宝石のゆくさき 前編
公爵家の子息、イセル・フェルディオ。
フェルディオ家で唯一の子息である僕は、変人として通っている。
別に間違ってはいない。
社交界で声をかけられても、相手を褒めるどころか、挨拶もせず平気で無視をする。
まるっきりマナー違反だ。
しかもそれを意図的にやっているのだから、両親も周囲の目も厳しくなるばかり。
一部では僕が病気だなんて話も出ているらしい。人の想像力はかくも豊かなのだと思わず笑ってしまったけれど。
「つれない方だ。私にあなたと話す機会が与えられるなら、なんでもすると言うのに。」
目も合わせていない男の、手の甲に触れる唇が気持ち悪い。
そもそも貴族だからといって、定期的に社交の場を義務付けられるのは最も気に入らない制度の一つだった。
こんなもの、元々は王家が貴族を掌握したいだけの場だったはずなのに、派手好きな貴族が各々の社交に勝手に当てはめて常識化しただけだ。
歴史を辿れば、本来そこに意味などない。
「では、ピターケルの定義についてお話でも?」
「は?ピターケル……」
「ああ、残念……ご存知ないようで。先月魔法定理学紙で出た新しい手法ですよ。エンバー侯爵家の嫡男が発表したものです。彼が凄いのは――」
無表情に並び立て、相手の頬がひくついた段階で声を止める。
「次は面白い話題を振っていただけますか。」
抜き取った手をこれ見よがしに手巾で拭いながら言うと、さっと相手の顔色が変わった。
きっと自信のある色男だったのだろう。
僕からすればなんの面白味もない、魅力のない男だ。
相手からしても、貴族の会話すらままならない僕など魅力のかけらもない。
それでも懲りずに話しかけてくる者がいるのは、僕の容姿のせいだ。
父親が金にものを言わせて無理やり奪った母親に似て、自分で言うのもなんだが、見た目は美しい。
たとえ奪ったのが性格の悪い高慢な女だったとしても彼にとってはただのアクセサリーだったから、容姿さえ良ければ何の問題もなかったのだろう。
ただ、それがかけ合わさったことによって一つ問題は生じた。
今は一部の人間しか知らないだろうが。
「さすが、変人だな。」
目の前の男は捨て台詞として言ったつもりでも、こちらは言われ慣れすぎていてなんの痛みもない。
戻った先で囃し立てられている彼を横目に見て、何か賭けでもしていたのだと予測できた。
自分にだけは許される、自分だけは愛される、という傲慢な感情は人間だけが持っているものだ。
彼がもし定理を知っていても、逆説を支持して会話を打ち切るだけなのに。
「イセル様。」
聞こえた低い声にどこか安堵する。
振り返れば、従者のロウが湿った手巾でそっと手のひらを拭ってくれた。
「本日はもう帰られますか?」
静かに聞いてくる彼は下手な貴族より品がいい。
十年前、奴隷として痛めつけられているところを拾ったとは誰も信じないだろう。
その瞳がぎらぎらとしているのを見て、思わずは、と笑った。
この男は僕が貶されるのをよしとしない。態度が悪いのは僕だというのに。
「――帰ろうか。」
ぽつりと呟けば、無表情な顔に嬉しさが滲む。
分かりやすくて、愛しやすい彼のことは割と気に入っている。
同じ馬車内へ、無遠慮にどかりと腰を下ろしたロウは、とても従者には見えない。
他者の目が届かない場所ではそうやって過ごせと言ったのは僕なのだから、その所作よりも至った感情に笑いがでた。
「なに、気に食わない?」
「なんであんたはいつも馬鹿にされに行くんだ。」
護衛も兼ねている彼の立派な体躯で不満気な表情をされると殊の外愛らしい。
はは、と笑えば鋭い瞳で睨まれた。
「別に、馬鹿にもされてないだろう。“変人侯爵子息”に声をかけるのは、遊び足りない子供達のゲームのようなものだ。」
「あんただって、まだ十八だろ。同年代の奴にそう扱われてるのに腹が立たないのか。」
「立たないね。」
幾度となくこのやりとりはしているのに、ロウはそれでも納得いかない顔をする。
「――そうだな、そんなものよりも、ロウの方に興味があるよ。きっと大体、僕と同じ歳くらいだよね。」
物心ついた頃には奴隷として育ったロウは正しい年齢を知らない。
誕生日も僕が決めて勝手に祝っている。
立派な体躯の男の顎の下に、わざとらしく指を添えて顔を近づけるとロウの頬が赤く染まった。
「ふは、」
笑いを堪えるつもりもなくロウの頭を撫でると、恨めしくこちらを見る瞳とかちあった。
「あんなどうでもいい事は僕の人生には関係ないんだよ。――僕の人生は、僕自身が大体決めていられるから。」
「……大体ってなんだよ。」
「全部決まっていては面白くないだろう。余白というものは観客が決めるものだ。」
よく分からない、という顔でロウが黙る。
「……あんたが、自分を大事にしてくれるなら、それでいい。」
「君はいつでもまっすぐだね。」
どこか眩しい心地でロウを見上げた。
目線に戸惑ったように揺れる瞳をいつまでも見ていたい気持ちを押し込める。
「最近朗報があってね。エンバー侯爵家の長男がとてもいい功績をあげたって。」
ロウの隣に移動して、彼の髪を梳く。
車輪の負荷が片方に寄っては馬の負荷もかかるだろうが、今日だけは許してほしい。
「ごめんね、ロウ。もう少しだけ付き合ってくれよ。」
「もう少しって。俺はお前の奴隷で、従者だろ。」
訝し気な視線に温かみを感じて、その肩に頭を預けた。
「そうだね――でも、君はとっくに自由なんだけどね。」
「意味わかんね。」
拗ねたように言うのは、以前から「奴隷でなくても一緒にいる」と言ってくれていたからかもしれない。
****
「アンネ、準備はできているかい。」
「もちろんです、ぼっちゃま。」
「そう、これだよこれ!」
侍女のアンネが準備してくれた衣装を着てロウの前で胸を張ると、予想通り呆れた目線がこちらを向いた。
「あーはいはい。今度は何をしやがるおつもりですか。」
「見て分からない?探偵ごっこさ!似合っているかい?」
くるりと回って衣装を見せると、ロウは不可解な顔をした。
「いま街で流行っている歌劇でね――この風貌の男が、いくつもの難事件を解決するらしい!」
「だから?」
「もう、察しの悪い男だな!だから、僕が名探偵になるために、この格好をしたのさ。形から入るのも大切なことだよ。」
「はあ……格好だけでなれるんだったら、誰でもなれるんじゃないですかね。」
呆れた目線は変わらない。僕は首を振った。
「ごらん、アンネ。ああ言うのがロマンを潰すんだよ。まったくノリが悪いよね。」
「おっしゃるとおりです、ぼっちゃま。」
「おい、やめろ。俺がまともなはずなのに妙な気分になる。」
眉を寄せるロウはいつも誠実で、正直だ。
けらけらと笑うアンネと僕をどうしようもなさそうに見ている。
「さあ、僕は探偵に行くからね。アンネとロウはここで待っていて。」
その言葉で、ロウの顔色が変わった。咄嗟に言葉を重ねる。
「違う、違うよロウ。外には行かない。後継のために、屋敷内の僕にしか入れない部屋に行くから、いくら護衛の君でも行けないんだ。」
掴まれた手首の、手の甲にそっと手を置く。
狙われやすい家柄な分、彼も心配なのだろう。
「大丈夫だから。」
微笑めば幾分か力が和らいで、その隙に手を抜き取った。
「もー、ダメですよ、ロウさん、ぼっちゃまの邪魔しちゃ。」
「ああ……。」
どこか腑に落ちない顔をして、ロウは黙る。
うちの使用人は優秀なようで何よりだ。
果たして、探偵ごっこは成功した。
「お遊びは終わりましたか。」
ぶすくれた顔のロウに出迎えられる。
「ああ、なかなか刺激的な捜査だったよ。」
「それは何よりで。」
「なんせ、僕は十年もこの捜査を行なっていたのだからね、今が集大成といえる……!」
「なんですか、その歌劇は。えらい壮大な設定ですね。」
興味がなさそうにロウが言った。
彼にしてみれば、日中放っておかれた事が納得いかないのだろう。
歌劇にも興味もないのだから、適当に返事をするのが彼らしい。
「そうだね、歌劇も人生も、面倒なものがストーリーを動かすのさ。名探偵イセル!どうだい、ちょっとは様になってるだろう?」
虫眼鏡をロウに向けると、面倒くさそうな顔をしながら頭を撫でられた。
「へーへー。ゴシュジンサマは有能で名探偵ですよ。」
何だかんだ言いながら、いつも付き合ってくれるロウが可愛い。
「ロウ。命令だよ。ハグをして。」
「あんたはまともな命令をしないな……」
言いながら、抱き止めてくれる腕はどこまでも柔らかい。
まるで、大切なものを扱うかのような。
がっしりした体躯の、大きさに包まれると安心する。
こういうのを包容力というのだろうか。全てを丸ごと、今の間だけ許された気分になる。
「ロウ、いつもありがとう。」
「……俺だって、あんたに感謝してる。」
照れ屋なロウは、それでもこういった事には正直だ。
笑うと腕の力が強くなって思わず背中を叩いた。
「ロウ、少しだけ苦しい。」
「いいんだよ、少しは俺の気持ちも分かるだろ。」
その言葉に温かい気持ちになった。
ここ最近の彼は何か違和感を感じているのかもしれない。
「ずっとあんたの傍にいたい。」
「熱烈だね。」
まっすぐな男の、まっすぐな言葉は、いつでも僕の押し込めた気持ちを浮上させる。
少しの痛みと悲しさをともなって。
***
自分で言うのもなんだが、僕は寝起きが悪い。
「――きろ! 起きろって言ってんだろ、くそ!」
だから、焦ったようなロウの声も耳に届くのが時間がかかった。
ぼんやりと焦った彼の顔を見つめながら、抱きかかえられてどこかに連れて行こうとするのに焦って声を上げた。
「まって!」
「なんだよ!」
「分かってるから!!」
その言葉一つで、彼の力が抜けた。
笑ってロウの肩を撫でる。
「分かってるから……」
重ねれば、くしゃりと歪む顔に、こちらまで泣きたくなった。
大丈夫だと伝えたくて彼を抱きしめた。
怒号のような声が屋敷中に響いている。
きっと、そろそろ父と母が捕縛された頃だろう。
「僕は意外と頭が良かったからね……」
一言言えば、俯いた頭が「なんだよ」と続きを促した。
「だから、うちの公爵家がどれだけ腐りきっていて、この国に不要なものなのか、分かってしまったんだ。」
ぱっとこちらを見たロウの瞳は濡れていて、胸を締め付けてきた。
「つまりね。この状況は僕が作り出したんだ――ごめんね、ロウ。」
「なん、で、謝る、んだよ。」
さらりとした黒髪を撫でて、瞳を閉じた。
家族のことより、実は今が一番辛いかも知れない。
「他の使用人には新しい雇用主を紹介して、昨日までに移ってもらっている。早めに言ったのに、結構みんな義理堅くてね。」
ロウは、はっとして顔をして、胸ぐらを掴んできた。
「俺……!言ったよな、最近人が少なくねえかって!!」
「うん、言ったね。そして、僕は気のせいだよって、故郷に帰るのが重なったって嘘をついた。」
平然と答えると、なぜだと言う強い視線が視界を焼いた。
「仕方ないじゃないか。」
つい言い訳のような声音になってしまった。
「僕が持っているものの中で、唯一価値があるのは、君しかいなかったんだ。」
揺らぐ瞳が痛々しい。
指の腹に呪文を唱えて、首輪に触れた。
「君のことだけは、今まで諦められなかったんだよ。――だから、最後まで付き合わせて、ごめんね。」
ロウの首にあった奴隷の証が、かしゃん、と音をたてて落ちる。
「これで、君は自由の身だ。どこへでも行けるよ。性質の悪い人に捕まらないようにね。」
「嬉しくねえよ!!」
ロウが叫んでも、僕の心は動かない。
すべて、想定していた事だった。こうなったのは、最後の僕のわがままだ。
「俺が解放されたいと思ってたのは、クソみてえな奴の時の話だ。お前なら、別に、」
「だめだよ。」
ロウの泣きそうな顔に胸が締め付けられる。
「君は自由になるんだ。最後の、命令だよ。」
自由と言いながら、命令をする。その矛盾に僕も気づきはするけれど、彼は何も言わない。
「僕を憲兵に引き渡して。」
いつもあっさりと敵を倒す太い腕が目元を擦るのをぼんやりと眺めた。
この光景だけで、僕は死を怖がらずに断首台に立てるかもしれないと馬鹿みたいな事を思う。
だから、今は許されるような気分で、頬に唇を寄せた。
「僕の宝石――いい、人生をね。」
そこから捕縛されるまでの数分、震える彼の腕の中で僕は今までになくいい心地だった。




