第8話 さしも知らじな燃ゆる思ひを
教室はざわざわしていて、みんなが「解放されたー!」「いろいろと終わったー」と騒いでいる。
中間テストの最後の時間が終わった。
「ねー高梨さん、みんなで今から“チャンカラ”に行こうって言ってるんだけど、高梨さんも行く?」
同じクラスで比較的仲の良い女子たちが誘ってくれる。行けば仲が深まるんだろうけど……
「ありがとう~。でも、部活があって今日はどうしても行かなきゃなんないから」
そう言って手を合わせて、ごめんねってする。そして、カバンを肩にかけて教室を出た。
高校のいいところは、中学と違ってぼっち女子が受け入れてもらえるところだ。
みんな、そこそこ大人な対応をしてくれる。
職員室で鍵を借りる時、宗谷先生が「終わったら見せに来ていいよ」と言った。先生は採点に追われて今日は部室には来ないらしい。
午後2時過ぎ。
誰もいない部室の引き戸を開けると、懐かしいような静けさが出迎えてくれた。
いつものように準備をして練習を少し書く。
清書ももう何枚も書いてきた。
でも、どれも“悪くない”だけで、“これだ”とは言い切れなかった。
どうしても納得できなかった「ふ」の曲線、仮名と漢字の余白のバランス――
今日は、最後の一枚にしよう。そう決めていた。
すーっ、と筆が紙の上を滑る。
一文字一文字に、呼吸を合わせていく。
『恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか』
墨は濃淡を持ち、ところどころわずかににじむ。“完璧”じゃない、“今の私”をそこに映し出す。
書き上げた句を眺めていたら、胸の奥から、ふっと笑いが漏れた。
現金なもので、試験の終わった開放感が、何かの満足を上書きしたようだ。これにしようと思える心持ちになって、書いたものを新聞紙に挟み、後片づけをしていたときだった。
「……くるみ?」
びくり、と肩が跳ねる。
振り向くと、部室の入口の扉の隙間からチカがのぞいていた。
「え、あ、うん……どうしたの?今から部活?」
声がひっくり返って、なんか、妙にはしゃいだ声みたいになって恥ずかしい。
練習着の上にジャージをひっかけたチカが、中を覗き込む。
「誰もいないじゃん。1人部活?」
「……文化部なんで」
「いや、文化部、関係ないじゃん。もう終わり?」
「そう、明後日までに公募の出品作を出さないといけないから、書いてた」
「ふ~ん」と言いながら床をきしませて中に入ってくる。
「うわ、墨の匂いする。懐かし」
キョロキョロと中を見回して、今、まさに捨てようと思っていた練習で書いた紙に目を止めた。
「すごい達筆。達筆すぎて読めないけど…なんて書いてあるの? “恋…とてふ”?」
あぁぁ、読まないで欲しい……自分の顔が、赤らんでいないか、気になる。
「恋すてふ、ね。百人一首にある和歌」
「へえ……恋すてふ?我…全く読めないな、あ、人し……」
なんて書いてあるの?と、目で聞いてくる。
いや、聞かないで。うぅぅぅぅ
「恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか……って書いてあるの」
「あー聞いたことはあるかも。どういう意味?」
今度は心臓が止まりそうになった。
私に聞くの?
「ええと……好きな人にまだ好きって言ってないのに、周りにバレて噂になる的な?そんな感じの…」
「…………へぇ」
チカはじっと字を見ている。
「あのさ……」
そして、顔を上げてこっちを見る。うわーまつ毛、長っ!
「女子って、そういうのどう思うの?」
「は?」
変な声が出た。そういうの、とは?
「なんとなく周りから、知らされるのって、うれしいわけ?」
自分と佐奈ちゃんのことを言ってるのかな?
「まだ、何も言ってないのに、周りにわからせられるのって、迷惑じゃないの?」
噂になってるもんなぁ。でも、まだ、ちゃんと告白とかしてないのかもしれない。
うーん
「どうだろ。自分も好きな相手だったら、まぁ、うれしいかも」
真面目に答えてみて気づいたけど、これって恋愛偏差値の低い私に、聞く話ではないと思うが。
「なぁ、俺……」
「おい、チカ、何やってんだよ。顔洗いに行くって出てって帰って来ねーから。先輩が、ミニゲやるって…お、高梨さん」
タクが扉の向こうで、おぅ、と手を挙げた。ひらひらと手を振り返す。
「…わりぃ。サボってた。行くわ。じゃぁな、くるみ」
チカは髪をかき上げて、不服気な表情をした後、“じゃーねー”と言うタクと一緒に扉の向こうへ消えて行った。
思わず机に寄りかかって、細くため息をつく。ひゅぅーーー
なんだか、どっと疲れが。どうやら、今日は誰も部室に来る気配がないし、もう鍵閉めて帰っちゃおうかな......
しばらくぼんやりとした後、筆を洗い職員室へ書いたものを持って行くことにした。
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