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シンギュラーコード  作者: 甘糖牛
第三章
62/67

落ちぶれたチーム

「それじゃあ本当に一人で活動してるのか。チームに入る気はないのか?」


 拠点へ行く途中、情報交換のためにロアは彼らと雑談を交わしていた。話し相手は主にノルザだ。同じ中級探索者として分かち合うものがあり、会話に気まずさは生じなかった。


「今のところはない」

「ということはいずれは考えてるのか。ならウチはどうだろうか? そこまでレベル高いわけじゃないけど、同年代も多いしすぐに馴染めると思うぞ」


 さりげなくされたチームへの勧誘に、ロアは小さく首を横に振る。


「悪いけど、流石にこの場じゃ決められない」

「お互い知り合ったばっかし、それもそうか。とりあえず完全な脈なしじゃないと受け取っておくよ」

「そうしてくれ」


 ロアはその誘いを保留とした。ノルザは大して気にしなかったが、この場で最もロアを知るペロにとっては意外な返答であった。


『否定しないんですね。普段のあなたなら断りそうなものですが。先ほどの会話が原因だったりしますか?』

『……別にそれだけじゃないけど、色々とな』


 相棒からの指摘をロアは口を濁して受け流した。そこには言った通り様々な思惑が含まれていたが、言葉にするには気持ちの整理がついていなかった。

 程なくして目的の場所に到着する。拠点を眼前において、ノルザはどこか自慢げに胸を張る。


「凄いだろ? オーダラインは結構古いチームな上に、先代のリーダーまでは規模が大きかったんだ。だから立地の割に敷地もかなり広いんだよ。ただまあ、そのせいで抱える問題も多くて苦労してるんだけどさ」


 彼の言の通り、目の前にある建物は大きく敷地面積は広かった。都市が限られた面積しか持たないこと思えば、随分と贅沢な土地の使い方をしている。しかも、この場所はいくつかある大通りの付近に位置する。この手の拠点が、壁や通りから離れた地価の安い場所に築かれることを考えれば、間違いなく優良物件と呼べる部類に入るだろう。

 以前に訪れたオルディングループとの差異を比較しながら、ロアは敷地内に入った。

 塀を越えた先には広い庭が存在していた。緑の映える芝生は綺麗に手入れがされている。そして芝生の上には、モンスターと思われるものが何体か転がっている。一見くつろいでいるように見えるが、その視線は今入ってきたばかりのロアの存在をしっかりと捉えていた。


「あれはウチの従属モンスターだ。普段はああやって見張り番の役目を果たしてくれてる。侵入者は容赦なく襲われるけど、俺たちと一緒なら何の問題もないから手は出さないでくれよ」


 そこには見覚えのあるものも混じっていた。警戒するような、観察するようなモンスターからの視線を受けて、ロアは彼らと一緒に庭を通り抜けた。複数ある建物のうち、正面に位置する最も大きな建物の中へ入った。

 扉を抜けた先には広めのエントランスがあり、そこにいた住人の一人に出迎えられる。


「お帰りなさいノルザさん。用事はもう済んだんですか?」

「ただいまシグ。ああ、ちょっとした買い物だったからな。もう終わったよ」

「そういえばチイクたちの付き添いでしたね」


 ノルザはシグと呼んだ少年と親しげに会話をする。彼らの間には同じグループに属する仲間としての、信頼関係が見て取れた。

「ところで」とシグの視線がロアの方を向く。


「そっちの人は新しいグループ加入希望者ですか? あ、それとも探索者の方ですか?」

「いや、客人の方だよ。彼の名前はロア。先日モンスターに襲われたキアラたちを助けてくれたのが彼だ。今日はそのお礼のために招いた。失礼のないようにな」


 ノルザの紹介もあってか、シグの顔から見知らぬ者に対する警戒心が薄れた。


「そうなんですね。僕の名前はシグヌーサです。みんなからはシグと呼ばれています。よろしくお願いしますロアさん」

「ああ、よろしく」


 挨拶を交わすロアは、相手の全身を視界に入れ、そこで思わずある部分を二度見してしまった。


「それ」

「あ、はははっ、見苦しいものを見せてすみません。義手を着けるの忘れてました」


 シグヌーサは右手で隠すように左手を持ち上げた。その手は中指から小指にかけて大きく抉れており、指が欠けていた。

 シグヌーサが義手を着けながら事情を語る。


「探索中にやらかしまして。モンスターに根元からごっそり持ってかれたんです。それでこの通りってわけです」

「治さないのか?」


 ロアの直球な問いにシグヌーサは苦笑する。


「僕は探索者になる道は諦めたので、それだけの治療費を用意するのは難しいんです。命の危険がない怪我なので、他を頼るわけにも行きませんし」

「そうなのか」


 ロアは同情や哀れみを見せず、平淡に応じた。

 内心でペロへ話しかける。


『なあ、ペロ』

『流石にあそこまで欠損しては、再生剤でも完全に治すのは難しいです。薬剤だけで強引に治すとすれば、最低でも数千万ローグ相当のものが必要となります。それなら素直に適切な医療機関で再生医療を受けた方が安上がりでしょう』


 ロアの思考を先読みしてペロが答えた。実際、傷を見た時点でロアは薬の融通を検討していた。

 今日会ったばかりの赤の他人に、数百万ローグの価値がある薬を提供する。愚かで馬鹿な選択だという自覚はロアにもある。それでも自分の手持ちの分で治せそうなら、薬を渡すという選択肢は確かに存在した。命がけで他者を助けるのも、数百万ローグの薬を他人に使うのも、本人にとっては大した違いはなかった。

 それを見越したペロが、その行動を抑止するために、わざと嘘か大げさな表現をした可能性はある。しかしロアは、その言葉を疑わなかった。仮に渡した薬で傷を治せたとしても、心のどこかで抵抗を感じてたのも事実だったからだ。もしかしたらこの件が原因で薬が足りず、他の誰かを助け損なうかもしれない。探索中の怪我が原因で、自分が死ぬかもしれない。今すぐ命の危険があれば別だろうが、そうではない人助けのために、無用なリスクを犯したくはなかった。どんな生き方を志そうと、自分一人が救える対象には限りがある。誰も彼にも、無差別に手を差し伸ばしてはいられない。

 逃げ道を用意してくれた相棒に、それ以上なにも言わなかった。


「気にしないでください。命があるだけ儲けものってやつです。それに治すのを完全に諦めたわけではありません。いつか自分の稼いだお金で、元の手に戻ろうって思ってますから」


 ロアの雰囲気に気遣いを感じたシグヌーサが、表情に翳りを見せず毅然と言い切った。ロアは短く「そうか」とだけ答えた。

 ロアにとって、多くの探索者にとって、彼の現状は一つの未来で現実だ。

 探索者として活動するならば、モンスターとの戦闘は決して避けては通れない。それは必ず命賭けのものとなる。殺し合いの場で、常に無傷での生還が約束されることはあり得ない。探索者という稼業において負傷は付き物だ。時にそれは、身体機能の損失という形で返ってくる。

 懐に余裕があり、負った傷を問題なく治せる者にとっては関係ない。しかし無い者や、稼ぐ前に再起不能の傷を負ってしまえば、よほど良縁に恵まれない限り、そこで探索者としての道は閉ざされる。

 シグヌーサのように、手足を失い探索者を続けられなくなる者というのは、探索者の末路としてはありふれている。ロアにしても、たまたまペロという力が手に入ったからここまで順調に来れただけで、そうでなければ、さっさとモンスターに殺されるか、手足を失って二度と戦うことはできなくなっていただろう。

 そして、その可能性は探索者を続ける限りあり続ける。ロアは目の前にいる青年の姿を、ある種の教訓とした。


 ロアたちが雑談を交わしているそこへ、新たに一人の少女が姿を見せた。


「おー、帰ってきたか。お帰りノル。明日の……げ」


 薄手のシャツと短パンの間から臍をチラつかせた彼女は、この場にいる面子の一人を目にして言葉を中断させた。


「お前またそんな格好でうろついて。直せといつも言ってるだろ」

「別にいいだろこんぐらい。ここには家族しかいないんだからよ。つーかあたしの家でどんな格好しようが、あたしの勝手だ」

「今は違うだろ」


 呆れたようなノルザの物言いに、彼女は「それだよ」と苦々しい表情を作ってロアの方を見た。


「なんでそいつがここにいんだよ」

「そんな言い方はないだろ。お前にとって彼は命の恩人なんだ。まずはちゃんとお礼を言え」

「礼くらい言ったよ。あたしをなんだと思ってんだ」


 不躾な態度を崩さない少女にノルザは小さく嘆息し、彼女の紹介をする。


「既に知ってるかもしれないが、こいつがキアラだ。この通り捻くれてるけど、悪いやつじゃないんだ。大目に見てくれると助かる」

「何だよその言い方。お前はあたしの保護者か」


 ノルザの紹介にキアラは噛み付くように反応する。

 言い合ってはいるけれど、両者から仲の悪さは感じない。互いに心を許した、気安い関係であることが窺えた。つい先ほどウェナと会話したせいか、ロアの目には彼らにかつての幼馴染たちの姿が重なって見えた。


「それじゃあキアラ、ロアを客間に案内してやってくれ」

「……なんであたしが」

「助けられたのはお前だろ。それに仮にもリーダーなんだ。そういうところはしっかりしてくれ」


 ぶつぶつと文句を垂れるキアラへ、ノルザは容赦なく指示を出した。

 二人の関係を眺めていたロアは、そのやり取りを不思議に思う。


「ノルザがリーダーじゃないのか?」

「ん? ああ、そうか。いや、違う。俺は探索者チームのリーダーではあるけど、グループのリーダーはキアラなんだ。ここの所有権も元々はキアラの親父さんにあって、それをキアラが受け継いだんだ。俺たちはそれを共有させてもらってるだけなんだ」


 ロアはその説明を聞きなんとなく両者の関係性を理解した。


「ベラベラ話してんじゃねーよ。ったく」


 勝手に事情を語るノルザに対し、キアラは口を尖らせる。

 そしてロアの方を向いて、右手の人差し指をクイクイと曲げた。


「ほら、お前。案内してやるから来いよ」


 一度ノルザの方を振り返ったロアは、彼が頷くのを見てキアラの後ろをついていった。

 彼女の案内に従いながら拠点内を歩くロアは、物珍しげに辺りへ視線を巡らす。建物は多少の年季を感じさせるものの、機能性に不備は見当たらない。内部は宿のように大きく広々としている。これほどの建物や敷地を一つの組織で所有する。グループやチームという存在は、相変わらずすごいものだと感心した。

 キアラの後に続き、二階にある一室に入った。


「そこら辺に適当に座ってろ」


 キアラはそう言い残して、隣室へ続く扉を開けて出て行った。

 客間と言われていたが、その部屋はロアから見ても随分と質素な内装だった。飾り気や内装はほとんどなく、置かれた家具も使い古された年季が見て取れる。

 言われた通りロアがソファーに座り待っていると、時を置かずキアラが食べ物を乗せた盆を携えて戻ってきた。


「ほらよ。もてなしてやるんだから、ありがたく食えよ」

「ああ、ありがとう」


 ささやかながら歓待を受けたロアは、相手の好意を少々意外に思いつつ、感謝の言葉を口にする。キアラはその素直な礼に奇妙に眉を寄せた後、向かい合う形で自身もソファーの上に座った。


「あれ? このお菓子って?」

「そうだよ。迷宮産のやつだ。と言っても高いのは売り払ってるから、残ってるのは安物だけどな」

「へー、でもこれ食べたことないや」


 ロアは机の上に置かれたお菓子を遠慮なく摘んだ。

 無言で咀嚼を繰り返す相席者の姿を目にして、キアラはまたも変なものを見るように眉間にしわを作った。


「……前も思ったけどお前、探索者の割に随分と態度が柔らかいというか。色々と緩いな」

「それは褒めてるのか?」

「半分くらいはな」


 フンっと息を吐いて、背もたれに腕を預けてふんぞり返る。


「よく知りもしない他所の拠点に堂々と足を踏み入れる。出されたものに対して毒や罠を警戒した素振りもない。ウチらが嵌めるつもりだったらとっくに死んでるぞ」

「嵌めるつもりなんてないだろ?」

「当たり前だ。そういうのを少しは警戒しろって話だ」


 キアラは若干の呆れをこめて言いつつ、体を起こして盆の上にあるコップを手に取り、中身を口に含んだ。


「そういえばキアラって、初めて会った時はもっと大人しかったよな。次に会った時は今みたいな感じだったけど」

「いきなり呼び捨てかよ。いいけどよ。……最初のアレは、あー、まあ、一応初対面だったしな。あたしだって出会い頭に喧嘩売るほどバカじゃねえよ」

 

 キアラは何かを誤魔化すように一瞬視線を泳がせた後、平静を取り繕って皿の上に手を伸ばした。

 彼女が飲み込むのを待ってから、ロアは続けて質問を行った。


「じゃあ助けた時の態度はなんだったんだ?」

「あ? そりゃ、舐められねえためだよ。助けられたからと馬鹿正直に下手に出たら、要求がエスカレートするに決まってる。舐められたら付け入れられる。付け入れられたら要求される。隙なんか見せてられるか」

「今もそうなのか?」


 ロアが相手の目を見てストレートに問う。

 それに物言いたげに顔をしかめたキアラは、煩わしそうに息を吐いた。


「……別に、今さら取り繕う必要もないだろ。つーかそういうこと普通、面と向かって言うかよ」

「俺なにか変なこと言ってるか?」

「お前は何から何まで変だよ」


 今度は大げさにため息を吐いて顔を逸らした。

 ロアは少しだけ間隔をあけて、もう一つ気になっていたことを尋ねた。


「そういえばここ、大人はいないんだな」


 彼らの拠点に来てから、ロアは未だ大人というのを見かけていなかった。今のところ、一番の年長者はノルザだ。若者の多かったオルディンのグループでさえ、十人以上の大人がいた。それを考えれば、構成員もリーダーも自分と歳の変わらない若者が担っているというのは、不思議だった。

 その疑問に対して、キアラは表情に忌々しさと嫌悪感を滲ませた。


「……いらねえよ、あんな奴ら」


 吐き捨てるように言った。悪感情を隠さない返答をされて、ロアはなんらかの事情があるのだと察した。それ以上の問いを重ねることはしなかった。

 一度舌打ちしたキアラは、背もたれに体重をかけ、不機嫌な顔で独り言を発する、


「つーか、ノルの奴はまた来ねえのか。自分で連れてきたくせに、あたしにばっか対応させやがって」


 そう文句を口にしたところで、部屋の扉がノックされた。体を起こしたキアラは「ようやく来たか」と入室の許可を出す。

 しかし、顔を見せたのはノルザではなかった。


「キアラ、あいつらが来た」

「……ちっ、この間も来たのにまたかよ。懲りない連中だな」


 扉を開けた少女の言葉に、キアラは再び苛立ちの感情を見せる。そのまま視線をロアの方へ移した。


「悪いがおしゃべりはここまでだ。すぐ終わるだろうから少しここで待ってろ」

「何かあったのか?」


 立ち上がるキアラに向かって、ただならない事情があると察したロアは問いかける。

 彼女はそれに鬱陶しそうに反応するが、軽く舌打ちするだけで済ませた。


「お前には関係ない……が、来たけりゃ勝手に来ればいいだろ」


 そう言って背中を向けて部屋を出て行く。それを許可だと受け取ったロアは彼女の後ろを追った。

 連れ立って一階のエントランスまで戻ってきた。入り口付近には未だノルドとシグヌーサが残っている。その二人と向かい合う形で、玄関の方に数人の人物が存在していた。

 彼らの方から言い合いが聞こえてくる。


「いい加減、ここを売る決心はつきましたかね?」

「何度も言ってるだろう。俺たちはオーダラインだ。拠点を売り払う気はない」


 紺色のスーツにステッキを持つ男へ、対峙するノルザは語気を強めて言い返す。

 眼鏡の男は眼鏡の縁を指で持ち上げながら、可笑しそうに笑う。


「ふふっ、今やかつての見る影もない落ちぶれたチームの残り滓が、一丁前に一端気取りですか。滑稽ですね」

「何だと?」

「この土地はあなたたちのには過ぎた代物です。先代らの遺産に縋るのもいいですが、己の身の程はわきまえた方がいい。納付金の支払いも困難でしょう。さっさと手放して、街の外れで慎ましく暮らすのが分相応ですよ」


 思い当たることがあったせいか、ノルザは悔しそうに歯噛みした。

 壁外の土地は借受けるに当たり、都市に対して納付金の支払わなければならない。壁外民に市民権は与えられないが、壁の近辺は都市の影響下に属している。そのため壁内からもたらされる恩恵の代価として、実質的な税の支払いを義務付けられている。これは立地や敷地面積によって変化し、チームやグループのように大きな拠点を構えるならば、その額は相応のものとなる。

 表情を歪めるノルザに向かって、男は更に嘲弄を顔に浮かべて続ける。


「つい先日も、車両の一部が故障する不幸に見舞われたと聞きます。備品の整備にすら、手入れが満足に行き届いていないのではありませんか。それならいっそのこと探索者業など引退して、巣ごもり仕事に精を出してはいかがでしょうか?」

「……ちょっと待て。なんでそのことを知ってる。──いや、そうか! あれはお前らの仕業か!」

「はて、何のことやら」


 男は大仰に肩をすくめた。


「ただ一言だけ忠告をさせてもらいます。身内だからといって、信用しすぎるのは良くないと思いますよ。あんなことがあった後ではなおのことね」


 何かを仄めかした言葉。それを耳にして、キアラが怒りを露わにして進み出る。


「……それ以上言ってみろ。二度と喋れねえように、テメェの首をかっさばいてやるからな」

「おや、キアラさんではないですか。それは怖いですね。こちらは荒事を望んでいませんでしたが、こうなると身を守るために反撃しなくてはいけませんかね」

「やってみろよ」


 キアラの怒りに呼応するように、建物の外から唸り声が聞こえてくる。扉の近くでは、彼女の従属モンスターたちが、主人の敵に対して威嚇の声を上げていた。


「やめろ! 明らかな挑発に乗るな!」


 男たちが武器へ手にかけるのを見て、ノルザが慌ててキアラの行動を制止する。キアラは射殺さんばかりに眼鏡の男を睨みつけていたが、ノルザの言葉を受けて殺意を和らげさせた。


「ふむ、これは残念。あなたのモンスターを頂ける良い機会だと思ったのですが」


 変わらぬ挑発的な物言いをされて、キアラの怒りはまたも沸点を超えそうになる。それを必死に抑えようと、ノルザは彼女の前に立って進路を塞いだ。

 後方で眺めていたロアは、見かねて彼らの間に割って入った。


「少し落ち着けよ。そんなんだと冷静な判断も出来なくなるぞ」

「あ? ……お前には関係だろうが。すっこんでろ」

「俺には関係ないけど、あいつらには関係あるだろ」


 そう言ってロアは彼女の視線を周囲へ促した。そこにはグループに所属する子供たちが、怯えた様子で事の成り行きを窺っていた。

 それを目にしたキアラの頭から上った血が引いていく。ばつが悪そうに舌打ちして顔を背けた。ノルザも荒事を回避できたと安堵の息を吐いた。

 そのやり取りをつまらなそうに眺めていた眼鏡の男が、ロアの顔を捉えて誰何する。


「見ない顔ですが、あなたは?」

「ここの、客? みたいなもんだ」


 ロアの返答を聞き、少しだけ男の目が細まる。


「無関係ならば首の突っ込みは控えて欲しいのですがね。子供の火遊びではないのです。火傷ではすみませんよ」

「別に遊んでるつもりはないんだけど。火傷したなら薬で治すよ」


 さも真面目として言うロアに、男の顔から表情が消える。


「ふむ、なかなか愉快な感性をお持ちのようだ。しかし、冗談を述べる空気くらいは読んだ方がいい」


 言うと同時に、男は強烈なプレッシャーを放った。重みを感じさせる何かが空間を侵食して叩きつけられる。

 嫌な心地がしたせいで、ロアは堪らず顔をしかめた。


『これは何だ? 攻撃か?』

『いえ、どちらかと言えば殺気の類です。自身の魔力に攻撃的な思念を乗せて相手に影響を及ぼす技術です。力に大きな差がある場合は意識を刈り取ることも可能ですが、殺傷能力を有したものではありません』


 ペロの説明を受けたロアは、ブレードの柄に伸ばしかけた手を下ろした。


「ほう。私の威迫に対して多少表情を変える程度ですか。なるほど、それなりの実力はあるようだ」

「おい! 初対面の相手にいきなりそんなの飛ばすなんて何考えてんだ! ここには非探索者もいるんだぞ!」

「範囲も対象も絞っています。第一、これは私と彼の問題です。これにおいて部外者はあなたたちの方ですよ」


 ノルザの非難を受けた男は悪びれない様子で言ってのける。

 キアラが視線を鋭くして反論する。


「だったらさっさとあたしらの拠点から出てけよ。ひとんちで我が物顔で振舞っておいて、そんな妄言が通ると思ってんのか」

「ふむ、それもそうですね。──では、今日のところはこれくらいでお暇するとしましょうか」


 眼鏡の男は思案げに目を細めると、拍子抜けするほどあっさりと引き下がった。「それではまた」と言い残して、モンスターに囲まれた庭を平然と通り過ぎていく。

 門扉まで達した彼らは、最後にもう一度だけ振り返り、大人しく敷地内から出て行った。それをロアたちは何をするでもなく見送った。


「一昨日来やがれってんだ。クソどもが」


 姿が見えなくなったところで、キアラが相手のことを口汚く罵った。

 ノルザはそんな彼女を見て苦笑する。普段なら言葉遣いに一言くらい注意を入れるところだが、今ばかりは彼も同様の心境だった。


「なあ、結局あいつらってなんだったんだ?」


 ひと段落ついたところでロアが疑問の声を発する。意図せず両者の諍いに介入することになったが、相手の正体も目的も不明のままだ。どうせならと思い、当事者である彼らに事情を聞いてみた。

 その問いに怒りの治らないキアラが反応する。


「お前には関係ないって言ってんだろが。あのカス野郎も言ってたが首を突っ込んでくんな」

「あいつらはゲーベストっていうグループの一派だ。代表して話していた男の名前はメルゲン。ゲーベストの幹部の一人だ」

「おいノル!」


 勝手に事情を教えるノルザの方を振り返り、キアラは言い咎める。

 真剣な表情をしたノルザは彼女の目を見つめて言う。


「俺も本来なら巻き込むべきじゃないと思うけど、理由はどうあれロアが関わってしまったのは事実だ。おそらくさっきのやりとりでもう目をつけられた。相手の正体くらいは知っておかないと危険だ」

「チッ」


 キアラは大きく舌打ちしてロアの方を睨みつけた。どう反応していいか分からずロアは苦笑した。

 タイミングを見計らいノルザが続きを話す。


「既に伝えた通り、俺たちのチーム……と言うよりここを築いたかつてのオーダラインは、ウェイドアシティでも指折りの力を持った探索者チームだった。けれど先人たちが引退していくとともに、どんどんその力は衰えていった。キアラの親父さんの代には上級探索者の一人もいなくなって……今ではこの有様だ」


 そう言ってノルザは険しい表情を作る。そこには彼らにしか理解できない悲痛な感情が込められていた。ロアは詳細が気になったが、聞けそうな空気ではなかった。


「最終的にこの拠点はキアラが受け継ぐことになった。他のメンバーからは反発も生まれたけれど、モンスターを従わせられるのはこいつだけだ。だから問題なくリーダーの座に収まることができた」

「……ん? 他のメンバーって、今いる連中じゃないよな?」

「ああ、そうだ。一部を除いて、大人たちはリーダーになった際にキアラが全員追い出した」


 ロアは思わずキアラの方を見てしまう。彼女からは「あんだよ?」とガンを飛ばされたので、何も言わずに目をそらした。


「力のなくなったオーダラインは格好の獲物となった。ゲーベストだけじゃない。他にも複数の組織がこの拠点とキアラの力を狙ってる。嫌がらせは当たり前に受けてきたし、時には過激な手段にも打って出てくることだってある。そのせいで、今は付き添いがなければ、小さいやつらは外を出歩くのも危ない状況だ」

「都市に対応してもらうことはできないのか?」


 その疑問にノルザは首を振る。


「それは難しい。直接的な暴力を振るった証拠があれば別だが、連中もそこまで馬鹿じゃない。さっきの話みたいに遠回しなやり口を使ってくる。都市にしても、多少のトラブル程度で壁外の揉め事に介入したりはしない。全面的な争いにでもならない限りは放置するだろう。それにもしかしたら、弱いチームが消えるのは当然くらいに思ってるかもしれない。──だから俺たちは早く力をつけて、一流の探索者にならないといけないんだ」


 決意のこもった発言を聞き、ロアは自分より少しだけ歳が上の青年に感心した。


「すごいな。ちゃんとしてて。なんとなく探索者を続けてる俺とは大違いだ」

「そうでもない。俺なんてケイネさん……先代たちに比べたらまだまだだ。みんなに助けられることだって多い。むしろ一人でこの稼業を続けられるロアの方が驚きだ」


 二人は互いに己とは異なる身上を知って称え合う。その傍らで、キアラはモンスターたちとじゃれ合っていた。

 モンスターと親しげに触れ合う彼女を見て、ロアは別の疑問を放つ。


「キアラの力っていうと、モンスターを操るやつか。これが狙われてるって話だったよな」

「ああ。モンスターを手に入れること自体はそこまで難しくない。けれど複数操れて、それを他者に受け継がすことが可能なものは少ないらしい。かなり貴重なものだと先代は言っていた」


 従属モンスターは他の遺物のように、迷宮や遺跡から手に入れられる。所有者登録のされていない個体や、当時のシステムに通用する権限を入手することで、モンスターを従わせることが可能となる。それ以外にも、倒したモンスターの思考制御中枢を書き換えたり取り替えたりといった方法が存在する。ただその場合、モンスターの戦闘力は本来よりも低下する。


『移譲可能な権限ですか。物体を介したものなのか、特定の手続きにより任意の対象へ受け継がせるものなのか。判断がつきませんね』


 ペロの呟きを処理しながらノルザの話を聞く。


「ゴロゴロはCランク帯だが、条件さえ合えばそれ以上のモンスターも従えられるらしい。そのせいで、ゲーベストのような厄介な連中にも狙われてる。ゲーベストの幹部連中は上級探索者に匹敵する力を持ってるって話だ。組織としての力は一流の探索者チームにだって劣らない。キアラの力は殺したら奪えないが、他は違う。邪魔な人間は力づくで排除する可能性だって十分に考えられる。だからロアも気をつけてほしい」


 忠告の混じった話を頭に留め置きながら、ロアはゴロゴロと呼ばれている大きなモンスターを見る。今も人懐っこくキアラに擦り寄り撫でられているが、その間もロアから意識は外れていない。ときどき琥珀色の瞳が、見知らぬ脅威としてその顔を捉えている。

 兵器としての冷徹な本性を備えた、人に従順な怪物。これほど強力なモンスターを何体も操れるなら、厄介な連中から狙われるのは当然なのかもしれない。ロアは彼らの現状に対して腑に落ちた。

 ゴロゴロをじっと見つめるロアへ、ノルザが意外そうに言う。


「ロアはDDランクって話だったけど、Cランク帯のモンスターが怖くないのか?」


 完全にテイムされているとはいえ、自身よりも上位のランク帯のモンスターだ。恐れるのが普通である。ノルザ自身、始めてオーダラインに来てモンスターを見たときは、泣いた記憶があった。あくまでリラックスした状態でいる年下の少年を見て、その胆力に驚かされた。


「まあ、一度見たことある奴だし。襲われないのは経験済みだから」

「そうなのか。度胸ある……ん? 経験済み?」


 発せられた内容に違和感を覚えて、ノルザが言いかけた言葉を途中で中断する。その側で、キアラがゴロゴロたちを撫でる手を硬直させた。

 そして何かに思い当たったのか。ノルザは「まさか」と呟くと、屋内に戻ろうとする彼女の背中を呼び止めた。


「キアラ、ちょっと待て」

「……なんだよ」

「まさかお前ロアに対して、当たり屋行為をやったんじゃないだろうな?」


 キアラは鬱陶しそうに反応した。


「ちっ、だったらなんだよ」


 悪びれない彼女の態度を目にして、ノルザは怒りを露わにする。


「お前まだそんなことしてたのか! 危ないからやめろってあれほど言っただろ!」

「何が危ないだ! それなら遺跡に行ってモンスターと戦うのだって十分危ないだろ!」

「それとこれとは話が別だ! 論点をずらすな!」

「ずらしてねえよ!」


 売り言葉に買い言葉であっという間に口論はエスカレートする。その両者のやり取りを、モンスターたちはなんだか呆れた様子で庭に寝そべり眺めている。

 彼らに同感するような気分で、ロアは晴れ晴れしい青空を眩しそうに仰いだ。

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