小話 なじみもの
からん、とドアに取り付けたベルの音がしてミリスは読んでいた本から顔を上げた。
真っ先に目に入ったのは紙袋。視線を下げると薄紅色のスカートからのぞく細い足が見える。
巨大な紙袋をもったままどうにかトレイを取ろうとする姿に呆れてミリスはいらっしゃいませも言わずにカウンターを乗り越え、その人物から紙袋を奪い取った。
「あ・・・」
「あじゃねーよ。 せめて荷物置いてからトレイを取れよ。パンが落ちて商品にならなくなったらどうしてくれる」
あはは、とごまかしながらミルクティー色の髪を揺らしたユノは小さくごめん、と呟いた。
改めて荷物をミリスに預けたユノは片手でトレイを、空いた手でトングを持って楽しそうに商品棚を覗き込む。焼きたてのおいしそうなパンの匂いと暖かい茶色の空気にいる彼女は年齢よりも少し大人びて見えた。
「今日はねー、これとーこれとーあれとー」
「あ、そこにあんの新作だけど食べてみるか?」
「え?ほんと?食べる食べる!」
目を輝かせるユノ。今度はまだ幼い子供のようだ。
ミリスはころころと変わる幼馴染の様子に苦笑しながらちょっとまってろと奥に引っ込んだ。
お人よしの彼女だからこんな風に安心して店の中に残せておけるのであって、いつもならさすがのミリスでも売上全部を置いてある店に人を置いて行くようなことはしない。
ほどなくしてミレスが持ってきたのは刃の部分をぎざぎざに加工された包丁だ。
この包丁を使うことで固いパンも綺麗に切ることができるのだが、普通の包丁とは全く違うので鍛冶屋からはもう二度とつくらないなどと言われてしまったものでもある。
つまりこの店にしかない貴重なものなのだが―――――ユノなら、いいか。
カウンターに皿を置き、新作のパンをその上に乗せて慎重に包丁を押し付ける。
とその時視界が自身の赤茶けた髪に遮られ、ミリスは煩わしげに髪を耳の後ろ側に梳くと包丁を動かした。
ざり、と耳触りのいい音が響き、ふわりとバターとさわやかな甘い匂いがあたりに広がった。
丸いパンの中にはリシの実(※ 甘くて歯触りのいい果物。リンゴに似ている)をはちみつに付け込んで焼いたものがごろんごろんと入っていて見るからに美味しそうだ。
あっという間に四つに切り分けたミリスは一つをユノに渡し、自分も一つ口に運んだ。
リシの実の甘みとはちみつの甘みが合わさってさらにパンのうまみが口の中に広がる。
中々にいい出来栄えだと思うのだがさてユノの反応はどうか。
「うわあ・・・これ美味しい・・・!このまま食べてもいいけど切って卵と牛乳とはちみつ混ぜたやつといっしょに蒸してもいいかも!」
「お、その考えもらった。 今度からそのレシピつけて売ってもいいな」
空色の目を細めてまるで日向にとろける猫のように笑うユノ。どうやらお気に召したようでミリスは心の中でほっとする。
実はこのパンをつくったのはミリスなのだ。どうせつくるならば日々家事で疲れている女性に喜んでもらえるようなものを、と考えに考え抜いてできたものだ。
身近で家事を手伝い、ミリスと幼馴染であるユノはそのモデルに充分に当てはまった。
最初に食べてもらうなら彼女がいい。
そう思って店先に出したのはついさっきのことで。
(本当こいつ地味にタイミングいいよなー)
もう一個食べていい?と聞くユノにさっきアイディア貰った礼に全部やると言い返しながらもミリスはふと笑った。
「え、何笑ってんのよ?」
「いやあお前本当食い意地はってんなーと思って。 普通食べ物食べた後にすぐレシピ思いつくか?」
「な、何よ!いいじゃないの別に!」
「悪くはないがもうちょっと味わってほしいなぁ」
「味わって食べて考えたのがソレなんだから!ほっといてよ!」
「ああはいはい ほら荷物置いといてやるからさっさと商品もってこい」
何よとぶつぶつ言いながらまたパンをトレイに乗せだすユノ。
その姿をミリスは手についたパンくずを払うふりをしながらそっと見つめた。
ユノが振り返ってまたミリスと口論をするまであと数分。