決意は寝て忘れる。
2
ー僕は人を殺しました。
彼を殺してから、そのまま何ヶ月も経ちましたが、未だに警察にはバレていません。
あれから僕は、ネットカフェから自宅に帰ってずっと部屋の四隅で震えています。
警察が、いつが来るんじゃないかと怯えています。田辺くん(今は死体)は、今も田辺くんの自宅のカーペットに簀巻きにされているのでしょうか。それとももう既に死体は見つかっているのでしょうか。彼の家は、閑静な住宅地なので、発見が遅れるのかもしれないです。あの大きな窓は、彼の死体を見つけるのに一役買ってくれるのでしょうか。
ここに誰もいない。説明してもひとり。僕は遠くを眺めながら、ずっと考えている。
ああ、そういえば、カーペットに簀巻きにした彼は、みつからなければどうなってしまうんだろう。そのまま血塗れになっているのかもしれないし、腐ってしまって色が変色してしまうのかもしれない。血でカーペットを汚すだけならまだいいけれど(良くない)、フローリングに伝って汚れてしまったり、腐敗臭で家を臭くしてしまうのかもしれないなあ。むしろ、その匂いが、彼の発見に繋がるのかもしれない。田辺くんの家には沢山のお客さんがくるので、疑いの目は、僕以外にも向けられるのだろうか。気味の悪い腐敗臭がする知人の家を覗いたら、知人は死んでいて警察に通報したら、第一発見者として事情聴取に時間を取られるなんて、大変ったらありゃしない。その家はもう事故物件として扱われて、家賃だって大幅ダウンだ。閑静な住宅地の、駅近物件なのにもったいない。ああ、なんてこった。彼自身だけではなく大家さんにも迷惑をかけてしまうなんて。僕はなんて馬鹿なんだろう。過去の行いを悔いた。
あと、僕がずっと漫画喫茶と呼んでいたあの場所の名前も違っていた。ネットカフェだったんだ、恥ずかしい。行動だけじゃなく言動も悔いる。穴があったら入りたい。この26年間、ずっと間違えたまま覚えていたんだ。僕はやっぱり馬鹿なんだ。聞くは一瞬の恥聞かぬは一生の恥、ということわざがあるけれど、そもそもわからないことがわかっていない時はどうしたらいいんだ。人生そんな「わからない」は腐るほどあるじゃないか。馬鹿である自覚が無かったんだ。その愚かさも含めてやっぱり僕は馬鹿なんだ。
僕は台所で膝を着いて項垂れた。後悔は先に立たず、と言うけれど、今になって人を殺したことを後悔し始めた。馬鹿野郎。
バレなきゃいい、ってうっすら考えていた数ヶ月前の自分をビンタしたい。段々と、警察に捕まるのは時間の問題なんじゃないか、という気持ちから、ここまで見つからないのは何か理由があるんじゃないかと疑い始めた。
恐怖による錯乱か、願望なのか。過去を敢えて振り返ってみよう。まず、僕のアリバイは完璧だったのだろうか。
ーいいや。そんなはずは無い。ー
僕は静かに泣きながら、少しづつ冷静さを取り戻して考える。
僕は確かにあの時、指紋を綺麗に拭き取った。だから正体がまだ僕に辿り着いていない、……ってことは何となくわかる。人1人特定するのに数ヶ月も掛かるのか、と言うツッコミは置いといて、わかる。でも、人が1人亡くなっているんだ。ニュースにもならないなんておかしいじゃないか。
もしかしたら、ほんとうに、警察はこのまま彼の遺体を見つけず、僕は捕まらないのかもしれない。
そして警察に自首をするもんなら、「え?なんの話しだ?」と首を傾げられて、気まずい時間をやり過ごすことになる可能性だってあるんだろうか。
それは嫌だなあ。真実を話して疑われるなら、そのままでいいじゃないか。ああ、僕はこんな時ですら、自意識過剰なんだなあ。
人を殺した罪の意識よりも、気まずさを優先する人間なのだ。愚か者です。「お前はなんて愚かな人間だ」と見下してくれる人間すらいない愚か者です。いたら、僕はとっくに警察に捕まり今頃裁判に掛けられているんだろうから。
思考は散らかり、ぐちゃぐちゃと頭は混乱している。けれど、僕はちゃんとまともだ。いや、まともな人間は人を殺しはしないのかあ。もう、勘弁してください。
僕はいつか警察に捕まるんじゃないかと恐怖に襲われ、怯えながら布団に潜り込んだ。
途端に布団の温もりに包まれた体は、心地のいい眠気へと誘われる。ああ、いっそのこと、全部夢だったらいいのに。人を殺したことも、田辺くんが存在していることも、警察が僕を探している可能性も、全部全部、夢だったらいいのに。
僕は眠気に抗えず、気がつくと3時間も眠ってしまった。
辺りは真っ暗で、僕は全てを諦めて、もう一度寝直した。