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Shine  作者: 水原渉
3/12

 主にカレーライスにしか入らない玉ねぎは、スライスされてオニオンサラダになっていた。

 主にカレーライスにしか入らないにんじんは、ごぼうと一緒に煮物になっていた。

 主にカレーライスにしか入らない豚肉とジャガイモは、糸コンニャクと一緒に肉じゃがになっていた。

「いやー、驚いたなぁ! カレーの材料がこうなるとは!」

 さしもの菜沙も思わず翠を誉めそうになったが、先にパパが手を叩いたので口をつぐんだ。照れたように微笑む翠に腹が立ち、つっけんどんに言葉を放つ。

「おうちで食事係だったの? 今頃ママが、ご飯が食べれずに困ってるんじゃない?」

 お前なんか母親いねーじゃん、などとはもちろん口にしなければ思いもしない。翠はようやく話をするきっかけをつかんだ喜びに顔を綻ばせて、明るい声で言った。

「お料理、面白いよ! 美味しい?」

 菜沙は思わず目を逸らせた。すべてにおいて自分は負けている。悔しい。パパが取られてしまう。

「別に。パパの作るカレーライスの方がいい」

 嘘をついた。確かにパパの作るカレーライスは美味しいが、3日に1回、しかも大抵連続して出てくるのでもう飽きた。パパは笑いながらそれを口にした。

「ごめん、菜沙。パパはもうカレーは飽きた!」

「よかったね、ご飯作ってくれる人が来て。こういう人、なんていうんだっけ? かせ……かせいふさん?」

「菜沙!」

 パパは厳しい目をした。菜沙は泣きそうになったが、先に翠が悲しそうな目をしながら、それでも明るい声で言った。

「家政婦さんなら、ここにいてもいいの?」

「…………」

 ダメだ、勝てない。本当に加藤君と同い年なのだろうか。一体どういう環境で育つとこうなるのだろう。

 菜沙はいつもの水っぽい味噌汁とは決定的に味の違う味噌汁をすすりながら、折衝案を考えた。だが、見つからない。折衝案がダメなら、妥協案。家政婦さんなら……お姉ちゃんなら……。

 昨日あの時、もしもパパが菜沙を追いかけていたら、菜沙は「お姉ちゃんならいい」と言ったかもしれない。実際、菜沙の胸にはその思いがよぎった。

 しかし、パパは自分よりも翠のことが好きなのだという敗北感と嫉妬心がわだかまり、その妥協案を飲み込んだ。ごっくん。

「お掃除もお洗濯も、お皿洗いもお風呂の掃除も、お買い物も、あたしがやってたこと全部やるんだよ? それでもいいなら……」

 それは妥協案ではなかった。自分にとってそれらは「苦痛」だったので、そう言えば翠はあきらめると思ったのだ。

 大きな間違いだった。墓穴を掘ったことに気が付くのに時間はかからなかった。

「わかった、やる! ありがとう、菜沙ちゃん!」

「そうか。よかったな、菜沙。ママのおかげで、ようやく子供に戻れるな」

 感慨深くそう言って、パパはビールを飲みながら一人の世界に入って行った。

 そうだ。思えば元々それらの仕事は全部ママがやっていた。だから、新しく来たママがそれをするのは「当たり前」で、自分が言った条件はほとんど「無条件」に等しい提案だったのだ。

 情けない顔で見上げると、パパはしみじみと頷き、翠は嬉しそうに微笑んでいた。その笑顔に苛立ちが募る。

「家政婦さんだからね! ママじゃないから!」

「うん、いいよ。ありがとう、菜沙ちゃん」

 菜沙は大きく頭を振って、箸を置いて立ち上がった。口を閉じても開いても、物事は自分の嫌な方に進んでいく。

 また部屋に閉じこもる。ただ、昨日とは違い、ドアの向こうから聞こえてくるのは笑い声だった。

 菜沙は両手で耳を塞いで、ベッドの上に突っ伏した。


 翌朝も、翠は菜沙より先に起きてご飯を作っていた。

「おはよう!」

 元気に声をかけられて、菜沙は思わず「おはよう」と言ってしまった。それから激しく自己嫌悪に陥る。

 メニューは昨日とほとんど同じだったが、サラダは昨夜のオニオンサラダの残りだった。それからチーズの代わりにヨーグルトがある。菜沙の好きなストロベリーヨーグルトだ。

「パパが買ってきてくれたの?」

 すでにテーブルに座って新聞を読んでいたパパに聞くと、パパは「翠だよ」と言った。

「好きなんだ。良かった」

 ほっとしたように翠が笑って、菜沙はますます憮然となった。口を開くと翠が喜ぶ流れは昨夜と変わっていない。

 昨日の激しく泣いていたあの翠はどうしたのだろう。どういう話題からあのうっとりと優越感に浸れる流れになったのか。

 ……そうだ、家族の話だ。生い立ち、過去。

「ねえ、ミドリちゃん。昨日学校は?」

 その質問に、翠は少しだけ表情を暗くした。翠がちらりとパパを見ると、パパが新聞を置いて答えた。

「菜沙と同じ学校に転校する。今手続きの最中だ。よかったな、菜沙」

 何が良かったのかさっぱりわからなかったが、無視した。未来のことはいい。過去だ。

「今まではどこの学校に行ってたの? お友達は? 部活は? 楽しかった?」

 目を輝かせて尋ねると、案の定翠は困ったように視線を逸らせた。助けを求めるようにパパを見たけれど、パパは今度は何も言わなかった。

 一度考えるように天井を仰ぐと、次に菜沙を見たときにはいつもの笑顔に戻っていた。いや、少しだけ勝ち誇るような微笑みだった。

「遠くの学校。お友達は少なかったし、部活には入ってなかったけど、楽しかったよ」

「そ、そう……」

「菜沙ちゃんは? どんなお友達がいるの? 学校は楽しい?」

 そう質問した翠は、もう純粋な瞳をしていた。けれど菜沙はバカにされたと思い、乱暴に「楽しいよ」と言った。

 そして食事をしながら、意地を張るようにお友達や先生の話をする。パパと翠はそれを楽しそうに聞いていた。最後まで、はめられたことには気付かなかった。

 話し終えて果物の梨を食べてしまうと、翠が静かにこう言った。

「ホントに楽しそう。わたしも、楽しめるといいな」

 その瞳といい声音といい、何か含んでいると、まだ小さな菜沙にもわかった。けれどそれがどういうものなのか、例えば喜びから来るものなのか、悲しみから来るものなのか、嫉妬か羨望か、それとも別の感情か、さっぱりわからない。

「さあ、無理じゃない?」

 意地悪くそう言うと、翠は珍しく弱気な瞳で笑った。

「そうかもね。でも、頑張る」

 パパは何も言わなかった。敢えて目を合わせようとせず、まるで聞いていないように新聞を読んでいた。

 翠は頼るような目で菜沙を見て、儚く微笑んだ。

「だから、もしわたしが困ってたら、菜沙ちゃん、助けてね?」

 本心からそう言っているのか、これもアプローチなのか。菜沙は「駆け引き」などという言葉は聞いたこともなかったけれど、少なくとも翠はそういう技術を持っているように思えた。

 飲まれてはいけない。必死にそう言い聞かせ、とにかく断ろうと思って吐いた一言で、また自己嫌悪に陥る。

「ミドリちゃんはママなんでしょ? 子供に頼らないでよ」

 翠がはっと目を見開き、パパが驚いたように新聞を下ろして、初めて菜沙は失言に気が付いた。やっぱり喋れば喋るほど悪化していく。

「そういう意味じゃないから! 認めたんじゃないから!」

 今にも「ありがとう」と言いそうな翠にぴしゃりとそう言って、さっさと立ってお皿を運んだ。背中に「拒絶」の二文字をペタッと貼り付けたが、翠は構わず言った。

「ありがとう、菜沙ちゃん」

「違うから!」

 菜沙は思わず涙をこぼした。それがどんな涙なのか、自分でもよくわからなかった。


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