序章 始まりの洗礼
一人の少年が、武器屋から出てくる。
革の胸当てをきつく締め直し、少年フィノは深呼吸をひとつした。
腰には買ったばかりの剣、背中には小さなリュック。鏡に映った自分の姿を見た時は少し頼りなかったが、今は胸が高鳴って仕方がない。
「よしっ……!」
意気込みと共に声を上げ、少年はダンジョンの入口へ足を踏み出す。
洞窟の中からは冷たい風が吹きつけ、地上の明るさとは一転して暗く湿った匂いが漂ってきた。足元の石畳は苔むして滑りやすそうだが、フィノは臆せず進む。
胸の奥にあるのは期待と不安。
だが、今日はずっと夢に見ていた冒険者としての初めの一歩だ。勇敢で頼もしい自分を、ここで証明しなければならない。
通路を進むにつれて、松明の光が揺れ、奥から低い呻き声が響いてきた。
フィノは剣を抜き、喉を鳴らした。
「……出てこい!」
現れたのは、緑色の肌をした小柄なゴブリンだった。黄色い牙を剥き、粗末な棍棒を握っている。決して強敵ではない……はずだ。
「これくらい、倒せる……!」
勇気を奮い立たせ、フィノは駆け出した。
短い剣が風を切り、ゴブリンの腕をかすめる。小さな悲鳴。血が滲む。初めての手応えに、胸が高鳴った。
しかし……ゴブリンの叫びに呼応して、通路の奥から複数の足音が迫ってくる。
二体、三体、いや四体。続々と仲間が現れ、フィノの前を塞いだ。
「な……!?」
冷や汗が頬を伝う。
数に押され、必死に剣を振るうも、動きはどんどん雑になっていった。棍棒が肩をかすめ、鈍い痛みが走る。呼吸は乱れ、足は重くなる。
「くっ……やめ……!」
声が震えた。恐怖が胸を支配していく。
勇敢で頼もしい自分を証明するはずが、現実はあまりに残酷だった。剣を握る手が汗で滑り、ついに武器を取り落としてしまう。
棍棒が振り下ろされる。視界が狭まり、フィノはただ目をつむった。
……その瞬間。
「危ないわねぇ」
涼やかな声と共に、金色の閃光が走った。
次の瞬間には、ゴブリンたちがまとめて吹き飛ばされ、通路の床に転がっていた。信じられない光景に、フィノは呆然とする。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。栗色の長い髪を揺らし、のんびりとした笑みを浮かべている。手には剣を握っているが、先ほどの一撃はまるで遊びのように軽々と放たれたように見えた。
「……え……?」
「よく頑張ったね。怖かったでしょう?」
女性……リーナは、立ち尽くすフィノに近づき、頭を優しく撫でてきた。
その手の温かさに、張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れる。
「……う、うう……」
情けないと思いながらも、フィノはこらえきれずにリーナの胸元に顔を埋めてしまった。震えを隠せない。涙までにじんでくる。
「ご、ごめん……僕、全然勇敢じゃなくて……」
「ふふっ。いいのよ。弱いところも、かわいいんだから」
囁きかける声はあまりに優しく、フィノは抗えなかった。
涙を拭い、ようやく呼吸を整えたフィノは、気まずそうに視線を伏せた。
「……あ、あの。助けてくれて、ありがとう」
女性はにこりと微笑んだ。
「どういたしまして。私はリーナ。こう見えて、ちょっとだけ戦えるのよ」
“ちょっとだけ”という言葉に、床に転がるゴブリンたちが全力で否定していた。
「ぼ、僕は……フィノ。まだ駆け出しの冒険者で……でも、負けちゃった……」
語尾が小さくなる。悔しさと情けなさで、言葉が消えていきそうだった。
しかしリーナはそんな彼の頭を軽く撫で、柔らかく言った。
「うん、よく頑張ったね。ちゃんと立ち向かったんだから。でも、無理はしなくていいの。これからは一緒に頑張りましょうね」
その言葉に、フィノの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……うん!」
互いに名前を知り、並んで歩き出す。
薄暗いダンジョンの通路も、二人ならそれほど怖くなかった。
こうして、少年は一人で戦う勇敢さを失った代わりに……
守られ、甘えることを知ってしまった。
「さぁ、一緒に行きましょう? 大丈夫、私がいるもの」
差し伸べられた手を握り、フィノは頷く。
その瞬間から、彼の冒険は一人きりの戦いではなくなった。
リーナと共に進む、少し不思議で甘やかなダンジョン探索が始まったのだ。
キャラクター紹介
フィノ
今作の主人公。年齢は12歳で、背は150cm前半。リーナと出会う前は自信たっぷりであったが、はじめての冒険で負けて自信を失い臆病に。この物語でどう成長していくのか……