忘却校舎/夢うつつ
「すまなかった、こんな事になってしまって」
震える言葉。同時に、父さんが頭を下げた様な、そんな気配を感じた。
「出来るなら……魔術なんてモノに関わって欲しくは無かった。普通の、人並みの生活を送って欲しかった……」
「……父さん」
闇に溶けると解っていても、俺の口からは自然と言葉が零れた。
「……けれど、どうやらソレも無理なようだ。術者の意識とは無関係に術式が発動してしまう事など、本来はありえない筈なのだけれど……とにかく、魔道書が目を覚ましてしまった以上、原因についてとやかく言っても仕方がない。久遠にしてみれば、凄く理不尽な事に感じるだろう。ふざけるなと、怒ってくれても良い。でも、久遠がこれから生きていく為には、魔術を知るしか方法が無いんだ。剣を使い、身に迫る悪意を撃退しなければならないんだよ」
自分を責める様な叫び。父さんの言葉はむき出しの感情そのもので、俺の心を強く打った。
「だから、聞いて欲しい。生きる為に」
頷く。必死に話す父さんへ報いる様に、真摯な気持ちで。
「……剣が人の原罪を記している事、同時に強力な魔道書である事は遥香ちゃんからもう聞いたね。父さんが久遠に教えるのは、魔道書の効力……七本それぞれの持つ力だ。久遠が『敵』に襲われた時、生き延びる為には剣の持つ力を使いこなす必要がある。何も知らずにいるのとそうでないのと……その違いは決定的だからね」
父さんの言う事は最もだろう。自分が選択できる行動、切れる札を知らなければ……ソレはあまりにも無防備だ。
「『怠惰』の書の力を使って、握った剣の情報を自動的に久遠へと送るようにする。本当なら全部を父さんが説明したかったけど……どうやらもう時間みたいだ」
徐々に遠くなる声。なのに俺の意識は少しずつハッキリとしていく……目が覚めるのだろうか。
嫌だ嫌だ。起きてしまったら、父さんがいなくなってしまう。
「久遠、父さんはもういないんだよ。これはただの夢だ」
「そ、そんな事、言わないでよ!」
あぁ、父さんが行ってしまう。話したい事が……聞きたい事が、沢山あるのに。それなのに。
「こんな事しか出来ない親ですまない……でも、久遠なら大丈夫だって信じているよ。父さんも、母さ」
最後はもう、殆ど聞き取れなかった。
そして、夢が……終る。
奇跡みたいな夢が。
……
「父さんッ!」
声を上げて、布団を跳ね飛ばした。射す朝日と見慣れた自室……覚醒してしまった事実を突きつけられて、俺は堪らなくなる。
死んだ、父さんも母さんも死んだ。そんな事は解ってる。
もう……大丈夫だと思っていたのに。
「……ちっ」
思わず舌打ちをしてしまう。なんて、残酷な夢だ。
知らず流れていた涙を拭い、視線を正面へ向ける。何時から現れていたのだろうか、其処には大剣の中で最も簡素な一振りがモノも言わずに佇んでいた。
「お前のせいで、目が覚めちまったじゃねーか」
宙に浮かぶ十字が、まるで墓標の様で……俺は悪態を吐いた。
なんとなく、ソレの柄を握る。そうする事でその剣の情報を得る事が出来るって、父さんは言った。けれど、今ソレをしたのは別に父さんの言葉を確かめるとか、そういった意図によるものではない。最初に言った通り、ただなんとなくである。
普通の金属とは思えない、奇妙な感触。硬質さと柔軟さを兼ね合わせたさわり心地。何よりも、微かに暖かいのが印象的だ。
その熱を感じた刹那、脳裏に弾けるイメージがあった。
「―――ッ! なるほど、コレが……」
剣の情報を得るという事。俺はその剣の柄を握っただけで、ソレが『怠惰』と呼ばれるモノである事と、情報伝達の能力を持つ事を理解した。
そして同時に、その剣の力が殆ど全て枯渇している事に気が付く。これはどういう事だろう。疑問に答えたのは、『怠惰』に残された父さんからの最後のメッセージだった。
「追伸。『夢』を媒介とした死者との会話は、大儀式級の魔術だ。代償として『怠惰』に内蔵されている魔力のほぼ全てを使い切った故、ソレが回復するまで能力は使用できないので注意されたし」
内容はともかく、父さんの声に不意をつかれた俺は、また少しだけ涙ぐんだ。
「……なるほどな。て事は、昨日のアレは本当に奇跡的なモノだったワケか」
『魔力』とは、文字通り魔を成す力の事である。多くの場合、魔術師は自身の魔力と引き換えに神秘の業を行う……昨夜、夕食の最中に遥香がしてくれた説明を思い出す。同時に遥香は、断罪すべき七つの大剣に宿っている魔力の量は通常の魔術師数人分になる事を教えてくれていた。
魔力の回復ってのが、どのくらいかかるものか解らない以上、『怠惰』の能力は当てにしない方が良いか……。
なんて考えていた俺の耳に飛び込んでくる、カシャっという人工的な音。唐突な出来事、俺は音の出所を探す様に部屋の入り口へ視線を移し……口をあんぐりと開けた間抜け面のまま固まる遥香を発見する。
「……おい」
「つ、つつつ、遂に……っ。遂に激写してしまった! くーちゃんの泣き顔! こ、ここコレは強請れるよ!! ど、どうしよう……ハァハァ」
右手で携帯電話を操作しつつ、左手で額の汗を拭う遥香。
おいおい、良いのか? 携帯の画面なんか見てて。
ゆっくりと、音を立てずに布団を抜け出る。遥香の視線は未だ携帯の液晶画面だ。気付かれた様子は無い。
射程距離まで近づいた俺は、奴へと声をかける。いわゆる最後通達って感じ?
「おい」
「ひぃッ!」
俺の接近に全然まったく気がついてなかった遥香は、何とも情けない悲鳴を上げた。
「今すぐソレを消したまえ。さもなければ……解るな?」
「あ、あう……あうう」
まるで我が子を庇う母親の様に、携帯を胸に抱き、必死な視線を俺へと送る遥香。
馬鹿め。そんな抵抗に意味など無いと教えてやろう。
「の前に、十秒の猶予をくれてやる。決断は早くした方が良いぞ」
言い終わるや否や、俺は大きな声でゆっくりとカウントダウンを開始する。
遥香はぎゅっと両目を瞑り、何やら逡巡している様だ。
くくく。素直に消すもよし、抵抗の姿勢を貫くのもまたよし……。どちらにせよ、お前の行く先は一つ。って、何か俺ちょっと悪役っぽいな。
「く……すまない、お前たち。私も後から行くぞ……」
何だか良く解らないキャラで、携帯を操作し始める遥香。なかなか素直じゃないか。
「……やっぱ駄目! 惜しすぎっ、毎日登下校おんぶしてもらう私のニューデイズ!!」
「抵抗の意思を確認……ってなんだその図々しい目的は!? 良いからその携帯をよこしなさい!」
テンカウント終了直後、俺は遥香の携帯を強奪すべく実力行使にうってでる。
ぎゃあぎゃあと騒ぐ遥香。俺の熟達された攻撃はまるで精密機械のソレの様に、奴のへなちょこディフェンスをかいくぐる。
「ふ、十年早かったなぁ!」
「あああ、消されてしまうぅ。私の夢の結晶が!」
「黙らっしゃい! 強請りなんてブラックな野望は、この俺が打ち砕く」
なんてバカなやり取りを聞きつけたのか、廊下の向こうから接近する人影。ニヒトだ。
床板をギシギシさせながら現れたニヒトは、俺たちを見るなり「乳繰りあうのは結構だが、そろそろ遅刻するんじゃないか?」なんて言った。
「げ、本当だ。まだ飯も食ってないってのに」
「乳繰りあうだなんて、そんなぁ~」
なんで同じ話を聞いてこうまで差が出るのか、なんて事すら考えてる余裕は無い。俺は二人がいるにも関わらず、ダッシュで着替えを済ませた。
「……って、今日の特訓は」
「ああ、学校が終ってからにしよう。慣れない術式の起動で、思ったよりも体力を使っている筈だから」
確かに疲れている感じはするが……動けない程じゃない。まぁどっちにしろ時間が無いんだから無理か。
「解った、それじゃあ帰ってきてから頼む。おい遥香、行くぞ」
「わ、引っ張らないでよぉー」
ドタドタと小走りに家を出る俺たち。今日は空腹との戦いになりそうだ。なんて考えていれば、起き抜けに感じた寂しさも少しだけ和らぐ様で……俺はちょっとだけ複雑な気分になった。
……
「……アレ、くーちゃん?」
放課後、黄昏に包まれる教室の中、俺は遥香に呼びかけられて目を覚ました。
そういや、昨日も寝ちまったんだっけ……やっぱり、何だかんだで疲れてるんだろうか。
「よぉ。何してんだ?」
一人教室に取り残されている所を見つけられたバツの悪さから、俺は極めて明るく問いかけた。
「あ、うん。忘れ物しちゃって……くーちゃんは?」
「んー、ちょっと居眠りしてたみたいだ」
何気なくそう答えると、遥香は奇妙な表情を浮かべて、言った。
「え、くーちゃん寝てたの? 教室からお話する声が聞こえたから、てっきり起きてたんだと思ってたけど……」
「話しって、俺が? 誰と?」
不思議に思い、遥香に尋ねる。うーん、と少しだけ首を捻った後、遥香は気のせいだったのかなぁと呟き、答えた。
「隣のクラスの灰尾くん。教室から出てくの見えたし……でも、声は良く聞き取れなくって……誰かが喋ってるのだけは解ったんだけど」
「灰尾……って、何かあの地味な?」
合同体育の授業の時に見た、灰尾の顔を思い出す……が、どうも記憶があやふやでピンとこない。ソレほどまでに地味な奴なのだ。
じゃなくて、問題は……。
「俺、アイツと話した事なんてないぞ」
そう。俺は灰尾と友人関係にあるどころか、そもそも会話をした事すら無い。そんな俺が、放課後アイツと談笑するなんて、よほどの事が無い限りありえないだろう。ってかそもそも俺は寝てたし。
「独り言だったんじゃねーの? それはそれで怖いが」
「そうかも。それとも、私が気付かなかっただけで他にも誰かいたのかな」
遥香がやけに怖い事を言い出す。これから暗くなるっていうのに、なんて事をしてくれるんだコイツは。
「まぁ良いや。それより、そろそろ帰ろうぜ」
放課後の教室に長居は無用だ。俺は遥香を促す様にして、教室を出る。
それでもまだ気になっているのか、遥香はうんうん言っていたが、程なくしてひょこひょこと後を付いて来た。
誰もいない教室は、耳が痛いほどに静まり返っていた。