45話 ある店主のとんでもない1日
完全に閑話です。
今回は第三者視点に近い形になっています。
ユキが去った後、店主はふと今の出来事を思い出していた。
「変わったお嬢ちゃんだったな。どこかの貴族様っぽかったが、どこの国なんだろうなぁ」
見た目は明らかにお嬢様、それも名のある貴族の令嬢としか思えない高級なドレスを着ていた。
そんなお嬢様がねぎまのために術を使い、体を癒すという摩訶不思議なことをしたのだ。冷静になればなるほど気になるのは仕方がない。
「おや? 旦那、妙に活き活きとした顔してるな。しかも腰抑えてないとかどうしたんだ?」
店主に声をかけてきたのは常連の男。常連ゆえに店主の小さな変化や細かいミスにすら気が付く、店主泣かせの客である。
「あぁそれがだな、さっき変わったお嬢ちゃんが来てな。ねぎまの代わりに術で腰痛治してくれたんだよ」
「なんだそれ? そんな精霊様みたいなことをする奴がいるのかい?」
常連の男は疑いの眼差しで店主を見る。
疑うのは当然である。どこの世界にたかだか銅貨50枚の食べ物のために、術による高度な治療をするお人好しがいるかと。もしもいるとすれば、それは慈悲深い精霊様くらいだろうと普通は思うわけだ。
特に術での治療の場合、国によっては金貨1枚以上かかる。食べ物一つが対価になどなれるはずがない。
「でも実際に治ってるからなぁ、すげーとしか言えないさ。ちなみに治してくれたのは可愛いお嬢ちゃんだったぞ。どこかの貴族様みたいだったが、そんな素振りなくてな。あぁ、それに珍しいことに狐族だったぞ」
「本当か!? くそぅ、早く来れば見れたかもしれないのに」
店主は腰に手をやりながら先ほどの事を思いだし、そして自然と頬が緩みだす。対して常連の男は非常に悔しそうな顔をする。
狐族は数が少ない種族、見かけるだけで幸運を呼び寄せるご利益があるという、根も葉もない噂が立つほど珍しい存在。そんな狐族が現れたとなれば、この男の反応も当然の事ではある。
「貴族で可愛くて狐族、はぁ、俺も会ってみてーなぁ」
「他国から来て観光しているように見えたから、おそらくこの街に数日は居るんじゃないか? まだ機会はあるだろうさ」
「そうだといいんだがなぁ。おや? 旦那、その紙は何だい?」
男が気にしたのは店主の胸ポケットからちらっと見える1枚の紙、先ほどユキが渡したメモである。
「あーこれかい? さっきのお嬢ちゃんが『また悪くなったらここに来ればいい』って言ってくれてな。そんな気遣いまでしてくれるとか、ほんと貴族様っぽくなかったな」
「いやいや、そこまでいったらそのお嬢ちゃん、聖女様になるだろ。そんな事までしてくれる貴族様なんて、この国に一人としていないって」
アルネイア王国の貴族は薄情とも聞こえるが、常連の男の言うことは正しい事である。日常生活で負った病や怪我を貴族に治してもらうなど、まずありえないこと。特例があるとすれば戦時中などの緊急時のみ。
そのためユキのとった行動は貴族らしからぬ、悪く言えばアルネイア王国の貴族権威に反する行いであった。
「他国だと違うのかもしれないな。さて、いったいどこの国……嘘だろ……」
「ど、どうしたんだ、思いきり震えているぞ?」
ユキの書いた住所を見て店主は驚愕した。アルネイア王国でも知らぬ者は居ないレグラス王国のとある人物、その者が住む神社の住所が書かれていたのだから。
「な、なぁ、これ、どう思う?」
「えっと……マジかよ!? この住所ってあのレグラスで最強っていわれている狐族の……」
「だ、だよな……。そういえばいつだったか、その狐族の人に娘が居たって噂、流れたよな」
「もしかして、旦那を治したお嬢ちゃんって……」
「「……」」
男二人があまりの事態に黙り込む。
レグラス最強の母親を持つ娘が、ただの店主に対し治療術を行うという、現実離れした事実に打ちのめされた状態である。
「だ、旦那も凄い幸運だったってことだな、は、ははは、はぁ」
「そう言わないでくれ、俺も正直頭がどうにかなりそうだ」
冷静になればなるほど、店主としては理解に苦しむのである。
そして思うのだ、あんなに馴れ馴れしく話して大丈夫だったのだろうか、と。
そんな店主を同情の目で見ながら、常連の男はビールを一気に飲み干す。飲んだことで気が静まったのか、少し気になる疑問が浮かんでくる。
「なんて言うか、噂と違うんだな。噂を聞く限り、危険な娘って印象だったんだが」
「だなぁ。女子供も容赦なく殺しまわった冷酷無情な娘、って話だったか。だが俺の見た限り普通の子供、むしろ噂と真逆で明るく優しそうな感じだったぞ」
「噂は噂で真実じゃないのかもなぁ。旦那の腰を治したのもそうだが、こんなの書く娘が冷酷無情とか考えられないな」
常連の男が見つめる先にあるのはユキが残したメモ。そこには住所の他に可愛くデフォルメされた狐のイラストが描かれていた。
もちろんこれはユキの仕業である。『ただ住所書くだけじゃ味気ないよね』という子供らしい動機から描かれたものだが。
「何はともあれ、旦那の強運に乾杯ってことでもう一杯頼む」
「ははっ、強運ね。まぁそう考えておくさ」
そんな店主たちの元に二人組の新たな客が訪れる。
「ほほぅ、変わった串焼きがあるようじゃ」
そう言うのは歳若い少女。豪華なドレスを着ていることから、どこかの貴族のようだ。
「ダンジョンで新種の魔物が現れたと聞いたが、ふむ、そいつの肉を使った料理か」
肉の種類を見ただけで判断したのは30代くらいの男。こちらも豪華な礼服を着ていることから貴族のようである。
「おや、そちらの兄さんは見ただけで分かるのか。察しの通り、こいつはフレイムバイソンって言う魔物の肉を使った〝ねぎま〟だぜ」
「フレイムバイソンというのか、なるほどな。ならせっかくだ、塩とタレの両方を10本ずつ貰おうか」
「まいどあり!」
注文を受け、店主は手早くねぎまを焼いていく。
その作業が珍しいのか、少女は食い入るように店主の手元を見つめている。貴族ゆえに実際の調理方法は見たことが無いのかもしれない。
「ところで店主、先ほどここに狐族の娘が来なかったか?」
「狐族、ですかい? 確かに来たが、兄さん達はあの嬢ちゃんの知り合いなのかい?」
「そうだな、『これから知り合いになる』と言うのが正しいかもしれないな」
意味不明なことを言っているが、いたって真面目な顔である。どうやら確信じみた根拠があるようだ。
「待つのじゃ、それではあの娘だという証拠はないぞ」
そう会話に割り込んでくる少女。しかし視線は店主の手元で焼かれている〝ねぎま〟である。
「そうだな。店主、ここに来た娘は金色の髪をしていなかったか?」
「確かに金色だったが……兄さん達、あの嬢ちゃんに何かする気なのか?」
店主としては腰を治してくれた恩もあるため、悪人であれば警備の者に通報しようと考えていた。
そんな店主の考えを常連の男は察しており、いざとなれば自分が囮になって店主を逃そうと考えていた。なかなか男前な性格である。
「いや、今何かするとかは無い」
「その通りじゃ。それにすぐ会うことになるしのぅ。今日はたまたま近くに居るのを察知しての、時間が合えば先に会ってみようと考えただけじゃよ」
意味深なことを言う少女。
だが視線は店主の手元、良い具合に焼けてきた〝ねぎま〟のままである。さすがにこれではミステリアスのかけらもない。
その後は特に話もせず、二人は店主から商品を受け取り去っていった。
二人が去ることで張り詰めた空気から解放されたのか、店主と常連の男は互いに大きな溜息をついた。
「よくわからない貴族様だったな」
「だなぁ。それになんて言うか、ちょっと怖い感じもしたな」
相手が貴族だから無意識にそう感じたのか、はたまた別の能力があったのか、二人にはその原因がわからなかった。
わかっているのは緊張しひどく疲れた、それだけである。
こうして店主と常連の男の奇妙な一日は終わる……はずだった。
残念ながらこの後、ユキが歩きながら食べていた〝ねぎま〟が広告になり、大量の客が押し寄せることになるのだが、それを店主たちはまだ知らない。
店主のとんでもない一日はまだまだ終わらないのである。




