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シンギュラーコード  作者: 甘糖牛
第三章
68/72

鎖の徊廊

「おいおい、どういうこった。あいつら急に消えたぞ。かくれんぼでもしてんのか?」


 ディセレイ遺跡の地下に存在する吹き抜けのある通路の一つで、上階から階下を見下ろしたキザニスが冗談交じりに呟いた。発言には変わらず軽口が含まれているが、表情自体は真剣そのものだ。態度からは先ほどまでのおちゃらけた雰囲気が嘘のように消えていた。

 視線の先にあるべき人物たちの姿は見当たらない。探知機や魔力による索敵でもその反応は見つけられない。先ほどまで探索を共にした二人の行方は、まるで神隠しにあったかのように消失していた。


「……これは、転移現象?」


 同様に起きた事態に理解の追いついたルプセナが、己の知識から最も妥当たりえる可能性を口にした。


「おいおい、ここはディセレイ遺跡の中部だぞ。転移なんて高度な魔術現象が発生するわけないだろうが」


 苛立ち混じりの声がルプセナにかけられる。キザニスはこれまでの飄々とした態度を崩して、どこか八つ当たりじみた言葉をルプセナにぶつけた。ルプセナはそんな彼の言動には反応を示さず、黙したままじっと二人の班員が消えたところを見つめた。

 落ち着きがないのはキザニスやルプセナだけではない。消えたメリアと同じチームに属するイアンや、表情の見えないテッドですら動揺した空気を隠せていなかった。


「ヘクター、こちらウィスだ。探索中に重篤なトラブルが発生。班員二名の反応をロストした。至急今後の対応について相談したい」

『……こちらヘクター了解。直ちにそちらへ向かう』


 いつのまにか若手たちのそばに立っていたウィスが、同じようにロアとメリアが消えた場所を見下ろしていた。ウィスは自身の担当する班に起きた予期せぬ事態について、合同探索を取り仕切るフェルトマンへ即座に報告を行った。

 報告を終えたウィスは若手たちの方へと振り返る。


「というわけだ。残念ながら合同探索は一旦中止とする。ここからは俺が君らの護衛に当たるよ。各自ヘクター、フェルトマンが来るまでこの場で待機だ」


 動揺した若手たちを安心させるために、顔ににこやかな笑みを浮かべて告げた。


「それはいいけどよ。取りっぱぐれた成果については保証してくれんのか? こうなったのはあんたらんとこの構成員がやらかしたからだぞ。責任取ってくれんのかよ」

「それならこのまま探索を続けるかい?」


 ウィスは向けられた不満と怒りを、余裕を崩さない微笑で受け流した。キザニスはそれを感情のこもらない目で見つめた。


「冗談だよ。そんなことを許して追加の問題が発生すれば俺たちにとっても一大事だ。もしもこのまま中止になったなら、アケイロンの方で都市と交渉して補填を用意してもらうよ。それなら文句はないだろう?」


 ウィスが相手の要求に沿った案を提示した。無言でいたキザニスは、大きく舌打ちすると、「ああ」と素っ気なく答えて顔を逸らした。

 フェルトマンの到着を待ちながら、ウィスたちはその場に待機する。宣言通り周囲の警戒にはウィスが一人で当たっている。若手たちは上級探索者という庇護を得て、遺跡の中にいながら各々気を休める。

 ウィスは彼らに背中を向けていた。あえて表情を見せないように警戒を続けた。若手たちから見えないように隠れた表情には、焦燥感や緊張感とは無縁の、心底楽しそうな笑みが浮かんでいた。




 突如訪れた異常事態に対する混乱を強引に沈めたロアは、まず相棒に現状の把握を求めた。


『ペロ、いったい何が起こった?』

『時空魔術の空間転移です。それでこの場所まで飛ばされました』


 答えるときのペロの声音はいつになく強張っていた。

 この相棒が動揺するほどの事態が己の身に起こっている。そう認識するロアだったが、落ち着きを維持して事態の解明を進めた。


『なんでそんなのが起きたんだ?』

『……わかりません。少なくとも、あの場に仕掛けられた罠ではありませんでした。転移はあの時点で前触れもなく、唐突に発動して私たちをここへ飛ばしたのです。私も咄嗟に介入して魔術の破壊を試みましたが、失敗しました。まず間違いなく、私たちをここに飛ばした存在か何者かの意思は、現状の私の力を大きく超えています』


 それを聞きロアの胸中には急に不安が込み上げてきた。

 ロアにとってペロは何より頼りになる存在だ。自分の知らない先史文明の知識を持ち、魔力という超常の力を自在に扱えて、上級探索者や防衛軍でさえ脅威としない。この相棒より優れた存在など知らないし、凄い存在がいたとしても、何だかんだなんとかしてくれると思っていた。

 そのペロですらどうしもない力を持った何かがいる。はっきり言って信じられなかった。


『ですが、現時点で命の危険は低いと考えていいと思います』


 ロアは身の内の動揺を必死に押し殺して会話を続ける。


『……どうしてだ?』

『まだ私たちが生きているからです。空間の転移は魔術の中でも高等の部類に属します。その機能を有した施設であれば、例外なく強力な自律兵器が配備されている筈です。なのに周囲にその姿はありません。そして私たちの殺害自体が目的ならば、飛ばした先を死地に変えるだけで事足ります。生存に適した環境を整える必要はありません。もしも何者かの意思がこの場所に私たちを(いざな)ったとするのなら、私たちが生きていなければならない理由があるのだと思います。だからまだ、絶望的な状況ではない筈です』


 歯切れの悪い言い方をするペロであるが、適当な事を述べてる雰囲気はない。相棒の冷静な推断を頭に入れてロアは落ち着いた。

 そもそもの話、仮に絶望しかない状況だとして、それがなんだと言うのか。探索者になった時から死を覚悟していた。その覚悟を持って臨んできた。今更この程度の事態で動揺するほど、生半可な生き方はしていない。

 もちろん死ぬ気は微塵もない。自暴自棄になって生を投げ出したりはしない。この命尽きるまでは死ぬ物狂いで戦って、足掻いて、生にしがみつき続ける。それが己にとっての矜持だ。残された最後の境界線だ。この意志だけはどんな理不尽にだって挫かせないし、何人にも侵させるつもりはない。

 やるべきことを明示化したロアは、今度こそ平常心を取り戻した。


 ロアが己の覚悟を正し終えると、そばから人の呻き声が聞こえてきた。今の今まで一緒に飛ばされてきた人物から意識が外れていたロアは、気絶していた少女の方へ顔を向けた。彼女は今まさに起きるところだった。

 意識を取り戻したメリアは目を見開くと、勢いよく上半身を起こした。横に落ちている自身の装備を手繰り寄せて、周囲に危険がないかを探すように素早く首を動かした。


「なによ、ここ」


 危険がないことを確認し終えたメリアが床に膝をついたままの状態で疑問を口にした。表情からは直前まであった緊張感が薄れ、代わりに事態に対する混乱と不可解が張り付いている。

 ロアはペロから教えられた内容を彼女にも伝えた。


「時空魔術の空間転移ってやつだ。それでここへ飛ばされたみたいだ」

「てん、い……?」


 簡潔な説明を聞かされたメリアは、言葉の意味が理解できないように軽く目を見開いた。そしてまた周囲の空間へ視線を移して、目を瞬かせる。メリアは複数回にわたり、何度も視線をあちこちに往復させた。

 やがて己が置かれた現状に理解が及んだのか、ついには硬直すると、急激に顔色を蒼白に変えた。


「まさか、ここって……」


 顔を青白くさせたメリアは気分を悪くしたように、唐突にえづき始める。そして口から胃の中身を吐き出した。何度もえづきながら、胃を空っぽにする勢いで、嘔吐を繰り返した。

 ただならない様子のメリアを目にして、ロアは彼女がこの場所についての知識を持っているのだと判断した。相手が落ち着くのを待ってから、顔を逸らしつつ、荒い息を繰り返すメリアに向けて質問を放った。


「なあ、もしここがなんなのか知ってるなら教えてくれないか?」


 問いを耳にしたメリアは、血の気の失せた顔色を質問者へ向けた。


「……あんた、本当にここがどこか心当たりないの?」

「ないから聞いてるんだよ」


 堂々と答えるロアの姿に、メリアはほんの少しだけ呆れた態度を滲ませる。同時に今ある現実を正確に認識し、受け入れるために、その言葉をはっきりと声に出して告げた。


「……ここは(とざし)徊廊(かいろう)。別名、試練の迷宮とも呼ばれる……探索者の墓場よ」


 メリアは陰鬱とした雰囲気を醸し出して、消沈した様子で最後まで言い切った。


『知ってるか?』

『いえ、全く』


 ロアは一応ペロに確認を取るが、やはり知らなかった。ならば今ここで頼りになるのはメリアの知識だけだと思い、現状に対するさらなる説明を期待した。


「本当になにも知らないのね……」


 無知ゆえかなんら緊張感を見せないロアを見て、メリアは幾分か落ち着きを取り戻す。

 記憶から知識を引っ張り出すようにポツポツと語り始めた。


 鎖の徊廊。この場所が一体いつから存在するのか。正確には分かっていない。一説には境域という場所が成立する以前から確認されたとも言われるが、不確かなままである。確かなのは、鎖の徊廊という場所は正式に認知されるずっと前から、人々に迷信や伝承という形で語られ続けてきた。まさに境域における伝説に等しい存在だ。

 現代では知識の集積が進み、鎖の徊廊についての認知度は上がっている。メリアのようなそれほど高い権限を持っていない探索者や、それこそ探索者以外の人物にも、ある程度遺跡事情に通じている者であれば知っている。

 鎖の徊廊が長く迷信扱いされてきた理由は二つある。一つはその非現実性だ。この場所を訪れる者は必ず空間転移によって招かれる。そしてその現象は、事前の予兆なく突発的に発生する。鎖の徊廊へ飛ばされる者はある日唐突に消息を断ち、一切の痕跡を残さず完全に姿を晦ませる。故にこの現象に関する事実確認は進まず、被害者はただの行方不明者として扱われてきた。

 二つ目は、脱出条件の困難さだ。鎖の徊廊は迷宮としての顔を持っている。生還するためには強力なモンスターを打ち倒し、最奥部へ到達しなければならない。

 この条件に例外はない。生還者から得られた情報において、踏破以外で脱出できた例は一つとして確認されていない。これは高い戦闘能力を持つ者以外、脱出するのは不可能であることを意味している。

 探索者にとって悪夢とも言うべき場所である鎖の徊廊。だがそこに飛ばされることは必ずしもデメリットばかりではない。唯一にして最大のメリットも存在する。それが最奥部に辿り着いた際に手に入るという踏破報酬だ。この迷宮を踏破した者は、さながら試練を乗り越えた対価のごとく、望む報酬を一つ与えられる。故に試練の迷宮とも呼ばれている。

 ランクも実力も、年齢も性別も関係ない。招かれた者は闘争を強制される。鎖の徊廊とはそういう場所だった。


「ある日唐突に遺跡内で消息を絶った探索者の何人かは、ここで死んだと言われてるわ」


 踏破者を除き、鎖の徊廊に飛ばされた者は一切の痕跡が残らない。当然ながら死体が発見されることもない。死体が残らぬほど凄惨な死に方をすることは探索者にとって珍しくはなくとも、まさに神隠しという言葉が当てはまるのはこの場所だけだ。


「ここを踏破した人たちは、ほとんどがひとかどの探索者として名を馳せてる。この意味がわかる?」


 分からないロアは首を斜めにする動作を取る。


「本当の意味で強い探索者しか、生きて出ることは叶わないってことよ」

「ふーん」


 真剣な口ぶりで言うメリアの言葉に、ロアが軽い調子で返事をした。

 緊張感の薄い態度にメリアはムッとする。


「私やあんたじゃ無理だって言ってるの」

「そんなのやってみなきゃわかんないだろ」


 ロアはメリアの断定に堂々と抗弁した。

 現状が依然として危機的状況には変わりない。出てくるモンスターの強さや数は不明なままで、どれだけの戦闘をこなせばいいのかも分かっていない。話が事実なら生存できる可能性は確かに低いだろう。しかし、生きて脱出できた者がいるのならなんとかなる可能性はまだ残っている。死んだと決まった訳ではない。むしろペロの話を聞いたときに比べたら随分と希望がありそうだ。諦める理由がなかった。

 動じない姿を見せられ、メリアが沈鬱を顔に浮かべた。


「……私は、自分が凡人だって知ってる。ハルトやオウカみたいに特別な人間じゃない」


 自信の無さを告白するように内心を吐露した。

 それを聞かされたロアは彼女の気持ちに納得はしたが、同調はしなかった。ロアからすればメリアだって十分特別の部類に入る人間だ。本当に才能が無ければ、若くして中級探索者になれたりはしない。一生をうだつの上がらない下級探索者として生きていく。かつての自分のように。

 しかし、彼女の視点に立てばそう考えるのも無理はないとも思う。ロアは以前とは比べ物にならないほど強くなった。それなのに未だその強さに満足していない。贅沢にもさらなる強さを求めている。

 己にとって重要なのは、必ずしも今いる位置とは限らない。他者との相対的な位置が重視されることだってある。むしろそっちを大事にしてる人間の方が多いくらいだ。だから初めから上にいる人間と比べ続けてきたメリアが、その物差しに基づいて己の価値を決めて劣等感を抱くのは、当然である。自分の位置から見える天才たちと比べて、才能が無いと卑下してしまうのは仕方がない話だ。

 相手の心中に共感を抱きながら、わざわざそれを口に出さないロアへ、メリアが静かに口を開く。


「……ねえ」

「なんだ?」

「なんで、助けたの?」


 俯き加減の顔からか細い声が発せられる。

 質問の意図が分からずとも、ロアは正直に自分の気持ちを答えた。


「一緒に探索してる奴がピンチだったら助けるだろ。不思議なことか?」

「……あなたに強く当たったし、迷惑もかけた。チームの和を乱して、空気も悪くした。鬱陶しい奴が消えたって、そう喜んで見捨てても良かったじゃない」


 自覚があるなら控えればいいのに。ロアはそう苦言を漏らしそうになったが、空気を読んで言わないでおいた。

 シンプルに質問にだけ答えた。


「どんなに嫌な奴だろうと仲間は仲間だろ。……仲間を見捨てて逃げはしねえよ」


 言ってる最中にロアは昔のことを思い出した。仲間を置いて逃げた過去の自分を。

 今はもうその時とは違うと思いつつも、未だに当時に対する後悔や後ろめたさは残っている。それが表情や声に現れた。

 ここまで冷静さを崩さなかったロアが感情を揺らしたことで、メリアはほんの少し相手に親近感を抱いた。


「……私は、自分の価値を証明するために探索者になった」


 か細かった声に、微かな感情が載せられる。


「結果を出さなきゃ、誰にも必要とされない。私が死んでも悲しむ人はいない」


 床を向いていた顔がゆっくりと持ち上がる。メリアの青色の瞳がロアの顔を正面から捉えた。


「あなたは、どうしてこの道を選んだの?」

「……選んだっていうか、それ以外の選択がなかっただけなんだがな」


 正確にはあった。ただそれは探索者を続ける意志を固めた後のことだ。探索者になると決めた頃は、そうなる以外の選択肢を想像できなかった。

 ロアのまだ陰りのある声音を耳にして、メリアは「ごめんなさい」と、勝手に事情を察して謝罪した。

 そのしおらしい態度に、お互いらしくないなと、ロアは大きく息を吐き出した。陰気な空気を吹き飛ばすつもりで、深く呼吸をした。自分が自分らしくあるために、そして運命共同体である少女にやる気を持たせるために、努めて明るく宣言する。


「別にまだ死んだわけじゃない。どうせ死んだときには死んでるんだ。だったら生きてるうちは、生き残るために全力で生きようぜ」

「……何よそれ」


 ロアの宣言を聞いたメリアが苦笑気味に笑った。

 それは呆れたような笑みだったが、ここに来て初めて彼女が見せた笑顔だった。




「どういうことですか!」


 ディセレイ遺跡に存在する地下街部分。合同探索の場として選ばれたそこに、若さの残る大声が響き渡った。

 叫んだ人物はハルトだ。アケイロンに所属する彼は、チームの先達であり上長でもあるフェルトマンに向かって、決定に対する不満を叫んでいた。


「合同探索の中止は無しだ。予定通りこのまま続行する」


 フェルトマンが有無を言わさない口調で言い切った。

 ウィスから不測の事態を知らされたフェルトマンは素早い決断を迫られた。担当班を持たず有事に備え全体の警護に当たっていた彼は、予め想定していた緊急時の対応策に則り、異常事態に見舞われたウィスの班との合流を目指した。それと並行して、他の監視役にも指示を出した。最悪の事態を想定して。

 もしもウィスが担当した班員が急に消えた原因が、遺跡の機能によるものではなく同じ人間からの攻撃だった場合、他の班にも同様の危険が訪れる可能性がある。無闇に動き回るのは得策ではないと思いつつ、孤立すれば各個に攻撃されるだけだと考え、近い位置にいる班は互いに合流を目指すよう指示を下した。

 よって現在この場には、元々いたウィスの班を含め、複数の班が集っていた。そして集まった者たちへ事態を説明した結果、ハルトからメリアを捜索するよう嘆願を受けることになった。

 フェルトマンは己が下した決断に異を唱える自チームの若手へ、出来の悪い生徒に言い聞かせるような口ぶりで告げる。


「状況から鑑みるに、発生した事象は九分九厘空間転移によるものだ。転移現象が発生した場合のセオリーは知っているだろ。場所不明、安否不明の相手を捜索するのは無意味だ。二次被害の発生に繋がりかねない」

「メリアは同じチームの仲間なんですよ! 見捨てるつもりですか!」

「探索者を続けていれば、こういう事態には何度も直面することになる。仲間と分断されることや、実際に失うことをだ。割り切れ。でなければ次に死ぬのはお前だぞ」


 ハルトは悔しげに顔を歪めて唇を噛んだ。内心では決定の妥当性を理解していた。

 フォルトマンはわざわざ口にしなかったが、ハルトにもメリアが一体どこへ飛ばされたのか見当がついていた。ここはディセレイ遺跡の中部。これといった特徴の無い地下街遺跡だ。こんな場所で転移現象が発生する理由なんて限られる。遺跡について知る者ならば、一つしか思い浮かばない。

 だとしても、もしかしたら一厘の可能性で空間転移ではないかもしれない。飛ばされたのも捜索に行ける範囲かもしれない。割り切れと言われて簡単に納得することなど出来なかった。

 ハルトはなおも抗弁を続けた。


「あいつは、メリアは人一倍向上心の高い奴です。将来必ずアケイロンの役に立ちます。だからせめてミナストラマ周辺……いえ、ディセレイ遺跡奥部の捜索だけでもしてください!」

「なんと言おうと決定は覆さん。お前もチームの一員なら俺の指示に従え」


 フェルトマンは断固とした態度で突っぱねた。問答無用の決定にハルトの顔に不満が浮かび上がる。

 他が期待できないならせめて自分だけでも。ハルトがそう考えたところで、陽気な声が二人の間に割り込んだ。


「まあまあ、そんなキツい言い方しなくていいじゃん」


 発言を挟んだ人物はウィスだ。彼はいつもと変わらぬ温和な笑みを浮かべて会話に混ざった。


「ハルトだって別に利己的な我儘を通そうとしてるわけじゃない。純粋にチームの仲間の心配をしているだけだ。それなのに頭ごなしに否定しちゃ、納得できるものもできないよ」

「ウィスさん」

「まあそれとして、捜索に関しては俺の方でも反対するけどね」


 ウィスは期待を込めて自分の顔を見てくるハルトへ、突き落とすように言った。


「俺は一部始終を把握してたから言うけど、メリア達が飛ばされたのは間違いなく鎖の徊廊だよ。俺の感知範囲から一切の前兆なく消えるなんて、それ以外にあり得ない。絶対にミナストラマ近辺にはいないよ」


 はっきりと言い切るウィスの意見を聞かされ、ハルトは顔をしかめる。鎖の徊廊という場所。予想はしていたが、断定されると何かを言い返す材料を持たなかった。


「まあ、それでも納得できないって言うなら、お前の好きにすればいいよ」

「おい、ウィス」

「お前が自分の命と、今ここにいる仲間の命を危険に晒してもいいって言うならね」


 ウィスの意味深な視線に気づいたハルトは、自分の斜め後ろへ振り返った。するとそこにはオウカの姿があった。彼女は口元にいつもの穏やかな微笑を浮かべながら、何も言わず静かに己の意見を主張していた。それが何を意味をしているのか、長い付き合いもありハルトには十分以上に伝わってきた。


「で、どうする?」


 ウィスの笑みを伴う問いかけ。それを目にしたハルトは、もう一度顔をしかめると、己の感情を鎮めるため深く目を瞑った。感情ではなく理性に従おうと、燻る気持ちに蓋をした。再び目を見開いたハルトは、悔しそうな顔で、「わかりました」と納得を口から吐き出した。

 離れていく若手たちを尻目に、フェルトマンがウィスへ話しかける。


「お前は若い奴に甘すぎる。あんな対応をしてもつけあがらせるだけだぞ」

「俺も昔は結構やんちゃしたし、ヤグさんにフォローをしてもらった。あの程度はまだまだ可愛いもんだよ。それにあいつは遠くないうちにこのチームの中心になる。ああ言うまっすぐさは貴重だ。尊重してあげようよ」


 フェルトマンはウィスの楽天的な態度に大げさに嘆息する。相手の言い分に一理くらいはあると考え、それ以上の小言を控えた。

 そのままメリアたちが消えたであろう場所に目を向けた。


(……不運だったな。あそこに行く者に特別な条件は無い。俺を含め、誰が飛ばされてもおかしくはなかった)


 鎖の徊廊に飛ばされる者は無差別だ。身につけた強さも積み上げたランクも関係ない。誰であっても挑戦者の資格を満たし得ると言われる。監視役を含めた合同探索の参加者全員が候補だった。


(ただこちらとしては幸運だった。メリアは元々追放を視野に入れていた。あの場所なら他所へ引き抜かれることもない。色々と手間が省けた。そしてもう一人はどこにも所属していない野良の探索者だ。鬱陶しいやっかみを受けずに済む)


 合同探索中に他所のチームの探索者を失ったとなれば、必ず監督責任を問われ追及を受ける。その辺りは事前に綿密な契約を結んでいるとはいえ、評判や名声の失墜は避けられない。特にスネイカーズのような非友好的チームが積極的に悪評を広める。たとえそれが防ぎようのない不慮の事故だとしてもだ。

 だが、自チームの人間と後ろ盾が存在しない人物ならばその憂いも生まれない。内々で済ませて終わりだ。体面を気にするフェルトマンにとっては不幸中の幸いだった。


(自分で選んだ道だ。恨んでくれるなよ)


 探索者であれば予期せぬトラブルや不慮の事故は付き物である。そしてその責任の所在は当人に帰属する。全ては自己責任。それが探索者という世界だ。

 フェルトマンは懺悔とも呼べない言葉を胸中で吐いた。


(こんなことを言うと、またウィスに突っかかられそうだがな)


 ウィスという人物はあれで情に厚い。普段はドライで軽薄な面を装っているが、内心ではかなり若手を気にかけている。それは本人が引き合いに出す昔の自分という理由もあるのだろうが、それ以外の理由もあるのだとフェルトマンは知っていた。


(だからこそってわけじゃないが、引き締め役は必要だ。才能があるからと若い奴らにデカい顔をさせれば、今は良くても先がない。俺たちの代でアケイロンを潰すわけにはいかない)


 組織としての規律を保てなければ、チームはいずれ瓦解する。探索者の世界では常識や義理より力がモノを言う。上位の立場の人間が軽んじられれば、既存の力関係は簡単に覆される。

 それを防ぐためには若手と明確な上下関係を築き、チームの理念や方針を過不足なく次代へ引き継がせる必要がある。才能があるからと調子づかせてはならない。若いからと安易な甘さを与えてはならない。強い態度で接することが、組織において最も合理的な統制手段となる。それがフェルトマンの持論だった。

 視線を戻すとともに彼は思考を打ち切った。今やるべきことは他にある。どうしようもない事案に頭を悩ませても仕方がない。己の役割に立ち返り、意識をそちらに向き直した。

 頭の片隅で、万が一生きて戻ってきたならば、相応の対応をする必要があると考えて。




「良かったよ。ハルトが冷静になってくれて。いくら私でも、徒労になると分かって付き合うのは嫌だったからね」


 フェルトマンたちから離れたところで、オウカが隣を歩く少年に向かって微笑みながら話しかける。そこに嫌味や毒は込められていない。が、その発言は言外に行動の過ちを指摘していた。

 長い付き合いのある幼馴染から窘められ、ハルトはなんとも言えない顔で謝罪する。


「悪かったよ。確かにちょっと冷静さを欠いてた」

「別に悪くはないよ。ハルトがそういう人だって知ってるからさ」


 全く邪気のない顔でそう言われ、ハルトはこの幼馴染には敵わないなと苦笑した。

 そこで、無関係な第三者の声が彼らの耳を打った。


「お前といいあの女といい、ほんっとにアケイロンはガミガミとうるせー奴ばっかだな。少しは静かにできねーのかよ」


 眉を寄せたハルトは発言者の方を向いた。そこには穏やかではない気配を醸し出した青年、キザニスがいた。彼は普段よりも鋭くなった視線をハルトたちへ向けていた。


「何か不満でもあるのか、キザニス」

「不満? 不満だって? あるに決まってんだろそんなもん。あのアホのせいで俺たちはこうして無駄な待ちぼうけを食らってるんだぞ。同チームのお前らが謝るのが筋ってもんだろうが。本人から謝罪を聞く機会はもうないんだからよ」

「なんだとお前……!」

「はいはいストーップ」


 カッとなるハルトの前にオウカが体を割り込ませた。


「ハルト、落ち着いて。そういう挑発に簡単に乗っちゃダメ。話し合いは、冷静になって行おう」

「そう、だな。悪い、オウカ」


 反省の言葉に「だから悪くないって」と笑うオウカは、微笑を浮かべたままキザニスの方へ向き直る。


「えっと、メリアが迷惑をかけたことは謝るわ。ごめんなさい。でもこっちに当たらないで。メリアから被った分はあの子の責任でしょ。私たちに言われても困るわ」

「オイオイ、随分と冷たいことを言うじゃねえか。それともあんな間抜けは仲間じゃありませんってか? ハッ、流石は傲慢さにかけては都市一のアケイロン様だな」

「そういう意味じゃないわ。ただ単純に、まだメリアが死んだと決まったわけじゃないと言ってるの。言いたいことがあるなら、本人に直接言ってくれるかしら」


 微笑んだまま告げるオウカの発言に、キザニスが口元の嘲笑を深くした。


「へぇ、あんなのでも生き残れるほどぬるい場所だって、アケイロンではそう教えてんのか? どうりであんなアホがDDランクに上がれるチームなわけだぜ。状況も理解できないそっちの馬鹿といい、とんだボンクラどもの集まりだ。お前らが落ちぶれる日も近そうだな」


 ハルトが顔を顰める。己を馬鹿と表現されたことより、仲間をアホと罵られた方に反応していた。

 オウカの方は温和な空気を乱さず、口元の笑みを静かに深めた。


「思っていたけれど、あなたはさっきから一体なにをイラついているの?」

「あん? なんだよオウカさんよ。愛しのハルト君を貶されたのが気に障ったのか? ハッ、相変わらずの溺愛っぷりだな。遺跡ん中でイチャコラしたいなら、あっちで勝手に盛ってろよ」


 キザニスは口元に嘲りを刻んで攻撃的な侮辱を続けた。

 オウカはその暴言に笑みは絶やさず、そっと目を細めた。


「もしかして、自分が選ばれなかったのがそんなに不満?」

「……クソアマが」


 表情を消したキザニスが、口角の下がった口から、怒りの感情を吐き出した。

 やり取りを近くで見守っていたイアンはその変化に驚いた。キザニスは探索中にどれだけメリアから反発されようと、自制と余裕を保っていた。一時は感情を露わにすることもあったが、すぐに冷静さを取り戻していた。それなのに、今はオウカのなんて事のない一言で、明確に怒気を滾らせている。いったいなにが逆鱗に触れたのか分からなかった。

 良からぬ雰囲気を漂わせる二人に、頭を冷やしたハルトが慌てて仲裁に入る。


「オウカ落ち着け。突っかかるな」

「確かに、少し冷静じゃなかったかも。仲間を侮辱されたからね。でも、それを言うならハルトの方こそ落ち着けた?」

「ああ、うん。俺はもう大丈夫だ。だから、な?」


 一転して調子を戻すオウカに、逆に調子を崩されるハルト。その彼に向かってオウカはいつも通りの笑みを見せる。これ以上はトラブルの元になると思い、彼らはキザニスのそばから離れた。

 離れたところで、何か考え事をするようにオウカが顎に指を当てた。


「どうしたオウカ? 何か気になることでもあるのか?」

「うん。そういえば、メリアと一緒に飛ばされたのが誰なのかなって」


 言われてハルトは、そちらにまで意識が向かなかったことに気付いた。

 メリアと一緒の班だったイアンへ尋ねる。


「イアン、誰なのか分かるか?」

「ロアって名前の無所属だ。一昨日にお前が言ってた」

「あいつか」


 ハルトは二日前の探索で、妙に印象に残った人物の顔を思い出した。

 複数の感情が入り混ざったハルトの顔を、横から覗いたオウカが、再び口を開いた。


「ハルトとギャラッツが気になった人か。もしかしたら、もしかするかもしれないね」


 ハルトはそれを否定しなかった。

 生存が絶望視された仲間に帯びた、僅かな生還の可能性。それを喜ばしく思うと同時に、言葉に言い表し難い、ざわざわとした気持ちが胸の内に蟠るのを感じていた。

 その青年の横顔を、傍らに立つ少女の青い瞳がじっと見つめていた。




 ロアとメリアは移動を開始した。目的はただ一つ。この場所からの脱出を図るために。

 実際のところ、本当にここがメリアの言う鎖の徊廊かどうかは分からない。別の場所という可能性もまだ残っている。しかしたとえそうであってもなくても、行動を起こさないことには何も始まらない。必然的に二人の意思は一致し、唯一存在する通路の先へ足を進めた。

 歩く順番は自然とロアが前でメリアが後ろとなった。ロアにとって都合がいいと言っていいのか、キザニスとの勝負のおかげでメリアの実力や戦い方を把握できた。キザニス相手には遅れをとった彼女であるが、共に戦うとなれば力強い存在であることには違いない。後方から魔術によるサポートを入れてくれるだけで、大分戦いやすくなる。代わりに前衛能力に問題のあるメリアへモンスターを通さないために、ロアが盾となって敵を引きつける必要がある。

 飛ばされる前はロアのことを敵視していたメリアも、この迷宮から抜け出すために、協力体制を敷くことに異論を唱えなかった。既に相手の実力を認めているので、信用できないと索敵役を申し出ることもしなかった。


 存在感知で索敵を行うロアが目視で通路の先の様子を窺う。迷宮と似たこの場所は薄っすらとした明かりは存在するものの、距離が離れるにつれて暗さが増していく。まるで光源の位置が自分たちに固定されているように、先を見通すのが難しい。通路を探るにあたり、頼りになるのは存在感知だけだった。ロアは広げた魔力の膜に意識を集中させた。

 やがて行く先から一つの気配を捉えた。立ち止まったロアは、後ろにいるメリアへ手振りで合図を送った。その意味に気づいたメリアが手に持つ杖を構え、魔力で全身を強化した。

 いつでも迎撃できる準備を整える二人の前に、闇で覆われた通路の先から一つの存在が姿を現した。


 それは二足歩行の形をしていた。俗に言う人型のモンスターだ。モンスターは二本の足を床につけて、ゆっくりと歩いている。足音は驚くほど静かだ。

 人と似通うのはパッと見の印象だけではない。外見に関しても人と似ている。体は毛皮や鱗に覆われておらず、人の肌と似た皮膚を全身に纏っている。同時にその色は見慣れたものとは異なり、濃い緑色の皮膚と、人間にしてはかなり不自然な色合いを帯びている。

 しかし、その程度の情報はすぐに思考から追い出される。なぜなら。


「剣……?」


 現れたモンスターは一本の武器を持っていた。垂らされた右手には抜き身の刃物が握られていた。

 モンスターが武器を持つ。あるいはその事実だけなら、そこまで不自然ではなかったかもしれない。モンスターは個体によって様々な武装を備えている。探索者が扱う装備と同様のものを、武装の一つとして用いること自体はありふれている。

 しかし明確に一個の武器を、さながら人間のごとく携えている姿は、不自然極まりなかった。存在感知でその様子を把握していたロアが、実際に目視で確認するまで、先に存在するモノが人だと錯覚しかけたほどだ。

 通路を静かに歩くモンスターは、既に自身の目前にいる二つの存在を、自らの敵として認識していた。相手の油断を誘うようにゆったりと進み、顔に張り付いた感情の無い両の眼でじっとりと観察する。そしてある程度の距離が詰まった段階で、床スレスレの位置にあった剣を浮かせた。足裏で床を強く踏み込み、動きを加速させる。両者の距離が瞬時に縮まった。

 困惑は抱きつつも油断なく構えていたロアは、モンスターの急激な動きの変化に遅れず対応した。正面から振り下ろされる斬撃。それを、同じようにブレードを振り下ろして、真っ向から斬り合わせた。刃と刃が空中でぶつかり、鼓膜を突き刺すような金属音が通路に反響した。

 その威力は貧相な体躯の割に重かった。モンスターは当たり前のように、魔力で肉体と武器を強化していた。

 想像以上の手強さを感じたロアは、手元に力を込めて競り合う刃を押し返す。ブレードに体重を乗せて前へ踏み込み、相手の体勢を崩そうと押し込んだ。だが込めた力に反して、返ってくる手応えは予想外に軽い。ロアの押しに合わせて、モンスターは体を引いていた。逆に体勢を崩されたロアが前へとつんのめる。

 そこをモンスターの蹴りが狙った。高く上げられた足が、ブレードを握るロアの手を正確に叩いた。強い衝撃がロアの手を襲い、握られた獲物を奪い取ろうとする。痛みに耐えるロアはなんとかブレードを手放すまいと堪えるが、蹴りの衝撃に引っ張られて、体が僅かに横へ流れた。

 素早く手元に武器を引き戻したモンスターの剣が、再度振るわれる。鋭く正確な刺突がロアの首を狙った。緩慢になった時間感覚の中で、ロアは攻撃の線上から頭の位置をずらそうと、必死にもがいた。

 モンスターの放った刺突が腕の伸びる限りまで達する。剣先が何かを擦ったような音ともにロアの背後へ抜けていく。ロアの首を狙って放たれた刃は、辛うじて首元ギリギリの空間を通過していた。ペロが刺突の軌道に遮蔽障壁を張り、剣先を絶妙な角度で背後へ逸らしていた。

 負傷を免れたロアが腕を伸ばしたモンスターに肩側から突っ込む。刺突を避けるため下がった重心を前方に偏らせ、低い姿勢でタックルを繰り出す。体重の乗った体当たりが、伸ばされた腕を巻き込みながらモンスターの胸部に打ち当たる。

 バランスを崩したモンスターの体が後ろに下がった。ロアもすぐに上半身を引いた。後退する相手に追撃を加えず、自身の体勢を整えるのを優先した。

 現実の時間にして、わずか五秒に満たない一連のやり取り。それは対峙する相手の力量を見極めるのに十分すぎた。ペロがいなければ、首に致命傷となる傷を負ったかもしれない。その事実を正しく認識するロアは、完全な格上と戦うつもりの気構えで、戦意を立て直した。

 どちらからともなく、再び相手に向かって踏み込んだ。


 人型のモンスターは強かった。今まで戦ったどんな敵とも違う、純粋な力と技を駆使して戦う敵。それはまるで、一流の武芸を収めた人間を相手にしているような感覚だった。

 武器を持った人型モンスターという不慣れと、敵が持つ純粋な技量と膂力によって、ロアは攻め機を見出せず防戦を強いられた。


「どきなさい!」


 戦闘に意識を集中していたロアは、聞こえてきた声にハッとする。この場にいるのは自分一人ではない。共に戦う仲間がいる。

 その事実を思い出して、背後から出された指示に瞬時に反応した。防戦から一転、相手の体勢を乱すための一打を加えた。共闘者の攻撃を当てやすくしてから横へズレた。

 戦闘速度について行くため意識を高速化させていたメリアは、ロアの動きに寸分遅れず呼応した。絶妙のタイミングで組み上げた魔術を正面の敵へ放った。

 音速を超えた銃弾には及ばずとも、生物にとっては十分な速さを持った高速。放たれた魔術はコンマ数秒程度で標的に達する。しかし、本来なら必中とも言える条件が整おうと、人の域をはみ出したモノ相手には不十分だ。モンスターは寸前で体をずらして、魔術の接触範囲から逃れた。

 魔術が外れたのを見て、ロアはすぐにモンスターへ詰め寄った。回避でバランスを崩した相手に隙を見出した。攻め機を持った理由はそれだけではない。ロアはメリアの意図を正確に汲み取り、その狙いを成功に導こうと動いた。

 ロアがモンスターと再び剣戟を打ち合わせる最中、モンスターの動きが唐突に乱れた。背後から予想外の攻撃を食らったように大きく背中を逸らた。この戦闘で初めてとなる苦痛を口から吐き出した。

 メリアはまだ魔術との接続を切っていなかった。能動制御により手元を離れた魔術を任意で操っていた。そのためわざわざ避けられるのを承知の上で、攻撃の速度を落として制御にリソースを割いていた。

 メリアの魔術を受け、武器を握っていたモンスターの腕が下がった。千載一遇とも言える大きな隙が晒された。ロアは無防備となった首元に向けて、全力でブレードを振り抜いた。

 首に食い込んだ刃から、機械型のような手応えが返ってくる。生物の体とは思えないほど大きな抵抗を感じる。それでも決して切り裂けない硬さではないと、腕と全身に力を込めて、一太刀で首を断ち切った。

 ブレードを振り抜いたロアは、追い打ちで胸部に蹴りを与えた。異常な戦闘力を見せた相手だ。万が一、首を失った状態でも動く可能性に備え、強制的に距離を作った。

 ロアの蹴りを受けて、モンスターの体が背中側から倒れる。体が傾いたことで、首から頭部がずり落ち、手元から武器がこぼれ落ちる。金属が床に打ち付ける甲高い音を立て、モンスターの体が鈍い音ともに床に横たわる。切られた首の断面から、濃緑の体液が放射状にこぼれ散った。

 完全に戦闘不能になったのを理解して、ロアは大きく息を吐いた。倒したモンスターを見下ろした。


『……なんだったんだこいつ』


 明らかに今まで戦ってきたモンスターとは毛色が違った。戦闘中に抱いていた疑問をようやく露わにした。


『人間なわけ、ないよな……?』

『はい、明らかに人外のモノでした。仮に変異した人間や人造された人間であったとして、これが人であると認める道理はありません』


 ミナストラマで変わった者たちを目にし過ぎて、ロアは相手が完全にモンスターであると断定できなかった。それ故にペロに人間ではないという確証を求めたのだが、なぜかその疑いがより強まるような答えが返ってきた。

 ロアが微妙な気持ちで勝利の余韻に浸っていると、第三者の声が聞こえてきた。


「これって、ゴブリンよね」

「知ってるのか?」


 ロアは近くまで寄ってきたメリアの顔を見た。

 それを聞かれたメリアは、向けられた疑問に対し、怪訝な顔を作る。すぐに足元で横たわるモンスターの死体へ視線を戻して、質問に答えた。


「創作上の生物よ。現代でも知られてるけど、元々は昔の物語に出てくる悪い妖精だったかしら。私の記憶にある外見とそっくりだから、あながち間違いじゃないと思うわ」


「へー」と物知りな同行者に感心しながら、ロアは足元のモンスターをまじまじと見る。


『もしかして、これが魔物ってやつか?』

『すみません。分からないです。私の知識には武器を扱う魔物もいたという記録はあるのですが、その正確なデータを持っているわけではありません。ですがもしかしたらこれは、人口設計された個体なのかもしれません』


 先史文明の人類は技術の発展により自在に魔物の再現が可能となった。その再現された魔物を兵士と戦わせることで、兵士の実戦経験を効果的に積ませようとした。そしてそれは元の魔物だけに留まらなかった。

 既存の魔物に新規の機能や性質を加えたモノ。複数の個体の特徴を混ぜ合わせたモノ。自然界には存在しない全く新規のモノ。自在に魔物を生み出す技術を得た人々は、欲求や好奇心の赴くままに、あらゆる存在を生み出し続けた。だから人為的に作り出された魔物、すなわち自動守護存在には、本来の魔物とはかけ離れた特徴を有した個体が数多く存在する。

 ペロは目の前のモンスターも、そうした過程で生み出された一つかもしれないと伝えた。


『なるほど。だから人みたいにあんなにすごい動きができたのか』

『はい。剣の術理や体術など予めシステム化された動作を組み込めば、生まれたての存在であっても達人に等しい動きを可能とします。それこそが自動守護存在を含めた人工物の強みです』


 旧時代の持つ技術力の底知れなさをそれなりに経験をしてきたつもりのロアだったが、鎖の徊廊という場所を含め、まだまだ自分の知らない事ばかりだと痛感する。新しい知識をしっかり頭に刻み込み、遺跡に対する知見を深めた。

 なんにせよ人間でないならそれでいい。そう切り替えるロアの隣で、「そういえば」とメリアが思い出したように言う。


「どっかの迷宮では、この手の幻想生物がたくさん出るって聞いたことがあるわね。そう、鎖の徊廊でもこういうのがいるのね」


 後に続く言葉は自分への納得を口に出してるようだった。

 ロアはメリアの言葉を耳にしつつ、死体のそばに屈み込んで、その腕を掴んで持ち上げた。


「何してるの?」

「ちょっとな」


 迷宮と同じ仕組みならば、倒したモンスターはすぐに消えてしまう筈だ。床に吸われないよう、手でしっかりと持って防いだ。


『いきなり死体が消えたら、絶対に変だって思われるよな。存在変換ってメリアの前で使ってもいいと思うか?』

『彼女の言を信じるならば、脱出するまでは一連托生なのです。道中の戦闘では、少なからずこちらの手の内を明かすことになります。遅かれ早かれの問題でしょう』

『まあ、そうだよな』


 その部分はロアにも分かっていたので、念のために確認を取っただけだった。


『どうしても心配だというなら、隙を見て彼女を殺してしまうのもありですね。この場所なら他者に露見するリスクはありません。脱出した後でも私の力ならいくらでも隠蔽可能です。流石に在歴を洗われたら厳しいですが』

『……いやだから、そういうのはやらないって』


 秘密を守るために平気で物騒な手段を提示してくる相棒に呆れながら、ロアはメリアの方を向いた。


「なあ、今からちょっと変なことするけど、気にしないでくれるか」

「既に十分変なことをしてるわよ。好きにすればいいじゃない」


 モンスターの死体を持ち上げるロアへ、メリアから胡乱な視線が注がれる。気にせずロアはペロに存在変換を使うよう求めた。


『むっ』


 しかし、ペロからは予想外の反応が返ってきた。


『どうした?』

『どうやらここは相当強い施設のようです。存在変換を行おうとしましたが、かなりの抵抗を受けました。強引に魔力に変えることも可能ですが、収支はマイナスにしかなりません』

『それって』

『今ある貯蔵魔力が無くなれば、戦う手段が潰えます』


 告げられた想定外の事実に、ロアはショックで何も言えなかった。


「それで、変なこととやらは終わったのかしら」

「……ああいや、ちょっと駄目みたいで」


 様子のおかしいロアに訝しげな視線を送るメリアが、小さく嘆息してから忠告を行う。


「拡錬石を取るつもりなら無駄よ。出るときに没収されるらしいからね」


 ロアは直前の衝撃も忘れて反応した。


「そうなのか?」

「ええ。ここから持ち出せるのは飛ばされた時点で持ってたものと、踏破時に貰える報酬だけって話よ。それと鎖の徊廊では、出るときにあらゆる記録データが消えるらしいわ。だからここのモンスターの情報はほとんど知られていないのよ。まあ、出てくるモンスターの強さは挑戦者の強さに依存するようだから、そこまで困るってことはないでしょうけどね」


 知識を披露するメリアにロアは感心する。


「詳しいんだな」

「……別に、これくらい普通よ」


 ロアからの賛辞にメリアは気まずそうに顔を背けた。

 探索者になる者は、誰もが己が成功する未来を夢想する。強力なモンスターを倒して、高値の遺物を持ち帰る。大金を稼いで、名声を高める。いずれは一流の探索者になるだろう自分の姿を脳裏に思い浮かべ、夢と期待で胸を膨らませる。

 鎖の徊廊は一流探索者になるための登竜門という扱いを受けている。ここを踏破せずとも一流になれた例はいくらでも存在するが、鎖の徊廊を乗り越えた者は紛れもなく一流となる。ここを踏破できたかどうかで、探索者として成功する未来が変わってくる。一流になることを約束されるに等しい場所だ。

 だからと言うべきか、メリアも鎖の徊廊という場所について調べ上げた。いずれ自分もここを訪れ、華々しい実績を積んで一流への道を駆け上がる。そうなる未来が到来するのを疑いもせず期待していた。

 だが徐々に現実とのギャップに気付き始める。自分は特別な人間ではないと自覚する。

 鎖の徊廊を越えた者は一流になる。つまり一流に至れる特別な人間以外、踏破は不可能であることを意味する。いつしかメリアの頭の中から、甘い夢を見る自分は消えた。メリアは自分が持っていない側の人間だと思い知るようになった。

 理想を諦めた気恥ずかしさと、諸々に対する後ろめたさが、直視を避けさせた要因となった。

 彼女の内心の気持ちには気づけずとも、何かを察したロアは、野暮な質問はしなかった。別のことを言った。


「ああ、そうだ。メリア」

「……なによ?」

「次からは魔術を撃つとき、いちいち合図とか言わなくていいぞ。お前が撃ちたいタイミングで撃ってくれたらこっちが合わせる。まあ、あまり変なタイミングで撃たれても困るけど」

「……そう。なら次からはそうさせてもらうわ」


 背中から撃たれるのが怖くないのか。そこまで自分のことを信用できるのか。メリアはそう聞きそうになった。でも、すぐに不毛な発言だと思って言うのをやめた。

 誤って当てるほど未熟なつもりはないし、背後から撃つほど血迷ってもいない。たとえ生きて帰れる望みが薄いのだとしても、やるべきことはやる。与えられた役目はこなす。それさえ捨ててしまったら、何のために探索者という道を選んだのか分からなくなる。自分という人間に価値を見出せなくなる。

 メリアはそこまで己を諦めているつもりはなかった。


 二人はそれぞれ別の想いを抱えて、先へ進んだ。

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