3. 潜入調査
パーティーは既に始まっており、今夜も令嬢たちはフランソワ王太子の来場を期待していた。以前までのグレースであればその令嬢達の内の一人であったが、今日からはもう違う。今までとは装いも雰囲気も違うグレースが会場に入ると騒めきが聞こえた。
グレースはいつもと違う視線をいくつも感じる。それはどこか熱を帯びたような視線というべきだろうか。
(なんだ……?)
グレースは周りをキョロキョロと見回す。
「お一人ですか?」
声がした方へ振り返ると、笑顔の嘘くさいイケメンが立っていた。
「ゲッ……お兄様」
グレースの兄は、黒に近い紫色の髪にゆるいウェーブがかかっており、肌は褐色、垂れ目で泣きほくろがあり、グレースの兄として頷けるような色気のある男性であった。名前をジブリール・ロザリオという。十七歳のグレースとは六つ歳が離れており、大人の男性だ。
「いつこちらに戻られたのですか?」
ジブリールは周りに聞こえないよう、グレースの耳元まで顔を近づけて小声で話す。
「お父様がわざわざ留学先まで使者を寄こしてきて、連れ戻されたんだよ。グレースを助けろと」
周りにはジブリールがグレースに甘い言葉でも囁いているように見えるのであろう。先ほどからグレースに向けられていた視線がジブリールの方に移って行き、彼は周りから妬ましげな視線を浴びていた。
「そんな格好で来るから貴族の男達に狙われてるぞ。このままだと私は彼らの嫉妬で殺されかねない。一度グレースから離れるからな」
ジブリールは言い切ると、再度嘘くさい笑顔を見せてグレースにお辞儀をする。そして口パクでグレースに伝えた。
が・ん・ば・れ
ジブリールは背中を向けて手を振りながら、そのままパーティー会場の奥へ消えて行った。
「レディ、もしよければ私と一曲いかがですか?」
「レディ、私とお話しでも」
「レディ、あちらに一緒に行きませんか?」
ジブリールがいなくなるとすぐに複数の男性達がグレースの元にやってきて口説き始める。
(なっ……何? 今までこんな事なかったのに)
男達の視線はグレースの豊満な胸元に向いていたり、隙あらばグレースの腰に手を回されたりした。
(ああ、何、簡単にヤレる女だとでも思われてる?)
グレースのスイッチが入り、目つきが鋭くなる。
「気安く触んじゃねぇ」
令嬢らしからぬ低い声が聞こえて、皆まさかとばかりにグレースを苦笑いで見た。だが、見たら最後、蛇に睨まれた蛙となる。
「どこ見てんだコラ、あ?」
群がっていた男達がドン引きして、それぞれがゆっくり左右に割れる様に後ずさると、そこに道ができ、その先にフランソワ王太子が立っていた。
「ひぃ」
グレースは口から心臓が飛び出そうになる。
(なんで、いつもこういうタイミングでフランソワ様に見られんのよ……)
フランソワ王太子は割れて出来た道をつかつかと歩いてグレースの元まで来る。グレースは目を逸らしながらスカートを持ち上げて挨拶をした。
「ご……ご機嫌よぅ……王太子殿下……」
フランソワ王太子はグレースに優しく微笑みかけ、片手を差し出してきた。
「レディ、私と一曲踊っていただけますか?」
グレースは突然の出来事に思考が止まる。憧れの王子様にダンスを誘われている現実が受け止められず、放心状態でフランソワ王太子を見ていた。
フランソワ王太子は動かないグレースの片方の手を握り、彼女の腰に手を回して身体を自分に引き寄せると、彼女をリードしながら曲に合わせて踊り出す。
グレースは王太子の手の感触を感じて、恥ずかしいやら興奮やらで、心拍数が上がりすぎて意識が飛びそうになるのを必死に堪えた。
そして、王太子が自分に飽きないように何か会話をしないといけないと焦りが出てくる。
「あの……なぜ殿下はパーティーにいらしたのですか?」
「さすがに初任務をご令嬢一人で行かせるのは忍びなく思ったので」
王太子がわざわざ自分の為に来てくれた事を知り、グレースは嬉しくて顔を真っ赤にした。
フランソワ王太子は微笑みながら、優雅にグレースの背中を後ろに反らせる。
二人のダンスの麗しさに、周囲は思わず息をのむ。
フランソワ王太子はグレースの後ろに反った背中をグッと持ち上げて元の体勢まで引き戻すと、その勢いでグレースの顔は王太子の顔とぶつかりそうな程の距離まで引き寄せられた。
(ちか……い)
そのまま王太子は動かず、真剣な表情でグレースを見つめている。
(はっ……はっ……はずかしすぎる……)
その状態で曲が終わり、王太子はグレースから手を離し、一歩下がってから胸に手を当てて一礼した。
だが、グレースは王太子が顔を上げる瞬間の表情を見落とさなかった。その表情を見て、心臓がドクンッと大きく波打ち、絶句する。
(……あれ? なんか怒って……る……??)
フランソワ王太子は、一瞬見せた表情をすぐに変化させ、いつもの柔和な笑顔を見せる。
「では、任務頑張ってください」
フランソワ王太子はグレースの前から去って行った。
グレースは、王太子にやはり嫌われたのだと悟った。
(二回も素の私を見たんだもの……そうよね。ダンスを踊ってくれたのは任務の為よね。そりゃそうか……)
グレースは悲しみで力が入らなくなった。失恋ってこんな感覚だったかな、などと考えながら、大きな溜息をつき、トボトボと会場の隅まで歩いて行く。
端っこで抜け殻になっていたグレースの元に、次から次へと令嬢達がやって来てはやっかみの嫌味を吐き捨てていったが、どうでも良かった。
(本当に私の恋は終わったんだ……)
グレースは涙が出そうなのを必死に堪えながら、会場を呆然と見つめていた。
ほとんどの令嬢達はフランソワ王太子を探してキョロキョロしながら歩いており、それ以外の令嬢は恋のお相手探しや、社交界デビューをしてガチガチに緊張していたり、令息達は人脈作りや、パートナーになりそうな相手を物色したり、口説いたりしている。
(ん?)
その中で違和感を感じる存在に気がついた。
前回のパーティーで泣いていたセニだ。
まさか前回あんな風に泣いていた彼女が、間を空けずに社交界のパーティーに参加するとは思わなかった。
彼女を見ていると、緊張している様子はなく、恋愛目的でお相手を探しているようには見えない。だからといって、人脈作りの為に積極的に話し掛けに行く様子もない。
(セニは何を目的にパーティーに来ているのかしら?)
するとセニに一人の男性が近づき、耳元で軽く何か声を掛けた。セニは男を見る事もせず、男にこっそりと手のひらを見せた。そしてセニだけ歩き出し、廊下に出て行った。
グレースは急いで廊下に向かい、セニを尾行した。
セニは屋敷の中に設けられた、いくつかある控室の一部屋に入る。控室の使用目的は多様である。疲れたり気分が悪くなった者が休む事が出来るのは勿論、密談や密会、果ては情事の場にもなり得る。
(部屋の近くまで行かないとさすがに何も聞こえないか……)
グレースはセニが入った部屋に近づこうとすると、後ろから誰かに肩を叩かれ、ゴクリと唾を飲み込む。
「何してるのよ」
振り返るとトリシアが訝しげな目でグレースを見ている。
(やっぱりこいつが犯人!? ブルワーニュ家で起きたって聞いた時から何か関係あると思ってた)
するとセニが入っている部屋の扉が開きそうな気配がした。
咄嗟にトリシアがグレースの腕を掴み、隣の部屋にグレースを引っ張り込んで扉を閉めた。
「しっ」
トリシアがグレースの口を塞ぎ、しゃがみ込んで扉に耳を当てて廊下の音を聞く。グレースもしゃがんで、可能な限り小声でトリシアに声を掛ける。
「何してるの?」
「盗み聞きに決まってるでしょ」
「なんで?」
「何でアンタに理由まで説明しなきゃなんないのよ」
グレースはトリシアを疑うような目で見ながら声を掛ける。
「トリシア……貴方薬の売人なんでしょ?」
トリシアはその言葉に反応して、ゆっくりと振り返る。
彼女のこめかみにはくっきりと青筋が立っていた。
「バカにしないでくれる? 私はアリスを殺した売人を探してるのよ!」
「君達、ちゃんと周りを確認してから話さないと駄目だよ」
急に割って入ってきた男性の声に、グレースとトリシアは真っ青になった。
薄暗い部屋の中から足音がコツコツと近づいてくると、その人物は二人の前でしゃがむ。
「静かにして、私の後についてきなさい」
その人物はグレースの兄、ジブリールだった。
グレースは黙ってトリシアに手招きして、ジブリールの後について行く。
部屋の奥にある広めのクローゼットからは、隣の部屋の声がよく聞こえた。ジブリールが最初に入り、次にトリシア、最後にグレースが入りクローゼットの扉を閉めた。
ジブリールが小声で二人に説明する。
「隣の部屋で薬の取引が行われてる。売人はセニ嬢だ」
「ほーら謝んなさいよ。しかも私、あの女、前に臭いって言ったでしょ」
トリシアは勝ち誇ってグレースに言う。グレースは小さく舌打ちした。
「侍女を殺したのもセニってこと?」
「絶対そうよ! プンプン臭うじゃない」
「トリシア、臭いとか臭うばかり言って……」
「臭うものを臭うって言って何か? ああ、貴方もイモ仲間だったわね」
「いい加減にしろよ」
「やだぁ、こわーい」
「このクソアマ……」
グレースが拳を握り震えていると、隣の部屋から声が聞こえた。
『なんか……隣の部屋に人がいる気配がないか?』
ジブリールが冷たい目でグレースとトリシアを見る。
「二人がうるさくてバレたね」
グレースとトリシアは気まずい顔をした。
「グレース、お前が行け。元々接触まで仕事だろ」
ジブリールは中々の鬼畜兄であった。
「言われなくても行くつもりだったけど。トリシアをお願いね」
グレースがクローゼットを出ると、ジブリールはトリシアにウインクしながら人差し指を口元に当てて「しっ」と言い、トリシアを引き寄せてしっかりと胸に抱きしめて喋らせない様にした。
トリシアは、突然美形の大人の男性に抱きしめられて困惑したが、ジブリールの香水の香りと厚い胸板に次第に夢心地になり自ら抱きついて離れなかった。
グレースは薄暗い部屋のソファに横になって寝ているフリをする。
部屋の扉が開き、灯りが灯る。閉められた扉の前にはセニが立つ。
「なあに? 疲れて寝てたのに」
グレースはあくびをしながら、ゆっくりと上体を起こす。
「グレース様? 失礼致しました。この部屋でまさかグレース様が寝ていらしたとは……」
「ああ、セニ様でしたのね。いえ、またセニ様にお会いできて嬉しいですよ」
セニは沈黙し、何か考えている様子だった。
「いかがなさいましたか? セニ様」
「いえ、私に構うと巻き込まれると伝えたのに、お会いできて嬉しいなんて言うので……」
セニはグレースの姿を見て見定めている様だった。
「グレース様は、突然人が変わる様に性格が変わりますが、ストレスでも溜まっていらっしゃるんですか?」
「え?」
「実は会場でグレース様がご令息達に威圧的な態度を取られていたのを見て、何かお手伝い出来るのではないかと思い、声をお掛けしようか悩んでいたのです」
(もしや、これがビリー達が言ってたガンたれてたら相手から近づいてくるってやつ??)
「あら声を掛けて下さったら良かったのに。ええ、実は少し鬱憤が……何か良い発散方法とかご存知であれば教えてくださいね」
グレースはニコリと微笑むと、セニが近づきグレースの手を掴んだ。
「ちょうど良い物がございます。ただし、絶対に秘密にするお約束と、少々お値段がいたします」
(きた!!)
「ええ、興味があります。ただ、本日は持ち合わせがないので、日をあらためたいのですが……」
「では、本日はサービスいたします」
グレースは次の言葉に戸惑う。これを断ったら怪しまれて逃げられるのではないだろうか……と。
「それは……どのような体験が出来るのですか?」
セニは悪そうな笑みを浮かべた。
「絶頂の気分を味わえますよ」
グレースはセニの表情と言葉に身の毛がよだった。
「そういう事なら……ぜひパートナーと味わいたいので、やはり日をあらためて、私と、パートナーの男性の二人分いいですか?」
「その男性とは、どのような方ですか?」
セニが警戒心を出しているのがわかる。
「関係を秘密にしている、身分の低い恋人です。行く末は愛人関係ですね」
グレースは敢えて男が身分が低いと伝え、権力がなく脅威になる存在ではない事を匂わせた。貴族の奥方がお気に入りを愛人にしてパトロンになる事など良くある話なので、そういう目的の付き合いだと暗に示せば、さほど不思議にも思われない。
思った通りセニは「あぁ」と納得した顔をした。
「身分がないお相手で結婚できない間柄なんですね。貴族あるあるですね。公にするとグレース様の今後の縁談にも支障が出ますものね。大丈夫ですよ、訳ありな方はむしろ歓迎です」
「では、いつその体験をさせて頂けますか?」
「来月ブルワーニュ公爵家で開かれるパーティーでどうでしょうか?」
「ええ、楽しみにしています」
セニが部屋から出て行くのを確認して、クローゼットからジブリールとトリシアを呼び、急いで屋敷を出て行く。
「ジブリール、一緒にいるのを見られるのはまずいから、ここから別れましょう。私は別の馬車で帰るから貴方は……」
そう言いながらグレースが後ろに振り返ると、ジブリールの腕にトリシアががっつりと抱きついていた。
「私怖くて一人じゃ帰れませんわ。どなたかお送りしてくださらないかしら?」
トリシアは目をパチパチさせて上目遣いでジブリールを見ている。ジブリールがグレースを指さそうとした瞬間、グレースは捨て台詞を吐く。
「ジブリール、が・ん・ば・れ」
グレースは走ってビリーの馬車まで逃げた。
(ざまあみろ、鬼畜ジブリール)
グレースは任務が上手く行ったのと、ジブリールの最後の顔に笑ってしまう。その笑顔で馬車をノックして、意気揚々と中に入った。
「ビリー! やったわ!」
だが、馬車の中で足を組んで頬杖をつくビリーはドス黒いオーラを放っていた。
「え、なに? 何で怒ってんの?」
「別に」
ビリーはプイッと顔を逸らす。
グレースは対面に座り、ビリーの顔を覗き込む。
「おーい」
「チッ」
ビリーはグレースを鬱陶しそうにする。
グレースはやり返してやろうと、ビリーの顎を掴み自分の方に顔を向かせた。
「お前も私に向かって舌打ちすんじゃねえよ」
ビリーは特に反論するわけでもなく、ジッとグレースの目を見ている。
「な……何か言ったら?」
グレースの方が調子を狂わされた。
「お前、王太子の何がいいの?」
グレースは更に調子を狂わされる。ビリーは真顔で、全く表情が読めない。ただ王太子と言われ、思い当たる事が一つだけあった。
「あー、わかった! あんた私がフランソワ様と踊ったの知ってるんでしょ? もしかしてヤキモチ? やだアンタ私のこと好きなの? 今度踊ってあげようかー?」
グレースはケラケラ笑いながらビリーを揶揄う。
ビリーは表情を一切変えず、グレースの頭からつま先までゆっくりと視線を移して眺めて、そして「フッ」と鼻で一回だけ笑った。
グレースは揶揄っていた動きを止める。二人の間に数秒沈黙が続く。
「……おいコラ、おまえ今私の事品定めしただろ。で、鼻で笑ったな? 下手な喧嘩売られるより堪えんだろぅが」
ビリーはニヤリと片側の口角を上げて笑った。
「ダァー! くそムカつく! こっちは命懸けで薬の売買の約束取り付けてきたのに!!」
「本当か!?」
ビリーがやっとまともに会話をしてくれそうになった。
「来月のブルワーニュ公爵家のパーティーよ。今日はサービスで使用させられそうになったけど、怪しまれないように断る為に、パートナーと一緒に使いたいって事にして逃げ切ったの。だから、薬をもらう日はビリーが身分の低い恋人を装って一緒に来て」
「でかしたグレース!! 勿論変装してお前の恋人とやらを演じきるさ」
ビリーはグレースの手を握り、目を見て真剣に伝える。
「危険な中、本当に良くやってくれた。ありがとう」
グレースは素直なビリーに戸惑った。
(やっぱりコイツ、そこまで嫌な奴でもないのよね……)
「あと言い忘れてたが……」
ビリーは珍しく口篭る。
「そのドレス姿……よく似合ってる」
ビリーは顔を横に向けて、少し照れたような表情を頬杖をつく手で必死に隠そうとしながらグレースに言った。
(何コイツ、ツンデレ? その表情は反則だろっ!)
ビリーの仕草はグレースのツボを刺激した。
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