁあ」
「うるさぁあーーーーーーーいっっ!!」
病室に私の声が響く。
シンと静まる病室。ゼェゼェと息を吐く音が響く。
ああなんてこった、感動的な場面になる筈が。どうしてこうも第一声がまぬけになるのか。あ、そうか、そういう呪いか?やはり呪われているのか私は!
「口を…覆われてたら喋れるものも喋れなくなるじゃないの…ちょっとは落ち着いてよね皆。お母さんの声も聞こえるし、お父さんの事はまだ見えてないよ。麻衣、私は死んでもないし、不吉な事言うんじゃないの詩織」
一気に言い終えると唾を飲む。まだ喉が渇く。
「先生、何故か私は聞く事と喋る事が出来るようになりました。」
「分からないんですか?」
「…はい。いつの間にか、こうなっていました」
見知らぬ男の人に治して貰いました、なんて言っても信じて貰えないだろうし。っていうか奇跡以外で治る事があるのだろうか。
それに、言葉に出して言ってしまうとギィとの事が薄っぺらくなりそうな気がして、なんとなく言いたくなかった。
「…喉が渇いた…」
「全く、千陽ったら。相変わらず、マイペースなのね」
苦笑するお母さんが水差しで私の口に水を流してくれた。
「ああ本当にだ。…お前は間違いなく俺達の愛する娘だよ」
反対側からお父さんの声が聞こえる。そして両側から冷たいものが顔に落ちてくる。
「おかえり、千陽」
「…ただいま、お父さん、お母さん。皆」
顔に温かいものが触れる。頭を大きな手で撫でられる。手を握られる。
私を思って泣いてくれる人がいる。言葉を発するだけで喜んでくれる人がいる。
ああ、私はこんなに恵まれている。
目の前は相変わらずの暗闇だが、光が差し込んだ気がした。
だけど、
何故だが胸が苦しくなった。
*
「千陽。家族と会話は出来たか?」
「ギィ」
聞きなれた低い声が私に尋ねる。という事はここは病院じゃなという事。
「沢山喋ったよ。私が見えなくなってから何があったとか、友達が結婚したとかどうとか。皆一気に言うから頭パンクするするかと思った。最後には何故か私の昔の話になってくし意味分かんない」
「楽しかったようでなによりだ。よい表情をしている。可愛いらしいな」
「か、かわ…!?」
随分さらりとそういうセリフが出てくるとか、かなりの手練れなのか!?赤くなってしまったであろう顔を隠したい。でも出来ない。手が動かないというのはこういう時も不便だ。
「ふ。では千陽、次は手を治そうか?」
心を読んだかのようにギィは提案をしてくる。
「な、なんで分かるの!?」
「千陽は分かりやすい。さて、手でよいのだな」
「ちょ、ちょっと待って!手はいいの!手じゃなくて先に目を治してください!」
ギィに持ちあげられた手からピクリと力を込められたのが伝わる。
「…目?」
「うん。やっぱり真っ暗なのは不便だし、ちゃんと人の顔を見て話したい。ここがどんな景色なのか、ギィがどんな人なのか知りたいし」
「それは嬉しい事を言う。でもよいのか?」
「何が?」
「我がどう治しているのか、これからもその目で見る事になるのだぞ?千陽の意にそぐわぬ事を、そぐわぬ顔で」
はっ!
そう言えばあの感触はキキキキスをしているんじゃかなっただろうか!?再び顔に熱が集まっていく。
これから全身を治して貰うのに、色々ちゅーされるかと思うと早から悶えてしまう。
「我としてはこの醜い姿を見られるのは最後になればよいがな」
「醜い?」
「ああ。我は人ならざるもの。人間の千陽とは違うものだ」
だからギィは目を治すのを渋っているのか。
「そんなのどうでもいいよ。ギィが恩人なのは変わらないもん。だからちゃんとギィの目を見てお礼がしたいよ」
「…そうか。では後悔するなよ」
納得してくれたのか、少し苦笑気味で言われた。その困った顔も見てみたい。どんなでもいい。いいからギィを見たい。
神様のような人、私の恩人。
額の髪をよけられて顔が包まれる。ギィの温かい唇が瞼に触れ、もう片方にも触れる。
離れていく熱に寂しさを感じながら、よみがえる瞼の重さに気付いた。
「もう開けてよいぞ」
恐る恐る目を開くと光が入りこんできた。だけど目がァァアという某大佐な事態にならないのはギィが調節してくれたのだろうか、うっすら開く視界には霞んだ青い空。
そして、人影。
「見えるか?」
そう言うギィの姿を捉えるのは難しかった。形のいい唇があるのは見えた。…唇お化けさん?いやいやいや。しかしそれがぼやけている。うん、超近いんだ。
まばたきをすると掠れていた視界も段々クリアになり綺麗な青空になる。
「見える…けどギィが見えない」
「…見ても気持ちのいいものではないがな」
いえいえ唇お化けのままより断然いいと思いますよ、と心の中でツッコんでいるとゆるりと唇が離れていく。ようやく離れたと思ったけど、あまり距離はひらかない。
どうやらギィの腕の中にいるようで、それだけでも恥ずかしいのにガッツリ至近距離でギィの姿を見て、息を飲んだ。
人と変わらない姿だが、恐ろしく綺麗な顔に鱗のようなものに耳の上から二又の角が一対。着物のような服を着流して、そこから見える素肌にも鱗があった。
その鱗は黒く、それは全身を覆っているのではなく所々にあるみたいだ。それはキラキラ輝き、綺麗な整った顔を更に輝かせているようにも見えた。
「キレイ」
「綺麗?我がか」
ふ、と歪められたその顔も綺麗だった。藍色の前髪をくしゃりとかきあげる姿にドキリとする。凄い色気だ。
「やはり何を考えているのか分からないな、千陽は。そなたの方が綺麗だぞ」
それは異議有りだ。断固認めない。
ああもうビックリだよ。あんだけ脅しかけてきたくせにイケメンじゃん!イケメンすぎて目のやり場に困るよ!
綺麗な青空も霞むくらいどうでもよくなった。そしてそんなギィに抱っこされているこの状況は発狂してしまいそう。
離してそこら辺に寝かせてと言うと、やはり恐ろしいよなと悲しげな顔をするから抱っこの体勢は維持された。折角回復に向かっているのに死にそうだ。
「…ギィは人魚?」
あまり直視はせず聞いてみた。キラキラ光る鱗を見ていてピンときたのだ。
「いや。竜だ」
「竜!?全然見えないけど!?めちゃくちゃ今人じゃない!」
私の推理はミジンコ以下だったようだ。ていうか私の中での竜とかドラゴンは森より大きくて火を吐いたり勇者と戦っているイメージだったけど。
「今は千陽を治す為に人の形をとっている。実際は考えているような化物だ」
「大きくなって飛んだり火を吐いたり!?竜って事はもしかして超長生きしてるの!?ギィが!?」
「ああ」
弧を描いた薄い唇は形を崩さず、深紅の瞳が私から視線をそらす事なく答えられる。
「すっ、すっごーい!本当に!?本当にギィは竜なのね!?じゃあここは竜の国?私竜の国にいるの!?」
「竜だけでなく人間もいるぞ。ただ千陽の身体を治すには我々の国ではないと無理だからな、あちらの世界は魔力が足りぬ。だから一時的にこちらの世界に空間を繋げて千陽を連れて来ている」
思ってた以上にファンタジーな現実に、年甲斐もなくはしゃいでしまう。
「ねぇねぇギィ。私をギィの背中に乗せて貰えないかな?」
「我の背に?」
「うん!折角見えるようになったんだから、ギィの本当の姿も見たい。そして空からのこの世界も見たい。空を飛ぶのは永遠の夢なんだよ」
治して貰ってる身なのに図々しいのは百も承知、だけどこの機会を逃すと次はないし!
「…相変わらず物怖じしないな、千陽は。そのように見つめられれば願いを叶えぬ訳にはいくまい」
優しく微笑んだと思えば、風が私達を包むように巻き起こる。目を開けていられなくなってギュッと目を閉じると身体が浮いた。
「ギ、ギィ!」
「大丈夫だ、目を開けてごらん」
風がやみ、浮遊感がなくなって恐る恐る目を開けると一面に広がる青い空と緑の森、そして切り立った崖に、そこから流れる滝。空に浮かぶ島があって、そこから虹色の何かが伝っているのを見て地球ではないと実感した。
滝から流れた泉に視線をやると蛇みたいにニョロニョロとしていない、長い首と翼を広げた西洋風の黒い竜が見えた。私は背に乗っているのではなく手に掴まれているようだった。
「ギィ?」
「あまり我を見てくれるなよ。そなたの目に映るのは綺麗なものだけでいい」
「ギィも綺麗だよー!カッコイイし!本当に竜なんだね。私感動した」
すごいすごいと興奮しているとギィは更に高く飛び、雲をつきぬけていった。息が苦しくないのはギィが上手い事してくれているのだろう。魔力というのは実に便利なものだなぁと感心していると、ピタリと動きを止めた。
「千陽。我はそなたに傍にいて欲しいと言った」
「ギィ?」
「あと5日、5回の渡りになる。それまで辛抱してくれ。それが終えたら我の事は忘れ、幸せになると誓ってくれ。それが唯一、我の望みだ」
「え?どういう事?ねぇギィ」
その問いには答えてくれず、何度か違う話題をふってみたけれど、ギィから返事は返ってくる事はなかった。目の前の黒い大きな手を見つめ、飛ぶ時は集中するから仕方ないんだと自分に言い聞かせた。
暫くの間、ギィは私を連れたまま世界を飛び渡った。
流れていく色とりどりの景色が目に頭に植え付けられる。
そして、涙があふれてきて止まらない。
心が締めつけられた。
身体が震えた。
―――懐かしい、と。