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難聴 突然に始まり突然に終わる

 次の階層に足を踏み入れた瞬間、フィノは水音に驚いて足を止めた。


 浅い……これまでの湖や湿地のように足を取られる深さではなく、膝のあたりまで透明な水が広がっている。水面は穏やかで、光を反射してきらきら輝いていた。


「わ、わぁ……」


 フィノは感嘆の声を漏らし、水面に映る光の揺らぎを眺める。


「さっきまでの階層と違って、歩きやすそうだね。膝くらいまでしかないし」


「そうだね」


 リーナはすらりとした足を水に浸しながら微笑んだ。水が揺れるたびにきらめきが跳ね、幻想的な光景が広がっている。


「こういう浅瀬なら、ちょっとした水遊びもできそう」


「え、水遊び?」


「ほら、水をぱしゃーってかけたり」


 リーナは両手で水をすくう真似をして、悪戯っぽく笑った。


「わっ、やめてよ、お姉ちゃん!」


 フィノは慌てて両手を振ったが、その表情は楽しげだ。


 そんなのんびりしたやり取りをしていると……

 頭上で、ばさばさと羽ばたく音が響いた。


「っ……!」


 フィノは咄嗟に短剣を抜き、天井を仰ぎ見る。そこには、無数の黒い影がぶら下がっていた。翼を閉じて眠っていたが、二人の声に反応したのだろう、次々と目を覚まし、甲高い鳴き声を上げる。


「コウモリ……!?」


「数が多いね。しかも、あの鳴き方……」


 リーナが言葉を続けるより早く、突如として鋭い超音波が辺りに響いた。空気が震えるような圧に、フィノは耳を塞ぐ。


「っ……ぐ……!」


 耳の奥に鋭い痛みが走り、頭がくらくらする。次の瞬間、音が消えた……正確には、聞こえなくなったのだ。


「え……? な、何も……聞こえない……」


 フィノは動揺し、必死に周囲を見回す。リーナの声が聞こえない。水の音も、羽音も、何一つ。

世界から音が失われ、ただ沈黙だけが支配する。胸が締めつけられるような不安に襲われ、呼吸が早くなった。


 そんな彼を見て、リーナはすぐに駆け寄った。


「……フィーくん!」


 もちろん、彼にはその声は届かない。それでもリーナは優しく抱きしめ、背中をぽんぽんと叩いた。体温が伝わり、少しだけ恐怖が和らぐ。


「大丈夫、大丈夫だよ」


 耳に届かなくても、唇の動きと抱擁の温もりが安心を与えてくれる。フィノはぎゅっとリーナの服を掴み、震える体を彼女の胸に預けた。


 その間にも、コウモリたちは超音波を放ちながら襲いかかってくる。だが、リーナは片手を伸ばすと、指を弾くようにして軽く振るった。

 次の瞬間、無数の刃のような光が放たれ、頭上のコウモリを次々に貫いた。きいきいという声も、フィノには聞こえない。ただ、影が水面に落ちて消えていくのが見えた。


 あっさりと片付けたリーナは、再びフィノの頬に手を添える。


「もう危険はないよ。だから、安心して」


 フィノは小さく頷いた。だが、不安は完全には消えない。音のない世界に閉じ込められる感覚は、思った以上に心細い。


 そんな彼を見て、リーナはくすっと笑った。


「よし……じゃあ、試してみよっか」


 そう言うと、フィノの耳にそっと指先を添えた。柔らかい耳介をかりかりと撫でる。


「くすぐったい?」


 音は届かない。けれど、口の動きと、触れる感触で意味を理解できた。フィノは目を瞬かせ、少し赤面する。


 次は反対の耳に顔を寄せ、唇を近づけた。


「フィーくん、大好きだよ」


 聞こえないはずの囁き。けれど、耳にかかる吐息の感触が妙に鮮明で、思わず肩が震える。


 リーナはそんな様子を愛おしげに見つめ、耳にこしょこしょと囁く。


「ふふ……可愛い反応」


 ……そのとき。


 耳の奥に、急に音が戻ってきた。水の滴る音、リーナの吐息、鼓動の速さ……一気に押し寄せるように世界が音で満たされる。


「ひゃっ!?」


 突然の刺激に、フィノは声を上げた。リーナの囁きがそのまま鼓膜を打ち、全身に電流のような快感が走る。


「ふふっ、戻ったみたいだね」


 リーナは嬉しそうに微笑んだ。


 だが次の瞬間、彼女はフィノの耳元にさらに顔を寄せた。わざと、囁き声を耳に流し込む。


「ねぇ、フィーくん。……『お姉ちゃんが一番好き』って、もう一回言って?」


「っ……!?」


 急に戻ったばかりの聴覚に、甘やかな吐息混じりの声が突き刺さる。フィノは真っ赤になって跳ねるように肩を揺らした。


 リーナはそんな反応に満足したように微笑み、今度こそ耳から離れた。


「よし、これで解放。ふふ……ほんとに可愛いなぁ」


「も、もう……お姉ちゃん……」


 フィノは顔を真っ赤にし、耳を両手で隠した。


 リーナは楽しげに笑いながら、その手ごと包み込むように抱きしめる。


「さ、行こう? でも、また耳が寂しくなったら、何度でも甘やかしてあげるからね」


 照れくさくて何も言えないフィノは、ただこくんと頷いた。

 二人は水を蹴りながら、次の階層へと進んでいった。

第十階層

地底湖の水によって鍾乳洞が構成されている。

地中に染みこんだ水が溜まって地底湖を作る。地底湖の底に穴が開き、地底湖の水から鍾乳石を、この階層の空気が前階層の空気ポケットを作るという繋がりがある。

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