6話 誰かを助ける為に
「くそっ……僕は何をやっているんだ」
アヴホールス支部の地下で宮本はトラウマに震えていた。日向と別れて数分経っているのに体の震えは止まらず、ただここで待機する事しかできない。
「日向君の状況はどう? 結界は?」
「約一分前に『新世界』をこの辺り一帯に張りました。現実世界から何とか隔離できたようです」
周りの大人は地下の防御に回り、ビューティーと呼ばれた女性は日向の代わりに指揮をとっている。
「周辺の住民避難は?」
「町の外とは連絡が付かないので、ここの警察機関と連携し、洋館周辺には近づけないよう連絡しました。学校と同様で洋館と住宅の間にはそれなりに距離がありますから」
「オッケー。準備が出来次第『新世界』の周りに防壁結界を貼れと隊員達に連絡を」
「分かりました」
あれから地震が来ないという事は、日向は上手くやれたらしい。
その事に気付いているのか他の人達は焦ることなく連絡を取り合ったり、怪我人の確認や地下の防備施設の確認を行ったりと色々作業している。
みんながみんな、直接敵と戦えなくても被害を抑える為に活躍していた。
──その人達の中にいる宮本は何もできていない。
(クソっ……!)
情けない。泣きたくなるほど情けない。
上では一人の学生が命を張って戦っているというのに、周りの大人も自分が出来ることを最大限にやっているというのに、敵を倒す力を持つ男が何もできない。
本当なら今すぐにでも加勢しに行きたい気分だ。
(でもこの手の震えをどうにかしないと、荷物になるだけだ!)
間違えるな。
力を扱えない弱者が上に行っても死体が増えるだけ。むしろすぐに死ぬだけなら良いだろう。
日向が力のない自分を庇ってしまってしまい、それで死ぬなんて事が起これば本当に終わりだ。
誰もこの町を守れなくなる。
「…………宮本君。貴方は一旦安静にしていなさい」
「ビューティーさん、でも」
「大丈夫よ。日向君はとっても強いんだから。貴方達は知らないでしょうけど、彼女は何度も町を守ってきたのよ」
そう優しく諭してくれるのはビューティー。
日向と姉のような会話をしていた彼女には焦りも恐怖もなく、頼れる大人として見えた。
そんな輝きを見てしまうと、宮本は無意識に自分と比較してしまう。一体僕には何が足りないのかと。
しかし今はそんな事を考えている場合ではない。
今は周りに迷惑をかけないように安静にして、出来るだけ早くこの厄介な震えを止めよう。
宮本はそう結論づけた。
「すみませんビューティーさん。でも僕もできるだけ早く治して、会長さんの所へ行きます……!」
「……分かったわ。──宮本君を安全な場所に避難させて」
「はいっ! 宮本君、こちらへ」
宮本の言葉を聞いて暖かい笑みを見せたと思えば、次の瞬間には司令官の顔をして指示を出すビューティー。
そうして宮本はビューティーに呼ばれた職員と共に監視部屋を出ようとするが──
『おいおい、どこへ行くんだ臆病者?』
そこへ待ったをかけた人間……いや怪人がいた。
予想外の声に宮本が振り返れば、真っ直ぐ彼だけを見つめるクワガタ怪人の姿が。
「……………………」
『黙ってても無駄だ。お前だって分かるだろ? こんな見るもんだけを遮る壁を置いたって、俺達には見えるって事ぐらいはさぁ──』
時間稼ぎか?
それとも自分達を馬鹿にする為にちょっかいを出しただけなのか?
宮本は思考を巡らせる。相手の目を見ながら。
『──ヒーロー擬きよぉ!!!』
「──黙りなさいクソクワガタ」
怪人の馬鹿げた大声でマイクがつんざくが、それに対抗するはビューティーの声。感情の昂りを表した怪人に対してビューティーは底が冷えるような声だった。
「忘れたの? 貴方の命はこちらが握っています。今すぐにでも──」
『ハッハッハ!!! こんな所に収納されちまった哀れな雑魚の命、気にしている場合かぁ? そんな奴より上で戦っていやがるヒーローの事を心配してあげるんだなぁ!』
「……………………」
怪人の言葉にビューティーは黙るしかない。
それは敵の言葉を肯定しているようで、しかし実際に彼女達が現状を理解している証拠でもあった。
『今の声があの女ヒーローじゃねぇって事は戦いに行ったんだろ。恐らく相手はあのウザい魔女だろうなぁ』
怪人は話し続ける。
通信が繋がっているかも、そもそも怪人からすればこの言葉がビューティーに繋がっているかも分からない。だがそんな事はどうでも良いと彼は叫ぶ。
『だ・と・し・た・らあのヒーローは負けるぜ?』
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空を駆ける紅い女。
宇宙のデブリのように佇む瓦礫を使って、ジグザグに動きながら眷属の攻撃を避けていた。
目に見えぬ疾風の攻撃と、鉄すら溶かす炎の流星群を、今までの戦いで蓄えた知識と経験で避ける様はまさにベテラン。
だがしかし。
彼女の動きには速さが欠けていた。
「ハァ……ハァハァ………………ハァ!」
超能力者多用に俊敏な移動に加え、サラマンダーが放つ灼熱によって彼女の汗はポタポタと地へと堕ちる。
長距離走を走り切った時みたいに体が酸素を大量に欲している。限界が近づいていた。
(おやおや、最初にリヴァイアサンがやられた時はビビったけれど……)
空に佇む探究者は考察する。
小さい月も消滅して、日向自身は眷属の相手で精一杯。魔女を脅かす要素は消え去り、探究者が考察できるほど余裕ができている。
なぜ急速に力を失ったのか?
(まぁ理由はおおよそついている。ラスボス君に能力をかじり取られたからだろうねぇ……逆に)
──もし彼女が本気だったら。
(私はどうなっていたんだろうねぇ……)
そんな推測をして探究者はブルブルした。
だが宇宙を操るヒーローに敗れる未来は来ないと、彼女は片腕をあげて眷属に指示を出す。
目の前にいる超能力者は研究材料として危険すぎる。ここは始末しておこうと指示を出した。
「っ、あのドラゴン。巨体の割に動き速すぎるわ……いえ、それはもはや恒例行事だったわね」
浮いた岩を壁に大勢を取り戻そうとする日向だが、休息すら許さないドラゴンが一匹。瓦礫の下から顔を出し、口の中から炎の玉をコンニチワと──
「まずっ……!」
足場の瓦礫の重力を倍にして緊急回避。
引力に縛られた瓦礫のスピードはそれなりのものだが、第三者からすれば補足は容易い速度だった。
「シルフ。切り刻んで」
待ってましたと言わんばかりに指示を出す探究者。
忠実に緑の妖精はカマイタチを放つ。目に見えないカッターを数十個を凝縮させたソレは、日向の体を残酷なまでに切り刻むだろう。
けれど日向は黒いマントを盾のように構えて受け切る。一見はただの布に見えるそれは、アヴホールスによって作られた対魔法対超能力の代物だった。
「へぇ……やっぱりあの黒いマントは防御術式を編んでいたものか。相変わらず力の根源が分からないが」
「はぁ……ハァ、これも限界のようね」
しかし日向にできるのはそれだけ。
重力に従って落下する彼女が降りたのは、またしても洋館の屋上。そこで今度こそ彼女は体力の限界が来てしまった。
超能力の酷使。
二日前の日向ならこの程度どうって事もなかったが、恐ろしい怪物に奪われ、上限が恐ろしい程に削られた今ではこれが最大。
むしろよく持ち堪えた方だろう。
だが目の前には健在の化け物二体とそれを従う魔女が一人。彼女の生存率は絶望的だった。
(まずいわね……私。本当にこれじゃあ──)
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「それは会長さんが死ぬって事か?」
「宮本君?」
気が付けば僕はインカムを持っていた。
震えた手で強くインカムを握りながら彼に問う。
『よぉ……ようやく喋る気になったようだなぁ──』
──ヒーロー擬き。
「あぁ、お前が臆病者って言うからな。つい反応しちゃったよ」
一秒で考えたデタラメな理由を吐く。
実際の所、こんな事をしたのは僕にも分からない。
クワガタ怪人は相変わらず暴言を吐くし、僕を馬鹿にするような言い方をする。
ただ情けない事に事実は事実だから、臆病者は適切な表現だ。心に多少の傷が付くくらいには。
でも僕は目の前にいるコイツと話したくなった。
彼の口から出てくるのは相手を蔑んだ言葉ばかりだと言うのに、僕の目を見つめる視線には怒りがあったから。
感嘆する程に真っ直ぐで邪念は一切入っていない。
怪人の赤い体を彷彿とさせるくらいに僕を睨む目には炎があった。
会長を殺そうとした時の気怠げな目でも、僕と戦闘した時に見た必死に抗う目でもなく。
真っ赤な炎を宿す目が。
『臆病者なのは事実だろうが。俺には見えるゼェ? お前の中にあるオーラみたいな炎が弱々しくなってるのを。怖気付いてるなテメェ』
「そう……だな、僕は臆病者だし心が弱いからこんな風になってる。今だに手も全然震えているままだ」
『ハッ! なら俺と戦った時は怖くなかったのかぁ』
「いや怖かったよ。すごく怖かったよ」
『……ならさっさと戦えよ、怖いんなら変身して立ち向かえるんだろぉ?』
「………………それができないんだ。怖くて」
声が震えてしまう。
あぁ僕は一体何をやっているのだろう?
なんで僕はこの人と話し合う気になってしまったのだろうか?
不安も襲ってきて視線が定まらない。治ってくれと願うように震える拳を見てしまう。何も変わらない事は分かっているのに。
『ならよぉ……なんでお前はあの時戦えたんだ?』
「…………え」
僕はその言葉を聞いて驚いてしまった。
それはさっきまでの怒りを感じる声ではなく、ひどく静かで寂しい声だったから。あまりの変わりように視線も彼へ動いしまう。
すると見えたのは怒りではなく失望を秘めた彼の目線だった。
「そりゃあ、あの鎧で……」
『ちげぇだろ。鎧はあくまで装備でしかねぇ。テメェはあの黒い鎧を着た瞬間に、操り人形みたいになったのか?』
「それは……」
何も分かっていない。そう言っているような視線を受けて僕は必死に過去を掘り返す。
何かを思い出す為に……それこそ当たり前すぎて忘れている行動理念と言うものを。
そんな迷い人の僕を推すように彼は言った。
『お前……誰かを守りたかったんだろ?』
それは呆れた声だった。
それは二度と取り戻せない物を懐かしむ声だった。
そして、自分が思い出すには十分な情報だった。
『じゃあね』
(あぁ……そうか)
とても簡単な話だった。
真っ暗な世界に突如現れた光。
それが消えかかろうとしたから、掴もうとして僕は戦う事を決意したんだ。
僕に必要なのは怒りじゃない。
誰かを助けようと思う意思だ。
もっと強く思え。抽象的ではなくハッキリと。
あの暗黒の世界を全て照らしてしまうほどに、その真っ白な気持ちを強く思うんだ。
そうすれば──
「……!」
──手の震えがおさまった。
間違いない。今まで僕を襲っていた恐怖も震えも、邪魔なものは何もかもなくなっていた。
手を強く握りしめる。すると握力だけではなく内に秘めているあの時の力も感じ取れた。
(……行ける)
目線を拳から彼へ移す。
するとまるでどうでも良さそうに視線を逸らす怪人の姿が見えた。
「……どうして教えてくれたんだ?」
その質問に対する彼の反応は無口。
まぁ当然と言えば当然か、そう思いこれ以上時間はかけられないと出口へと向かおうとするが……
『……俺は敗者だ。敗者は勝者に従うだけって話だ』
今までの大声を大嵐で例えるなら、その言葉は微風のようだった。けれど僕の耳にはよく聞こえた。
何を意味しているのかは分からない。
ただ僕は返答をしてくれた彼に対して──
「ありがとう」
そう頭を下げるだけだ。
『なら早く行きやがれ……ヒーロー』
「…………あぁ」
出口にはビューティーが。
どうやら彼女がここの案内人をやってくれるらしい。
彼女も何やら懐かしむような、そんな表情をしていた。
「ビューティーさん。お願いします!」
「分かったわ。最速で地上まで連れて行ってあげる」
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「さて、もう戦いは決した。いい加減降参したらどうだい?」
場所は変わって新世界。
探究者の視線の先にはボロボロになってしまった日向がいた。
黒マントは穴だらけで、彼女の服やマントの隙間から見える肌には痛々しい切り傷が。
何より息絶え絶えの状態なのが、日向の現状を語っている。
対して探究者は。
「こっちは怪物が二体使役している。コイツらを倒すならリヴァイアサンを倒したとっておきでも使わないと無理だよー?」
日向に対する近接としてサラマンダー。
探究者の護衛としてシルフ。
圧倒的な差だった。
大幅に能力を制限された日向ではこれが限界。
その上で探究者は的確に状況を判断している上に油断もないと隙がない。
絶望的と言ってもいいだろう。
(ここまでピンチになったのは久々ね〜……)
しかし相変わらず。
悲鳴を上げている体に鞭を打って立ち上がる日向目はまだ死んでいなかった。目の奥には炎がまだ宿っている。
とはいえその粘り具合は探究者にとってはしつこい物に映った。
いやハッキリと言い換えよう。
鬱陶しい。
「どうして諦めないのかねぇ。諦めたらすぐ楽になるのに」
その根性は理解できないと箒に跨ぐ探究者は問う。
ただ日向からすれば愚問でしかない。
「単純な話……私のワガママよ」
彼女は生まれた時から選ばれた存在だった。
天才で能力があって、そしてその素質を腐らせない性格も持ち合わせていた。
今は亡き両親も素晴らしい親だったし、その精神は彼女にしっかりと受け継がれている。
そして完璧に近い彼女の行動原理は単純。
「困った人を助けたいだけ」
原理も経緯も何もかもない。
「天才の私は中途半端なのは嫌いなの。終わるその時まで出来る事をやるだけよ」
尊いと思ったそれを彼女は全力でやっているだけだった。
「へぇ……くだらないね。それ」
だか質問した探究者は答えをバッサリ。
まるで子供の理想でも聞かされているようだと呆れていた。
「えぇ、くだらない話を聞いてありがとう」
だが日向は怒らない。
むしろ笑みを深めるだけだった。
「お陰で間に合ったわ」
「間に合った? ………………ッ!?」
探究者は意味が分からないと返すが……数秒たってからようやく、その真意に気付く。
彼女に僅かな動揺が走るがもう遅い。
何せ──
「ヒーローのご登場よ」
──変身!
探究者の背後から勇敢な男の声が聞こえた。
迷いも、恐怖も吹き飛ばし置き去りにした男の声が。
間違いなく増援だと探究者は気付く。
魔力探知に引っ掛からなかったのは気になるが、今はそれどころではない。
眷属の中でも早く行動できるシルフに対応して貰おうと、背後を振り返りかの精霊の名を呼ぶ。
「s」
だが振り返った時には。
暗黒の死神の蹴りが見えていた。音すらも魔力感知すらも捉えられなかった神速の一撃が、探究者の顔に激突する。
「ッ!!?!?」
しかし避けられる。
ダメージを顧みずに、無詠唱で発揮できる最大限の風魔法を自分の体に叩き込んで、事無きを得たのだ。
ただそうなった原因はもう一つ。
単純に彼の第一行動基準が敵を倒すことではなく、人を救うことだったからだ。
「すみません会長。遅れました」
「大丈夫よ。それにこう言うじゃない。ヒーローは遅れてやってくるってね」
探究者が冷や汗を垂らしながら振り返ると、超能力者をお姫様抱っこしているヒーローが。しかもキックのお陰か攻撃が当たらない所まで離れている。
「………………そうですね。後は僕に任せてください。あとこれ、ビューティーさんが使えって」
「そう、あの人にはいつもお世話になるわね」
(ほぉー……あれはまた小さい結界かな? また未知なる技術が出てきたねー)
モウルスが小さいアイテムを地面に置けば、三角錐の結界が生まれる。
半透明の黄緑色で出来た結界からは、あの洋館に似たエネルギーを感じるが……今はそれを考察する時ではない。
彼女が洋館を襲ったもう一つの理由が今目の前にいるのだから。
「なるほど。あのクワガタ君がやられたと聞いた時はなんでかと思ったけど、君のせいか〜」
ラスボス君からは失敗作と呼ばれたクワガタ怪人だが、命令は柔軟に従う上に実力も折り紙付きなのを魔女は知っている。
そのクワガタが倒された。それを聞いた魔女は超能力者によって倒されたと思っていたが……
……とんだ思い違いだ。
目の前にいる邪悪な鎧を着た男。
コイツから放たれる"死"のオーラはなんだ?
凝縮された黒いナニカ。距離はとっているのに見るだけで生物としての危険ブザーがうるさく鳴っている。
コイツはこんな所に居ていい存在じゃない。
まさかこんな敵が存在しているとは。
こんなにとっても恐ろしい存在がいるなんて、そんな奴が目の前に立ってしまったら──
──気になってしまうじゃないか。
「一つ聞いていいかな? 君の名前は?」
探究者はいつも通り興味本位で聞けば、死神は振り返って答えを教えてくれた。
「……俺は人を助ける為にやってきた」
──モウルスだ。
こうしてヒーローと魔女の戦いの火蓋が斬られた。