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Seven Swords Story  作者: すず
21/26

忘却校舎/逆転



◇ ◇ ◇



 マズい……。


 教室へと乱入してきた男を一瞥し、灰尾は鼓動が早まるのを確かに感じた。


 球場で見た、あの男……人の形をした、人ならざる異界の存在。


 失態だ……それも最悪のケース。得るべき情報を得ず、出会ってはならない人物に出会う。まごうことなき大失態。


 あくまでポーカーフェイスを崩さぬまま、灰尾はその頭脳を限界まで回転させた。どうすれば……どうすればこの状況を打開できる?



「お前か……最近うろちょろしてた観測者は」



「……やはり、お見通しでしたか」



 少しでも時間を稼ぐべく、相手の会話に乗る事にする。それで事態が好転するとも思えないが……かといって、沈黙する事は出来ない。一対二という状況が、灰尾から選択の余地を奪う。


 ターゲット、鍔文久遠だけならばこうも苦労はしない。確かに動きは訓練されているようだが……対象の記憶を一部分だけ奪う術式、『忘却の名』の影響下であるうちは戦力外。どのようにでも対処出来るだろう。


 厄介なのは、情報を引き出す前に奴が現われた事、である。


 この状況、逃げるだけならさしたる問題は無い。出入り口は灰尾の背、目眩ましの一つも使えば容易く脱出できるだろう。だが、肝心……ターゲットの持つ術式……の情報を収集し切れていないまま退却する事は、依頼を反故にする事に等しい。



(顔を知られてしまった以上、もうこの辺りにはいられない)



 顔を変えるにしろ、国外へ高飛びするにしろ……どちらにせよ、金は要る。


 魔術師とはいえ……いや、魔術師だからこそ、人間社会のルールには従うしかない。無秩序を行うモノを、『表』の秩序は許しはしない。いかに優れた魔術師といえど、その理から逃れる事は出来やしないのだ。



(多勢に無勢の極みですからね……そんな事より)



 今はこの場をどう凌ぐかの方が重要だ。余分な思考は必要ない。


 手札は四枚。一、切りつけた者の意識と前後三十分の記憶を奪うナイフ『ブラックアウト』。二、術式『忘却の名』。三、対象自身の魔力を使用して記憶を改変・上書きする『捏造』。四、目眩ましの発光魔術。


 四枚のうち最大の効果を持つ『捏造』を発動させるには一分にもおよぶ長大詠唱が必要であり、さらにソレが実際に効果を及ぼすまでは数日を要する。一見、非常に手間のかかる魔術であるものの、効果的に用いれば『他人に違和感を与えない』記憶操作が可能であり、さらに対象の魔力を使うという特性上、魔術探知をすり抜ける副次効果を持つ。諜報活動を生業とする灰尾にとって非常に都合の良い魔術であるが、即効性に欠ける点で戦闘に用いる事は不可能である。



(つまり実質手札は三枚……)



「……で、クライアントは何処の誰だ?」



「……へ?」



 思考を中断させる、あまりにも馬鹿げた男の発言。


 腹の底から込みあがるものを堪えきれず、灰尾は思わず噴き出した。



「っぷ、あははははは」



「な!?」



「や、それ聞かれて素直に答える奴はいないだろ」



 殺伐とした空気を裂く様な、敵同士のやりとり。真横の男にツッコむ久遠はまさに的を得ていて、灰尾は更に腹を抱える。



「はははは……は、は。ふぅ、まったく、何なんですアナタ達は」



 なんて緊張感の無い男だ。真面目に悩むこちらが馬鹿みたいだと、灰尾は涙目になりながらそう思う。


 だが……そんなやりとりの最中にすら、わずかの隙も作らないとはどういう事だ。



(おちゃらけているように見えても、やはり凄腕……)



 確信する。完全な不意打ちならともかく、対峙しあったこの状態で目の前の男を倒す術は、少なくとも自分には無い。


 依頼の遂行は不可能……。灰尾は、敵との戦力差と依頼内容をもう一度反芻し、そう判断した。


 確かに報酬は欲しい。だが、それよりも大事なのは己が命。全ては、命あってのモノダネだ。


 ならば……やるべき事は一つ。



「はぁ、笑いすぎて……お腹が痛い」



 この場から、撤退する……!


 腹を押さえる体勢から、忍ばせていたもう一つの『ブラックアウト』を瞬時に取り出すと、灰尾は援軍の登場で気の抜けていた久遠へ向かって投げつけた。



「ッ!」



「久遠っ」



 乱入者は、右手を飛翔する凶器へと向けた。


 完全に虚を衝いた形で投擲した刃だったが、その鈍く光る切っ先が目標に触れる事は無く……久遠の鼻先数十センチの距離で数個の鉄片へと姿を変える。



(窓ガラスを音も無くバラバラにした乱入者の術式……恐らく、その正体は不可視の刃)



 射程距離や、攻撃速度は不明。よって『ブラックアウト』による直接攻撃は不適切。乱入者自身に投げつけてみても、効果は微少……皆無の可能性すらありえる。


 敵に最も大きな隙を生じさせるには、無防備な相方を守らせる事だ。


 侵入者とターゲットが直線状にいるのならともかく、横に並んだ状況ならば、攻撃先を認識し、術式を起動させるまでに多少のラグが発生する。


 事態は……灰尾の予定通りに推移した。


 乱入者と、灰尾の視線が交錯する。


 刹那、術式『忘却の名』が起動した。


 双眸へ集中した魔力が極小の稲光となって、乱入者の網膜へと吸い込まれていく。



「ぐ、」



 乱入者は顔に手を当て、体を僅かに丸める。


 そのごく微細な電撃には、網膜を焼く威力も眼球を焦がす熱も無い。微弱な電撃は、ただ対象の脳に僅かな刷り込みを行う。その刷り込みの効果は『一時的な健忘』であり、灰尾はもっぱら、この術式を対象の『攻撃手段を奪い去る事』に使用していた。



「ペケッ」



 男の名を呼ぶ久遠。その声を背中で聞きながら、灰尾は教室の出入り口へと疾走する。



「ああ、大丈、夫……じゃ、ない!?」



 なんだこりゃーと、『忘却の名』による記憶障害にとまどう乱入者……ペケ。これこそが、灰尾の狙いであった。



(あの男は徒手空拳であっても……こちらを凌駕するのでしょうが)



 記憶の一部が消え去るという状況に陥って、平常を保てるモノなど皆無だ。


 無論、それによって作り出せる隙は僅かである。それは先ほどの久遠が証明していた。


 だが、今の灰尾に必要なのは教室を出るまでの僅かな時間である。


 ペケの戸惑いは、灰尾が教室から外へ飛び出すのには十分な隙であった。



「逃げる!?」



「久遠、待てっ」



 ペケの鋭い声が制止する。


 面が割れ、あまつさえ依頼を遂行できなかった諜報員が、再びこちらの前に現われる可能性は低い。敵の魔術の影響下にある現状で、これ以上の深追いはリスクが大きい。瞬時にそう判断し、悪魔は追撃を諦める。



(『敵』の輪郭が何も解らないのは痛い、が)



 彼の存在理由が『久遠を護る事』である以上、リターンを得る事よりもリスクを減らす事を優先するべきであり、この選択は当然と言えた。


 倒れている安藤を飛び越え教室の出入り口を潜る灰尾。その背に憎々しげな視線を投げつけ……同時にペケは、時間が凍りつく瞬間を確かに目撃した。



「な!?」



「きゃあっ」



 ドスン。人と人とがぶつかる、鈍い音。教室を飛び出した灰尾は何者かと衝突し、ぐらりと体勢を崩す。


 衝突された女生徒は強かに尻餅をつき、痛い痛いー、と何処か間の抜けた声を上げた。



「痛たた……あ、くーちゃん」



 女生徒……邑森遥香は、緊迫した場の空気を微塵も汲み取らず、教室の中の幼馴染に声をかける。


 二人目の、そして予想外の乱入者登場に最も早く対応したのは、忘却の魔術師であった。



「あ、ごめんなさ、ひゃっ!」



 リノリウムに座り込んでいる遥香を引き起こすと、灰尾は後ろから抱きすくめる様にして教室へ向き直る。


 出遅れた二人に対し灰尾は勝ち誇った笑みを浮かべ、言った。



「どうやら……今日の蟹座はツいてるみたいですね」



 懐から抜き出されたナイフが、白い頬に突きつけられる。



「ひ、」



「て、テメェ……」



「おっと、動かないで下さい。今度は切れるヤツですよ」



 短い刃が揺れる度、久遠の額に脂汗が滲む。


 忌々しげに灰尾を睨みつけるペケ。


 そんな二人を満足げにねめまわし、灰尾は丁寧な口調のまま言った。



「それじゃあ、取引を始めましょうか」

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