1‐3
中庭から、建物の中に入る。縁側から、客室の一つに入った。古びた畳の中央に黒いちゃぶ台が置かれただけのショボい部屋だ。そこで空は動いた。
フワッと身体が浮いた。持ち上がられたとか、足に何かを掛けられたとか、そんな感覚は一切無い。まるで風か煙に身体が溶けるみたいに身体を掬い上げられ上下の感覚を失った。しかし床は硬く、打ち付けられた背中が痛い。
「い…ッつ…」
空は少年の胸に尻を置き、こめかみにクナイを突き付ける。
「ごめんね。手荒な事はしたくないんだけどさ。ちゃんと答えてくれるなら、お前の事も此処から逃がしてやるよ。悪路王はどこに居る」
何の感慨も無い、と言った顔だ。無表情のままただ天井を見上げ、「はぁ…」と小さく息をつく。
「それが脅しになると思ってる?」
「外に居るのは浸度0。魔物の中の最強格だ。理解出来てるか? ハミダシを他者に植え付ける事が出来るヤツだよ。熊さんとヤる趣味は、流石に無いだろう」
「…興味ないな。どうでも良い。君に話すような事は何も無い。君こそさっさと逃げた方が良い。君と此処で死んでやる気も無い」
「……興味ないって」
(自暴自棄なのか…?)
「もう一度聞く。悪路王はどこに居る」
「君の国は何処に在る? 忍び込むにはどこからが一番良い。頭領の名前は? 容姿。得意な戦術。家族構成は」
「……………」
「此処にはもう俺一人。だがそれでも俺はこの街の人間だ。何も言わないし、言う必要も無い。少なくとも此処には、君が求める者は居ない」
「……悔しくないのか」
「ああ。別に」
「お前を見捨てて逃げた奴らに、見返してやろうとか、何も思わないのか。外の町が分かるか!? 1000年前の景色があそこにあって!! 皆があれを取り戻そうと1000年間戦争を続けている!! それを棄てたんだぞ!! 今はお前だけだ。お前はまだ街の誇りを棄てないなら、俺はその希望に成れる!!」
「ホントに厄介だな…。俺は君に何も望まない」
「逃げた奴らの中に家族は居ないのか。まだ何処かでお前を大事に思っている奴が、お前の帰りを待っているヤツが、居るかもしれないだろ…」
「お優しいな…。君は。その優しさがあれば、きっと大勢の人間を救う事が出来るさ。俺は誰も救えない。俺は何者にも成れない役立たずだ。だからここに一人で居る。だから置いて行かれた。君もさっさと逃げろ。手遅れになる」
「……………」
胸倉を握る手が熱く煮えそうだ。その手に触れた少年の手は冷たく、緊張どころか恐怖すらも無い。
「怖くないのか…」
「なに?」
「お前は、怖くないのか…。死ぬのが」
「別に?」
「俺は、凄く怖いぞ? 人が死ぬのも、自分が死ぬのも。こんな場所で、悪路王に護られていたから分からなかったんだろ。この世界の人間は、皆何処かで震えながら明日を待ってる。その日生きている奇跡に感謝しながら毎日必死になってる。俺もだ。毎日、毎日、いつ故郷に魔物がやって来るのか怖くて、ビクビクしながら生きて来た。だから毎日鍛えた。ずっと鍛えた。生きる為に。負けない為に。だから、魔王を倒したいんだ。魔王を倒せばもうその心配だって無くなる。魔王を倒せば皆が本当の笑顔で笑って、友達と外に遊びに行けるんだ。だから、頼むよ…。一緒に逃げてくれ。お前だって、今はそんな気持でも、生きていて良かったって、外の世界を見ればきっと、そう思えるよ。もしも悪路王がお前を拒んだとしても、俺が話しを付けるさ。だから…」
何を考えているのか全く分からない。無の表情をしていた。
「…………」
(雨…)
「くっ…」
空は退いた。彼に言葉など通じない。彼の感情がまるで読めない。もはや死を受け入れた彼に、死の脅しなど何の意味も無い。
ペタッ…
紙を床に並べる音がした。タロットカードの束を傍らに置いて、1枚1枚捲っては、並べる。少年は片肘を立ててそれを眺める。
「占いが出来るのか」
「……少しはな」
「なら要らないだろ。悪路王なんて」
「…俺は村で一番弱い」
「ならそんな事するよりも、この建物の中でも探した方が手掛かりが見つかるんじゃないのか?」
「なんだよ。それは赦すのか」
「俺は何も見てない」
「…なら教えてくれないか」
「断る」
「……そうさせてもらう」
腰を上げた空は、襖を開いて、廊下を歩いた。
「…ふんっ」
外では熊が周囲を歩き回り、塀を壊そうと頭突きを繰り返しているが、堅牢に作られた塀を壊すにはまだ時間が掛かるようだ。
「……餓死する方が先だな。アイツ」
もう、長い年月使われておらず、埃を被った箇所が目立っていた。太陽の光に煌めく埃が泳ぐ2階へ続く階段を登る。薄暗い部屋の中、特に豪華な壺が並ぶ廊下の奥に一段と大きな扉がある。
「悪路王…」
頭首の部屋だろう。扉は閉ざされていたが、空の槍は軽く鍵を壊し、開く事が出来た。大きなベッドが1つ。クローゼットの中には、女物の着物と下着。男性用のものも同じ数だけ並んでいる。
「…………好色」
「?」
文机がある。引き出しを開いた。その時、心臓が飛び出しそうになるほどに驚き「ぎゃあ!」声を上げてしまう。
面だ。
女の顔に作られた面が幾つか仕舞われている。
「…なんだこれ。はぁビックリした」
「何か見つけたか?」
「ぎゃあ!!」
「うるせぇな…」
ぼろ雑巾のような着流しを纏う少年が背後に立っていた。柱に身体を預け、腕を組むと、呆れたように項垂れる。
「…随分と、女が好きだったんだな」
「…なぜそう思った?」
「クローゼットに女の服が沢山。サイズもまちまちだ」
「……クローゼット?」
「箪笥だ箪笥。それ」
「…………」
声が向いている方向に足を進める。扉を開き、そして気付いた。一着の着物を手にして、そっと撫で、頬に当てる。
「……知り合いか?」
「……関係ない」
「なるほどな。鍵を開けたかったんだろ」
「……」
「そうじゃない」
「嘘を付くな。それ、誰なんだ」
「…許嫁だ」
「許嫁?」
「…この街では、生まれながらにタロットカードを宛がわれる。物心が付いた時に、占いによって、相手を決める」
「……へぇ。…それがなんでこんなところに。ん? 悪路王って女なのか」
「違うよ。そうじゃない。ったく。君に話すような事じゃない」
「……取られたのか」
「………るっせぇな」
「ちょっとがっかりだな。もっと誠実な王だったら良かった」
「誠実…。そうだな」
「ハッ。なんだ。嫌いだったのか?」
「………………」
「図星か。つまるところ、婚約者を取られて、置き去りにされて逃げられた。だから自暴自棄になってたんだな」
「黙れ」
「取り返したくないのか」
「黙れと言ってるんだ」
「手伝ってやる。あぁいや、お前みたいな腑抜けには、結局取り返すなんて無理か」
「いい加減にしろと言っているんだ。ガキが分からないのか」
「漸く少しお前の事が分かって来たところだ。こんなところで止められるか。気持ちは確かめたのか。ちゃんと好きだと伝えたのか。悪路王とはどんな関係だったんだ」
「…………いい加減にしないと、そろそろキレるぞ」
「ほぉ? それが脅しになるとでも思ってんのか。もう一度聞く。悪路王はどこに居る」
「…………………」
「…………………」
眼力が全身に伝わる。この睨み合い、先に折れたのは、少年の方だった。大きく息をついた。
「こっちだ」
「すぅ…」と息を吸って、安堵する。
「お前、名前は?」
「【高丸】」
「ふぅん」
高丸は1階、客室の廊下を真直ぐに歩くと、奥に料理場がある。勝手口の前に立った。
「この先に居る」
「この先?」
「ああ」
扉を開いた。そこには、だだっ広い明き地がある。
「まさか…」
薄黄色の大地が一定の感覚で楕円形に盛り上がっている。大きさにして丁度、人間くらいのサイズだ。
高丸は、その一番奥を指差した。桜の木の麓に小さな膨らみがある。
「アレが、この街の長。【悪路王 金丸】だ。掘り起こせば、納豆が出て来る」
「一体、いつ…」
「あの、遠くに山があるのが分かるか」
「? あ…あぁ…」
「2年くらい前か。大雨であの山で土砂崩れが起こってな。山に囲まれたこの地形に、もっと外の空気が流れ込むようになった」
「…病気か?」
「アイツは真っ先に死んだよ。土砂崩れの後、1週間後には10人が病床に伏した。アイツは遅かったが、数日後には悪化し、血反吐を吐いて死んだ」
「悪路王が、悪路王ほどの奴が、気付けなかったのか…?」
「ああ。気付けなかったんだろう。それか気付いていても、変える力と勇気が無かったんだ」
「じゃあお前は」
「気付いたさ。伝えもした。…だが、俺の占いなんて誰も信じやしない」
「その為に、タロットカードで占うんじゃないのかよ!」
「…………」
「占わなかったのか」
「当たらないんだ」
「何?」
「……俺が病気を知ったのは5年前。…その1年後、4年前。それくらいを境にな。俺の占いが、めっきり当たらなくなった。それはもう、全く。雨と思えば晴れ、良い日になると思えば、女を取られた。ハハッ」
「許嫁もか」
「さあ。死体も見つかってない。アイツは変わり者でね。いつも街を出ては、フラッと帰って来て怒られてた。…かくれんぼが好きで、いつも俺が見つけてた。でも4年前からはもう。愛想を尽かされ、アイツは俺の元を離れ、会話もしてくれなくなった。気持ちなんてもう分かり切ってるんだよ。アイツは、金丸の妻だった」
「じゃあお前は、一体なんなんだ。お前は何者だ」
「此処はかつて、一人の男とその愛人三人から始まった。それ以来、新しい血を入れず、近親的に世代を繋ぎ続けたんだ」
「近親で…って…」
「金丸の隣は確か【元美津】。【悪路王 元美津】。金丸の実の姉に当たる、金丸の妻だ。その隣が、確か【芹】。【悪路王 芹】。えっと、金丸の従姉の兄の娘だったかな。近親的に子供を作るとな。どうしても、異常が出るんだ。生まれつき目が見えなかったり、免疫力が弱かったりな」
「…じゃあ、お前は」
「俺は金丸とは結構遠い。だが俺も悪路王。【悪路王 高丸】」
「悪路王高丸…」
「お前が望みはもう死んだ。此処に居るのは女を取られていじけ散らかしているただの腑抜けだ。さぁ、分かったらもう消えてくれ。俺は寝る」
「高丸」
「まだあるのか」
「俺が此処に、俺を導く占い師が居ると占ったのは、3日前だ」
「お前の実力で何が分かる」
「伝えたんだろ。彼女に、病気の事」
「……ああ」
「もし生きていたら、彼女はお前を信じたって事じゃ無いのか。此処に居ないなら、生きてるかもしれないって、何故そう思わない」
「……もう何も言うな。俺はこの街の人間として、この街で死ぬ」
「死ぬなら、誰かの役に立って死ねよ。精一杯生きて死ねよ。彼女は待ってるぞ。きっと。お前とまた会う為に」
「…………下らない」
「この捻くれ者」
「ああ。だから愛想尽かされた」
「でも、お前は待ってた。此処で、帰って来ると思って、此処で孤独に耐えて待ってた。違うのか」
「…………いい加減にしろと何度も言わせるな。俺はお前に何も望まない。俺の傍じゃ、お前は勇者にはなれない」
「俺は、捻くれていても、そんな誠実な奴が好きだ」
「………………」
「高丸。俺と勝負しろ」
「雑魚が粋がんなよ」