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孤絶の嶼  作者: 吸坂路庵
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第一章 招

 白い海霧が、ゆるやかに水平線を呑みこんでいた。

 甲板に立つ者の鼻先を、潮気の混じった冷気が掠める。

 季節は初秋。にもかかわらず、空は鉛を流したように重く、肌寒い。

 それでも、波を滑る小型船の船首には、黒衣の男がひとり静かに立っていた。


 クレイグ・ファーン。

 王都ザル=フィエルの錬金術師ギルドに籍を置く男。

 物静かで、礼節を守り、いつも感情の襞を包み隠したような佇まいをしている。

 その彼が、突然、ある招待状を受け取った。

 送り主は、侯爵家の落胤であるという、今は亡き貴族の血を引く男――ギルベール・エスパーダ男爵。

 彼が主催する「小さな晩餐会」への招待状だった。


 場所は〈タナトス岬〉の沖に浮かぶ小島――かつては「光の祠」と呼ばれ、修道院が建っていたという伝承の地。

 だが今は、地図にも載らぬ忘れられた島、通称〈しま〉。


 地元の漁師たちの間では、「嶼に渡ると戻れない」という迷信すら囁かれていた。


 クレイグの目的は、男爵家に代々伝わるという、禁忌の錬金術文書を査定することにあった。

 招待状の末尾に、意味深な追伸が添えられていた。


 ――“あの方の〈遺志〉が、そなたを望んでいる。嶼にて、待つ。”


 波に揺られて数時間。

 小船は、断崖を切り立たせた灰褐色の島影へと、ゆっくりと近づいていく。


 外界との連絡手段は、この島に渡った瞬間から断たれる。

 魔導通信は干渉を受け、転移術も封じられ、潮の流れは季節風に阻まれ船の往来もできなくなる。


 すなわち、ここは完全に孤絶した空間。


 この嶼から、誰も逃れられぬ――死ぬことさえも、運命づけられた者たちを除いては。


 


 島に着いたのは、霧が少し晴れかけた正午近くだった。

 桟橋の先に佇む石造りの門塔が、霊廟のように静まり返っている。


 クレイグを含む七名の来訪者は、ひとりずつ小舟に分乗して島へと上陸した。

 招かれた者たちは、職業も階級もばらばらだったが、いずれも王都では名の知れた人物ばかりだ。


 その面々を、クレイグの目を通して順に紹介しておこう。


 


◆ ルベール・リヴォル(王都監察官)

 白銀の髭を蓄えた威圧的な男。司法局の高官で、政敵の不正を暴く辣腕として知られる。

 常に警戒心を剥き出しにしており、招待状の内容にも強く疑念を抱いている様子だった。


◆ サラ・フォンティーヌ(神学博士)

 法王庁に仕える聡明な女神学者。

 厳格な黒衣に身を包み、寡黙な物腰の奥に冷たい光を宿す瞳を隠していた。

 かつて修道院で禁忌の魔導典を調査した経験を持つ。


◆ レナルド・エルヴァイン(元騎士)

 剥き出しの剣を好まぬ元王国騎士。

 気性は荒いが情に厚く、今回の招待にはある「個人的な目的」があると噂されていた。


◆ メイベル・クローディ(薬品商)

 下町の薬舗をいくつも経営する実業家。

 快活な口調とは裏腹に、薬物や毒の知識に通じており、錬金術にも浅からぬ関心を示していた。


◆ ギルベール・エスパーダ(主催者)

 今回の舞台である「嶼の館」の所有者。

 亡き侯爵の庶子であり、世間からは奇人として半ば忘れ去られていた存在。

 島の主だが、上陸時にはその姿を現さなかった。


 


 そして――

 最後の一人として名を連ねるのが、クレイグ・ファーンである。


 彼はこの中ではもっとも目立たない存在でありながら、

 静かに周囲を観察し、誰よりも早く“異常”の兆しを感じ取っていた。


 


 館に入るとすぐ、扉は背後で重く閉ざされた。

 魔導で封印されたその音は、まるでこの世の外へ閉め出されたような響きだった。


 


 晩餐はその晩、開かれた。

 だが、主催者のギルベールは姿を見せなかった。

 彼の代わりに給仕を務めるのは、無言の執事ひとり――名はファーマス。

 無表情で、問いかけにも答えない。


 


 その夜、最初の事件が起こる。

 リヴォル監察官が、書斎で喉を切られて死亡しているのが発見されたのだ。


 


 密室。

 鍵は内側から掛かっており、窓にも封印。

 死体の周囲に争った形跡はなく、血の中には一輪の黒い花が浮かんでいた。


 ――その花こそ、かつて錬金術の生贄に用いられた「フェル・マンドラゴラ」の乾燥花。


 だがその植物は、王国ではとうに絶滅したはずではなかったか?

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