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「これはね。昔、まだこのブレザーに二つともボタンがあったときの話。私はこの展望台の景色が好きでさ。コウ君はもう分かってると思うけど、私には友達が少なかったから、学校が終わったら、ここで一人のんびり散歩したり、町を眺めて時間を潰してたんだ。家には帰りたくなかったの。親とはあまり仲良くなかったし、ほら、高校生ってそんな時期でしょ? ……私は小さい頃からだったけど。高校生にもなれば、いくら家に帰るのが遅くなっても心配されないし、いつも暗くなるまでここにいて、それから家に帰ってたの」


 クー姉は落ちていた紅葉を拾って光にかざした。日の光に透かして葉脈でも見るように、あるいは紅葉を通して過去を思い出しているのかも知れなかった。


「最初の一つはね。猫を追いかけてたら、なくしちゃったんだ。多分、枝に引っかけたんだと思う。最近はなかなか見かけないし、出会えたらラッキーって感じの猫なんだけどね。昔はそこら中にいたんだよ。一歩歩けば猫に当たるって感じでさ。あっちこっちで昼寝をしてたし、人間を揶揄って遊んでたんだよ」


 ラッキーは至る所にいたんだね。と彼女は冗談めかして言った。


「この場所にもいたの?」


「いたね。私には人間の友達よりも猫の友達の方が多かったくらいだよ。良く一緒にお昼寝したり、追いかけっこをしたんだ。みんなは人間の私よりも昼寝も追いかけっこも上手だったよ。そうやって遊んでいる内にボタンを落っことしちゃったんだ。気付いてから探しはしたんだけど、見つからなくてさ。多分、猫の誰かが持って行っちゃったんだろうな」


 クー姉は紅葉を放り捨てた。紅葉はタイミング良く吹いた風に乗って柵の向こう側へと落ちていった。木々が揺れて葉っぱの擦れる音が響いている。音に包まれる感覚は、まるで音響の良い映画館にいるみたいだった。


「探している内に私は、社の方まで行っててね。そこで神様にあったんだ」


「え?」


 突然変わった話の流れに乗り遅れてしまった。首をほんの少しだけ動かして、こちらを見たクー姉の表情は今まで見たことのないもので、心臓が一回大きく鳴った。


「神様……。本当に神様だったかどうかは今でも分からない。妖怪とかそんなものだったかもしれない。人の形はしていたけど、人ではなかった。それは確か。私は彼に色んな事を教えて貰ったの」


 彼女は指を振るった。それに合わせて、落ち葉が舞い上がる。宙を泳ぐ黄色い紅葉は龍のように天へと昇り、弾けて黄色い雨を降らせた。


「例えばね。風の操り方とか、見えないものの見方とか、猫と話す方法とか。そんな不思議な事。私が小さいコウ君に教えたように、私も彼に色々と教わったの」


 クー姉の話は、どんな風に教わったかや、実際にあった不思議な出来事、そしてそれを初めて見たときに思ったことなど、より詳しく鮮明になっていく。俺は話を聞いているうちに、だんだんと、実際に自分が体験しているような感覚になってきた。いや、実際に俺は体験していたのだ。小さい頃に、クー姉が神様に教わったように、俺はクー姉に教わっていた。


「コウ君はさ、本当はこう言う質問をしたかったんでしょ?」


 カラスが鳴いた。町中のカラスが一斉に鳴いたような大合唱に聞こえた。やがて羽ばたきが聞こえ、巣へと帰っていくのが見えた。夕焼け色に染まった空がいつもより黒く見える。

 黙っていると、クー姉は俺の頭を撫でた。


「私の過去はあまり良いものじゃないよ。私にとっては勿論。きっとコウ君にとってもね」


「それでも……」


 掠れた声が出た。俺は唾を飲み込んでもう一度口を開く。


「それでも、好きな人の過去を知りたいんだよ。知らなきゃいけないんだ」


 自分がクー姉に出会ったばかりの小学生になってしまった気がした。


「俺は来年には三年生になるし、直ぐに受験して高校生になる。今は週に三回塾に行けば良いけど、春になれば毎日のように勉強をしなくちゃいけなくなる。もう簡単にここに来れなくなるんだ。今までみたいには出来なくなる。俺は赤葉見高校に行くつもりだ。クー姉も通ってたんだろ?」


 頭から、クー姉の手が退かされる。それと同時に、自分が中学生に戻ったのを感じた。気付けば、彼女の目線は俺と同じだ。


「コウ君は成長して、進んでいくんだよね」


 クー姉が言った。


「クー姉も、こんな場所でずっと誰かを待っていないで、先に進めば良いだろ?」


 俺が言う。

 彼女は静かに首を振った。栗色の髪の毛が揺れる。


「もう一つのボタンだけどね。あげたんだ。ほら、コウ君も中学を卒業するときに分かると思うんだけどさ、後輩とか、好きな人にボタンをあげたり、貰ったりするんだよ。だから、二つのボタンの内、一つは無くして、一つは自分で引きちぎった。これでこの昔話は終わり。ほら、もう帰る時間だよ」


 鐘が鳴っていた。何処からか流れてくるバッハのメロディーが、帰りの時間を、遊びの終わりを告げる。

 気付くと俺は階段の下にいた。辺りはすっかり暗くなっていて、遠くに街灯の明かりがポツポツと続いているのが見えた。月明かりを頼りに腕時計を見ると、時刻は六時を回っていた。早く帰らないと流石に不味い。俺は駆け足で家へと帰った。

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