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9. 耳飾り

 部屋の隅にある重厚な造りの暖炉からは、パチパチと音が鳴り、時折炎が舞い上がる。この部屋には五人も人が居るというのに、その音以外に聞こえる音があるとしたら、ごくたまにティーカップがソーサーの上に乗せられて鳴るカチャリという音ぐらいであった。


 向かい合ったソファには、片側にビリーとバルトラ中将が座り、対面にはロザリオ侯爵、ジブリール、そしてグレースが座っていた。ビリー、バルトラ中将、ロザリオ侯爵、ジブリールの四人は視線をグレースに向けて返事を待っている。


 グレースは、またティーカップを持ち上げて口元に運んだ。別に喉は乾いていない。何かしていないと落ち着かないのだ。

 口火を切ったのは父ロザリオ侯爵であった。


 「行ってきなさい、グレース」

 「ええっ?」


 グレースは口からティーカップを離した。


 「王都の寄宿学校ボーディングスクールで学べるなら、この先の人生にきっと役に立つ。これからは女性も男性同様の教育が必要であろう」


 グレースはセンターテーブルに置かれた入学推薦状を見つめる。グレースに入学を薦めてきているのは王太子フランソワだが、推薦状に封をしていた赤い封蝋には、国王の印章が押されていた。


 王都にある王立フォンテーヌ寄宿学校ボーディングスクールは、高位貴族の子息と、身分関係なく才能によって選ばれた国民、そして人数は少ないが高位貴族の令嬢が通う。入学許可を得るには身元や才能を保証する貴族、司教、騎士団長などの有力者の推薦が必要であり、グレースの推薦状に押された印章は、この国で一番の信頼性を保証されたものであった。

 

 「こんな推薦状を持って入学したらプレッシャーが半端ないんですけど……」


 基本的に令嬢が教育を受けると言えば、自宅で家庭教師ガヴァネスから教育を受けるだけである。グレースも七歳の時から家庭教師ガヴァネスを迎えて、淑女たるものとは何かを仕込まれていた。パブリックスクールなどに通い出すのであれば、遅くとも十三歳位には入学するだろう。十七にもなってから、既に構築されている在学生徒達のコミュニティに入って行くのは勇気がいるし、国王の推薦に叶うだけの結果を何で示せばいいのかもわからない。安易に喜んで受けて良いものかだいぶ悩んでいる。


 「王都で暮らせば、大好きな王太子殿下に会えるかもしれないじゃないか」


 ジブリールがやけに王都行きを押してくる。何を企んでいるかわからないが、とにかく決断をしないといけない。


 「そうね……フランソワ様に気に留めて頂くなら、一流の教育は受けておくべきよね」

 「おや? 王太子殿下の事は諦めたのではなかったのか?」


 王太子殿下の事は諦めたとばかり思っていたロザリオ侯爵にとって、グレースの反応は予想外だった。

 

 「え? ああ、いえ、以前ほど盲目的になっていないだけで、今も気持ちはあります。それに……」

 「それに?」


 グレースはロザリオ侯爵の顔を見て、父親に言う事ではないなと思い、ニコリとだけ笑ってみせた。


 (キスをされたり、こうして推薦してくれるっていう事は脈があるってことなんだから、迷う方が馬鹿よね)


 ビリーは眉を寄せてグレースをいぶかしんだ目で見ている。


 (おいおい何だそれは? くそっ、フランソワの姿でキスなんてするんじゃなかった。自分自身を敵に回してどうするんだ俺は……)


 この話に関係のないジブリールが、急に意気揚々と手を挙げた。グレースはそもそも何故ジブリールが同席してるのかも疑問だった。


 「じゃあ私も一緒に行きますね、王都」


 その場がしんっと静まり返り、全員がジブリールを見る。


 「……え……結構です」


 グレースは行く気満々のジブリールに手のひらを向けてお断りする。


 「でも確かにジブリールが行くのは良い案だな。あちらで何かあってもここからだとすぐに駆けつけるのは不可能だ。近くにジブリールがいた方がいい」

 「え゛!?」


 まさかのロザリオ侯爵の同調に、グレースは顔を引き攣らせた。


 「そうでしょう、お父様。私が戻った理由もグレースの為ですし。あ、王都に用事がある際に利用する別荘がありますよね? 私はそちらで暮らしますよ」

 「そうだな、ジブリールはガウルとディアナと共に王都近くの別荘で暮らしなさい」


 グレースのみならずジブリールも、ロザリオ侯爵からのまさかの提案に顔を引き攣らせた。


 「……え゛? ガウル……とか必要ですか?」

 「当たり前だろ。誰がお前達を守り、お前の監視をするんだ。ついでだから、お前は王都の大学に行きなさい」

 「そんなぁー」


 ロザリオ兄妹は二人揃ってうなだれた。その様子を見ていたビリーは思わず笑いが込み上げてしまい、堪えきれずクッと笑ってしまった。

 グレースがその声に反応して目を向けると、手の甲で口元を隠して笑いを堪えるビリーと目が合った。ビリーはゆっくりとその手を膝に戻すが、その間ずっとグレースを見つめていた。

 

 (ん……? 何でそんな目で見つめてきてるの?)


 グレースはビリーの熱い視線に心拍数が上がってきた。ロザリオ侯爵はうなだれている息子に喝を入れるのに忙しく、ビリーがグレースに向ける視線には気がついていないようだ。バルトラ中将は気がついていたようだが、見て見ぬフリをしていた。


 ビリーが口だけ動かして何かグレースに伝えてくる。グレースは目を凝らして唇の動きを読み解いた。


 す・き・だ


 グレースは口を開けて固まった。自分は何を勝手に解釈したのだろう。まさかビリーがそんな事を言っているわけないのに、そんな風に読み解いてしまった自分が恥ずかしくて仕方なかった。王太子とのキスで自分は誰彼構わず欲情してしまうようになったのかと心配になる。


 父と兄の一悶着が終わり、五人で軽い会話を交わしてお開きとなり、客人を玄関まで見送る。父と兄とバルトラ中将が三人並んで楽しそうに会話に夢中になりながら歩いている。そして少し離れたその後ろを、グレースとビリーは歩く。


 「なあ」


 ビリーがグレースに声を掛けた。グレースはビリーに顔を向ける。


 「好きだ」


 何の脈絡もなく放たれた言葉に、グレースは動揺して立ち止まってしまった。


 「おいおい、止まるなよ。前の三人に変に思われるだろ」

 「アンタが変な事言うからでしょ」


 グレースは気を取り直してまた歩き始める。その歩みに合わせてビリーが隣をぴったりと歩く。


 「なあ」

 「何よ」


 ビリーは突然グレースの手に指を絡めてきた。驚いたグレースが「え?」と言いながら立ち止まってビリーを見ると、彼はその手を自分の口元まで持っていき、グレースの目を見つめながら彼女の指にキスをした。


 「好きだよ、グレース」


 ビリーが囁くと、彼の温かい吐息が手に触れ、グレースの体温も上昇した。


 「ちょっ……ちょっと、どうしたのよさっきから」


 グレースの顔は真っ赤になっている。

 

 「俺を見ろよ」

 「そう言う事言われると恥ずかしくて逆に見れないでしょーが」


 グレースは赤くなった顔を横に逸らしてビリーの視線から逃げる。ビリーはグレースが顔を逸らして自分を見ようとしないので、抱きしめて逃げられないようにした。


 「……なあ……お前を守る役目、俺にくれない?」


 グレースは呼吸を整えようと、ビリーの胸で深呼吸をする。だが彼の香りに更に濃く包まれてしまい、どうにかなってしまいそうだった。


 「なんで……アンタとフランソワ様はよりによって同じ香水つけてるのよ……」


 ビリーは顔を下に向け、抱きしめているグレースを見た。


 「香水?」

 「同じ匂いで、余計に頭が混乱する」


 グレースは彼の胸に両手を添えながら、真っ赤になった顔の口元を少し膨らませてビリーを睨んでいる。ビリーから見た彼女の目は自然と上目遣いになっており、その表情がたまらなく可愛いく、愛おしく感じた。


 「お前……ずるいな」

 「……は?……」


 ビリーはパッと手を離し、グレースを解放する。彼の顔もまた赤く染まっていた。


 「じゃあ、また、王都で会おう」


 ビリーは赤くなった顔でグレースに微笑んでから、玄関に向かって歩き出した。

 グレースは緊張しながらビリーをチラッと見ると、左耳のイヤーカフがきらりと光り、その姿が印象に残った。


   


 ——グレースはその晩、夢を見る。

 


 また前世の夢だ——

 



 「これ、あっためて」


 レジカウンターに缶コーヒーとウィンナーパンが置かれる。


 (げっ、また来た、この暴走族)


 ゆかりの目の前にはヤマトと呼ばれる暴走族が、特攻服姿で立っていた。ゆかりがシフトに入っている時は必ずと言っていいほどパンかおにぎりを買って行く。そして全てレンジでの温めを希望するのだ。


 「温めですね、はい」


 ゆかりは商品バーコードをスキャンすると、パンをレジカウンター後ろの電子レンジに入れ、その間に会計をした。おつりを渡すと、チンッと音がする。

 レンジから出したパンの袋は膨張して膨れ上がっていた。袋の端に少し切り込みを入れるのを忘れていた。


 「……パンが……パンパンだ……」


 目の前の暴走族が真顔でギャグを言った。


 二人の間に微妙な空気とが生まれ、それがまた絶妙な笑いを誘い、ゆかりは耐えきれず吹き出してしまった。


 「え? 何? 面白かったの?」


 どうやらギャグではなかったようだ。


 「え? ギャグじゃないんですか?」


 ゆかりは血の気が一気に引いた。こんなタチ悪そうな輩の言ったことを笑ってしまった。

 

 すると、ヤマトは笑い出す。


 「まじか。そんなんでウケんのかよ。もっと早く言っときゃ良かった」


 笑顔のヤマトは可愛らしく、いつものイカつい雰囲気とのギャップにキュンときてしまった。ヤマトがゆかりを見て小首を傾げながら微笑むと、両耳につけたシルバーリングのピアスが煌めいた。


 「前から思ってたんですけど、ピアス似合ってますね」


 ゆかりはそう言いながら、レジ袋にコーヒーとウィンナーパンを詰めてヤマトに差し出す。別に大した意味はなかった。ただ何となく前から思っていた事を、会話を繋げるために口に出しただけだ。

 

 「ねぇ、下の名前、教えて」

 「……ユカリ……です。紫でゆかり」

 「おれはヤマトね。大きいに和でやまと」

 「はあ……大和……さん」


 急に大和の目つきが変わった。


 「大和やまと、ね」


 まるで獲物を狩る時の獰猛な動物のような目でゆかりを見ながら、軽く首を右に傾けて両手で右耳についていたピアスを外す。

 そして、ゆかりから差し出されたレジ袋ではなく、それを掴むゆかりの手を握った。

 

 「ねえ、ゆかり……」


 いきなり呼び捨てで呼ばれ、ゆかりはドキドキしてしまう。

 

 「俺の右耳のピアスもらってくれない?」

 「……はい?……」


 握っていたレジ袋を払い落とされ、その手にピアスを握らされた。ヤマトの顔を見ると、左耳に残っていたもう片方のピアスが輝いている。

 


 ——そこで夢は終わった。




 グレースはベッドの上で薄っすらと目を開き、天井をぼーっと眺めている。


 「なんか、意味があった気がする……」


 グレースはそれが何かまったく思い出せなかった。まだ眠気が残っており、うとうとと目を瞑ると、すぐにまた眠りについた。

 

 


 


 

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