磁力 これは……不可抗力
次の階層に足を踏み入れると、空気が一変した。
潮の香りは変わらず漂っているが、どこか蒸し暑さが増し、足首を濡らす海水も少し温かい。岩壁の間から湯気のように白い靄が立ちのぼり、足元の貝殻は小さくぱちぱちと音を立てていた。
「わぁ……ちょっと温泉みたい。あったかい」
フィノが足先をぱしゃりと動かすと、水面がきらきらと光った。
「ほんとだね。海底温泉でも湧いてるのかな?」
リーナはのんびりした声で笑う。
「なんだか身体がぽかぽかしてきたし、ここなら疲れも癒えそう」
「えへへ……ダンジョンの中なのに、少し楽しい」
フィノの表情がほころび、肩の力が抜けている。
そんな空気を破ったのは、岩陰から現れた大きな影だった。
甲羅に宿を背負った巨大なヤドカリ。だがただの甲羅ではない。岩肌に赤黒い鉱石が混じり、ところどころ青白い光を帯びている。
「……あれ、磁石みたい」
「気をつけて。あの光、ただの飾りじゃなさそうだよ」
ヤドカリは鋏を振り上げると、ぶわっと青い電磁のような光を散らした。
次の瞬間、フィノの手にあった短剣が「ガンッ!」と反発し、腕ごと弾かれた。
「うわっ……!」
ヤドカリの甲羅が青白く光を放ち、フィノの剣がぐんと強く引かれる。
「ま、待って……っ!」
反発するはずの剣は逆に前へと引きずられ、抗う間もなくリーナの剣に……いや、彼女の腰へと吸い込まれていく。
……ドンッ。
次の瞬間、フィノの顔は柔らかい何かに深く沈んでいた。
「んぐぅっ!?!?」
そこはリーナのお尻だった。
布の上からでもはっきり分かる、丸みと厚みを帯びた感触。ぐにゅっと押し返す弾力と、じんわりと伝わる温かさが、息苦しいほど顔全体を包み込む。
「ふふ……フィーくん、くっついちゃったね」
リーナはまるで気にした様子もなく、腰を小さく揺らした。
「む、むぐっ!? んん~~っ!」
フィノは目を見開き、必死に身を離そうともがく。しかし剣同士は磁力で強固に繋がれ、びくともしない。
顔の両側を柔らかな質感がすり合わせ、さらに深く押し込まれる。
ほんのり甘い匂いが漂ってきた。石鹸とも、花の香りともつかない、リーナ自身の香り。湿った洞窟の空気に混じって、妙に鮮明に鼻をくすぐる。
鼻先が布越しに沈み込み、吸う息すべてにリーナの匂いが染み込んでいく。羞恥と同時に、胸の奥が妙に落ち着いていく感覚があった。
「大丈夫、大丈夫……お姉ちゃんのお尻、やわらかいでしょ? 安心できるよね」
彼女のからかうような声とともに、腰がくいっと前後に動く。柔肉の弾力に押し潰されるたび、フィノの頭は撫でられているように包み込まれる。
「ん、んむぅ……! お姉ちゃ、やめ……っ!」
情けない声を上げても、声はほとんど布と肉に吸い込まれて外へ漏れない。
リーナは振り返りもせず、笑みを含んだ声だけを落とす。
「かわいい……もう大丈夫だよ。だから今は、お姉ちゃんに甘えてなさい」
お尻に顔を埋められたフィノをそのままに、彼女はヤドカリに向き直る。剣をひらりと振ると、磁力を放っていた鉱石ごと、鋏も甲羅も一刀で断ち切った。
甲羅も鋏も光とともに砕け散り、残骸が水面に沈んでいく。戦いは終わった。
だが磁力はまだ解けない。
フィノは柔らかく甘い香りにすっぽりと包まれたまま、必死に身じろぎを続ける。
「んぅっ……! んんん~~っ……!」
「ふふ……ほら、落ち着いて。……顔を真っ赤にして、可愛いね。苦しくないように、もう少し揺らしてあげる」
リーナは腰をさらに左右にすり合わせ、フィノの頬と鼻先をゆっくり撫でるように扱う。
羞恥で心臓が爆発しそうなのに、柔らかさと匂いに溺れ、思考がうまく働かない。
ようやく光が収まり、金属の拘束が解ける。剣が離れると同時に、フィノは水面に手をつき、顔を赤くして大きく息を吸った。
「ぷはぁっ……! はぁっ、はぁっ……!」
リーナはそんな彼の背を撫で、微笑んだ。
「ふふ……可愛かったよ。……柔らかかったでしょ?」
「~~~っっ!!!」
耳まで真っ赤にしながら、フィノはただ顔を伏せて震えるしかなかった。
リーナはフィノの手を握り、にこっと微笑んだ。
「次は、ちゃんと手を繋いでいこう? そうすれば、もう吸い寄せられないから」
恥ずかしさで声にならないまま、フィノはただ頷いた。
手を握り返しながら、二人はまた次の階層へと歩き出した。
十三階層
磯はそのままに、海水が少し温かくなる。
この前後の階層では、海の風景に相応しいモンスターが襲ってくる。
モンスターはどんどん強く、特殊な攻撃をしてくるようになるが、この温かい海水は少しだけ冒険者の体を休めるいい機会だろう。