六つの剣と契約の悪魔/遥香のお話し(下)
「ん、んー……ごほんごほん。えーっと……」
わざとらしい咳払い。どうやら遥香の言う『重要』とは『話し辛い』という意味合いも持っているようだ。
幾許かの時間を置いてようやく覚悟を決めたようで、遥香は咳払いを止めて口を開いた。
「実は……そのぉ……私、魔術が使えないの……」
もにょもにょと言い放たれた言葉。若干聞き取りづらかったものの、音として俺に届いたソレを俺フィルターにかけて解読する。古い付き合い故の離れ業といえるだろう。
「……って、はぁ? お前、言ってる事が矛盾してるぞ。現にその魔術を使って、この人を呼び出したんだろう? だってのに、魔術が使えないって……」
「私がやった召喚は、普通の魔術じゃないの。予め呪文として完成しているモノに魔力を通しただけ……術式って言うんだけど。コレなら門のない人でも、魔力さえあれば魔術を行使できる」
ポンポンと飛び出す、オカルティックな専門用語。と、隣で黙って聞いていた男が、その口を開いた。予備知識のない俺に説明してくれるらしい。気を利かせてくれたのだ。
「術式は、例えるならカップラーメンってとこかな。魔力……お湯さえあれば、誰でも簡単に食べられる。無論、予め作られた麺と具とスープを食べる事になるけどね。対して、一般的な魔術師は老舗ラーメン屋の店主だ。代々続くレシピ通りに、忠実に味を再現し、時にはアレンジを加えてラーメンを作る」
ごく稀に、まったく新しいレシピを創り出す奴もいるが……まぁその話しは置いておこうか。何やら意味ありげな台詞を付け足して、男の説明は終わった。
「成る程ね。確かに遥香じゃ、作れてもカップラーメン止まりだな」
いつもの調子でからかってみる。我ながら空気をぶっちぎった発言だが、そうでもしないとこの重たい空気に潰されてしまう気がしたのだ。
事実、邑森家のお勝手は、ここ数年で最も重たい雰囲気に包まれている。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、心なしか明るい口調で男が言った。
「まぁグダグダ言っててもしょうがないしな。契約を履行しない限り、俺に自由は無いわけだし……ってワケで、俺は何をすれば良いんだい? 話しを聞く限りじゃ、怪異の沈静化ってトコかな」
湯呑みの中に視線をやりながら……茶柱でも探しているのだろうか……遥香に問いかける男。対して遥香は、首を縦に振ってから答えた。
「うん……半分は、ソレをお願いする事になります」
……ん? 半分?
俺と男は、同時に首を捻る。遥香は自分の代わり……街を化物から護る『凶祓い』の代理……として男を呼び出したのだから、彼の仕事は『街を化物から護る』事なワケで。もう半分とは、一体なんなのだろう。
「もう半分は……くーちゃんを……護って欲しいんです」
「……俺?」
どういう意味だ。俺を護って欲しい、とは。腕を組んで考えるも、遥香の言った言葉の意味が解らない、解れない。
そんな俺などお構いなしに、遥香は話しを続ける。
否、違う。本当は『お構いなし』なんかじゃない。矢継ぎ早に言わないと、きっと言葉が出なくなってしまうのだ。その事実を聞いた俺は、そう考えた。遥香の言葉はそれほどに、俺にとって不可解で、理不尽なモノだったのだから。
「くーちゃんは……ただ其処にいるだけで『魔』を惹き付けてしまう体質なの。くーちゃんの望むと望まないとに関わらず」
視線を逸らし、早口に言う遥香。その声はとても辛そうで……一言、言葉を発するたびに、自分自身を傷つけている様な……俺にはソレが、悲痛な『叫び』に聞こえた。
「ソレは……昔から、そうなのかい?」
「…………」
沈黙。何故だか、遥香は口を閉じた。
あぁ、此処が話しの核心か。俺はそう確信する。
何か言葉を発するべきか……そう思うものの、何を言って良いのか解らない。男も口を噤んでいる。お勝手は、とても静かだ。
ちらりと視線を遥香に送る。気にしないで言ってみろよ。昔からのアイコンタクト。こくり、遥香は首を縦に振る。
そうして……ふぅと息を吸い込んで、意を決した様に遥香が言った。
「くーちゃんが魔を惹きつける原因、ソレは……」
言葉を区切る。続きは何だ。中断がもどかしい。
もう一度遥香と視線を合わせる。瞬間、遥香の頭がグラリと揺れた。
「ん……っ」
「はるっ」
まるで気を失ったみたいに、前のめりに倒れこむ遥香。思わず声を上げそうになる俺を制止したのは、テーブルに頭をぶつけるギリギリで踏みとどまった遥香自身であった。
右腕を挙げ、大丈夫だとアピールする。飛び出しそうな言葉を飲み込んで、俺は遥香の様子を窺った。
「……ふぅ。ごめんなさい……此処からは私が説明するわ」
大きく息を吐き出して、遥香は、おおよそ遥香らしく無い口調でそう言った。それは先程、黒の猟犬と対峙した時の遥香の言葉遣い。普段の彼女よりも、鋭い言葉。
「……誰だ」
そんな台詞が口をついて、俺は自分の発言に驚いた。目の前にいるのは紛れもなく、邑森遥香その人である。十七年間共に生きてきた、間違いようの無い少女。その遥香に向かって、俺は「誰だ」とそう言ったのだ。これは一体どういう事か。
或いは、何か得体の知れない違和感……不可思議な差異が、俺にその言葉を発せさせたのだろうか。
そんな俺の考えを肯定する様に、遥香はふっと微笑した。俺が初めて見る笑い方だった。
「……刹那。遥香からはそう呼ばれているわ」
「……二重人格という奴か?」
興味深そうに、刹那……と名乗った遥香に問いかける男。
どこか冷たさを感じさせる微笑みを浮かべ、見慣れていた筈の少女は、肩を竦めて答えた。
「意図的に作られた人格、だけれどね」
あの子は凶祓いには向いていないから……。遥香を指してそう言う、刹那と名乗った彼女。
「私とあの子の説明は追々するとして、今は久遠の『体質』について話しておくわ」
俺を呼び捨てる遥香。なんて奇妙な光景だろう。まるで自分が別のセカイに迷い込んだ様な、今までの常識が壊れていく様な錯覚。
いや、ソレは錯覚ではない。間違いなく俺の常識は、日常は、この夜を堺に一変したのだから。
「魔を惹きつけるとは文字通り魔的なモノ、悪魔や怪物に狙われ易くなるという意味よ。例えるなら久遠は一種の誘蛾灯みたいなモノね。そしてその原因は、あなたの体に刻まれた術式にある」
「俺の、体に……?」
確か、術式ってのは……さっきの説明にも出てきた、魔術の一種だっけか。ソレが、俺の体に刻まれてる?
「そう、久遠の体にはある特殊な術式が刻印されている。ソレこそが、怪異を惹きつけるモノの正体」
「ちょ、ちょっと待てよ。術式……って、一体誰がそんな事を? いや、そもそもいつの間に?」
その話しが本当だとしたら、俺は今までも怪異を惹きつけていたワケなんだろう? だけど、実際に襲われたのは今日が初めてだ。
「術式を刻印したのは、あなたの両親よ」
「な」
そんな馬鹿なと続けるよりも早く、刹那が口を動かした。
「だから遥香は言い渋ったの。それに、久遠の両親の願いでもあったから……自分たちが魔術師であるって、実の息子であるアナタに隠しておく事」
一気に言って、刹那はずずっとお茶を飲み干した。
今度こそ俺は完全に混乱した。まさか自分の両親までもが、魔術師だったなんて……そんな馬鹿な事があるか。
「出来れば久遠には、普通の人として生きて欲しい……あなたのお父様とお母様は、常々そうおっしゃっていたわ。事実、この年になるまで久遠はごく普通の生活を送っていたでしょう?」
どこか諭すように、刹那は言う。
だが俺は、簡単には納得できなかった。何故、俺には秘密にしておいて、遥香にソレを教える? その理由が解らない。
「それはね、あなたのご両親が……いえ、あなたの遠い遠い祖先の誰かが、自らの求める魔術の研究と研鑽を止めてしまったから……或いは、完成させてしまったから」
だから、自らの弟子にソレを口伝する必要はない。ただ、呪いの様に姿を変え、後世に伝えられれば良い。刹那は話を続ける。
「後継者が死亡した時に、次の後継者へと自動で引き継がれる術式……最も、術者が自ら望まぬ限りソレは機能を停止したまま。だから一生涯、自分が術式の後継者であると気付かぬモノもいる……」
でも、私は……私たちは違う。
少しだけ寂しそうな声。ソレは、刹那よりも遥香に近い感情なんだと、なぜか俺はそう感じた。
「凶祓いは、後継者を育てなければいけない。私たちは、生まれた時から魔術のセカイにいた……ソレは違えられぬ運命。だから久遠のご両親は、最悪の事態に備えて、私にだけ術式の事を教えてくれた。『虫の良い話だと笑ってくれ』って、そう言って教えてくれた……」
「……なんだよ、ソレ」
イライラする。
そりゃあ父さんも母さんも、俺の事を考えて黙っていたんだろう。でも、そのおかげで遥香は、別に背負わなくても良いモノを背負わされていたんだ。
「……教えてくれよ、は……刹那。俺にその、魔術の事を」
「勿論、言われなくてもそのつもりだったわ……久遠、アナタはもう、無関係ではいられないのだから」
ボーン、ボーン。奥の客間から響く、柱時計の鐘。時を告げる、無機質な音色。
そう、ソレは宣告だ。俺が昼の住人でいられた、最後の夜の宣告。
そうして鍔文久遠は、たった今から、夜の住人となった。
魔術師と呼ばれるモノ達の、一員となったのだ。