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シンギュラーコード  作者: 甘糖牛
第三章
73/73

幕間

「疲れも残ってるだろうに連日に渡って色々聞いて悪かったな。聞きたいことは以上だ。下がってくれ」

「はい、それでは失礼します」


 一人の少女が丁寧に頭を下げて部屋から退出していく。それを室内に残る二人の男が見送る。

 部屋の扉が再び閉じられると、男のうちの一人が小さく息を吐いて、もう片方の人物へ話しかける。


「なあ、ヘクター」

「なんだ?」

「メリアって、あんな性格だったか?」


 ヘクターと呼んだ壮年の人物、名をヤグという男が不思議そうに首を傾げた。

 ヤグは元々アケイロンで活動していた探索者だった。現役時代はチーム内で纏め役や後輩の面倒を見ることが多く、指導的な役割を果たしていた。現役を退いた今ではその能力が評価され、同チーム内で探索者を管理する立場に就いている。

 探索者チームは主に探索者資格を持つ者だけで構成された集団だ。しかし必ずしも所属する全員が探索者とは限らない。大きな組織になるほど全体の管理や適切な人員の活用が難しくなる。そのため規模が大きなチームでは探索者以外の人材を抱えることが当たり前になる。彼らは戦う以外の方法で、所属する探索者たちの活動をサポートしている。

 外部から人員を雇う場合もあるが、チームの重要機密を扱う役職は現役を退いたメンバーかその家族が担うことが多い。情報の取り扱いは時に命に関わる。信用が置けない人物には任せられない。

 そのヤグが所属探索者の管理業務の一環も兼ねて、同僚で長い付き合いのあるフェルトマンへ尋ねた。


「死ぬような経験をすれば、誰でも変わるんじゃないか」

「いや、普通は傲慢や有頂天になったりするだろ。なんたって鎖の回廊だぞ。アケイロンじゃ初期メンバーに一人いただけで、それ以来となる踏破者だ。かなりの快挙と言っていいぞ」

「言われてみればそう、か?」


 フェルトマンはその指摘に軽く首を傾げた。

 鎖の徊廊の踏破者となるには実力だけでは足りない。巡り合わせにも恵まれる必要がある。

 アケイロンの歴史では天才や怪物と呼ばれる者たちが所属した時期が幾度かあった。他ならぬヤグやフェルトマンだって、上級探索者というある種の頂に足をかけ、傑物と呼んで差し支えない実績を残している。そんな彼でも鎖の回廊に挑む機会には恵まれなかった。鎖の徊廊は境域中から人間を引き摺り込む。言うなれば境域に存在する全ての探索者が対抗となる。

 その宝くじの当選に等しい確率をすり抜けるには才能と実力だけでは足りない。遺跡に選ばれる“運”が必要だった。


「とはいえあいつは元々あんなものだろ」


 メリアは気難しい性格で知られていたが、目上の人物に対する礼儀は弁えていた。チームの幹部に恭しい態度を取るのは今に始まった事ではなく、その印象と他のメンバーに対する態度のギャップが、逆に彼女の評価を落としていた。

 それに大きなトラブルや事件に巻き込まれた探索者がそのショックから心的外傷を抱え、性格が豹変することは割とよくある話だ。それに比べたらメリアの変化はそれほど露骨ではないので、フェルトマンはそこまで強い違和感を覚えなかった。

 現役を退いて久しいヤグは、未だ第一線に立ち続ける同僚の感覚との違いに、「そんなもんか?」と微妙な納得とともに疑問を沈めた。


「それにしてもメリアの奴も真面目だよな。報酬で自分が強くなるための装備を選ぶなんてよ。俺だったら絶対奉仕用の人形兵器とか選んでるぞ」


 事情聴取では踏破報酬についても及んだ。別に隠すことでは無いと思い、メリアは自分の選んだ報酬について大まかに話した。報酬を選ぶ過程で他にどんなものがあったか尋ねられたので、それについても答えた。人形兵器の存在は事情を知る者に少なからず驚きを与えた。

 遺跡から手に入る自動人形は完全に独立した個ではなく、外部と接続する機能を備えている。元々は機体のソフトウエアを更新して最適な動作を可能とするために組み込まれたものだ。それが現在でも働きを見せて、周辺に通信環境の生きた遺跡が存在すれば勝手に情報の送受信を行う。存在しない場合でも、現代のネットワークを解析して自機の通信規格を再構築し、そこを経由して繋がろうとする。

 自動人形を持つ者の情報は、自動人形を介して少なからず遺跡側に流れている。遺跡側に漏れた情報は、遺跡のシステムに接続可能な権限を持つ者であれば覗くこともできる。情報の秘匿性に問題を抱えている。

 ただしそれは自動人形に限った話ではない。現代企業の製品でも顧客の情報は生産者側に把握されている。そしてそれを気にする者は少ない。これらは生活の質を高め優れたサービスを提供してくれる。その恩恵の対価だと考えれば、ほとんど無視できるものでしかない。

 それでも気にする者はいる。特に組織で上位の地位につき機密性の高い情報に触れる者は、自動人形を始めとした自律機械の類をそばに置くことを控える。

 現代の企業によって作られたものの中にも、巧妙に盗聴機能を隠し持つものは存在する。中でも自動人形を始めとした画像データや音声データを取得する機能を備えた機器は、情報窃取能力が他より高い。だから厳格な情報管理を行う組織では、自律機械の取り扱いに非常に注意している。仮に使用するとしても絶対の安全が保証されたものに限られる。まかり間違っても他組織で作られたものや、遺跡から取得されたものをそのまま使うことはしない。

 そういう意味で鎖の徊廊産は非常に優秀である。鎖の徊廊はどこの遺跡にも属していない。バックドアの類も組み込まれていない。完全な自己完結型の機体となる。よって遺跡を含めた外に情報が漏れ出ることはなく、情報の流出を心配する必要も無い。

 さらにセキュリティ自体も異常に強力だ。詐欺や脅迫、不正な意思誘導による権限の移譲が行われても、所有者の生命維持や意思表示が最善と判断されない限り、機体の権限移譲は起こらない。仮にセキュリティが突破され権限の上書きが起きても、即時に自壊するよう保護プログラムも組み込まれている。

 鎖の徊廊を含めた一部の遺跡で入手可能な自動人形は、情報秘匿性の観点から他の遺跡で産出する自動人形より高額で取引される。そこへ更に鎖の徊廊産という希少価値が加わり、同型同性能であっても他の機体と比べ数倍の価値がつく。はっきり言って、それを売って得た金で装備を整えた方がいいくらいだ。

 そこまで知らなかったとしても、数十億ローグの価値を捨てて自分を強化する選択を取ったメリアに、ヤグは素直に感心していた。


「あそこの装備は優秀だからな。百年以上前に獲得されたものがろくなメンテをせずとも普通に使えると聞く。耐用寿命を考慮しなくて良いという事実は大きいだろう」


 探索者が装備を買い換える一番の理由は装備の破損や劣化である。モンスターと戦えばその分だけ装備の損耗は進む。激しい戦闘を行うほどそのペースは加速する。丁寧な整備を行い安全な戦闘を心掛ければ損耗の速度を抑えることはできるが、当然それにも限界がある。いずれきたる装備の新調や更新作業は、どんな一流探索者にだって避けられない事柄である。

 二番目の理由は、自分の実力に合わなくなるときだ。購入した装備が使えるのは適正ランク帯かその一個上までで、それ以上実力と乖離すると戦闘に耐えられなくなる。使用者の魔力強度によっては明らかな機能不全を起こす。

 無理して使い続けだところで、失うのは装備だけではない。命もだ。上に進んだ者ほど自身の装備に金を掛けることを惜しまなくなる。それは彼らが積み上げた経験ゆえに知っているからだ。装備を惜しめば死ぬと。

 鎖の徊廊で手に入る装備品は、探索者が装備を買い換える理由になっている二つの問題を解決してくれる。装備としての物持ちがこの上なく良く、個人の実力にも広い幅で対応している。メリアはもう上級探索者になるまでは一生装備更新をしなくても良いだろう。壊れない装備品というのは金銭的な価値以上の価値を含んでいる。

 フェルトマンはそれを踏まえた上でさらに言う。


「お前も現役なら、今より強くなる方法を選んだんじゃないか?」

「……それは、そうかもな」


 短い沈黙の後に出た言葉は、どこか感傷を帯びていた。その理由に心当たりがあるフェルトマンは、茶化しや追及を行うことなく黙って聞き流した。

 どこか感傷的になった空気をかき混ぜるため、ヤグは大げさに息を吐き話題を変える。


「そういや、メリアと一緒に飛ばされたっていう、ロアだったか? そいつを勧誘する目処は立ってるのか?」

「いいや、現状ではノータッチだ。鎖の徊廊の踏破者ともなれば協会からの保護が手厚くなる。無理な勧誘をすればいくらウチでも印象を悪くする。とりあえずメリアかオッゾあたりを介した顔つなぎからだな」


 チームに所属していないということもあり、アケイロン内では合同探索で有望だと見なされたロアの勧誘を考慮していた。だが予想外の付加価値が付いたせいで、一時的にその判断は保留となった。

 決して諦めた訳ではない。確かな実力が証明されたのだ。なおさら他所には渡せない。知り合いというアドバンテージを生かして、地道な勧誘を行っていくつもりだった。


「そうか。ならもう一人の方は? コヴェルがやたら勧めてた」

「ナックルか。あいつにはもう接触したが、断られたようだ。交渉する余地もなかったそうだ」

「我を貫くタイプか。そういうのは応じないだろうな。俺の勘だとロアってやつも同じタイプな気がするな」


 フェルトマンは苦笑する。一度も会ったことないどころか、まともなプロファイルすら知らない相手の性質を予想する。普通なら一笑に付すところだが、同性の気質を見抜く点でヤグの勘は意外と当たる。否定はできなかった。

 ヤグは続けて思い出したようにあることを言う。


「ところで、ハルトの奴はどうした?」

「どういう意味だ?」

「いや、なに。メリアたちが飛ばされたとき、お前と少し揉めたんだろ。引きずってんじゃないかと思ってよ」

「あいつがそんなタマかよ」


 気心を知る同輩ほどではないとはいえ、フェルトマンはハルトという青年の人となりをそれなりに把握しているつもりだった。あの程度のいざこざをいちいち引きずる性格ではないと思っていた。実際メリアが帰還際にウィスとともに軽く探りを入れていたが、特に当時のことを気にしてる様子はなかった。

 フェルトマンの内心の考えとは裏腹に、その態度に若干の不安を感じたヤグは、念のために軽く釘を刺しておく。


「別に特別扱いや甘くしろとは言わんが、もう少し相手の意思に寄り添ってくれよ。あいつに出ていかれたらやばいからな」

「覚えておくよ」


 その会話を最後にフェルトマンも部屋を出た。

 拠点の通路を歩きながら思考に耽る。


(結果的にウィスの奴が正しかったってことか……)


 今回の件、事務や管理を担う非戦闘員は殊の外歓迎している。当然だ。アケイロンの若手には元々ハルトやオウカがいた。若くしてCランクになったこの二人は若手の中で別格の扱いを受けている。

 そこにメリアが加わった。メリアはまだDDランクでしかないが、鎖の徊廊から帰還を果たした事実はランク以上の意味を持つ。現時点での実力はともかく、人材としての価値や希少性で言うなら、すでに並みのCランクを超えている。アケイロンの若手でトップに位置するハルトに並び立つほどと言って過言ではない。

 この三人はほぼ間違いなく上級探索者に成り上がる。不幸な事故に見舞われない限り、行く行くはAランクになることだって夢ではない。鎖の徊廊の踏破にはそれだけの意味と価値がある。

 アケイロンは名実ともにウェイドアシティのトップチームだ。そしてミナストラマでも有数の力を持ったチームだ。しかし、同程度の戦力を抱えた探索者チームは同都市に限ってもスネイカーズを始め複数存在する。他都市や大企業の専属や直属を含めればより増える。所詮は指折りの一つでしかない。

 それがハルトたちの世代ではトップに躍り出るかもしれない。ミナストラマで最も優れたチームになることさえ現実的に十分にあり得る。それほどAランクには特別な意味がある。

 今の若手たちを黄金世代と呼ぶ者もいるが、正しくチームにとって黄金期。その言が現実味を帯びている。

 だから若手の中で最も優れたハルトを特別視し、次代の旗手として持ち上げようという風潮がチーム内で、特に非戦闘員を中心として生まれている。部屋を出る前にヤグから告げられた発言も、それを踏まえてのことだった。ウィスを含めた一部の現役たちもその流れを後押ししており、メリアの鎖の徊廊踏破はそこに拍車を掛ける事態となっていた。

 そこまで思考してフェルトマンは首を横に振る。


(いや、ハルトがどれだけ才能才能に恵まれようと、メリアが鎖の徊廊の踏破者であろうと、組織の足並みを乱すことは看過できない。アケイロンはこれで正しい)


 自らへ言い聞かせるように抱いた方針を硬くした。




 所属するチームの幹部への報告を済ませたメリアは拠点内を移動していた。

 探索者協会を交えた聞き取りは昨日の時点で既に終えていた。それとは別に一晩置いて改めてチーム幹部の前でより詳細な説明を行った。前回の聞き取りで尋ねられなかったこと。一緒に飛ばされた同行者、ロアの話題を中心として。

 アケイロンはロアの勧誘を真剣に検討していた。その詳しい実力や人柄を把握しておきたいと考えていた。聞き取りの際にそう説明されたメリアは、チームに所属する一員としての義務感と責任感、そして個人的な願望も含めて、共に戦ったロアの情報について可能な限り正確な情報を伝えた。

 もっとも彼に対する義理と恩義がある。本人が黙っていて欲しい言った部分については、しっかりと説明から省いた。

 他にも体調面やメンタル面での話を軽く交え、心身に問題がないことを確認された末に、ようやく解放された。


 拠点内を移動するメリアは、途中で同チームの者たちとすれ違う。その反応は避けられたり顔を逸らされたりヒソヒソと様子を窺われたりと、明らかに好意的なものとは違う。

 だがメリアはそれを気にしない。心を入れ替えたところで、個人の風評など一日二日では変わりはしない。撒いた不信の種の数だけ長い時間がかかるだろう。たとえ分かってもらえずとも、それならそれで構わない。本当に知ってくれる人物が一人いれば良い。他人の言動にいちいち惑わされるのはもうやめた。

 拠点内の充てがわれた自室に戻ったメリアは、自身の情報端末を軽くいじった。そこに予想していた連絡が無いことを知り、安堵とも辛気ともつかない息を吐いた。

 鎖の徊廊から生還を果たしたという事実は、探索者以外の者たちにとっても結構の大事だ。メリアとてそれは例外ではなく、もしも実家にそれを知られれば呼び出しを受ける可能性は高かった。既に親離れと言うべき独立した生活を営んでいるが、父親との縁を切り、完全に関係を断ち切ったわけではない。育ててもらった恩だってある。無視するわけにはいかなかった。

 近い将来に高い確率で訪れるであろう事象を若干憂鬱に思いながら、メリアは体を動かしやすい格好に着替えた。


 探索者にとっては休みも訓練のうちである。オーバーワークは体を壊す元で、生死に直結するデバフとなる。合同探索や鎖の徊廊での疲労を考えれば休むのが懸命である。

 だが今のメリアの身体には活力が漲っていた。つい先日の死闘の後遺症は全く残っていない。帰還した後すぐに病院へ行って精密検査も受けていたが、問題や異常は見られなかった。

 やはりあの人口知性から貰った治療薬が良かったのか。今のメリアは心身ともに絶好調の状態だった。


 拠点内にある訓練室に移動したメリアはそこで器具を使って体を鍛え始めた。いかに魔力で強化し超人的な能力を発揮しようと、基となるのは自らの肉体だ。基礎的な身体能力は前衛後衛に限らず必須である。一流の探索者を目指すならばどちらも怠ってはいられない。適度な負荷をかけて強度を高めていく。

 でも彼女としては女性であるので、極力筋肉はつけたくない。筋密度を高める方向でトレーニングを行う。効率を高めるために専用のサプリを使用し、トレーナーAIの指示に従って自分の体に合った適切で効果的な方法をこなしていく。

 一旦休憩を挟んでいると、新たにトレーニングルームへ入ってくる者がいた。


「あっ、メリア。こっちにいるなんて珍しいね」


 現れたのは一人の少女だ。当然ながらメリアは彼女の名前を知っている。オウカ、アケイロンの若手の中でもハルトと並んで才覚を発揮する天才。メリアが実は苦手にしていた人物でもある。

 今はもう、彼女に対する苦手意識や劣等感は残っていない。自分は自分なのだと、そういう生き方をすればいいのだと、教えてもらった。


「まあね。鎖の徊廊では体力の無さを実感したし、これからはしっかり基礎能力の方も鍛えようと思ったのよ」


 振られた社交辞令的な声かけに対し、メリアは落ち着いた口調をもって答える。

 今までの彼女であったなら、一言一言にこの歳の近い優秀な相手への劣等感や荒んだ内心が無意識に込められ、それを意識して消そうとしたせいで、会話がぎこちなくなることが少なくなかった。自分でも意外なほどスッキリとした返事を返せて、自分のことながらメリアはちょっとだけ驚いた。

 その驚きは相手にも共有されたようで、オウカはキョトンと不思議そうな顔を作る。その素面と思える一面を見つけて、メリアは内心で少しだけ可笑しく感じる。

 それに気づかずオウカが尋ねる。


「メリア、あなたなにか変わった?」

「そりゃ変わるわよ。あんな体験をさせられたんだもの。変わらない方が変じゃない」

「うーん。そういうことだけど、そういうことじゃないような」


 オウカは今度は困ったような笑みを見せた。

 普段の余裕を持った大人びた態度とは違う、まるで年相応の少女らしい反応。先ほどの表情を含めてこんな一面もあるのかと、メリアは相手のことを知ってるようで全然知らなかったことを知る。


「前はこういうトレーニングルームにはあまり寄り付かなかったでしょ。そういうところも心境の変化があったってことじゃないの?」

「まあ、それはそうかもね」


 それは他者と積極的に関わりを持ってこなかった結果だ。同じチームの仲間であるのに無関心を貫き、必要以上の関係構築をしようとしなかったからだ。

 そして、相手のことを知らないのは互いに同じ。それがまるで始めて会話をするような手探り状態を生んでいる。

 そこに気づきメリアは苦笑した。養成施設時代を含めればそれなりに長い付き合いがあるのに、初めてまともに会話するような気分になっているのが、なんだか無性に可笑しかった。

 不思議そうに首を傾げるオウカに、笑みを戻したメリアが言う。


「強いて言うなら、本気で目指すことにしたのよ。本気の本気でね」

「本気?」

「そうよ。上を目指すわ。探索者としての上をね」


 だったらこの関係もこれから始めていけばいい。

 生き方を変えていくと決めた。違う自分になろうと決意した。

 過去の自分は変えられない。犯した行動も変えられない。けれど未来の自分は変えられる。

 今までは避けていた他者との付き合いだって、手遅れだから諦めず、また最初から始めていけばいい。全てはこれからだ。


「モタモタしてると、あなたたちより私が先に上へ行っちゃうかもよ」


 これをその第一歩とするつもりで、一緒に競い高め合う戦友への気安さを込めるつもりで、メリアは目の前の少女に向かって挑発げに笑いかけた。


「……そうなんだ。うん、頑張ろうね」


 オウカは意表を突かれたように目を瞬かせると、またいつものような穏やかな微笑を口元に貼り付けた。それはメリアがよく知る大人びた彼女の顔だった。

 その反応を見せられたメリアは、肩透かしを食らったようになんとも言えない笑みを作る。ともあれ、一歩目としてはこんなものだろう。人間関係なんてすぐに育めるものではない。少しずつ気長にやっていくしかない。

 そう思い、自発的に慣れない会話を振りながら、トレーニングをこなしていった。




 スネイカーズに属するダンは室外訓練場で汗をかいていた。相手は模擬戦闘用の木偶、倒した機械系モンスターをリビルドして訓練用に再活用したモノだ。

 木偶からは殺傷力の高い武装は外されている。制御システムの行動パターンも書き換えられていて、相手を死に至らしめないよう安全設定を施されている。

 本来の戦闘力よりは大きく低下しているが、だからこそ訓練にはちょうどいい。多少なら壊したところで文句も言われない。遠慮なく訓練に励んでいた。


 交流会の日からダンはずっと怠惰に過ごしていた。探索には行かず、訓練も行わず、拠点と街を行き来するだけの生活を続けていた。それはウェナに面と向かって苦言を呈されるほど自堕落で退廃的なものだった。その彼が急にやる気を漲らせた理由は、一昨日の出来事に起因していた。

 交流会への不参加を決め込み部屋で引きこもっていたダンの元にキザニスが現れた。そして彼から唐突にある人物の情報を求められた。当初は鬱陶しそうにあしらうだけのダンだったが、キザニスからとある情報を聞かされ態度を一変させた。


 鎖の回廊。探索者の間では一種の都市伝説に近い存在として有名な場所。

 そこにかつての幼馴染が飛ばされた。その事実だけならダンに大した驚きはなかった。運がない。それだけで終わった話だった。

 しかし話はそこで終わらなかった。なんとロアは鎖の回廊から帰還を果たしたのだ。

 それを聞いたダンは信じられなかった。ロアは魔力を持たない無才の人間だった。若くして中級探索者になった自分より明確に劣る存在だった。それが、鎖の回廊という一流探索者への登竜門とも言うべき迷宮を踏破した。そんな現実など信じられなかったし、はっきり言って信じたくなかった。

 呆然としたダンはその後なにを話したのか覚えていない。気づけばキザニスはいなくなっていた。


 翌日からダンは再び始動した。負けられないという対抗心と、燻っていた自尊心が、再び彼の心を突き動かした。

 数日とはいえ鈍った体を鍛え直すため、ダンは遺跡に行かず自主訓練に時間を費やしていた。スネイカーズは一流のチームだけあって、専用の訓練場を拠点とは別に所有している。郊外に築かれた訓練場にて、ダンは全身に重りをつけた負荷訓練を行っていた。


「いやあ、今日も精が出るじゃねえか。あんだけ腑抜けてたくせによぉ」


 その訓練場に、新たに一人の青年が顔を見せた。粘つきを含んだ特徴的な声音を捉えて、ダンは相手の正体を察する。

 声のした方へ振り向き、現れた人物を視界に入れた。


「何か用か、キザニス」

「釣れねえこと言うなよ。お前がやる気を出す情報を教えてやったのは俺だろ? 少しくらい愛想よく迎えてくれたっていいだろ」


 ダンは内心で舌打ちした。認めがたいが、それは確かに事実だったからだ。

 もしも彼からもたらされた情報がなければ、未だ自分は自室で引きこもっていただろう。その自覚がある分、このいけ好かない相手を無碍にあしらう気にはなれなかった。もっとも素直に感謝を述べる気は皆無だったが。

 悪感情を見て取ったキザニスは楽しげな笑みを浮かべて言う。


「だが、人形ばっか相手しても意味ねえぞ。実戦をしねえとな」


 ダンは思わず身構えた。キザニスはまるでモンスターと対峙するときのような、凶暴な気配を全身に漲らせていた。

 実のところ、ダンはそこまでキザニスのことが嫌いではなかった。素行は悪く性格も最悪。まかり間違っても人としては好ましくない。友人になるのも真っ平御免である。

 しかし、強さに対する姿勢だけは高く評価していた。若くして成り上がり、その恩恵を享受して付け上がり思い上がる者が少なくない中、キザニスは強くなることに関しては真摯だった。既にしてCランクという若手ならトップクラスで、探索者全体でも上位に含まれる実力を手にしていながら、全く現状に満足している様子がなかった。ストイックに己を高め続けていた。

 スネイカーズを含めた若手の中で、キザニスだけがずっと先を見据えているようにダンには感じられた。


「丁度いい機会だ。俺が付き合ってやるよ」


 これで性格がマトモならば、もっと周囲からの評価や人気も高かっただろう。それをほんの少しだけ残念に思いながらダンは小さく息を吐く。

 とはいえ、彼の気質は間違いなくスネイカーズという組織を体現している。力こそが正義で、強さだけがモノを言う。ある意味で探索者の世界と同様の理屈を踏まえている。

 尊敬は決してしないが、一人の探索者として認めてはいる。その敬意がキザニスという人物を嫌悪しきれない理由だった。


「今回も何かを賭けるのか」

「別に今回は賭けようなんて言わねえよ。お前がそうしたいなら構わんけどな」


 キザニスが口の端を持ち上げ挑発的に笑う。

 ダンがアケイロンに加入したばかりの頃、キザニスから勝負を持ちかけられたことがあった。ウェナの貞操を賭けてだ。それはあからさまな挑発で受ける必要のない賭けだったが、当時まだ仲間の喪失を重く引きずっていたダンは、身の内に溜め込んだ鬱憤を晴らすつもりで、あえてその挑発に乗って闘った。

 しかし結果は惨敗だった。当時はもう中級探索者で、一人前と言えるだけの実力を身につけていたダンであったが、この近しい年齢の青年に歯が立たなかった。一方的にボロボロにされて、土を舐めさせれた。結局は最後まで諦めずに食らいついたダンに対して、キザニスが嫌気を見せてその賭けは流れた。

 今思えばどこまで本気だったのか分からない。キザニスという青年はとにかく人を食ったような態度で、相手の反応を引き出そうとする気質がある。ウェナの貞操を求めたのも、自分を怒らせ本気にさせるためだったのかもしれない。


 余計な思考を振り払ったダンは軽く嘆息すると、体に身についていた拘束具を外していく。やる気になったダンを見てキザニスは楽しげに笑う。ダンは憮然とした面持ちを作り拳を構えた。

 負けられない。負けたくない。その意地とプライドに突き動かされて。

 一発くらいはそのニヤケ面に拳を叩き込んでやろうと思い、挑んでいった。




 エリスライトの拠点内には銃撃音が響き渡っていた。

 エリスライトというチームは女性のみで構成されていることで有名な探索者チームだ。それは性別が片方に偏っている特異性というより、もっともらしい理由、その高い実力ゆえにだ。エリスライトに所属する探索者は、アケイロンやスネイカーズと言った有名チームにも引けを取らない。紛れもなくウェイドアシティを代表する探索者チームの一つに数えられる。

 ただ男性が全く所属していない訳ではない。加入に足る理由や由縁があるとリーダーや幹部陣に判断されれば、男性であってもチームへの加入は認められている。

 当然ながら好色目的の男は問答無用で追い返される。エリスライトの女性たちは実力もさることながら容姿にも優れている。一般人からすれば大金と呼べるほどの金額を容姿に費やしている者も少なくなく、世間一般で美人と称される者が多い。よって常に多くの男たちの興味と邪な視線を惹きつける。

 だが実態に反して力づくで襲そうと考える男たちはほとんどいない。返り討ちに合うと知ってるからだ。探索者として築き上げた強さと畏怖が、彼女たちを守護する最大の盾となっていた。

 そのエリスライトの拠点内は現在騒動の渦中にあった。今なお続く銃撃音という名の戦闘音は止むことはなく、ひっきりなしに続いている。それは暴れている者が制圧が困難な相手であることを示していた。

 拠点の上階にいる一室で、部屋の主人が階下で起きている騒ぎについて、気疲れした顔を作り対面の人物に事情を尋ねた。


「……それで、あの子は何をそんなに怒っているの?」

「合同探索に参加できなかったことを相当根に持ってるようです。特にアレの話があったせいで」

「ああ」


 騒ぎを起こしているのはエイムという少女だ。エイムはエリスライトに属する若手探索者の一人だ。

 今回の若手を集めた合同探索で、エリスライトから参加させたのはルプセナただ一人。特段他所のチームに対して自チームの若手の実力を隠す意図があった訳ではないが、わざわざ有望な若手をお披露目して、華を持たせる必要性もない。そういう判断からだ。

 エリスライトとアケイロンは都市や世間からの評価を奪い合うライバル関係にある。その後援企業も商売敵と呼べる間柄にある。アケイロンが主導する合同探索で、相手側の面子を立てる訳にはいかない。そのため参加資格のある若手には半ば強制に近い形で自粛させていた。

 その分の補填は特別なボーナスを出して埋め合わせた。不満はなかった。エイム以外。


「一応聞いておくけれど、あの子には伝えてないのでしょうね」

「少なくとも私からは。しかしエイムは先代の娘です。気を利かせたつもりの誰かが教えても無理からぬことかと」


 チームの上層部はルプセナが記録した合同探索のデータを受け取っていた。そこには今回の参加者のうちルプセナが行動を共にした若手探索者たちの情報が含まれていた。

 本来であればそれほど価値のある情報ではなかった。いくら有望な若手といえど、所詮は難易度の低い遺跡での戦闘データだ。成長すればすぐに役に立たなくなる情報に過ぎない。初顔の存在を加味しても重要性は低かった。

 けれど一つだけ興味深い情報があった。普通なら眉唾と疑うところだが、ルプセナが直に収集したこともあり非常に確度の高い情報だと認識された。

 ただ本来なら貴重な情報も、今回ばかりは厄ネタに等しかった。


「はあ……あの子はウチの中で特にあの場所に行きたがってたからね。そうなるのも無理ないと言えば無理ないか」


 エイムという少女は遺物蒐集趣味者だ。特に特定の遺物を集めることに執心している。だから金銭よりもどちらかと言えば遺物そのものを欲しがる。今回も自分の望む遺物を求めて合同探索に参加したがった。

 それを金を渡して無理やり黙らせた。渡した金で流通する遺物を買えばいいと説得した。その時は彼女も渋々ながら納得を示した。どうせ合同探索で回収された遺物は市場に出回る。金で手に入るならわざわざ参加する意義はなかった。

 しかし事情が変わった。合同探索に参加している者から鎖の徊廊へ飛ばされた者が現れた。

 鎖の回路は探索者の墓場という代名詞が付けられるほど危険な場所だが、そこを乗り越えれば見返りとして望む遺物が手に入る。しかもそこらの遺跡で手に入る量産品や劣化品ではない。特注に近い完品だ。質や性能も通常の遺跡探索ではお目にかかれない最上級ときている。

 鎖の徊廊という場所に関して、多くの者が大なり小なり忌避感を露わにする中で、エイムだけは己の望みを叶えるため常々その場所に赴きたいと口にしていた。

 その千載一遇の機会を逃したことで、彼女の怒りは振り切れた。


「向こうの要望は?」

「アルトロメイカ由来の遺跡に行かせろと騒いでいます」

「またそれか」


 各遺跡にはかつて存在した国の制度や文化によって名残が残っている。遺跡によって出土する遺物の種類や傾向に偏りがある。アルトロメイカに関連する遺跡では特定の遺物が他の遺跡より入手頻度が高かった。そしてその遺物こそがエイムが求める遺物であった。

 しかし、その分と言うべきか難易度が高い。今なお残っているアルトロメイカ由来の遺跡のうち、まともな遺物的成果が見込めるのは、エリスライトをしておいそれと手を出せない高難度の遺跡ばかりだ。しかもミナストラマ近辺には該当の遺跡は存在しておらず、まともに攻略するなら入念な準備を整えた遠征が必須となる。付け加え、エイムが欲する遺物は一部のコレクターには人気なだけで、特別優れた金石的価値がある訳ではない。チームの判断としては、わざわざ遠征を行うだけの旨みや理由がなかった。

 エイムだけを生かせることもできない。エイムという人物は性格はともかく、実力的にはチーム内でもすでに上位に入る。近い将来にはチームの中核的存在になることが期待されている。そのような有望な若手を失うリスクを無駄に背負う理由はチームの上層部にある筈がなく、必然的に彼女の要望は却下されることが決まっていた。


「仕方ないね。私が宥めてくるとしよう」


 そろそろ収拾を付けないとまずかろうと、エリスライトの現トップを務める女性は重い腰を持ち上げた。


「子供の癇癪です。時期に収まると思いますが」

「どこの世界に銃を振り回して暴れる子供がいるの。ともかく、これ以上ここが壊れるのは勘弁よ」

「いえ、あなたが行っても」


 制止の言葉に足を止めることなく女性は部屋を出て行った。しばらくすると銃声が止まり静かになる。だが少しするとまた騒がしくなり、先ほどよりも喧騒は大きくなった。銃撃音の他に壁や床が派手に壊されるような破壊音が加わった。

 部屋に一人残された女性は気疲れしたように息を吐いた。


「泥と灰と血に塗れようと、慎しみ深く淑女たれ。その理念はどこに行ったのやら」


 そう呟いて、もう一度大きく嘆息した。




 ミナストラマ地域圏と呼ばれる範囲から数十キロは離れた自然の中に一人の人物が立っていた。辺りには荒野と呼ぶべき原野が広がるばかりで、文明の痕跡は残っていない。都市も遺跡も存在しない場所で、人工的な装いが際立っていた。

 その人物は特徴的な黒いガスマスクを頭部に被っていた。手足を含めた体の方も衣服で覆い隠しており、素肌を晒している箇所は存在しない。もしも合同探索に参加していた者が見たなら、テッドだと見なせただろう。

 テッドが荒野に立ちすくんでいると、彼の前にある風景の一部が歪んだ。歪んだ風景は周囲の景色を上書きするように、星明かりで薄く照らされた空間を黒く塗りつぶす。歪んだ風景の中から一人の人物が現れ出た。

 光学迷彩によって完全に姿を消していたその男は、足跡や足音を残さない特殊な靴を大地につけて、テッドから数メートル離れた位置に立った。


「時間通りで何よりだ。時間も惜しいので早速取引を始めよう」


 男は開口一番に用件を告げた。

 テッドがマスクの奥からくぐもった声を出す。


「サキにワタせ」

「よかろう」


 男は黒い外套の内側をまさぐりあるものを取り出す。そしてそれを手渡すために足を前へ踏み出しかける。


「そこからナげろ」


 しかしテッドは男が近づくのを良しとしなかった。男は前へ出しかけた足を引っ込め、代わりに手に持つものをその場から投げ渡した。

 投げ渡されたものがテッドの手の中に収まる。テッドは受け取ったそれを手持ちの機器に接続した。


「現金では紙幣番号から足がつくからと電子通貨での取引を希望していたが、気にし過ぎではないかね。もう少し我々を信用してくれていいと思うのだがね」

「……」


 苦言とも雑談とも取れる発言にテッドは無言で返す。友好とは程遠いあからさまな邪険な態度に、男は表情を変えないまま小さく嘆息した。

 壁外の取引手段として主に使われるローグ紙幣には高度な偽造防止技術が盛り込まれている。これは偽札対策が理由である。境域で最も信用力があり多くの都市で決済に使われるローグは偽造通貨を作られることが珍しくない。それゆえ容易に偽造できないよう様々な技術や工夫が施されている。

 ただしこの偽造防止技術は通過の発行元にとっては保険程度のものでしかない。壁外に出回る紙幣の流通量と総額は壁内を含んだあらゆる電子決済の総額と比べればほんの微々たるものだ。仮に偽札を作られたところで直ちに影響が出ることはなく、経済を混乱させるほどの大金ならすぐに気づける。

 しかし実際に扱う者にとっては違う。偽札を使用したという事実は身柄を拘束され、厳しい取り調べを受けるのに十分な根拠と理由になる。潔白な者ならともかく、脛に傷ある者にとっては拘束はそのまま死刑に直結する。後ろ暗い取引を行う者ほど偽札に触れる機会が多く、偽札を摑まされることをひどく警戒している。

 そんな偽札の製造は本来なら犯罪組織ですら敬遠する行いである。偽札を作れば発行元である境域指定都市連合を敵に回す。境域の支配組織を敵に回す行為はほとんどの者にとって自殺行為と変わらない。そしてそれほどのリスクを犯して偽札を作ったところで、大口の取引では電子取引が基本なのでまず使えず、得られる利益はたかが知れている。リスクとリターンが全く釣り合わない。

 だが境域には連合の威光を恐れず大それた真似を積極的に行う者たちがいる。反体制派の人間である。反体制派に属する者たちは経済の混乱と連合に対する不信の助長、それと単なる嫌がらせとも言うべき動機を理由として、境域中に偽札をばら撒いている。連合側も反体制派の工作拠点を潰そうと日々排除に努めているが、反体制派は無法都市のように特定の拠点を持たず、潰されてもすぐに新しい拠点を立ち上げるため、連合と反体制派の偽札を巡るイタチごっこは延々と続いている。

 反体制派によって作られた偽札が出回る主なルートは裏組織であることが多い。

 裏社会に生きる者となれば、時に反体制派の人間と関わる機会が出てくる。反体制派は金回りがいい割に、表立っての取引が難しいので、取引相手として有力なのだ。裏社会での取引は互いの信用度の問題から、拡練石を始めとした兌換性の高い希少物質や貴重な遺物で行われることが多いが、現物では持ち回りが悪いからと現金で取引する機会も少なくない。そこにさり気なく偽札を紛れ込ませている。

 もちろん裏組織も後ろ暗い取引に使われる紙幣に偽造の可能性があることは重々承知している。信用度の薄い金を馬鹿正直に連合のお膝元で使ったりはしない。真っ当な手段で手に入れてない出処が怪しい紙幣に関しては、複数の人物や組織を介したロンダリングを行い、元々の所有者や最終的な所有者について有耶無耶にしている。そうすることで、偽札の供給ルートとして疑われることを防いでいる。

 テッドが電子取引を選んだ理由はもう一つある。たとえ紙幣自体が本物でも、その紙幣が安全な紙幣かどうかは別の話だからだ。

 個人へ渡された紙幣は紙幣番号などの識別情報を通じて、渡された個人に紐づけられる。どの紙幣がどの個人へ渡るかは、専門の金融機関や探索者協会を通してしっかりと記録される。それがまた決済手段に使われ金融システムの内側に戻って来れば、紙幣を使用した者が紙幣の一次取得者かそれ以外なのか、判別できるようになっている。

 テッドがわざわざ電子通貨で報酬を貰ったのはそこまで相手を信用していないことの証だ。極論を言えば、現金ではとある探索者から殺して奪った金をそのまま渡される可能性がある。もしもそれを探索者協会の提携店で決済手段として使用すれば、その探索者殺人の第一容疑者として疑われることになる。その懸念を払拭するための要求だった。

 そしてすなわちそれは、この二人の関係が決して友好的なものではないことを示していた。


「確認した」


 電子通貨であれば偽造の可能性を排除できる。反体制派がいかに非合法な活動に通じていようと、連合の金融システムを破ることは不可能だ。安全に取引に利用できる。


「では例の物を」


 報酬の支払いを完了させた男が取引を先へ進める。

 テッドは無言で懐をまさぐると一つのケースを取り出した。そこへ魔力を流し込みケースのロックを解除する。中に入っていたのは情報記録装置の記録媒体だ。テッドはそれを掴み対面にいる男の方へ投げ渡した。

 男は目で追わずにそれをキャッチする。そして、受け取った記録媒体を口元へ運び、そのまま飲み込んだ。


「……ふむ、確かに希望通りの情報のようだ」


 二つの眼球をギョロリと動かし、記録媒体のデータが望むものであることを確認した。


「優先調査対象であるハルトについての記録が無いのは残念だが、次点のオウカとキザニスの戦闘を確認できたのは重畳だな」


 普段は固定したチームで活動する探索者の能力が明るみになることはそうそうない。探索者にとって自分の装備や戦い方は、自分の実力を示す証であるとともに際どい生命線である。他者から襲われる万が一に備えて隠しておきたい情報となる。ほんの少しの動作の癖や反応速度から、高い精度で実際の力量を解析され把握されることもあり得る。必要に応じて明かすことを躊躇わずとも、大っぴらにすることはなるべく控える。そういう個人機密の一つだ。

 合同探索のような催しは、他の探索者の情報を手に入れる絶好の機会だ。特に都市が主催し有望な若手が集まる合同探索は、将来の上級探索者たちの情報が手に入る。男はこの機会を利用してテッドに情報の収集を行うよう依頼していた。


「ところで、このメリアとロアという二人に関してだが、その後の情報はないのかね?」

「ナい。シりたいならジブンでシラべろ」

「それもそうだな」


 テッド愛想や親しみのカケラもなく、素っ気ない態度で応じる。

 能面の男はそれを気にすることなく、今度は虚空を見つめた。


「……閲覧に関して高い秘匿制限がかけられているな。少なくともこちらの権限で覗ける情報ではなさそうだ。最低限生存を果たしたのは確定と言っていいか」


 ズレていた焦点を再びテッドの方へ合わせる。


「メリアとロアの両名についてさらなる調査を依頼したい。頼めるか?」

「コトワる」


 しかしテッドはその要求を一顧だにせず拒否した。

 男が呆れた空気を滲ませながら、友好的な口調を用いて言う。


「思想や理念は違えど、我々はお互い大目標を共通する同士と言える。そこには利害の一致と共有できる理想がある。あまり邪険に扱われるのは互いにとって得策とは思えないが、如何かな?」

「黙れ」


 その友好を撥ね付けるような、底冷えする声がマスクの下から発せられた。


「私が貴様たちに協力しているのは、私に故あってのことだ。貴様たちの目的に賛同したわけではない」


 威圧。それはただのDDランク探索者が放てる威圧ではなかった。

 敵意に近い怒気を向けられた男は、先ほどまであった雰囲気をぴしゃりと消して、表情を動かさずまた淡々と口を開く。


「まあ、これは他の者に頼むとしよう。ご苦労だった。また機会があれば仕事を依頼させてもらおう」


 その言葉を最後に男の体が背景に溶け込むように歪んでいく。現れた時とは逆の変化が起こり、その姿は徐々に透過性を増していき、すぐに見えなくなった。音も匂いも気配も痕跡も、まるで最初からそこに誰もいなかったと錯覚させるほど、完全に姿を晦ませていた。

 取引相手がいなくなってからも、テッドはしばらくその場に立ちすくんだ。

 やがて周囲に誰もいないのを確信したところで、マスクを外して表情を外気に晒す。マスクの下から現れたのは、まだ年若い女性の顔だった。

 彼女は風に流される短い髪を抑えながら小さく呟いた。


「兄さん……」


 その声は夜の冷たい空気の中に融け消えた。






「人の成長に、最も必要なのものはなんだと思う?」


 人工の光で明るく照らされた空間。広々としたそこに彩りを添える装飾や飾り気はなく、シンプルな色合いによって無骨に染め上げられている。頑強に閉鎖された室内は機密性と耐用性に特化しており、内部におけるあらゆる情報を外部へ漏らさない作りがされている。

 一流探索者の戦闘にも耐えられる訓練室。高価な資材とそれに見合う技術が施されたその内部には、現在三つの人影が存在していた。

 うちの一人である男が、どこか楽しげな口調で口を開く。


「才能、努力、環境、指導者、経験、運。もちろんどれも重要だ。才能がなければ凡庸に甘んじて、努力を怠れば才能を腐らせる。環境に恵まれなければ発達は滞り、指導者次第で誤った道を進んでしまう。失敗という経験が成長を後押しし、運は全てに関わってくる。────でもね。それらはやはり付属的なものでしかないんだ」


 室内にいる他二名は、男の言葉を反応も期待されず聞かされていた。


「もっと根本的な話をしようか。生物の進化論では自然選択、環境に適応できた種のみが生き残ってきたとされている。それらは時に数千、数万年と、長い時間をかけて生存に適う形質を獲得していった。これが生物に取り、最も本源的な成長と言えようか」


 言いながら男はふっと口元を緩める。人差し指を立てながら視線を何もない中空に向け、教え子へ語り聞かせるような口ぶりで講釈を続ける。


「現代でいうモンスター、その前身であった魔物という生物。これらは総じて強力な幽層体を有していた。いや、正確にいうならば、豊富なアルマーナを保有する生物こそを、かつての人類は魔物と定義付けていた。独特の生態を持つ魔物はある意味で自然という枠組みから外れた存在だった。進化という条によって連綿と続いてきた他の生命とは異なる性質を有していた。──ところが広義の意味で、我々人類も魔物に分類されるという興味深い研究があった」


 もともとの魔物の定義とは、人間に対して極めて脅威度の高い外敵を表す言葉だった。既存の生物の中でも特に強力な力を持ち、強靭な肉体と凶悪な攻撃性を持ち合わせた生命体である魔物は、人類を含めた全ての生物にとって自然の摂理から外れた脅威だった。だが後に全ての生き物は魔力、すなわちアルマーナを宿すと判明した。それは人も含めてだ。

 人もまた本質的には魔物と何ら変わらない。既存の定義に一石を投じた研究が注目を集めた。


「魔物は一世代で大幅な変化を遂げる。本来なら膨大な時間を要する進化という現象を、単一の個体で果たしてしまう。ならば人間も魔物とみなすなら、同様のことが言えるのではないか。そこに気づきを得たのが俺たちの力の始まりだ」


 人為的な進化現象。個人が有する精神幽層体の存在傾向を恣意的に歪め、求める形に誘導する。

 自己領域拡張システム。魔物を始めとした強力な存在に対抗するための人体改造は、こうして始まった。


「生命の設計図とは異なる在り方への介入。まさしく神に至るが如しだ」


 しかし、従来の定義に適う人という一種が、生物としてあるべき自然の摂理を侵すのは、世界に対する重大な背徳行為であることには違いない。そこには相応の代償が伴う。理性や人格を崩壊させて廃人になる者。肉体の変化に耐えられず死に至る者。人の形を崩して異形に成り果てる者。実験の初期段階では多くが魔性に狂った。最終的に制御に成功したものの、過程では屍の山を積み上げた。


「ならば世界から見て、矮小な存在でしかない我々が上位に至るには、一体どれだけの対価が必要なのだろうか。あるいは数百万の月日にかなう跳躍を果たしたとして、それはいかなる歪みをもたらすのだろうか」


 男は彷徨わせていた目線を下ろし、またある一点に固定する。


「強力な兵器の誕生は闘争のあり方を変えた。命令一つや指先一つで敵を殺戮足らしめる兵器の前では、個人がどれだけ武威を鍛えようと無意味となった。それでも局地的な闘争において、個人の武力が何よりモノを言うのは今も変わらない。人は常に暴力という原理に晒されている。だから俺たちは未だに強さを求め続けている」


 楽しげな口調は鳴りを潜め、代わりに冷淡さが覗き始める。


「血反吐を吐いて鍛錬し、死地に身を晒して己を高める。他者と錬磨を重ね、挫折と反骨により限界を更新する。あまりに不合理だ。肉体を改造すれば手軽に強くなれる。遺伝的に劣等で脆弱な個体であっても、生まれつきの強者を凌駕できる。ならばどうして原始的な鍛錬が重要視されるのか。そこに在り処を宿すのが意志なのさ」


 長い話が終わりに近づく。男の顔に無機質な笑みが浮かび上がる。


「才能なんかは個体差で、努力は嵩の継ぎ足しに過ぎない。今に囚われてはならない。それは自らを縛る鎖だ。服属を受け入れてはならない。それは在るべき価値を腐らせる。欲するならば、望むのならば、根底から覆す意志を備えなければならない。だからこそ」


 浮かべた笑みに感情が加わった。


「求め続けること。それこそが、成長の本質なのかもしれない。と俺は思っている」


 それを最後に男の話は終わる。その視線はたった一人に注がれていた。

 視線を独り占めにするのは一人の少女だった。彼女は男の話に一切の反応を返すことなく、床の上に仰向けの状態で倒れ伏している。その全身を自身の血で赤く染めて。

 両の腕は指の先まで肉と骨がひしゃげ、足は立つことが不可能なほど潰れている。顔面は原型がないほど形が歪み、眼球や歯があった場所は赤い血液が凝固して空いた代わりを埋めている。衣服に隠された胴体は一見マシに見えるだけで、生存に必須な器官を含めて、骨や臓器はことごとく本来の機能を喪失しかけている。重傷という言葉すら生温いほど、無残な姿を晒している。

 そんな瀕死と呼ぶべき状態にありながら、少女にはまだ息があった。か細い息遣いだけが口元から発せられていた。


「もう治していいよ」


 男の言葉ととも少女の身に変化が起きる。ずっと二人の成り行きを見守っていたシキが、いつのまにかルクシアの頭を自身の膝の上に乗せていた。

 シキの体から無数の細い糸が伸ばされる。室内光に反射してキラキラと輝くそれは、ルクシアの全身を包むように柔らかく覆った。

 糸はルクシアの体内組織を正確無比に調整するとともに、回復効果のある薬剤を投与することで次々と体中の傷を修復していく。まるで動画の早回しを見るように、少女の容姿は無残な状態から平時の凄絶な美貌を取り戻していく。


「実戦形式で死地を泳がせ、肉体と幽層体に強烈な体験を刻み込んで記憶させる。晒された死に抗おうと、人の心身は強固に最適化されていく。生物として強くなるにはこれが最も効果的だ」


 男は治療される少女を見下ろしながら得意げに語る。


「通常の訓練では限界、というより制限がかかる。安全圏にいる精神では真の意味で死を克服することはない。生を超克することもない。百の模擬戦より十の実戦、十の実戦より一の死線が勝る。命がけの対価には何も及ばない。生命の成長にはいつだって、進化を後押しする過酷が必要なのさ」

「……そんなこと、今更くどくど説明されずとも、知っています」


 あっという間に重症から回復したルクシアは、まだ万全には程遠い体から声を絞り出した。

 初めて男の提案に応諾した時から、こんなのは何度も繰り返されてきた作業だ。この程度のことで今さら弱音や泣き言を漏らしはしない。それしきの覚悟と意志はとっくに持ち合わせている。

 別として、男の軽薄で掴み所のない態度には、少なからず不満が溜まっていた。


「だよねー。罪悪感からつい話したくなっちゃうんだ」

「その割には毎度楽しそうに嬲るではないてすか。あなたはサディズムの(へき)でも持っているのですか」

「これはほら、キャラ作りだよ。それとも無愛想な顔で淡々とボコる方が良かった?」


 後ろめたさがまるでない男の言葉に、ルクシアは嘆息して整った目つきをキツくした。

 ルクシアもまた男と同じだった。発する言葉に殊更感情を載せていない。不快はあっても不満はない。ルクシアにとってこんなのは地獄や絶望からは程遠い。

 どれだけこの身が傷つこうと構わない。肉体の苦痛など尊厳の陵辱に比べれば些細なものだ。精神が擦り切れるほど摩耗したところで、魂を焦がす怨嗟の念に比べればそよ風に等しい。

 たかだか足りる代価を差し出すだけで、至らぬ己と決別できる。支払うには安すぎる買い物だ。


 自力で立ち上がれるほどまで回復した少女を満足げな様子で眺めていた男が、思い出したようにあることを告げる。


「あっ、そうだ。ねえシアちゃん。一つお使いを頼まれてくれないかな。シキちゃんも連れて行っていいからさ」

「それくらい他の者に任せれば良いでしょう。なぜ私が」


 ルクシアが露骨な不満を見せる。明確な言葉にせずとも拒絶の意思を示した。

 ルクシアは男が良からぬ事を企んでいるのを知っている。秘密主義に行動し、それを決して他者に明かそうとしないことも。なのにどうして急に何かを任せる気になったのか。男に対して猜疑と拒絶のこもった目を向ける。

 内心では男の目的を知る手がかりになるかも知れないと興味を持った。しかし、この男が自分なんかに重要な案件を任せるわけがないという確信と、安請け合いして主導権を簡単に渡したくはないという捻くれさが、要求の拒否という形で現れていた。

 彼女の内心を見透かしているのかいないのか、男は調子を崩さず理由を語る。


「ほら、シアちゃんも以前と比べたら結構強くなったじゃん? そろそろ一度、外の世界を自分の目で見てくるのもいいかと思ってさ」


 その発言に今度こそルクシアの目が胡乱げに細まる。

 本当に何を企んでるのか。どうにかその本心を見抜こうと必死に洞察を深めるも、ニコニコとした胡散臭い笑みからは、男の内側は何一つ読み取れない。いつも通りその思考するところは、カケラも理解できなかった。


「その程度の理由で私を使うつもりですか。だいたい、あなたには都合のいい使い走りがいるでしょう。そちらに任せたらどうですか」

「でもさー、今はネイカー君は会合でいないし、ヒルダちゃんはそれに付き添ってるし。ファントムのみんなにも別の仕事を頼んでるから、これ以上動かすのはちょっとね。ここの防衛が疎かになりかねないんだよ」


 わざとらしく困ったように笑う男の顔を見て、ルクシアは内心で毒づいた。


(そんなもの、シキだけで事足りるでしょうに)


 口には出さず、不満だけをありありと顔に出した。

 男は表情に表れた感情と会話の流れから、正確に相手の内心を読み取った。


「シキちゃんはねー、できればあまり他所に知られたくないんだよね」

「そう言う割には護衛に同伴させて良いと? 言ってることが矛盾していますが」

「外でならある程度は誤魔化しが効くからさ。あくまでこことの結びつきを知られなきゃいいんだよ。目立つ行動は控えてくれるでしょ」


 笑みを伴う確認ないし念押し。それを見てもルクシアは表情を変えず、首を縦に振ろうとしなかった。

 頑固な姿に男は苦笑する。


「まあ、今のはほとんど建前みたいなものだ。本音は最初に言った通り、シアちゃんの社会経験が一番の理由だよ」

「……何をさせるつもりですか」


 そこでルクシアが折れた。男の提案に仕方なく承諾する姿勢を見せた。

 彼女自身、知見を深めるために外の世界を知っておきたかった。いつまでもここに引きこもっていては、目の前にいる男の影すら踏めない。自力で何かを遂げられる変化を望んでいた。そして何より、自分が今どれほどの力を手に入れたのか、試してみたかった。

 ようやく望んでいた返答を聞けて男は嬉しげに笑う。


「やって欲しいのはオブザーバー的なものだよ。正確に言うなら後始末に近いんだろうけど、とにかく、契約が正しく履行されるのか確認してきて欲しいんだ」


 要領を得ない内容。ここまで来て迂遠な言い方をされるのに軽く苛立ちつつ、詳細に関しては後で確認すれば思い、ルクシアは肝心の部分について尋ねた。


「それで、私は一体どこへ赴けば良いのですか」


 男はニッコリと微笑んだ。


「行って欲しいのはミナストラマだよ」

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