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「じゃあ、提出期限は一週間後だから忘れずにな。今日のホームルームは終わり。解散!」
先生の言葉と同時に教室が騒がしくなる。大抵は、後ろの席のやつと話したり、わざわざ席を立って友達のところに行ったりして、今配られたばかりの紙について話している。
一番後ろの席で、話しかけに行く友達もいない俺は一人で進路調査のプリントを眺めた。第一志望から、第三志望までの学校名の空欄と、保護者のサイン欄がある。人によっては何を書くか悩む紙だが、一応、第一希望の高校は決まっていた。特に行きたい高校のないやつは、近所の赤葉見高校に進学する。かくいう俺もその一人。そして、今日はそのための塾初日だった。
中学二年の秋、やる気のあるやつは夏には通っているし、やる気のないやつは来年から通い出す。俺はその真ん中といった所だ。
高台にある通学路を歩く。緩やかな下り坂になっているその道は、左手のフェンスの向こうにいくつもの屋根が一望出来た。ずっと遠く、町の端まで見える。その反対側は、いつもの展望台がある山だ。俺はこの道をのんびり歩くのが好きだった。今の季節は紅葉と屋根の色が混ざり合って、絵画を見ているような気分になる。
「おっと、すみません」
よそ見をしていたら人にぶつかりそうになった。見ると、俺と同じ赤峰中の制服を着ている。ブレザーに赤ネクタイ、チェックのスカートは丈が短かった。
彼女のショートカットから覗く鋭い目が一瞬俺を貫いた。警戒と牽制の混じった視線。一瞬目が合っただけなのに、先生に怒鳴られた時のように息が詰まった。それなのに、もう一度見ると、そんなこと微塵も感じさせないようなあっけらかんとした表情をしている。その顔には何だか見覚えがあった。
「ん。へーき……って白駒君じゃん」
彼女が言う。やっぱり、知り合いらしいが名前が思い出せない。
「えっと……」
「同じクラスの秋月楓花だよ。覚えてないの? もう二年の秋なのに」
そう言われると、確かにそうだ。クラスでは俺と同じように誰とつるむでもなく、一人で静かにいるから気付かなかった。まぁ、他のクラスメイトの名前も覚えられていないのだけど。それにしても、こんな風に話しかけてくるようなやつだったとは。
「いや、ごめん。思い出した」
俺のとっさに出た言葉に秋月は不機嫌そうに目を細めた。
「酷いなぁ。まぁ話すの初めてだしね。家、こっちの方なの?」
「あぁ。そうだな。でも、今は塾に向かってるところ」
「へぇ。私も同じだよ。どこの塾?」
彼女は軽く首を傾げた。俺は一度、入会の時に行っただけの塾を思い浮かべる。
「研心塾」
「ほんと? 私と一緒じゃん!」
彼女は目を見開いた後、ちらりと腕時計に目をやった。進行方向に小さく指を差す。ここで立ち話をしていたら、遅刻するということだろう。どうせ、行き先は同じだ。歩き出した彼女に釣られるようにして、俺も足を動かした。
三人は並べないような道を、二人で進む。冬になるにつれ、この道は真っ赤に染まっていくのだ。今はまだ、紅葉の赤よりもアスファルトの黒の方が多い。
手提げのスクールバッグを持っていない方の手が、何だか行き場をなくしていた。いつも気にならないのに、ただ振って歩いているだけだと、変な気がする。仕方ないのでポケットに仕舞ってみる。丁度その時、秋月が口を開いた。
「まさか、同じ塾に通っている人がいるとはね。みんな駅の方の有名な塾に行くもんだと思ってた」
「安かったから。高校受験だしここで良いんじゃないかってお父さんに言われて。今日が初めてだから、どんなところか分からないんだけど。クラスメイトがいて助かった」
お父さんと一緒に探した塾で、俺が気に入った理由は個別じゃない塾ってことだ。最近はどこも個別塾ばかりで、学校のように授業をしてくれる塾は少ない。知らない人と二人きりで、長時間勉強なんて集中出来るわけがないのに……。
「残念。私も今日が初めてなんだ。ま、ぼちぼち頑張ろ」
そう言って、彼女は肩を竦めた。
正直、意外だった。秋月も今日が塾初日ということにじゃない。彼女とこんな風に話せるなんて思ってもいなかったのだ。俺の印象では、人と話すことが嫌いなんじゃないかと思っていたのに。こうやって、気軽に話してくるなんて。
「秋月って、意外に話すんだな」
「え?」
口から言葉が零れる。しまったと思ったが、彼女の聞き返し方は不機嫌というより、純粋に俺がなんて言ったのか聞き取れなかった時の聞き返し方だった。
「いや、いつもクラスで一人のイメージだったから」
なるべく嫌な言い方にならないように、なんでもないように言う。俺の言葉に秋月は笑った。
「それは私の台詞だよ。白駒君こそぼっちじゃん。大体、私はいつも友達といるよ?」
そう言って彼女はクラスの女子の名前をいくつか挙げる。どの名前も俺が聞き覚えあるようなクラスの中心人物の名前だった。それこそ、誰とでも仲良く出来るような。
「ごめん。俺の勘違いだったみたいだ」
「ほんとだよ。白駒君こそ、昼休みとか誰とも話さずに暇じゃないの?」
「別に……。本読んだり、ぼーっとしてれば終わるし」
小学校低学年の頃にはいたはずの友達が、中学に上がる頃にはいなくなっていた。別に一人で困ることもないし、必要な時にはコミュニケーションも取れるけど。ぼっちと言われるのには慣れていない。なんだか、自分が人より劣っているようで。
「そうなんだ。まぁ、別に良いけどさ」
彼女はそう言ってバッグを肩にかけ直した。