「お仕事って助け合いですよね♡」~婚約破棄された伯爵令嬢、無能なピンク髪聖女候補を正論でボコボコにする~
「アデリア……すまない。すまないっ。僕は、彼女を愛しているんだ」
アデリア・コンウェールド伯爵令嬢は手にしていた書類を机に置いた。ぱさり、と乾いた音がする。頭痛がする頭を抑えた。
「突然、職場にやって来てどうしたのかと思ったら……」
「ううっ、すまない。だがもう心を抑えきれないっ」
アデリアの向かい側で、婚約者レオナルド・レオニード伯爵令息は芝居がかった仕草で両手を胸に当てた。
その隣には淡いピンク色の髪をした少女がいる。お仕着せの侍女服を大胆に改造し、胸もとを開き、スカートを短くし、そのふわふわしたピンクの髪と同じ色のリボンをそこかしこに結んでいる。
王立学院を卒業したばかりで感心させられてしまうほど大胆な規律違反を犯す、彼女の名はミュリン・ミレーヌ男爵令嬢。
アデリアの元にも、彼女の悪評は届いていた。
アデリアの仕事は王宮の政務官である。この国では貴族が官吏になることが多い。結婚してからも続く、一生の仕事だ。彼女はこの仕事を誇りをもって務めてきた。たとえ――と、ちらり、目の前の二人を見る。
マホガニー材の執務机の向こう側で寄り添い合う婚約者とピンク髪の聖女候補。
はあ、とアデリアはため息をつく。それをどう思ったのか、男爵令嬢は目に涙を溜めて両手の前で手を組んだ。
「ああ、ごめんなさい……アデリア様」
「何がですか?」
「あたし、レオニード様を奪うつもりなんてなかったんです」
まあまあ。はあはあ。アデリアは目を細めた。
そのわりに、男爵令嬢の腰に回る婚約者の腕は揺ぎ無いようである。
「レオニード様は、あたしがいじめられて困っていると助けてくださったんです」
「そう」
「あたし、あたし男爵の娘だけど庶子でェ……。ずっと市井で育ったんです。突然、王立学院にも一年ぽっち編入しただけですし、貴族のことなんて何も分からなくて。だから、レオニード様に頼るしかなくて……」
「そう」
「聖女候補になったのも今年からなんです。そんで『適性を見るのに必要だー』とかで、突然王宮で侍女として働き始めたばかりでェ……お仕事大変で……」
奪うつもりはなかったと言いつつも、くねくねした仕草と頬を染めてレオナルドを見上げる仕草は堂に入っている。
まったく、せめてもアデリアの執務室に来てくれてよかったと思うしかない。……大広間でやらかされたよりはましだ。
「ミュリン・ミレーヌ男爵令嬢。ひとつよろしくて?」
「はいっ。怒ってるよね? 怒ってるんでしょ? あたしのこと叱っていいから、レオのことは嫌いにならないで……っ」
「お仕事が大変ですと、私の婚約者と毎晩のようにお茶を飲み、仕事帰りに待ち合わせ、休日には二人で街へ出かけるなどされる理由になりますの?」
男爵令嬢の潤んだ目が凍る。婚約者は非難のまなざしでアデリアを睨みつけ、ピンク髪の少女を背中に隠した。
「醜い嫉妬をするな、アデリアっ。悪いのは僕だ、僕を責めればいい。ネチネチとミュリンのことを攻め立てたって、僕の心は君から離れるばかりだぞ!」
びしっ。とアデリアを指差すレオナルド。
もう無理、頭痛い。雨の日のズキズキと同じくらい痛い。アデリアはマホガニーの上に肘をつく。
「はにゅうう~~~、レオたま、あたしのこと庇っちゃダメェ。もしアデリア様が発狂して殴りかかってきたらどうするつもりなの? あたし、レオにケガしてほしくない……!」
「おおミュリン、僕のミュリン、なんて心が綺麗なんだ……!」
だめだこりゃ。
ということは、ひょっとするともうずいぶんと前から分かっていたのかもしれなかった。
腐っても幼馴染だ、アデリアの中にはレオナルドへの情けというかなんというか、まだ残るものがあった。だがこれで、完璧に砕け散った。
アデリアは顔を上げる。きゃっと叫んで男爵令嬢は婚約者の背中に齧りつき、彼の腕と胴体の隙間から上目遣いにアデリアを見つめた。
「うひゅううん……怖いよお」
「ミュリン、大丈夫だから」
「とりあえず婚約破棄ということでいいのよね、レオナルド?」
「そ、そうだっ。僕は君より彼女を愛して……」
「ところでミレーヌ嬢」
アデリアは強引に話題を変えた。もうレオナルドに付き合うつもりはなかった。
男爵令嬢は覚悟を決めたと言わんばかりのキリリッとした顔で、相変わらずレオナルドの背中に抱き着きながら頷く。
「はい……」
「貴女はこの王宮で侍女の仕事をしていた。それは間違いなくて?」
「え?」
「答えて?」
「そうですけど……」
「その仕事というのはどんなもの?」
「は? だから、あんたみたいな政務官ににお茶を出したり、書類の整理とかやってます。聖女になるからには、なんだっけ? ジツムテキナコト? も知らないといけないんですってェ」
「配属されて四か月でしたわね?」
「なんだ、知ってるんじゃないですか。あたしを問い詰めて、間違えたら嘘つきって責める気だったんでしょ。そうはいかないんだから」
「侍女たちは王宮に住み込み。毎朝六時半から業務が始まる、きついお仕事ですわ。その職には敬意をもっておりましてよ」
「プ。朝八時に来ればいい人に言われてもォ……」
「配属以来、総務の方に回されておいでですわよね。では午前中に各部署から提出される申請書を確認し、午後から決裁に回す。この基本的な流れはご存じ?」
「ええ……まあ……」
「では、先月の予算執行件数は?」
ミレーヌ嬢が固まった。
「……はにゃん?」
「予算執行件数です」
「そんなこと、いちいち覚えてません!」
「では、先週あなたが処理した申請書のうち、差し戻しになったものはいくつ?」
アデリアは続けざまに聞く。レオナルドがむっとした顔をするが、口調が穏やかなので怒鳴りあぐねているらしい。
「アデリア様!」
代わりに、男爵令嬢が金切り声を上げた。
「やっぱりあたしを責めたかったんですね。あたしの魅力に負けて婚約者を取られたからって、僻まないでくださいっ。そんなことして楽しいんですかあ?」
アデリアは静かに手を組み合わせ、微笑む口元を隠した。もはやマホガニーの光沢も窓から差し込む光も、彼女の頭痛を抑えてくれそうになかった。
「私は政務官ですから、自ずと王宮内のあらゆる部署と関わらねばなりません。あなたが私にお茶を出しながら、週末のレオナルドとのデートに心躍らせていたことも把握しておりましたよ」
「……!」
男爵令嬢はぎりっと歯を食いしばってアデリアを睨んだ。
「侍女たちとは管轄が違いますが、そちら方面で働く友人もおりましてよ。ですから――貴女のために、他の人間が仕事を肩代わりしていることも知っていますの」
男爵令嬢はのこのことレオナルドの背中から出てきて、バン! とマホガニーの机に手のひらを叩きつける。
「ひどい……! ひどい……! 今はその話関係ないでしょお!? レオ様のことを話に来たのに、どうして公私混同するの!? ありえないんですけど! アデリア様ってさあ、ホント頭でっかちだよねえ!? だいたい――」
「あなたは仕事をしていません。その上、こうしてれっきとした貴族である私の婚約者まで寝取ってしまわれた。今後、まともな聖女候補、仮に試験に合格して聖女となられましても、まっとうな聖女としては扱われませんよ。気づいてらして?」
「寝取っ……!」
案外うぶだったらしい、男爵令嬢の顔は真っ赤に染まる。
女同士の罵り合いに引いていたレオニードが気を取り直し、口を挟んだ。
「アデリア。もういい――僕が、僕が悪かったから」
「いいえ。今は政務官として彼女に注意をしています。誰かが言わなければならないことでした」
聖女候補は将来聖女になる可能性がある。もっとも、ピンク髪の少女にその可能性は低いが、それでもある。
聖女ともなれば国王と同等とも言われる権力が与えられるのに、その卵である少女にわざわざ憎まれる人間はいない。その役目にある監督官や侍女頭さえ見て見ぬふりをしているという。よって、彼女の同僚にしわ寄せがいっている。
ならば、仕方ない。――すでにミュリンに憎まれているらしいアデリアが、その役目を買って出るのも必要悪だった。少なくとも彼女はそう思った。
「アデリア! 僕が憎いなら僕を殴れっ、僕は――」
「お黙り、レオナルド」
元婚約者は黙った。子供の頃からアデリアの気迫に逆らえない男であった。だからこそ、入り婿にはちょうどいいかと……まあ、今更だ。
アデリアはとんとんと机を叩く。先ほどの男爵令嬢の手のひらよりも、はるかに響く音だった。
「貴女が間違えた書類を、誰かが確認しています。貴女が勝手に変更した記録を、誰かが元に戻しています。貴女が覚えず放り出した仕事を、誰かが代わりに成し遂げています。貴女がレオナルドと出かけるため休んだ日に空いた穴を、誰かが埋めているの。――ねえ、ミレーヌ嬢? 本当にわからない? 誰かに代わってもらうことを前提とした仕事なんて、仕事ではないわ。おわかりあそばして……?」
ミレーヌ嬢は助けを求めてレオナルドを見たが、彼はプイと横を向いた。そうとも、その男はそういう奴なのだ。
あたふた、あちこち見回したあと、結局はアデリアの眼力に負けて悔し気に顔を歪めながら言う。
「だってえ、でもお……」
「ハッキリお言いになって」
「でもお……お仕事って助け合いですよね♡」
「……何ですって?」
「お仕事って助け合いですよね♡」
聞こえなかったわけではない。あとなんで腰に手を当てて反対側の人差し指を頬に突き刺しているのか、見当がつかない。
「だって皆さんがあたしを怖がらせるから」
「――具体的に」
「あたしが質問すると、ため息つくんですもん! 普通の質問なのに!」
ふっとアデリアは笑った。
ミレーヌ嬢が所属した侍女たちによる総務部門は、仕事が速いことで有名だった。アデリアも何度も世話になったから、彼女たちへ親しみがある。とはいえ皆精鋭ぞろいなので、友人がそこへ配属されたときはちょっと同情したほどだった。
その友人が、こぼしていた。
――いわく、昼休みは誰も規定時間分取れなくなった。残業と早出が増え、家族に手紙を書く時間さえ作れない。
その原因は、何を隠そう目の前の男爵令嬢である。
ミュリン・ミレーヌは無能だった。
簡単な封書作業すら任せられず、しかも確認しない。
請求書に指定された書面を一枚添付して封筒に入れるという、たったそれだけの仕事を任せたところ、別の書面を入れた。
しかも三十通全部。
本人は、『同じような紙だったので、こっちかなって』と言ったという。
注意されると、『こんなん全部一緒ですよお』と笑ったという。
あとで確認するために貼っておいた付箋を勝手に全部剥がした。
重要な記録の綴じ紐をバラし、内容をなんの規則性もないルールで並べ替えた。
『こっちのほうが分かりやすいと思って♡』
と笑う彼女は定時で遊びに行き、残りは他の面々で必死に元通りにした。
法律に関する部署から依頼が来たときは悲惨だったという。たまたま、なんの仕事も任せられないので一人で残っていたミュリンが書類を受け取ってしまったのだ。彼女は分からないことを確認せず、感覚的にめちゃくちゃな処理をした。
『たぶんこうですよね! だいじょぶ、変だったら向こうから言ってきますよお!』
と言っていたのだと。
恐ろしすぎて背筋が凍る話だ。仕事ができないだけならまだわかる。根気強く教え、間違えずにできるまで付き合えば……面倒だが、やってやれないことはないだろう。
アデリアは静かに立ち上がった。
「こたびの婚約破棄騒動は、私たちの内々に処理しましょう。しかしこんな行動を起こすに至ったあなたの人格には問題があると見做さざるを得ません」
「性格わっるうーい! ホラ、レオも言ってやってよお! だからお前のことキライだったんだよって言ってやれよ、ねえ!」
「貴女は間違えたことを指摘されると泣き出すそうですね。そして今のように、誰彼構わず男性に縋りつくのだとか」
「人聞きの悪いこと言わないでくれるう!?」
「何もできないのに仕事を減らされると『信用されてない』と泣き、勝手に休暇を申請して誰にも引き継ぎをしない。注意されると、『あたしにも休む権利があります』と泣くんですって?」
アデリアはため息をついた。
「そして最後には、こういう男が現れるのよね……」
指し示されたレオニードがきょとんと眉を寄せた。もう喧嘩は終わった、喋ってもいいのだと解釈したらしい。
「俺が何だよ?」
「さあ? 自分で考えたら」
「ひっどおーい! 結局、あたしたちを苦しめたいだけじゃないの。アデリア様は……あたしが嫌いなんですね!」
「ええ。貴女のような人、嫌いよ」
みるみるうちにピンク髪の少女の目に涙が盛り上がる。
アデリアは鬱陶し気に手を払った。頭痛は消え去っていた。
「自分の失敗を他人の優しさで埋めてもらい、それを助け合いと呼ぶ人間。――ちょうどよかったわね、彼にそっくりよ、あなた」
泣き出したミュリンに縋りつかれて脂下がったレオナルドが怒鳴った。
彼はいつだってそうなのだ。自分の責任を肩代わりしてくれそうなものが身近にあれば居丈高になる。かつてこの男のこうした弱さをフォローしてやろうとまで思っていた自分が、アデリアには腹立たしい。
「もうやめろ、アデリア!」
「そう? 何故」
「彼女が傷ついているのが見えないのか!」
「そ。じゃ、婚約破棄の件はすぐに父に話すわ。もう入り婿候補ではないのだから、馴れ馴れしく話しかけるのはやめてちょうだい。ああそれから、父が貴方に贈った馬は返還要求があると思うからすぐ戻してね。あれは将来、私と貴方で領地を見回るためのものだから」
レオナルドの顔から血の気が引いた。
なんだか本当に、彼は思った以上に馬鹿だったようだ。こんなのと結婚しなくてよかった……と心から思う。
「私が差し上げた万年筆やカフスボタンはそのまま取っておいてくれればいいから。もういらないし、戻されても困るもの。それから分かっていると思うけど、我が家の内情について聞き知ったことを外でペラペラ喋ると即、情報流出による裁判になると思うわ。お父様、そういうところ厳しいから」
「アデリア……」
「婚約破棄、承知しましたわ。どうぞミレーヌ嬢とお幸せに」
アデリアはにっこり笑うと、すたすた歩いて扉を開け放った。廊下は中庭に面した窓が全部開いていて、これこそこまめに気の付く侍女の仕事だと思う。さんさんと光が注ぐひだまりに飛び込んで今すぐ昼寝したい。
二人はぐずぐずといつまでも出ていかなかった。アデリアは再度、促した。
と、レオナルドはずかずか歩いてアデリアの目の前にやってくる。
ミュリンが小さく鳴く。
「きゃんっ、レオ様あ……」
「待て、待てよ!」
「何?」
「お前は、なんでそんなにあっさり……、そういう可愛げのないところが、俺が」
「? これで愛する女性と一緒になれるのに?」
アデリアは首を傾げた。
「おめでとう。よかったわね、一応言っておくけど私、貴方に幼馴染以上の感情を持ったことはないから」
「な……っ」
ピンク髪の少女へアデリアは顔を向ける。
「ミレーヌ嬢もご安心なさってね。私たち、手をつなぐ以上のことはしていないから。あ、でも侍女頭に今日のことは報告するわ。それは変わらない」
「……クソ女」
「ほら、レオナルド・レオニード伯爵令息、さっさと出ていって。彼女の面倒を最後まで見てあげればいいわ」
アデリアは部屋の中で戻る、その背中に、ミレーヌ嬢の声が飛んだ。
「アデリア様!」
淡いピンク色の髪を揺らしながら、ミュリンはきょとんとしていた。
「あたし……これであたしの勝ち?」
突如、ニタニタした笑みがその若い顔に浮かぶ。……慈善で訪れる救貧院の入居者たちがたまに浮かべるのと、同じ笑みだった。アデリアが苦々しく思っている表情をどう思ったか、ミュリンは一層笑みを深くする。
「レオニード様があたしを選んだ……あたしは選ばれたのよ! ああ、ごめんねえ、アデリア様! とっちゃって。ほんとにごめんなさああい!」
天も裂けよとばかりに男爵令嬢は叫び、アデリアを見て楽しそうに足踏みをする。レオナルドの腕を取り、ぶんぶん振り回す。
(何も分かっていない……)
五男であるレオナルドに相続できる財産はほとんどないこと。
侍女たちは皆、ミュリンが問題を起こすのを今か今かと待っており、おそらくはこの件で彼女は首を切られ、聖女候補の資格も失うこと。
そうなれば、二人がこれまでの生活水準を保ったまま暮らせる仕事はほぼ見つからないだろうこと……。
「――そうね、勝ったんじゃない?」
アデリアは笑い、扉を閉めた。
部屋の中の空気は淀んでいたが、彼女にとってそれが勝利の味だった。
***
それから一週間後。
ミュリン・ミレーヌ男爵令嬢は予想通り侍女をクビになり、それに伴い聖女候補からも外された。聖女にもっとも重要な信心深さと倫理観の欠如によって。
ミレーヌ男爵は怒り狂い、ミュリンを戸籍から抹消。庶子としての立場さえ失った彼女はこれからはレオナルドの寵愛だけを頼りに生きていくことになる。
それからレオナルド・レオニードは残念ながら伯爵家を追い出された。
元々、コンウェールド伯爵家との縁組のためだけに在籍していたようなものだったのだから当然のことである。
二人はこれからどうやって生きていくのだろう?
案外、逞しく生きていけるのかもしれなかった。
婚約破棄も順当に済み、噂を広げられたくなかった伯爵家が最速で振り込んでくれた慰謝料のおかげで個人資産も潤ったアデリアにとっては、もはやあずかり知らぬことである。
――王宮の侍女用休憩室。
普段なら数人が交代で軽食を取る程度の場所だったが、その日は珍しく長机が中央に寄せられ、そこに白いクロスまで敷かれていた。
厨房から失敬された銀の盆に乗る焼き菓子、ペストリー、ケーキ、果物。それから純白のポットになみなみと満たされた香り高い紅茶。
かちゃんと扉が開き、入ってきたのは侍女の一人クラリッサである。
彼女は仲間たちに軽く手を振ると、背後を振り返って笑い声を立てる。
「さ、入って入って――アデリア」
「ええ」
と言いながら入ってきたアデリアは、豪華な食卓の様相に言葉を失った。
「……これは、ええっと」
と、呆然としていると。
侍女たちは目を見かわし、ワアッと一斉に囃し立てる声と拍手でもって彼女を出迎える。
「おめでとうございます!」
「お疲れさまでした!」
「よく言ってくださいました、ほんとに!」
「私、あの女が辞めるまで胃薬を手放さないつもりでした!」
「まあ、座ってくださいアデリア様!」
「本日の主役です!」
一斉にわあわあとまくしたてられ、アデリアは思わず苦笑する。
「まさかこれ、私のための席ですの?」
「その通り。さあさあ座って座って。私たち、あなたに感謝してるんだから!」
クラリッサはアデリアの背中を押し、側面の席につかせた。向かい側に見慣れた顔がずらりと並び、皆微笑んでアデリアを見つめている。
侍女頭補佐のエマ。
王宮厨房との調整役リゼット。
文書管理の担当係マルタ。
ミュリンの直属の先輩だった、ソフィア。
それからそれから。名前があやふやな女性もいる。つい先月入ってきたばかりの新人もいる。
全員、普段は非常に真面目な女性たちだ。笑いはあくまで義務的で、大声を出すなんてもっての他というタイプの人たちばかり。侍女とはそういうものだからだ。
その彼女たちだが、なんだか今日は全員、ものすごく楽しそうだった。
「さーて!」
王立学院時代からのアデリアの友人、クラリッサがワクワクした顔でカップを掲げた。
「ミュリンが怒らせてはいけない人を怒らせたことを祝って!」
「クラリッサ」
アデリアは首を横に振るが、誰も異を唱えない。
「私たち、四か月耐えましたのよ。少しくらい騒いでもいいって侍女頭から許可をもらっております」
ソフィアがやや赤い頬に手を添えながら、紅茶を一口含んだ。
「少しぐらい許されてもいいと思います」
ケーキを切り分けて配り終えたエマが、待ってましたとばかりに身を乗り出した。
「ところでアデリア様。本当に聞きました?」
「何を?」
「ミュリンの『仕事って助け合いですよね♡』」
「ああ……」
アデリアは遠い目をした。
「言っていたわ」
「言ったんですか!」
「ええ」
「はあーっ、寝取った相手の婚約者相手にねえ!」
エマが机を叩いた。
「私たち、あの台詞を聞くたびに心の中で『それは助け合いじゃなくて一方的な搾取です』って叫んでたんですよ!」
「私なんて一度、口から出かかりました」
リゼットが手を挙げる。
「『あなたの仕事を手伝うために私たちの仕事が増えているんですけど』って」
「ひょっとして、たぶんなんだけど」
アデリアはリゼットの真似をして挙手をする。
「言ったら泣くの?」
リゼットは重々しく頷いた。
「泣きます」
「……あー」
全員がじみじみと視線を交わし合い、疲れ切ったため息をカップにこぼす。
「泣くんだ……」
「泣きます」
「ものすごく泣きます」
「そして男性職員のところへ行きます」
「うわ」
「『皆さんが怖いんですぅ』って」
「そうすると、決まって誰かが」
エマが声色を変えた。
「『まあまあ、まだ慣れてないんだから優しくしてやろうよ』」
全員が一斉にため息を吐いた。
「それで、その『まあまあ』の後始末をするのは私たちなんです」
「なるほど……」
アデリアは紅茶を飲んだ。
美味しい。
「それで、昼休みが潰れて、休日も潰れて」
「そうなのよ」
クラリッサが言い、白い粉砂糖がかかったガトーショコラをぱくりと一口。
怒涛のように、侍女たちはつらつらと並べる。
「早出も?」
「休日出勤も」
「なんであんなにわけわからなかったのかがわかんないわ」
「私も」
「私も」
「もう顔見なくていいと思うとほっとする……」
アデリアは眉を寄せた。
「そんなになるまで、どうして誰も上へ報告しなかったの?」
マルタが苦笑し、代表して答えた。
「しましたよ。何度も何度も。それぞれ直属の上司にも、侍女頭にも。総務に突撃かけた子もいます」
何人かが頷いたり小さく挙手したりする。
クラリッサが続けた。
「ただ、『今年度の人員配置はもう決まっているから』って。――最近、王宮と神殿の対立が激しいからね。波風立てたくなかったみたい」
うわ。……はあ。どいつもこいつも。
アデリアは小声で毒づいた。
実のところ、アデリアは本当は侍女たちが怒っているのではないかと思ったのだ。本当なら、彼女たちは自分の口からミュリンに言いたいことを言いたかったに違いない。その権利を横合いから奪い取ったような気分だった。
だが今の彼女たちの顔を見ていると――泥をかぶったのは正解だった、という気持ちになるのだった。
こほん、とクラリッサが咳払いをする。
「それはそれとして、アデリア。その……婚約破棄されたことは、本当にお気の毒だと思うわ。しかもあの女になんて」
「ありがと」
クラリッサは真顔になった。
「でもね、私は学院時代から知ってる貴女があの男と結婚しなくて、本当によかったと思ってるの。幼馴染だからって世話を焼いてやる必要なんてどこにもないわ」
そうよ、と侍女たちも声を上げる。
「同僚だからって、なんでもかんでもしてあげる必要なんてなかったのに……ね」
「そう。今頃気づくのよね」
「渦中にいるときはいっぱいいっぱいで気づかないの」
「全部、アデリア様のおかげ。そう思ってるわ」
「……そうね」
アデリアは手の中の白磁のカップを見つめた。
少し前まで、アデリアはレオナルドと結婚するのが自分の運命だと思っていた。ロマンティックな意味ではなく、そういうふうに生まれ付いたのだという意味で。
親同士が決めた婚約で、幼い頃から知っている相手だから自然とそう思いこんでいた。多少頼りなくても、自分が支えればいいと思っていた。
「私、あのまま結婚していたらきっと、彼の仕事の面倒まで見ていたかもしれないわ。馬鹿みたい」
「アデリア……」
「でも、気づけたからいいの。誰だって、誰かの尻拭いをするためにいるわけじゃないんだもの。他人が自分で撒いた種まで拾ってあげる義務はないわ。次はもっとうまくやる」
「乾杯しましょう!」
突然、エマが立ち上がった。
「アデリア様の新しい人生に!」
「いいですね!」
「賛成!」
「あと、ミュリン嬢の今後の人生に幸多かれと!」
「それは乾杯の理由にしていいの?」
「いいんです!」
皆が笑っている。アデリアも笑ってカップを掲げた。
リゼットが気取った仕草でカップを持ち上げるのに続き、全員がカップを持ち上げる。
「では私たちの、平穏な職場に」
「乾杯!」
「乾杯!」
甘く馥郁とした至福の時間。
「……最高」
と、誰かが呟いた。
そうして王宮侍女たちは、久しぶりに心の底から笑いながらお茶を飲んだ。




