Introduce―忘却校舎
◇ ◇ ◇
「……はい、はい……はい……予定通りです。はい……え? あぁ、はい。そちらもつつがなく……はい。あぁ、二本目ですね。ええ……いえ、それ以上は……え、いやぁ、直接観察ですよ。僕、まどろっこしいの嫌いなんで、ええ。お仕事の時だけです、こんなのは……確かにその通りなんですけど。まぁ、その辺りはキチンとしますよ、こちらも商売ですし……ああ、とりあえず決行は明後日の予定です。最悪でも情報だけは……前払いも頂いちゃいましたし―――」
「……」
「え、いやぁ、なんかいやに勘のするどいのがいまして……ただまぁ、干渉はないかと。場所が場所ですし……はぁ、髪のちょいと長い……知り合いですか? あんまり友達が多いようには思えませんが……いえ、失礼。失言でした……は? いや、どこからどうみても人間ですよ。こちら側なのは間違いないでしょうが。……や、アレは遠慮しておきますよ。これ以上出してもらっても、です。え、うーん。勘、ですかね。僕も結構鋭い方ですよ、いえいえ、ホントの話です。昔、ちょっと見ただけの人が……ええ、勿論、人ですよ……その人にですね、少し雰囲気が似てるんですよ」
「……」
「や、アレはたぶん『山』関係です。ウチはともかく、『表』の連中にあんなのを飼いならせるとは、とてもじゃありませんが……そんなのに近い空気を持ってるなんて、十中八九ヤバイです……え、いやぁ、どうでしょうね。僕はどっちもお断りですよ。なんていうか、アレは僕らと根本的に違うというか……や、確かにさっきは『人』って言いましたけど、それは単に見かけがそうであるって意味でして、ええ。なんて言ったら良いのやら。ううん、そうですね、強いて言うなら、僕らと食べてる物が違う、みたいな? はは、そうですね。我ながら変な例えです。下手糞です。ただまぁ、俺は毎日人間食ってるぜー、とか言われても信じちゃいそうですよ。え、ああ、そうですね。それじゃ人間じゃないですけど」
「……」
「ああ、いえ、そこは大丈夫です。逃げるの得意なんで、僕」
「……」
「ええ、解りました。それじゃあ失礼しますよ、そろそろ夜も遅いので。これでも僕、早寝なんですから……ははは、まぁそうおっしゃらずに。……それでは」
電子音が一つ。携帯電話を折りたたみ、男は歩みを再開した。
◇ ◇ ◇
「……お疲れ様。気を使わせちゃって、申し訳ないわ」
「……今は君か。ところで……単なる好奇心で聞くが、君たちは任意に入れ替われるのかい?」
「……基本的に、入れ替わるのは私の意思よ。あの子には、いつだって選択権はないの」
少女は自嘲気味に呟いて、黒く艶やかな髪の毛を指先で弄んだ。
男は、絹の如き川を滑る白い指に視線をやる。細く、しなやかな、女の指だ。
少女なのだ、年端もいかぬ娘なのである。その小さい双肩には、不釣合いな程に重い運命が圧し掛かっている。
「哀れな子……背負い込まなくてもいい荷物まで無理して背負うものだから、今にも潰れてしまいそう……」
運命を呪う様に言う彼女の瞳は、けれども卑屈さや諦観に濁る事はなく、生まれながらに負わされた業に真正面から向き合えるだけの強さを秘めていた。
この強さは、果たしてどちらのものなのか。男はしばし思案して、それから薄く笑みを浮かべた。彼女たちは独立した人格を持ってはいるが、芯の部分は共通なのだ。陽だまりの様な昼の彼女も、月光の様な夜の彼女も……同じ一人の人間の、別の側面を見ているに過ぎないのだ。
だからそれは、その強さは、彼女の強さなのだ。重い運命も、課せられた使命も乗り越える強さを、彼女は持ち合わせている。
「……でも、それを背負う事に、君は反対しないのだろう?」
「……そう、ね」
雪の肌に、少しだけ赤みが差す。冷静な様で、やはり彼女も彼女なのだろう。
照れた表情を下手に隠して、彼女は男へ問うた。
「昼の事だけれど……」
「ああ……恐らく、誰かに監視されている……」
「……それは人間?」
それとも、別の何か。歪んだ境界から滲みだした、異界の存在なのであろうか。
「化物どもに監視が出来るか?」
「凶祓いである私たちをどうこうする、なんて考える人間がいるとも思えないけど……少なくとも連合に参加しているのならね」
「フリーの連中だっているだろう?」
「それはそうだけれど、連合から派遣されているという立場にいる私たちに手を出すという事は、連合からの粛清を受ける可能性があるという事なのよ? 自殺よりも確実に死にたいのなら別でしょうけど……どちらにしろ、まともな神経を持っているとは思えないわ」
「なるほど。つまりこう言えるわけだ。俺たちを見張ってた監視者はまともじゃない、あるいは……」
一旦言葉を切ってから、男は簡潔に述べた。
「連合に狙われても生き延びる自信がある、凄腕か。狙いは何だ? やはり呪文書……」
「もしも本気で私たちを監視していたのなら、それ以外には無いでしょうね。『山』の連中がそんなものを手に入れたがるとは考えられないし、秩序維持を行う私たちを『表』が狙うとも思えない……大方、うだつの上がらない魔術師が、欲に眩んで……とかってパターンだと思うけど」
一本で並みの魔術師を遥かに凌駕する魔力を貯蔵した剣が、七本。それどころかそれぞれが強力な術式そのものであるのだ、手に入れる事が出来ればその恩恵は計り知れないだろう……そう考える魔術師がいてもおかしくはない。
「……とにかく、用心するに越した事は無いな。なにか気になる事があったらすぐに教えてくれ。出来る範囲で調べてみよう」
「……解ったわ。それと、頼ってばかりでごめんなさい」
男は少女の頭へ右手を乗せると、軽い調子で答えた。
「なぁに、大した事じゃない。三食昼寝付きの好待遇だ、もっとこき使ってくれて構わないんだぞ?」
目の前の少女も、重荷を背負う片割れなのだ。おどけてみせるのは、男なりに気を使っているのだろう。
少女は嬉しそうに目を細めた。それは年相応の、愛らしい笑顔だった。