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 そう意気込んでみたは良いものの、次の日が来れば日常が始まる。学校に行き、塾に行き。その中でクー姉の秘密を知ろうと緊張感を抱き続けるのは難しかった。昨日気付いたことも、一晩経ってみれば大したことでないような気がしてくる。大体、お母さんが高校生だった時の制服と全く同じだという確証もない。似たような制服の高校が一つや二つあったところでおかしくはないのだ。よしんば同じ制服だったとしても、お母さんやお姉さんのお下がりを着ているのかもしれない。

 歳をとっていないように見えるのだって、小学生じゃないのだ。いい加減成長期も終わっているだろうし、数年たったくらいで突然成長なんてしない。女性には化粧があるわけだし、まさか俺が小学生の頃からずっと同じ制服を着ているわけでもあるまい。出会った時、俺はてっきり彼女が高校生だと思っていたが、中学生だったと考えてみれば、八年経った今も、まだ大学生だ。制服が必要な大学だってどこかにはあるだろうし、コスプレが趣味だったりするのかも。

 昨日は魔女などと考えてしまったけれど、それは彼女の纏う不思議な雰囲気の影響を受けたせいで。そして、お姉さんというのは大抵の場合、不思議な雰囲気を纏っているものだ。

 俺の小学生の頃の記憶は曖昧で、その頃にやっていたゲームか何かと混ざっている可能性もある。彼女の不思議な魅力と、あの場所での一時が夢を見ているように楽しいせいで、変なことを考えてしまったのだ。


 授業が終わりスクールバッグをリュックのように背負った俺は教室を出た。今日は一昨日の宿題もあるからバッグが重い。スクールバッグを背負うスタイルは教科書やノートを詰め込んだ学生の間では常識だ。きっと進学校のパンフレットにも載っている。

 両手が空いているので靴にも履き替えやすい。そんなことを思いながら玄関で靴を履いていると、磨りガラスに女子の影が映っていた。誰かが友達を待っているようだ。

 玄関を出てみると、そこには秋月がいた。彼女はそうするのが当然のように隣に立った。


「やっと来た。待ってたんだ」


「……秋月さん」


「急にさん付けなんてしてどうしたの? 一昨日は呼び捨てだったじゃん」


「いや、ごめんちょっとぼーっとしてて」


 秋月との距離を測り損ねたのは、昨日の彼女の態度が一昨日一緒に塾に行った事実なんてなかったかのようだったからなのだが、そんなことはお構いなしだった。友達の多い秋月は、教室で今日も一人だった俺に何のようがあるのだろうか。俺を待つ用事なんて思いつかない。塾の宿題を写させて欲しいというのもあり得ないのだ。彼女の塾は月火木、俺の塾は月水金。これはお互い知っていることだ。今日は水曜日。俺はまだ二回目の宿題を出されていない。

 俺は彼女が待っていた理由を言うまで、そのショートヘアをなんとなしに見つめていたが、彼女は理由を言わず、ついには髪にゴミでも付いてる? と聞いてきた。


「いや。別に」


「なんだ。じゃあそろそろ行こうか」


 秋月はそう言って玄関の前の小さな段差を下りた。俺もその場所に行くかのような物言いだったが、あいにく今日は塾に行くという用事があるのだ。大体、なにか約束をしていたわけでもない。俺は断ろうと彼女の背を追いかけた。


「悪いけど、俺はこれから塾なんだ」


「知ってるよ? だから、塾に行こうとしてるんじゃん」


「いや、だって秋月は今日塾ないだろ? 自習しに行くのか?」


 言っていて、それはないだろうなと思う。一人になるのが苦手だと言った彼女がわざわざ友達の少ない塾に行くわけがない。昨日友達を作れたのならその限りではないだろうけど、一昨日のあの様子からすれば、それはないだろう。改めて考えてみると、よくこの学校で友達を作れたものだ。入学式とか半狂乱になっていそうだけど。


「なんか失礼なこと考えなかった?」


 秋月は俺を咎めるように半目で睨んだ。


「気のせいだろ」


「まぁ良いけど。私、塾の曜日変えて貰ったんだ。月水金に。だから、今日塾なの」


「は?」


 思わず声が出る。


「何その嫌そうな感じ。私みたいな女の子と一緒に授業を受けられるんだから良いじゃない。感謝して欲しいくらいだわ」


 そりゃ確かに秋月は美人だけど、って違う。わざわざ曜日を変えるか? しかも最初の週に。どんだけ一人が嫌なんだよ。

 俺の頭を思考が巡っているうちに、彼女は頭を振ってショートヘアを揺らした。目に掛かった前髪を手で分けて、こちらをじっと見つめる。俺の反応を待つかのように。


「そんなに一人が嫌か?」


「そりゃね。最初から入ったならともかく、私達秋からの途中参加じゃない? もうグループが出来ている中に身一つで放り出される不安感。ロングの髪をショートにしたときの頼りなさみたいな。そういうの分からない?」


 その例えは、ロングにしたことがない俺には分かりかねるが。秋月にはロングヘア時代があったのだろうか。少し見てみたい気がする。


「別に、白駒君と一緒にいたいってわけじゃないわ。変な勘違いはしないでね」


「してねえよ」


 覚悟していれば大丈夫的なことを言っていた気がしたが、その覚悟は既に売り切れていたらしい。考えてみれば、別に俺にとって悪いことじゃない。寧ろ、知り合いが一緒の教室にいるというのは安心出来るし、それが可愛い女の子なのだから、勉強にも一層気合いが入るというものだ。授業中にちょっかいをかけてくるのは止めて欲しいが。


「一昨日みたいに授業中に話しかけてくるなよ」


「えー。授業つまんないんだもん」


「だもんじゃねーよ。授業なんだからそんなもんだろ。我慢しろ。お前だって高校行きたいんだろ?」


「まーね」


 彼女はその後に小声でなにかを言ったようだが、俺には聞こえなかった。


「って言うか、お前って。私の扱い雑になってきてない?」


「妥当だ。妥当」


 そんな会話をしながら、俺達は校門を出た。

 高台にある通学路。秋月とぶつかりそうになった場所を通り過ぎる。彼女は今朝の占いで一位だったかのような顔をして俺の隣を歩いていた。前に歩いたときより歩きやすいのはきっと、俺がバッグを背負っているからだ。スクールバッグ一つ分、道が広くなっている。それでも相変わらず、彼女の歩幅に合わせるのは苦労した。

 フェンスの向こうに見える景色には変わりがない。昨日よりも心なしか黄色が増えているような気がするが、まだ緑色の葉が青あざのように残っていた。


「この町って、屋根の色が暗い家が多いでしょ? 黒とか、紺とか」


 秋月が言った。俺は道から見える屋根の数々を見て確かにと思った。


「反対に赤色の屋根は少ないの。ねぇ。何でか分かる?」


「そうだな。今まで気付かなかった。よく気付いたな」


「そりゃ毎日この道を歩いてたらね」


 彼女は得意そうに微笑んだ。


「それで、なんでなんだ?」


「この町の名物の為なんだって。紅葉が綺麗に見えるように。赤色の屋根があったら、色が混じっちゃうでしょ? 植物の為に屋根の色を制限するなんてなんだか勿体ないように思わない? 絶対に赤い屋根が良い! って人もいたはずなのに」


 秋月の憤りには親の悪口を言う子供のようなわざとらしさがあった。


「秋月は赤い屋根の家が良いのか?」


「勿論。だって、赤い屋根なら秋以外の季節でも、紅葉が屋根に乗っているみたいでしょ?」


 なるほどと思った。確かにそれなら、一年中秋を感じられる。それは随分魅力的だ。

 俺達は交差点にさしかかった。信号は赤で俺は横断歩道から離れた位置で立ち止まった。秋月も隣で止まる。車が通らない代わりに、赤峰中学校の制服を着た生徒が数人信号を待っていた。俺はその背中をなんとなしに眺めた。その間、俺と秋月の間には会話はなかった。

 車が一台も通らないまま信号が青になり、待っていた人達が全員動き出してから横断歩道に踏み出す。俺はふと気になったことを秋月に聞いた。


「そういえば、何小だったんだ?」


 一昨日一緒に塾から帰ったときは家の方向が一緒だった。ということは同じ小学校だった可能性が高い。赤峰中には大体三つの小学校から生徒が集まっているが、俺の家の方には一つしか小学校がないのだ。けれど、秋月楓花という名前には覚えがなかった。大きな小学校というわけでもないし、流石に一目見るくらいはしているはずなのだが、男子と女子だし、クラスが違えば気付かないこともあるだろうか。


「白駒君は知らない小学校だよ」


 俺の予想に反して、彼女はそう答えた。


「私、引っ越してきたからさ。今は一人暮らしをしてるんだ」


「中学生で一人暮らし?」


「そう」


 以前彼女が言っていた、うちは特殊だという言葉が頭を過る。確かに一人暮らしなら門限を煩く言う人はいないはずだ。


「中学生で一人暮らしって、そもそも出来るの?」


「実際に出来てるじゃん。勿論、家出をしたってわけじゃないからね。ちょっと事情があって。ちゃんと親の許可を貰えれば家も借りれるんだよ」


 家賃は出して貰っちゃってるけどね。と彼女は言った。


「でも、高校に入ったらバイトをして返していくつもりだよ。去年も年末の郵便配達のバイトとかはしたし。中学生でも雇ってくれるバイトがもっと沢山あれば良いんだけど」


 秋月の話を聞きながら、俺は彼女の声がどんどん遠くに離れていくような感覚に陥っていた。彼女はすでに一人で生きているのだ。親元から離れ、二本の足でしっかりと立っている。俺なんかとは比べものにならないほど大人だ。


「ねぇ、聞いてる?」


 綺麗な瞳がじっと探るように俺を覗いていた。慌てて、返事をする。


「聞いてたよ。中学生でも雇ってくれるバイトだろ?」


「そう。一回、高校生だって嘘吐いて働いてたんだけど、給料貰う前にバレちゃって」


「ヤバいことしてるな」


「仕方ないじゃん。こんなことなら、早く大人になりたいよ」


 俺からしたら、秋月は充分大人だけどな。

 そんな言葉は喉で引っかかり結局口から出なかった。言ってしまったら、自分の未熟さを認めたみたいで嫌だったし、彼女もこんな言葉望んでいないだろう。

 俺もいつか大人になれる日が来るのだろうか。なれたとして、どんな大人になっているのだろうか。今はもう、小さい頃に抱いていた期待よりも恐怖や不安の方が大きくなってしまった。

 それから俺達は、学校の先生がどうだとか、テスト範囲がどうだとかといった当たり障りのない会話をして、塾で退屈な授業を聞いてから二人で帰った。スーパーの前で別れるまで、秋月は一人暮らしについてそれ以上語らなかったし、俺も聞かなかった。

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