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シンギュラーコード  作者: 甘糖牛
第三章
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限界を超えて

「思うに、この先が最後の関門のようね」


 微光を放つ冷淡な色彩を帯びた通路の上に、ロアとメリアが横並びで立っている。視線の先に道と呼べるものは既に存在しない。通路の行き止まりとなる場所は、装飾のない無骨な扉によって塞がれている。

 あれから戦闘は一度しか起きていない。その戦闘も危なげなく勝利を収めている。直前で長い休息を挟んだこともあり、十分なコンディションを整えた二人の敵ではなかった。ほとんど消耗せずにここまで来た。

 最後の関門という言葉と、それに見合う空気を浴びて、ロアは強い闘争の気配を感じ取る。今一度自身の状態を確認する。

 ここまでの連戦。倒したモンスターの数に比べて消費魔力自体は多くない。飛ばされた時点と比較して8割近くは残っている。循環利用を意識した魔力使用のおかげで、余計な魔力消費は大きく低減した。

 ミナストラマへ来てからの成長も大きい。ろくに休みを挟まず遺跡に通い、並行して訓練を重ねてきた。積み重ねた経験の連続は確かな成長への糧となった。

 もはやDDランク帯の敵なら苦戦なく倒せる。今のロアはそれだけの強さを手に入れていた。ここまでの戦闘もその成長を裏付ける結果となった。


「一応伝えておくけれど、鎖の回廊はここまで来てようやく半分だと言われているわ」


 メリアが扉を見据えたまま呟いた。

 最後なのになぜ半分なのか。不思議に思うロアが発言の意味を尋ねる。


「それってどういう意味なんだ? 最後なんだろ?」

「最後に出てくるモンスターが一番強いってことよ。それこそ、これまで出てきた敵と比べて、頭一つ二つ抜けた強さを持ってるらしいわ」


 返ってきた答えを頭に入れ、理解した瞬間、ロアの顔には怪訝と困惑が浮かび上がる。


「……じゃあこの奥には、Cランク帯のモンスターがいるかもしれないってことか?」

「そいうことになるわね」


 メリアは迷うことなく肯定する。ロアは渋みの混ざる表情をさらに険しくした。

 サルラードシティにいた頃、ロアはセイラク遺跡の迷宮でDDDランク帯の個体と戦った。その後の防衛戦でもリシェルたちをサポートする形で複数のDDDランク帯を相手取った。Cランク帯とも直に見えた。しかし、いずれにおいても自力で討ち倒した経験はなかった。

 ロアの強さは既にDDランク帯を苦にしない。討伐強度25の敵であっても不測の事態が絡まなければ勝てる。だからDDDランク帯のモンスターと言えど以前ほどの脅威は無い。メリアという共闘者がいる現状であれば、それでも数にもよるが、負ける可能性は非常に低い。

 しかしそれより上となると話は違ってくる。討伐強度のランク帯は一つ違うだけで明確に強さが異なる。中級と下級の間に大きな壁があるように、各ランク帯にも数字以上の差が存在する。それは協会の拡錬石買取価格でも示されている。

 そして、Cランクとは今までに出くわした実力者たちが戦っているステージだ。リシェルやラン、ハルトといった明確に格上の者たちと同等のランク帯だ。

 未だ彼らの強さには追いつけた気がしない。勝つ自信を持てなかった。


「なにショボくれた顔してんのよ」


 顔を厳しくするロアの肩をメリアが拳で小突いた。無意識に顔を下げていたロアは驚くように顔を上げて、メリアの方を見た。


「生きてる限りは生きるために全力を尽くすんでしょ。だったら今更なにが出ようと、ビビってるんじゃないわよ」


 気負いのない表情。気取らない振る舞い。メリアはあえて緊張感を薄めた態度を作り、口から勇ましい言葉を吐き出した。

 ここへ来た直後に自分が言ったことを言い返され、ロアは目を丸くする。そして表情を崩して、軽い調子で笑った。


「その通りだな」


 悩んだところで事態が良い方に転がるわけではない。敵の強さや帰還の条件が変わるわけでもない。これまでも同じようにやってきたのだ。なるようにしかならないならば、やることもやるべきことも変わらない。探索者としての初心を思い出して、探索者を続けていく上での決意を思い起こして、ロアは戦う意志と覚悟を今一度定めた。

 自信を取り戻したロアの顔を見て、メリアも強気に笑った。

 二人は共に扉を押し開き、その先へと足を踏み入れた。




 背後で音を立てて扉が閉じる。退路が完全に絶たれる。

 ロアもメリアも今更その程度のことは気に留めない。この場所を訪れた時点で逃げ道なんて存在しないのだ。進むか死ぬか。与えられた選択は二つだけ。それ以外に未来(さき)はない。戦って生き残る。探索者という命がけの世界で生きる者として、それだけに意識を費やした。

 扉の先は広い空間だ。奥行きはこれまでとは比べ物にならない。目算で軽く数百メートルはある。下手したらキロメートルに達している。

 二人は今まで以上の緊張感を漲らせ、臨戦態勢を維持した状態で歩き出した。


 ただ歩くよりもずっと長く感じる時間。普段であれば何気なく踏破する距離を、濃い時間密度を体感しながら進む。警戒を保ったまま歩き続け、ついには広間の半分ほどまで来た。

 ここへ至るまでモンスターは姿を見せなかった。現れる予兆も見つけられなかった。これより奥へ進まなければ出ないとも考えにくい。おそらくここが、決戦場。言葉は交わさずとも二人はともにそれを共有した。

 そして、ついに現れる。これまで見てきたモンスターの出現予兆が発生する。床から何かがせり上がってくるのを見て、ロアとメリアが素早く距離を置いた。適度な間合いを作り、いかなる攻撃にも応戦できる構えを見せた。

 現れたのは一体の丸い何かだった。丸い形をしたそれはゲル状で、体の下半分が重力の影響を受けてたわんでいる。大きさは全長で二メートルはあり、褐色の体表は内部が透き通って見える。

 どこか気の抜ける外見を晒す敵。しかし、ロアたちは警戒を微塵も崩さない。それは鎖の徊廊という場所に対する一種の信用であり、目の前の敵に対する直感的な評価だ。これまでに出てきたどのモンスターより、対峙した際の存在感が大きかったからだ。たとえ存在感知を使わずとも、培ってきた経験により、目の前の個体が発する圧力を嫌というほど感じ取れた。


 出方を窺うロアたちを前に、ゲル状のモンスターはブルブルと体を震わした。震えとともに透過する体の中心部に橙色の光が生まれる。その発光現象は一秒を切り分けたコンマ秒ごとに輝きを増していった。

 ロアは存在感知で攻撃の予兆を読み取った。


「避けろ!」


 叫びながら大きく横へ跳んだ。遅れずメリアも逆方向に飛んだ。二人が床を蹴った直後、一瞬前まで立っていた場所を極太の熱線が通過した。円形が人の胴体を丸ごと飲み込むほどの熱線は、軌道上の空気を加熱し壁まで達し、着弾箇所を赤く染めた。

 戦闘の火蓋を切る一撃。開幕の先制を躱したロアが即座に反撃へ転じた。再び足裏が床に着くと、そこを全力で蹴り出して、敵との距離を詰めた。弧を描くような動きで相手の側面を取り、半透明の巨体に向かって、魔力で強化したブレードを振り下ろした。

 鋭い一撃がモンスターのボディを斬り裂いた。だがその手応えは驚くほど軽い。刃はなんの抵抗もなくモンスターの体を通り抜けた。

 ロアの目が驚きで見開かれる。その眼前で、体を斬り裂かれたモンスターが何事もないように行動を取る。体表に複数の突起が現れる。生じた突起は一瞬で体積を増大させて、鋭利な棘となり突き出される。ロアは振り下ろしたブレードを素早く引き戻して、全力で後ろに下がった。

 棘の伸びる速度は速く、ロアの回避速度を上回る。咄嗟にペロが張った遮蔽障壁をあっさり貫いて、魔力で防護されたロアの体に傷を与えた。

 苦痛で顔をしかめたロアは距離を取りながら苦し紛れにスタッガーエッジを使った。左腕に装着された装備から魔力で形成された刃が飛んだ。それと同じタイミングでメリアも魔術を行使した。高熱を帯びて赤熱した火球が、モンスターに向けて曲射軌道を描いて放たれる。二つはモンスターを挟む形でほぼ同時に着弾した。

 メリアの放った火球が接触とともに内部から弾け、溜め込まれたエネルギーを一斉に開放する。モンスターの体は一瞬にして爆炎に飲み込まれた。高熱の発する輝きを起点として、爆発の余剰エネルギーが空気を介し周囲へ拡散していく。

 爆風に煽られながらロアは目を凝らした。


「……どういうことだよ」


 攻撃の結果を確認した結果、険しい表情で呟いた。

 燃え盛る炎の内部ではモンスターが平然と存在を主張している。あれだけの爆発を至近距離で受けて、こたえた様子は見当たらない。デタラメな性質に口から不可解が漏れた。

 爆炎に包まれる前、ロアの視力は飛ばしたスタッガーエッジの刃が弾かれる瞬間を見た。スタッガーエッジの威力は機械型の装甲を抉るくらいに強力だ。ブレードで斬った手応えから考えれば防ぐことは不可能だ。

 メリアによる魔術もそうだ。爆炎はただの炎ではない。魔術で生み出された熱の塊だ。魔力によって底上げられた殺傷力は、通常の化学反応による爆熱を大きく上回る。

 しかし現実は違う。鋭利な刃は簡単に弾かれ、魔術による爆発でも形を崩すに至らない。炎に包まれる前後で変わらぬ姿と存在感を発揮している。意味が分からなかった。


 次の手を出しあぐねるロアに、再びモンスターが先に動いた。ゲル状のボディを上下に大きく揺らして、勢いよく跳び上がる。弾みをつけた跳躍は、重量感のある体を数メートル上空へ運んだ。

 空中に飛び上がったモンスターの表面に、再び粒状の突起が現れる。突起は先と同じように、けれど大きさは減じた状態で、鋭さを持った形へ成形される。ただしその数は十や二十ではなく、悠に百を超えていた。

 モンスターが空中から大量の棘を飛ばした。鋭利な殺傷力を有した棘の雨が、辺り一帯に降り注ぐ。ロアは血相変えて行動を起こした。モンスターと距離を取りつつ、必死になって迎撃を行う。飛んでくる棘の一部は遮蔽障壁を斜めに張って受け流し、残りはブレードの刃で斬り落とす。なんとか致命傷を負わず対処した。

 床の上に飛び散った大量の棘が硬化性を失い、またゲル状に戻っていく。形を崩したそれは、強力な磁石に吸い寄せられるようにして、あっという間に本体の元へ引き寄せられた。

 相手の体積を減らせば勝てるかもしれない。見出した勝機を一瞬で否定され、ロアは呆然とした気分になった。


『なんなんだよこれ。こんなのマジでどうしたらいいんだ』

 

 ブレードで斬っても痛打にならない。スタッガーエッジを飛ばしても弾かれる。メリアの魔術だって効果は皆無に等しい。はっきり言って打つ手がなかった。完全にお手上げだった。倒すイメージが湧かなかった。

 明確な敗北のイメージを想起するロアの頭に、ペロからの声が届いく。


『おそらくは、相手の正体は極小の有機機械で構成された群体です』


 内容を処理したロアが表情を怪訝なものに変えて問い返す。


『機械って、あれは生体型のモンスターじゃないのか?』

『部分的にはその通りです。アレは機械と言えど生体細胞を体に組み込んでいます。だから生体型でも間違いとは言い切れません。ただし定義の線引きでは無機機械型に当たります。現にアレは幽層体を持っていません。各細胞の核部分に吸畜器のように保存された魔力を引き出して戦闘に使用しています』


 言われてロアは感覚を凝らしてモンスターの状態を確認する。だが自分の感覚では生物としか認識できない。あの見た目で機械など見た目詐欺もいいとこだった。


『拡錬石が無いのもそれが理由か?』

『そこは別の理由かもしれません。元々の自動守護存在には拡錬石は備わっていませんでした。だから単純に、あの個体が拡錬石を持っていないだけの可能性もあり得ます』


 なるほどと頷いたロアが肝心の部分について尋ねる。


『それで、どうすれば倒せるんだ?』

『この手の敵を滅ぼすには体を構成する部分を纏めて破壊する必要があります。局所的な攻撃手段しか持たないあなたの戦い方では非常に相性が悪いです。私たちだけで倒すのは不可能に近いと思ってください』

『……マジかよ』


 それは聞きたくない言葉だった。ペロがいれば何とかなる。その期待を裏切られる返答だった。

 絶望感に駆られるロアに、ペロは声の調子を落とさず告げる。


『ですが彼女、メリアの協力があれば別です。彼女の扱う魔術は状態魔術、あの手の敵に対しては効果的です。倒すのは十分に可能な筈です』


 付け足された言葉でロアの憂いは晴れる。倒せる可能性が限りなくゼロだろうと諦めるつもりはないが、明確な勝利の保証を得られて気持ちがだいぶ楽になった。高速で思考をやり取りさせて、ペロから目の前のモンスターの攻略法を聞き出した。

 倒し方を聞き終えたロアは、モンスターを挟んで向かい側に位置取るメリアに向かって声を張り上げた。


「メリア! 相手を凍らすことはできるか!?」

「できるわ! それを試せばいいの!?」


 メリアからすぐに必要な返事が返ってくる。

 モンスターから意識を外さず二人は会話を続ける。


「ああ! それと一緒に高熱もやってくれ! 俺が少しずつ削るから! 元に戻る前に倒してくれ!」

「異なる魔術を瞬時に切り替えて連続使用しろなんて無茶言ってくれるわね! やってやろうじゃないの!」


 続く要求にもメリアは力強く答えた。その声音に高揚感はあっても、恐怖や怯みといった負の感情は宿っていない。聞く者に強い信用を抱かせる自信に満ち溢れたものだった。

 ペロ以外に、自分を支えてくれる頼もしい味方の存在。その心強さを実感して、ロアの口元に笑みが浮かぶ。


『負けられないな』




 鎖の徊廊と呼ばれる場所。その最深部の広間で、激しい音が轟いている。空間そのものを震わせる戦闘音が、絶え間なく続いている。音の発生源近くには大きく二つの影がある。一つはロアだ。ロアは周囲を飛び交う乱雑な影に捕まらないように機敏に動き続ける。

 そのロアを狙い、もう一つの影がいくつもの影を差し向ける。相対するモンスターの体から伸びる触手が鞭のように振るわれる。二桁に及ぶ鞭状の打撃が、滞留する気体を轟然と引き裂き、高速で叩きつけられる。先端の速度は当たり前のように音速を超え、強烈な圧力変化により押しのけられた空気が衝撃波となり、周囲へ伝播する。

 拡散する衝撃波の影響を、ロアは体に纏う魔力で完全に遮断する。ペロの力を借りて体の表面上に薄っすらと魔力の膜を張り、衝撃波がもたらす破壊力から身を護る。そして衝撃波の発生原因である目にも留まらぬ速さで繰り出される触手の乱打を、超人的な動体視力と身体能力を生かして紙一重で躱し続ける。さらに素早く小刻みな足運びを繰り返すことで、攻撃と攻撃の合間に隙を見出し、敵との距離を詰めた。

 ロアは無手の左手を持ち上げ近距離でスタッガーエッジを撃ち込んだ。射出された刃は僅かな距離を一瞬で飛び越え、対面のモンスターに向かっていく。モンスターはそれを触手で叩き落とそうとするも、瞬時に困難だと判断する。自身の体を金属のように硬化させて、防御力を大幅に高めた。

 そこにスタッガーエッジの刃がぶつかる。魔力によって鋭さを増した刃が、進路状のものを貫こうと与えられた慣性力によって突き進む。しかし、最初の一撃と同様、鋼の如きボデイの前にあえなく弾き返される。

 己の攻撃が無効化されても、ロアの顔に動揺は浮かんでいない。焦りもない。冷静に次の手を仕掛ける。

 直前の一手を布石とし、近くに伸ばされたままの触手に狙いをつけた。そして右手に持ったブレードを両手で握り直して、渾身の力と魔力を込めて、全力で振り下ろした。

 スタッガーエッジを容易く跳ね返す硬度と言えど、厚みの劣る触手部分は本体部分より抵抗力が低い。高価なブレードの斬れ味に魔力強化と膂力が上乗せされた一太刀は、並の機械型モンスターの装甲を凌駕する硬度を持つボディを、すんなりと斬り裂いた。

 切り離された触手の一部が硬い響きを鳴らして床の上に落ちた。それがまた硬化した状態からゲル状に戻り、本体の方へ引き寄せられようとする。

 しかしそこを、メリアの魔術が捉えた。既に発動待機させていた状態魔術による冷気で、分離している体の一部を包み混んだ。絶対零度に近い冷気を浴びたモンスターのボディが、強制的に凍りつく。さらに追加で放たれた高温高圧のプラズマによって、機能停止したボディの一部は完全な破壊へと導かれた。


 戦闘時間の経過とともにモンスターの性質と行動パターンが判明した。硬化しているときは体の一部を棘に変えられ、スタッガーエッジの刃を弾くほどの防御力を発揮する。ただしその間は熱線を放てず移動速度も鈍くなる。逆にゲル状の流動体のときは熱線を放つ上に体を分離させられ、動きも素早くなるが、スタッガーエッジの刃が食い込むほど柔らかくなる。この二つの中間の状態として、液体金属のような硬さと柔さを両立させた形態もある。

 モンスターは機械的な行動を行うが、戦闘に必要な思考力は持ち合わせている。三つの状態を状況に応じて、瞬時に切り替える判断力を有する。だからロアは相手の行動を誘導するように動いた。

 隙を見つけてスタッガーエッジを使う。スタッガーエッジの刃は液体金属を含む流動体の状態であれば、そのボディを難なく貫ける。モンスターは体内で刃を破裂させられるのを防ぐため、スタッガーエッジの刃を弾くしかない。

 一度その行動パターンを学習させて、モンスターに防御行動を誘導するよう立ち回った。狙い通り硬化の最中に体の一部を切り落とし、その部分が本体に戻るまでの僅かな時間差を利用して、メリアに切り離した体の一部を破壊してもらう。地道にダメージを与えていった。


「これで何度目よ!」


 斬り落とされたボディの一部をまた一つ破壊したメリアが、未だ終わる様子の見られない戦闘の長さに思わず不満をぶちまけた。

 作戦はうまくいっていた。ロアがブレードで斬り裂いたモンスターの一部を、メリアが生み出した魔術による冷気で機能を停止させる。そこから更に強制的に分離した体の一部を、高火力のプラズマを用いた熱応力によって破壊する。互いに連係の取れたこの一連の流れで、徐々に、けれど確実に、モンスターのボディを削っていった。

 しかし自己増殖機能によるものか、失った部分は時間ともに再生してしまう。なかなか体積が減らない。

 メリアは一度だけ雷撃を使用した。教えられた敵の正体が機械ならば、絶縁不良によって機能不全に持っていけるかもしれない。そう考えた。だが過電圧に対する耐性を持っていたのか、情報が間違っていたのか、それとも全く別の要因なのか、試みは上手くいかなかった。貴重な魔力を無駄に消費しただけに終わった。地道に少しずつ機能を殺していくしかなかった。


 メリアは腰に装着したポーチバッグに手を伸ばした。中に収められた物を取り出した。それは小型の吸畜器だ。中には非探索時に貯めていた魔力が貯蔵されている。

 小型の吸畜器は非常に高価だ。実戦に使用できるほど容量を持つものなら最低でも100万ローグは下らない。貯め置いた魔力自体も応じて貴重だ。貯め込んだ魔力は探索者にとって財産と変わらない。

 道中の連戦を含めて戦闘は長期に及んだ。自前で抱えている魔力だけではとても足りなかった。それを補うために予めストックした魔力を消費していた。

 メリアが持つ貯蔵魔力の量はそれほど多くない。吸畜器の購入という経済的要因と、一度の探索で起き得る想定外の戦闘を見越した分の確保という合理的理由から、せいぜいが戦闘数回分にとどまっている。それでも手持ちの分を貯めるのに数ヶ月を費やした。こういう時に備えたものとはいえ、なんとか使い切る前に決着をつけたい。

 手に持つ発動体に吸畜器を嵌め込むメリアは、そう打算的な心理が働きかけ、すぐにその考えを否定する。


(ダメね。そんな弱気じゃ)


 ただでさえ実力で劣っているのだ。出し惜しみを気にしてはいられない。

 それに。


(一番キツイのは、前線で身体を張ってるあいつの方。だったら)


「──後方で楽してる私が、先にへばっていられるか」


 意地と執念で後ろ向きな思考を頭から追い出し、メリアは己を奮い立たせた。



 メリアが気炎をあげる一方で、ロアは冷静にモンスターと対峙していた。攻撃の当たるギリギリを見極め、拳一つ分に満たない距離感で見切りを行い、モンスターに近い位置で張り付いて戦う。たまに存在感知を飛ばして、魔力の通りと返ってくる反応で相手の状態を読み取る。戦闘の趨勢を把握する。

 ロアにとってこの戦闘で最も留意すべき点は、敵の注意がメリアの方へ行くことだ。一人ではこのモンスターを倒しきれない。打倒にはメリアの協力が必須だ。だからロアは囮役に徹し、危険な前衛で敵の注意を惹く必要がある。

 常に敵の攻撃範囲に身を晒し、死と隣り合わせの場所に飛び込み続ける。安全を意識して大袈裟に回避行動を取れば、メリアに攻撃を仕掛ける猶予を与えてしまう。少しでも回避をミスれば、連鎖的に次の行動が遅れ、一気に致命的状況になりかねない。ギリギリの見極めが不可欠な綱渡りの対応を、常軌を逸した精神力と集中力で保ち続けた。


 そして、数十分にも及ぶ長い時間を経て、ようやく戦況に変化が見られた。


「小さくなってる……?」


 常に前線でモンスターの状態把握に努めていたロアは、いち早くその変化に気づいた。戦闘開始時よりモンスターの体積が減っているのを見て取った。無尽蔵とも思われた再生機能に、ようやく翳りが現れ始めた。

 同じく気づいたメリアがここを勝負処と定めた。


「一気にかたをつけるわ!」


 メリアの宣言を受けてロアは動いた。多少の被弾を構わず強引にモンスターに接近して、その体を斬り裂いた。斬り裂かれ露わになった内部へスタッガーエッジを撃ち込んだ。能動制御で解放された刃のエネルギーが衝撃となって膨れ上がる。体内の圧力を相殺しようとモンスターの動きが止まった。


「離れて!」


 短い指示を受けてロアは大きく飛び退いた。直後、魔術を発動待機させていたメリアが、静かに留め置いた魔力を解放した。

 絶対零度に近い冷気がモンスターの周囲に発生する。緻密に制御された状態魔術は、対象のみを正確に限定して白い靄とともに飲み込んでいく。みるみるまに不定形の固まりは凍りつく。


「これでトドメ!」


 冷気から一転、近傍にプラズマが出現する。甲高く鳴り響く雷撃は、爆音とともに凍りついたモンスターの体を至近距離から貫いた。蒼白の雷鳴が激しくスパークし、視界を真っ白な閃光が覆った。

 光の勢いはすぐに衰え、モンスターの姿が露わになる。完全に凍りついたモンスターの体から白い煙が立ち昇った。


「やったか?」


 高威力の魔術の余波を受けながら、ロアはトドメに備えてモンスターの姿を注視した。

 やがて煙を吐き出していたモンスターの体に亀裂が生じ始める。亀裂は段々と全体に達していき、ある時点を境に構造を保つのに必要な連結力を失って、ガラガラと音を立てて崩れ始めた。床に落ちた残骸はさらに細かく砕け散り、粉々な結晶となって散らばった。


「よしっ」


 モンスターの体が完全に崩壊したのを見て、さらに再生する兆しが無いのを確認して、メリアが拳を握り喜びを露わにした。同様にロアも、存在感知からモンスターの反応が完全に消失したのを確かめて、戦闘態勢を解いた。

 戦闘を終えて一息つくロアの元へ、興奮冷めやらぬメリアが顔をやや上気させて近づいた。


「討伐強度にしたら間違いなく30以上はあったわ。増殖再生や熱線の威力を考えたら、Cランク帯でも上位だったかも」


 喜びを隠さない表情で言った。

 通常の探索であれば格上のモンスターと戦うことはない。自分の実力より強力な敵だと分かれば早いうちに撤退を試みる。リスクの高い戦闘はなるべく避ける。その判断ができない者は長生きできない。

 本来なら戦わずに逃亡を選ぶほどの強敵だった。それを採算度外視で戦い、命がけの奮闘の果てに、なんとか勝利をもぎ取った。Cランク探索者が戦うような強敵を自分たちの力だけで倒した。メリアにはそのことが嬉しくて仕方なかった。

 嬉しそうな顔で語るメリアを見て、ロアは戦闘が終了した安堵感も合わさり、苦笑気味の笑みをこぼした。ロアから生暖かさの混じった視線を向けられたことで、メリアは今の自分がらしくないほど興奮してる事実を自覚して、子供っぽい言動を取ってしまったかと少しだけ恥ずかしくなる。一つ咳払いを入れて、笑みを正した。


「でも、ちょっと物足りないわね。鎖の徊廊って言うくらいだから、最後はもっとギリギリの死闘を予想してたのに。っと、後ろで楽させてもらった立場で言えることじゃないわね」


 上機嫌に色々語るのは性分に合わないにしても、せめて今くらいは良いだろう。冗談めかしてそう言った。


「まっ、そうは言ってもこれで終わりの筈よ。あとはこの奥で報酬を受け取って──」


 メリアが途中で言葉を止めた。訝しんだロアは眉をひそめた。メリアの目は驚くように見開かれていた。いったいどうしたのかと、ロアはメリアに話しかけてようとして、やめた。ある気配を感じ取り、背後へ振り返った。

 先ほどまで戦っていたモンスター。それが斃れた位置に、何かがいた。倒したモンスターが再生したわけではない。復活したわけでもない。全く別の何かが、新たに出現していた。

 その形状には既視感があった。最初に倒した剣を持ったモンスターと同じ人型だ。だが似通うのは人型であるという一点だけだ。体格や造形は、正しく人の形に酷似していた。


「何よあれ……まさか人形兵き──」

「離れてろ!」


 ロアはメリアの呟きを遮り、素早くブレードを引き抜いた。ほぼ同じタイミングで人型の右腕が振り抜かれた。握られた剣が宙に残像を残すほど高速で振るわれ、迸る斬撃が青白い光を放ち明確な形を得る。飛翔する斬撃は空気を斬り裂き、死神の鎌となりて命を刈り取りにかかる。

 躱せばメリアに当たると判断したロアは、その攻撃に正面から受けて立った。ロアが構えたブレードにペロが幾重にも強化を施す。飛来する強烈な威力を伴うそれを、歯を食いしばりなんとか背後へ逸らした。


『なんだよ今の! 魔術か!?』

『技術です。魔力を斬撃として飛ばしたのです。──来ますよ!』


 ペロと高速で情報のやり取りを終えたロアはすぐに戦闘に意識を戻した。

 斬撃を弾いてから刃を引き戻すまでのほんのわずかな時間。その間に、人形の動きが静かに加速する。予備動作をほとんど含まない静謐な動作の始点から繰り出される挙動は、彼我に隔たる差を瞬きより早く縮めた。

 意識の時間を加速させていたロアの体はこれまでの戦闘経験にペロの声も合わさって、その人間離れした速度に微塵も遅れず反応した。正面から振り下ろされる一撃に迎え撃つ形で、ブレードの刃を真っ向から切り合わせた。

 瞬間、鼓膜をつんざくような凄まじい金属音が轟いた。


「きゃっ」


 接触に伴う余波を浴びて、メリアが小さな悲鳴をあげた。だが実際に攻撃を受け止めたロアに、それに取り合う余裕はない。

 ──重すぎる。

 想像以上の一撃を受けて、その威力に瞠目し歯ぎしりする。

 ロアの視界では火花が散っている。これまで平然と耐えていた刃が悲鳴を上げている。それは1000万ローグを超える高価なブレードの材質が削られる何よりの証拠だ。それほどの重撃を浴びている。

 未だかつて経験のない重さが刃を伝う。想像を絶する負荷が腕に乗る。体全体が軋みをあげる。

 しかし、それから脱する術をロアは持たない。この圧力から抜け出そうと力を緩めれば、追撃をこの身に食らう。受け堪えたところで、ブレードごと体を斬り裂かれる。

 出す手が見つからない。打開の道が存在しない。ロアは数瞬後に訪れであろう、逃れようのない死を幻視した。

 そのとき、ロアの手元に急激に力が宿った。一方的な劣勢が拮抗へと変化する。ペロが独自の判断でブレードと戦闘服の制限を解除し、装備本来の性能を超越する限界突破を使用した。さらに可視化するほど膨大な魔力がロアの全身を覆った。

 身体が本人の意思とは無関係に動き、回し蹴りが人形の腹部に炸裂する。限界以上に強化を施された肉体に、限界突破した戦闘服の身体能力上昇補正が乗せられる。そこから繰り出される強烈な蹴りが、岩のように重い人形兵器の体を後ずさりさせた。両者の間に距離が空いた。

 ロアは迷わず前へ出た。直感に従い距離を詰めた。後手に回れば命はない。目の前の敵に追いすがるため、自ら死線へその身を投じた。

 一手の誤りが死に直結する、極限の死闘が始まった。




 視線の先で繰り広げられる戦い。明らかにこれまで見せたことのないロアの強さに、メリアは介入の機会を完全に失っていた。

 メリアは人形兵器を知っていた。遺跡の奥地で遭遇する強力なモンスター。その討伐強度は最低でもDDDランク帯に達する。強力なものだと上級探索者が複数チームで対応するレベルになる。

 目の前の交戦状況と記憶にある知識から、相手の討伐強度を予測する。


(近接戦闘型。これって確か、上級探索者が相手にするようなのじゃ……)


 高速で行われる戦闘は、強化された動体視力でも追うのが難しい。二つの影が交差するたびに、荒れ狂う衝撃音が空間内を伝播する。互いの攻防によって発生する副次的な物理現象でしか、戦いの成り行きを把握できない。

 常人の域を完全に脱して、超人の域に足をかけた戦闘。未だその域に留まる彼女では、満足に戦況を見極めることすら困難だった。


(こんなのもう、DDランクとかのレベルじゃない)


 もしかしたら上位の探索者にも迫るかもしれない。

 己の力量を遥か超えた異次元の対決を、メリアは棒立ちのまま眺めていることしかできなかった。




 出現した新たな敵。紛い物とは異なる正しく人の形を模る人造兵器。異常な力を持ったそれに、ロアは一人奮戦を強いられた。ペロのサポートがあってもギリギリだった。

 人の肉体構造では決して不可能な変幻自在の動き。ロア一人の力で対応するのは無理筋で、思考も動作もついていかない。

 斜めに斬り込まれる剣。手首が真反対に翻る。刃が一瞬で反転し、下半身のみが回転する。回し蹴りが下段に放たれ、同時に上半身が激しい剣撃を打ち込む。高度な姿勢制御は無理な体勢によるバランスを絶妙に保つ。人の形をしながら、人とは全く異なる人外の挙動を破綻なく実行する。無軌道な動作の連続は、ロアが培ってきた戦闘経験をバラバラに打ち砕いた。

 それでもなんとか戦えていたのは完全にペロのおかげだった。存在感知を用いた動きの先読み。ペロの認識情報を同期することで、脳裏に描かれる最適な動作をなぞり体を動かした。最善を外れた場合は神経へ伝わる行動を拒否する。無駄な部分はペロが補正し、動作が定まる前に矯正する。限りなく理想に近い動きを体現させていた。

 どれだけ人体構造からかけ離れた動作であっても、動きには必ず始点が存在する。その始点を始めとして断続的に点が刻まれ、連なり、一つの流れとして成立する。たとえ人体の術理を放棄しようと、動きが描く線は絶対に一本の軌跡を辿る。ならば、あとはそこにあらかじめ動きを置いておけばよい。

 存在感知を用いた予見に等しい看破能力は、一手の誤りすら許さず完璧な対応を打ち続けた。


(守勢に関して0.07秒の遅れ。攻勢主体気味の反応構成。ベースは統合國の汎用機体、コールウッド社のオルハウル。その近接戦闘仕様。そこに独特のアレンジが加えられている……)


 ペロは戦闘中はなるべく会話を控えている。必要最低限のことを要点を絞って簡潔に伝えている。いかに意識の時間を間延びさせ高速での情報交換が容易になろうと、無駄な思考であることは変わりない。考えて戦う。それは重要だ。しかし、考えてからでは遅い場合がある。思考より反射が必要な状況では一つの思考が命を縮めかねない。

 膨大な思考量から的確に抽出した情報のみをロアへと伝える。


『このままのペースでば戦えば、102秒後に貯蔵魔力が枯渇します。ジリ貧です』


 相棒からの報告にロアは答える余裕を持ち合わせない。なにかを思考し言葉に纏めるには、現状の戦闘はあまりに許容量を超えていた。戦闘に意識を集中させるだけでいっぱいいっぱいだった。

 なんとか余裕を生み出して思考を絞り出した。


『どうすればいい?』


 端的に。手短に。言葉少なに。打開策を一言で尋ねた。

 打ち込まれる剣戟や打撃はどれも必殺の威力を持っている。それが途切れることなく怒涛に繰り出されている。仮にペロのサポートがなければ、既に数え切れないほど死んでいる。一手の攻防を交わすたびに積み上がる死は増えていく。その死をペロのおかげで紙一重で避け続けている。臨死体験とも言うべき死の錯覚の連続は、ロアの心身に多大な負荷をかけている。

 それでも精神は敗北を喫しなかった。

 生を確信してるわけでははない。死を受け入れたわけでもない。ただ信じている。共にある相棒を。


『一つだけ、打開する策はあります』

『ならそれを』

『ただこの機能を解放するには、現状では空き容量が足りません。今あるサポートを一部停止させる必要があります』


 今のロアは膨大な魔力を放出して戦っている。体の周囲には強化に反映し切れないほどの魔力が発光現象を伴い覆っている。魔力を身体の外で制御することで、例外的に本来のスペック以上の力を行使させていた。それは循環利用の効率を度外視した暴走状態に近いものだ。緻密な制御を行えないのを承知の上で、高い強度を保つために、必要以上の魔力を振り絞っていた。

 限界ギリギリまでの支援の拡充。そこまでしなければ対抗不可能だった。今のままでは奥の手を発動する際の緩みが致命的な隙となる。

 実行のために必要なのは時間と余裕。ペロからそう告げられたロアは、僅かな思考すらもどかしく感じるほどギリギリな戦闘の最中で、浮かんできた唯一の案に活路を見出した。




 メリアは未だ棒立ちのまま動けなかった。戦闘に介入する手立てを持たず、援護を入れる隙も見出せず。離れた位置で、何もできないまま、呆然と立ち尽くすしかなかった。辛うじて許されたのは、戦闘の邪魔をせず見届けることのみ。それさえも、今や満足に行える状態ではなかった。

 最後の最後まで自分の命運を他者に託すことしかできない。これが己の人生。これがお前の運命だ。そう突きつけられている気がしてならなかった。

 いつしか視線は下がり、視界を諦観が覆おうとした。


「メリア!」


 そのときだった。メリアの鼓膜を声が揺さぶった。自分の名を呼ぶ声。それを聞き取り、メリアの意識は底から強引に引っ張り上げられた。

 下がりかけていた顔が無意識に上がった。


「少しでいい! 時間っ……稼いでくれ!!」


 名を呼んだのは他でもない、ロアだ。今も人形兵器と死闘を繰り広げる彼は、戦闘の合間に発生するギリギリの余裕を見つけ出して、必死の形相で声を絞り出していた。

 メリアの意識はその声にどうしようもなく惹きつけられた。


「頼んだ!」


 頼むではなく、頼んだ。短く纏められていた一言には、そこに込めるべき意図が凝縮されていた。その思いを、意思を消化して、メリアの中で失われた戦意が急速に熱を取り戻す。


「少し時間をちょうだい!」


 メリアは反射的に言葉を返していた。応える声はない。応じるように戦闘を激化させていく。

 信頼されている。背中を、命を預けられている。その実感が彼女の心を熱く焚きつける。

 メリアは腰に装着していたポーチバッグの一つを取り外した。ひっくり返して中身を取り出した。弾丸の薬莢のような形をした円柱状のそれは吸畜器とは別物だ。強力な魔術の行使を補助する変換源だ。内部には膨大な魔術の素が込められている。

 その価格はたった一つで1500万ローグ。本来ならCランク以上の探索者が使用するレベルの代物だ。発動体を使う者にとっての奥の手だ。この変換源はメリアが持つ発動体のスペックでギリギリ許容可能な出力があった。

 もちろんデメリットやリスクは大きい。高出力の変換源は使えば発動体の内部機構を台無しにしてしまう。使えば間違いなく装備は壊れる。そして発動体の許容値を超えた強力な魔術の発動は暴発の危険が付きまとう。制御に失敗すれば待つものは自滅という最後だ。

 それだけではない。高度な魔術の行使にはそれに相応しい魔力強度が要求される。基準以下では本来の力の半分も引き出すことはできない。それほど高威力の魔術を扱うには今のメリアの自力では足らない。だからさらなる賭け金を積み上げる。

 メリアは新たに取り出した物を口に含んだ。一時的に自らの幽層体から生成される魔力量を増幅する魔力増強薬だ。これには魔力強度を向上させる効果もある。ただしその作用に比例して反動は大きい。後日、著しい後遺症が心身を襲うだろう。

 しかしメリアは躊躇しない。たとえ後で死ぬほどの苦痛を味わおうと関係ない。全てを盤上に乗せて勝負する。そうでなければ勝負の場にすら立てはしない。


(あいつが命張ってるのに、私が惜しんでいられるか……!)


 メリアは恐怖や怯懦に付随する全ての負の感情をかなぐり捨てた。命を含めた全てを投げ打つ覚悟を持った。そして、かつてない大魔術の行使に取り掛かる。

 魔術を発動する際に必要なプロセスである四つの段階。起動、構築、制御、放出。前提成立型の発動体ではこのプロセスは全て自動で完了する。だが即興組立型では、構築と制御の部分に高度な介入要素が存在する。

 メリアはそれを以て脳内で組み立てたイメージを自分の幽層体から発動体へ伝えていく。求めるのは破壊力や殺傷力に優れた魔術ではない。時間稼ぎに特化した魔術だ。発動体に組み込まれた術式にさらに自身のイメージを乗せ合わせることで、膨大な力を制御下に置き、緻密に一つの力として編み込んでいく。発動体へ供給する膨大の魔力を意思一つで制御する。

 多大な集中力を要する作業を、メリアは強靭な精神力を持って成功させていく。速すぎては失敗する。遅すぎても間に合わない。自分の能力の最大と下限を見極め、必要と不要を分別し、今持てる最高速で作業を進めていく。

 間も無く、必要な魔術は完成した。


「いいわよ!」


 魔術の構築を完了させたメリアが声を張り上げた。それは準備が整ったという明確な合図だ。それを受け取ったロアは、迅速にその行動を取った。スタッガーエッジの制限を解除した。

 限界突破した装備が内包した存在情報を対価に大幅に強化される。損失する存在情報が青白い輝きとなって漏れ出し始める。

 それに一切の警戒や対応変化を見せず、人形兵器が剣を振り下ろす。音速を容易に超えた切断力は、魔力で強化された肉体だろうと容易に両断する威力を持っている。自身に死を齎すその斬撃を、ロアは紙一重で避けながらスタッガーエッジを飛ばす。だが至近距離から撃たれた刃を人形兵器は最小限の動きで難なく躱した。そのまま流れるような動きで次の攻撃へ繋げてくる。引いた剣を引きしぼるようにして刺突を繰り出した。

 一瞬すら長く感じるほど極小の時間感覚の中で、突き出された剣先がロアの命を穿とうと迫る。しかし予め動きを読んでいたロアは、ほんの僅かな重心移動で剣先から逃れる。そしてさらに横へとずれながら、体と剣の僅かな隙間にブレードを無理やり挟み込む。突きから横薙ぎの一撃に変化しようとした動作を、加速が乗り切る前に押さえつけた。

 だが両者の力の差は瞭然だ。加えて不完全な体勢ということもあり、ロアの体は簡単に押し負ける。刃ごと弾き飛ばされようとした。

 そこに先ほど飛ばしたスタッガーエッジの刃が返ってくる。ロアが剣戟を打ち合わせる最中、ペロが能動制御で刃の軌道を操り、絶妙なタイミングで合わせた。上方から弧を描くように飛んできた刃は、人形兵器の腕部に今度こそ当たった。直撃と同時に発生した衝撃波が、人形兵器の持つ腕を上から下へ押し下げようと作用する。

 その一撃を受けても人形兵器は止まらなかった。自らに備わる動力部の出力を最大限にまで引き上げ、強引に衝撃による反発力を圧し殺す。僅かに下がった手首の角度を瞬時に調整して、再びロアの方へ刃を押し込んだ。

 ただその威力は数瞬前より明らかに衰えていた。スタッガーエッジの一撃を受けたことで、人形兵器の動きは一時的に先の勢いを喪失していた。そしてロアはその瞬間を逃さなかった。威力が衰えた剣を再装填されたスタッガーエッジで殴りつけた。

 スタッガーエッジが剣と接触する。接触と同時に形成された刃が爆発する。ペロによって指向性を与えた衝撃波は、剣筋をズラすのではなく、相手の剣を腕ごと真っ向から跳ね返した。衝撃の影響と剣を殴りつけた反動で、スタッガーエッジがバラバラとなって砕け散る。

 ただしその甲斐と成果はあった。時間差をつけた連続的な二つの衝撃を受けて、人形兵器の動作に致命的な遅れが生じた。ロアはその遅れを好機とし、隙だらけとなった人形兵器の腹部を蹴り飛ばした。蹴りがもろに直撃して、人形兵器の体がこの戦いで初めて仰け反る。そしてさらに生まれた隙を生かして、ロアは素早く距離を取り、メリアの背後に退避した。

 ロアを守る形で立ち塞がったメリアへ、崩された体勢を整え終えた人形兵器が再度攻撃の構えを取る。驚異的な瞬発力で前へと踏み込み、対象を間合いのうちに入れようとする。

 ──それより早く、その体をメリアの魔術が捕らえた。


「掴まえた」


 唐突に人形兵器の動きが停止した。まるで水の中へ落とされたように、俊敏だった動作が緩慢になる。不可視の流動現象が人形兵器の全身を包み込み、動きを完全に封殺していた。

 全てのリソースを費やせばCランク帯を超え、CCCランク帯にすら届き得る。メリアはそれをひたすら足止めに注いだ。

 一度発動した魔術を堅持する技術。魔力の連結力、思気相度と呼ばれる能力。メリアはこの力に秀でていた。メリアの全霊によって組み上げられた魔術は、複数の要素要因によって、本来なら不可能な足止めという奇跡を成し遂げた。

 人形兵器は発動された魔術を掻い潜ろうと試みる。もがきながら少しでも薄い部分を探り当て、そこから抜け出す糸口を見つけ出そうとする。繋がった魔力から伝わる感覚が、メリアの幽層体にダイレクトで情報を送る。人体の反応速度を超えた情報の伝達速度が瞬時に取るべき行動を判断させ、それを阻止する。


「私はこれで飯食ってんのよ……! ナメんな!」


 生じた歪みは肉体にフィードバックする。本来以上の能力を発揮したことにより、肉体が予想外のダメージを受ける。頭に強い痛みが走り、手足から急速に体力が失われる。それでもメリアは負けじと思考を回した。

 体が悲鳴を上げる。鼻血が唇を伝う。限界は近い。




 目の前で始まった魔術と暴力の応酬。その対峙内容は荒々しさとは正反対で、静寂に満ちている。対峙する両者にほとんど動きは見られない。しかし、広げた存在感知には膨大なエネルギーのせめぎ合いがはっきり映る。例えるならそれはまるで、暴れ狂おうとする怪物を巨大な手で強引に押さえつけているような光景だ。凄まじい主導権の奪い合いが繰り広げられている。

 足止めを確認したことで、ロアは限界まで施していた強化を一部解いた。途端、全身の節々に痛みが訪れる。体は疲れることを思い出したように、どっと負担が押し寄せる。

 気を緩めたくなる。膝を折りたくなる。連戦に続く連戦と、直前まで行っていた極限の攻防。肉体は紛れもなく限界に近づいていた。

 僅かに緩んだロアの手からブレードがこぼれ落ちた。すでに限界突破を果たし、存在情報の全てを燃やし尽くしていたそれは、ペロが辛うじて繋ぎ止めていた制御下を離れて完全に形を崩した。いつかのように形も残らず消失した。

 消え去った武器に続き、限界を迎えた身体が脆く崩れかける。だが、ロアは必死に歯を食いしばり膝に力を込めた。懐から再生材を取り出して、強引に口の中へ押し込んだ。再生材の回復効果が急速に身体を癒していくのを感じながら、決して膝を折らず、意志の力のみで立ち続けた。


 任せたと頼んだ。決着を託された。

 抱え込んだ命は一つじゃない。

 自分が倒れればメリアは死ぬ。ペロも死ぬ。たとえこの身が滅びようと、それだけは認められない。


 ロアは切り札に全ての命運を乗せて、自らの意識を内側に飛ばした。


『──主人格ロアの秘匿管理項目への抵触を確認しました。セキュリティクリアランス発生。上級アクセス権限の行使を容認。特例事項A-3項に当たり、当人格の独自判断による強制処理を実行。……適格性の充足を確認。主人格ロアの機密管理コードへのアクセス承認申請を受理しました』


 訳の分からない言葉が頭の中で響いた。視界では変わらず戦闘が続行している。奮戦している少女の背中が映っている。なのに、余分な情報の全てがグレーアウトしたように、意識という焦点から外される。

 ロアの理解とは関係なくそれは続いた。


『警告。当該コードの使用には、使用者の生命及び存在形成に多大な影響を及ぼす可能性があります。これは人類憲章及びミネゼア条約、並びに存在保護法に違反し──中止。……省略。主人格であるロアは、裏コードの開放申請を行いますか?』


 機械的で無機質な声音になったペロの声が、抑揚や感情なく淡々と紡がれた。

 ロアはそれに答えることができず固まった。


『申請を行ってください』


 そこで、いつものペロの声が意識を揺さぶった。聞き慣れた声音によって、ロアの意思が一つの指示に導かれる。


『し、申請する……?』

『再度に渡る開放申請を受諾しました。自己決定権の行使を確認。突破。制限を解除。禁忌指定技術、自己領域拡張システム、コード:トランスグレッションを開放。主人格ロアの肉体において、発動後の生存が見込まれる推定活動限界時間は1.76秒です。ご注意を』


 言葉が終わるのと同時に、ロアの意識は奇妙な感覚に晒された。

 自我を形作る、定義する境界線が失われていく。自己と世界の間に隔たる、確固たる線引きが曖昧になっていく。生来あるべき壁が内側から強引に打ち払われ、世界という海に己という個が曝け出されていく。

 ロアは自分の中で、ひっそりと何かが外れる感覚を聞いた。




 メリアは瞬き一つせず、呼吸すら忘れて魔術の行使を続けていた。

 現在の彼女は意識の時間を加速させていた。思考速度は平時の状態を軽く凌駕している。人形兵器の人知を超えた行動速度に追いつくためには、普段の思考速度では遅すぎる。限界まで脳の容量を振り絞り戦闘に全てのリソースを費やしていた。

 意識時間の加速は必ずしも使用者にメリットだけを齎すのではない。一秒が数秒になるのなら十秒は数十秒に間延びする。意識集中の反動は深刻な精神障害となって返ってくる。

 現実では三十秒に満たない時間が、加速した世界では数分に引き延ばされる。一手過てば即死を意味する殺し合い。命をかけた戦いは、長引くほどに、対象の心身を情け容赦なく蝕む。

 だからと言うべきか。その決着はある意味で必然だった。肉体が根を上げるより、手にした装備が限界を迎えるより、張り詰めた精神がほつれる方が早かった。

 集中が一瞬だけ乱れる。乱れは脆弱を生む。ギリギリ保たれていた拮抗がほんの僅かに崩れる。

 ほつれは止まらない。穿たれた穴は次々と歪みを晒し、決壊へと導かれていく。


(あ、終わった……)


 それに気づけば、悟るのは早い。メリアの直感は、薄氷の上で保たれていた攻防が、粉微塵に砕け散るのを確信した。

 構築した魔術が破れられる。纏わりついていた流体は、最初の挙動で拘束が緩み、数度目の動作でより広がり、幾度目かで完全に散らされた。現実の時間にして秒に満たない僅かな間。それでもその一瞬は、両者の命運を分けるのに十分すぎた。

 メリアの視界に、自由の身となった人形兵器の姿が映る。走馬灯のような死の直前の認識は、奇しくも戦闘中以上のゆったりとした時間を彼女に与えた。

 体は動かない。魔術は使えない。

 減速した時間の中で、ただただ形を得た死という事象が、自分という矮小な個を刈り取りに来る。メリアは何の抵抗もできないまま、避けようのない無慈悲な現実を、黙して見続けるしかなかった。

 ただ、このときのメリアの胸中に不思議と恐れはなかった。あったのは。


(あ……)


 思考が止まる。代わりにメリアの瞳は、全くの別のものを捉えていた。

 見たのは一つの背中。先ほどまで遠くに見えて、届かないと痛感して、それでも届かせようと伸ばした背中。それが今この瞬間に、確かに手の届く範囲に存在している。

 メリアがそれを見るのと同時に、目の前の人物の口元が小さく動いた。

 ──助かった。

 メリアの意識は、確かにその言葉を聞き取った。




 世界が止まって見える。己の存在を定義する境界を踏み越え、自外の域に至ったロアは、これまでとは全く別次元の感覚を覚えた。初めて魔力強化を使用した時以上の万能感に浸りながら、メリアと人形兵器の間に悠然と体を割り込ませた。

 その動きに、対峙する人形兵器は当然のように反応してくる。人間とは異なる人外の時間感覚を生かして、乱入してきた敵を迷いなく迎え撃つ。

 だが、遅い。ゆったりと振られる剣を悠々抑えて、ロアはそれを持つ腕部を弾くように叩いた。強引に動きを変えられた腕が急激な慣性変化を受け、軋みながら反対方向へ跳ね返る。

 ただ相手も機械。人間離れした情報処理速度は即時の対抗手をひねり出す。無手の左腕で高速の突きが繰り出される。戦闘車の装甲すら穿つ貫手がロアの身を襲う。

 しかしそれは届かない。今のロアにとって、目の前で動くものの何もかもが遅すぎた。

 胸部に掌底を打ち込む。人形の体が後ろに下がり、貫手は強制的に中断される。側面に蹴りを放つ。斜め下からの蹴り上げで、人形の体が宙に浮く。宙に浮いた状態のまま、独立駆動した下半身からは苦し紛れの蹴撃が飛んでくる。ロアはそれを反転して回避し、逆に相手の腹部へ逆足の回し蹴りを叩き込む。人形の体が腹の部分からくの字に折れ曲がる。

 頭部へ拳打を叩きつける。胸部に掌底を加える。衝撃で後方へ下がろうとする体を強引に魔力を使って押さえつけ、決して回避も退避も許さず一方的に連打を与え続ける。一発ごとに激烈な衝撃波が発生し、一発ごとに甚大な破壊を齎す。人形兵器の頑強無比なる外装が崩壊していく。

 たかだか二秒にすら満たない人外の攻防は、両者の優劣をハッキリと刻みつけた。

 発生した衝撃波の全てをペロが一方向に集約させる。外側に拡散していくそれを完璧に制御し、一点にまとめる。高密度に圧縮され解放先を限定されたエネルギーは、人形兵器の外装と内部機構の全てを、粉々に破壊し尽くした。

 衝撃で散りばめられる人形兵器の残骸。熱を帯びて発光するそれを決着の証と見納めて、ロアは己の勝利を確信した。存在情報を完全に喪失した戦闘服が、役目を終えてボロボロと形を無くして消えていく。

 それをどこか遠い感覚で察していたロアは、身に訪れた異常を感じて膝を折った。満足に受け身も取れず、顔から床に倒れ込む。うつ伏せの状態で倒れ伏した。

 虚脱感が全身を襲い、体の底から気持ちの悪い寒気が込み上げてくる。


『動かないでください。0.2秒も超過しました。身体が崩壊します』


 よく知る声によってロアの意識が支えられる。仮にペロがいなければ、自分は既に此の世界に存在していないだろう。そういう確信じみた感覚があった。


『もしかして、死ぬのか……?』

『死ぬことはありません。しかし、以前のあなたでいることは不可能かもしれません』

『……よくわからん』

『安心してください。あなたはあなたです。本質は変わりませんよ』


 穏やかなペロの声をそばに置きながら、ロアは安心とも不安ともつかない表情を浮かべる。

 自分の意思ではどうにもならないまま、迷宮の冷たい床で横たわり続けた。




 魔力強化を扱え、動体視力で常人を遥かに優るメリアの目にも、その攻防はほとんど認識できなかった。圧倒的であり、文字通り一瞬で決着がついた。

 驚愕から回復したメリアはハッとして我に帰る。呆然とした状態からすぐに立ち直る。今しがた超次元の戦いを終えて、反動のせいか床に倒れてしまったロアの元へ、慌てて近寄ろうと足を動かしかけた。

 しかし、彼女は動かしかけた足を止めた。否、止めさせられた。

 何かがいた。いや違う。それはたった今この空間に出現したのだ。

 現れたのは一体の人形だ。先史文明が生み出した殺戮兵器。ただしその造形は先程退治した個体とは似ても似つかない。

 体躯はメリアの身長を優に上回り、流線型と角張ったラインが絶妙に混ざり合う。ボディの頭部には目のようなモノアイが搭載され、妖しげな暗緑色の輝きを放っている。全身のデザインは飾り気のない無骨さを強調していながら、簡素とは違う洗練された機能美を披露する。造形だけでもただの量産機体とは明らかに別する。

 そして、発せられる存在感の多寡は見る者の認識を絶した。

 まるで限界まで大気を圧縮したような、胎動する星のエネルギーを思わせる圧倒的存在密度。天変地異すら生温く感じるほどの、超越的な力の波動。他を殺戮足らしめるのに小揺るぎすら必要ない。身の内の力を僅か顕現させる。それだけで大抵の生物は死に失せる。

 文字通り、次元の違いを目の当たりにした。

 現実離れした現実を突きつけられた人間の選択は、大抵の場合二つに限られる。現実逃避と臆して自分の世界に縮み込むか、正気をかなぐり捨てて狂気の感情に逃げるか。

 しかし、メリアはそのどちらも選ぶことはしなかった。

 何をしても相手の意思一つで自分は消え去る。痕跡どころか存在の一欠片残すことなく。

 ならば何をしようと、どう動こうと、好きに選ぶことに決めた。

 死ぬにしても前のめりでも死ぬ。勝ちの目がなかろうと無様だけは晒さない。取るに足らない生だとしても、他でもない、自分自身だけは知っているのだから。

 メリアは怯みすらおくびも出さず、確固たる足取りで前へ踏み出した。

 視線の先にいる人形の意識がメリアへ向けられる。神と見紛う圧倒的上位に矮小が認識を置かれる。

 ロアの前に歩みでたメリアは、両手を横に広げ、かばうように立ち塞がった。

 神と只人。認識が交差する。

 射竦められる。怯みは見せない。臆することもしない。やるだけやった。悔いはない。

 メリアが己の意思と覚悟を曝け出しているそこへ、小さな声が割り込んだ。


「……大丈夫だ。メリア」


 背後から聞こえる声。それを発した者を一人しかいない。

 メリアは反射的に振り向いた。


「ロア! あなた、大丈夫なの?」

「ああ、なんとかな」


 返事の内容に反して、その姿はとても大丈夫そうには見えない。呼吸を楽にするためなのか、上手く喋るためなのか、ロアは顔を少しでも横に傾けた状態で言葉を発していた。

 困惑するメリアをよそに、ロアが自身の要望を伝える。


「代わりにそれ、受け取ってくれないか?」

「え?」


 振り返れば対峙する存在からの圧力は消えていた。代わりとなるように空中には小さな何かが浮かんでいた。戸惑いながらも、メリアは両手を相手の前に差し出した。するとそこに、一つのカプセル状の物が乗せられた。

 受けとると同時に、目の前の存在がかき消える。痕跡や余韻など全く残さず、まるで最初から何もいなかったかのように。一切合切がこの場から消え去った。

 ただ一つ、手の中にある物を除いて。


「これ、飲ませればいいのよね?」


 理解できない事象を思考から切り捨てたメリアは、小さく開いたロアの口へ、手に入れたカプセルを持っていく。口からこぼれ落ちないように、慎重に奥へと押し込んだ。

 そしてロアがきちんと飲み込んだのを確認して、ほっと息を吐く。へたりとその場に座り込んだ。


「あれ……? 急に力が抜けて」


 オバーフローで麻痺していただけで、死への恐怖と上位者との対峙は確実にメリアの心身を苛んでいた。生の実感と戦いの終わった安堵を突かれて、メリアの身体は今度こそ自力で立つ力を消耗した。


「大丈夫か?」


 直前まで倒れていたのが嘘のように、回復したロアが手を差し伸べる。

 身体に全く力が入らない事実と、たかだか数秒で立場が入れ替わった事実に理解が追いつかず、メリアは苦笑と混乱で少しだけ顔を引きつらせて答えた。


「ごめん……ちょっと無理かも」


 それを見たロアは「仕方ないな……」と呟き、メリアのそばに屈み込んだ。その体を軽々と持ち上げた。


「え……!? ちょっ! 何すんのよ!?」

「このままだと時間かかるだろ。もうモンスターは出なさそうだし、さっさと先に進みたい」


 今のロアは戦闘服を失ったのでインナー姿だ。つまりは下着姿だ。下着姿の異性に抱きかかえられたことで、メリアは動転して思わず大声を出した。そしてさらなる抗議を言葉以外の手段で訴えようとした。

 だが暴れそうになるのはなんとか堪えた。戦闘服を失ったのは激しい戦闘の代償だ。つまりは命を守ってもらった結果だ。抗議と苦情という感情は、感謝と申し訳なさという理由によって押し流された。メリアは抱えられた腕の中で縮こまり顔を赤くした。せめて表情だけは見られないように、必死に顔を俯かせた。

 ロアはメリアの様子は気にせず、悠然と歩みだした。広間の奥へ向かった。

 戦闘が終わり、先の人形兵器が消えてから、奥の壁の一部からは白い光が漏れていた。時間をかけてその前まで来たロアは、その前で一度立ち止まる。


「この先に進めばいいってことだよな?」

「おそらくそうでしょうね。……それと、もう降ろしてくれていいわ」


 しばらく時間が空いたことで、肉体的にも精神的にも落ち着いたメリアは、自力で立つと主張した。その言葉を受けて、ロアは腕の中から彼女を下ろした。

 メリアがちゃんと立ったのを確認したロアは視線を前へ向けた。横並びになって二人で白い光を眼前に置いた。

 この先にいったい何が待つのか。

 ロアとメリアは一度顔を見合わせると、示し合わせたかのように、同時に光の中へ踏み出した。


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