08 再会
何はともあれ、ルチルがジェットにしたことと言えば、自部署の新人に一喝しただけだ。こんなもの日常茶飯事であり、わざわざお礼をされるようなものではない。
対するジェットには、一生かかっても返しきれない程の恩ができてしまった。
やはり、何かせねばならない。
しかし、ガーネット筋の話では、ジェットは公爵家の者とあまり仲がよろしくないらしい。そこへ御礼状などが届いても、果てして無事に本人の手に届くかどうか。
そもそも、手紙なんて目の見えない人に送っても読めないのだから、単に困らせてしまうだけだ。
では、魔導品制作部に直接行くのはどうか。これも、駄目だ。
あそこは、まさに貴族の巣窟。本来は、魔導品開発部から届く発明品を、市井で流通させられるぐらいのコストに抑えつつ、使い勝手や汎用性を高めて、量産方法まで編み出すためにある部署だが、近年あまり良い噂は聞こえてこない。
所属しているのは、貴族の中でも次男、三男ばかり。こういった者達は元々家督が継げないので、やさぐれている者も多く、基本的にやる気がないし、品が無い。渋々王城勤めをしているのも、良家の娘を見つけて婿入りするためか、将来的に食べるのに困らないためだけの経歴や肩書き作りのためだと言われている。
そんなところへルチルが突撃すると、辿る道は大きく二つ。
一つは、権力を笠に着る貴族共から門前払いされて、ジェットの後ろ姿すら見せてもらえないというケース。
もう一つは、石に詳しく、モリオンからの信頼も厚いルチルに、変に媚を売ってきて、どこかの商人の娘との縁談を世話してくれないかと詰め寄ってくるケース。
どちらにせよ、碌なことがない。
結局、ルチルがとった方法は、待つことだ。
あまりにも頭の中がお花畑で夢を見すぎる発想かもしれないが、ジェットが本当にルチルのことを必要として、気にかけてくれているならば、きっと向こうからアクションを起こしてくれるはず。
その執念のような願いが天に通じたのか、機会はわりとすぐに巡ってきた。
「ルチル様」
この男、ジェットは、顔も良いが声も良い。『蔵』の奥の方で作業をしていたルチルは、ビクリとして後ろを振り返った。
「あ、ジェット様」
「やっと名前を読んでくれましたね」
まさかこのタイミングで来るとは思ってなかったルチルは、大パニックである。ここは、天井まで続く高い棚がどこまでも続く倉庫の中にある狭い通路。少し埃っぽいくて、魔導灯が無いと手元のメモすら読めないぐらいの薄暗い場所だ。
そんなところに二人きり。
「えっと、あの、先日は綺麗なお花をありがとうございました」
何とか頭をフル回転させて、御礼だけは言っておく。
「受け取ってもらえて良かった」
ジェットは、今日も感知強化型眼鏡をつけていた。普通ならば、頭半分を覆いつくすような機械を身に着けているなんて、不格好この上ないのだが、この男の場合はどこか理知的でスマートに見える。ルチルの恋愛脳がそういった幻影を見い出しているだけなのかもしれないが、そこそこ様になっているのは確かだ。
故に、『蔵』に長年君臨する女神ルチルでも、この状況にはうろたえてしまった。
――――やっぱり、触れた方がいいですか?
――――触れたら、あなたのお役に立てますか?
――――どうすれば、あなたに恩返しができますか?
それとも……
――――好きになってもいいですか?
脳が沸騰しそうになった瞬間、ジェットがくすりと笑う。
「僕は目が見えません。でも、周りの温度の変化とか、相手の体温の変化などは普通の人よりもよく分かってしまうんです」
その一言で、ルチルの顔はさらに赤くなる。つまり、慌てふためいて照れているのが全てバレてしまっているのかもしれない。さすがに頭の中までは覗けないだろうが、見知らぬ人の前で下着姿になったかのような恥ずかしさに襲われていた。
「えっと、あの」
「急に押しかけてすみません。実は、魔導品が制作部の窓口担当がルチル様になったと伺ったので、早速ご挨拶にと思いまして」
「それはご丁寧に」
ルチルは、ジェットに向かって軽く頭を下げた。
窓口変更が決まったのは昨日のこと。モリオンが最近多忙を極めていることがきっかけだった。元々彼が担当していた魔導品開発部の担当を、あの憎きドラブラッド男爵が引き継ぐことに。そして、元々ドラブラッド男爵が担当していた魔導品制作部担当はルチルということになった。
「魔導品制作部の専属担当になるのは初めてなので、初めは勝手が分からずご迷惑をかけることもあるかもしれませんが、早く『蔵』として良いサポートができるようがんばりますので、どうかよろしくお願いいたします」
「そんな畏まらないでください。正直、前任の方は苦手だったので、ルチル様に変更となって本当に嬉しいです」
ルチルが顔をあげると、ジェットは心底ほっとした表情をしていた。ルチルが知らなかっただけで、これまでに何度も男爵からリンチのようなことをされていたのかもしれない。
「ところで、今日『蔵』に伺ったのは……」
そこからは、魔導品制作部が最近取り組んでいるプロジェクトの話だった。先日、ルチルが助けられた石の計測器の量産化や小型化に関することで、その試作に伴う素材を集めたいらしい。
完全に仕事の話が始まった。
ルチルは、恋愛&妄想モードをオフにして、ある種やっとリラックスした状態でジェットと向き合い始める。
やはり、ジェットは石に詳しかった。時々ルチルでも知らない話がでてきて、悔しさよりも尊敬の念がこみ上げてきた。
そうやって立ち話が盛り上がっていたので、そっと近くまで誰かが忍び寄っていたことにも、全く気がつかなかったのだ。
お読みくださいまして、どうもありがとうございます。
次の更新は、2021年9月16日(木)のお昼過ぎの予定です。
早速ストックが僅かになってしまいまして、ここからは週3ぐらいで更新できるようにがんばりたいと思ってます。
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