07 ルームメイトは噂好き
翌日、目を冷ますと、ルームメイトのガーネットが、ルチルのベッド際にいた。
「おはよう。大丈夫? なんだか顔色が悪いわ」
寝起きの気分は最悪だ。全く大丈夫ではない。
「おはよう。昨日、心臓が疲れることがあったのよ」
「騎士団と一緒に走り込みでもしていたの?」
「まさか」
ガーネットは赤みがかった濃い焦げ茶の髪が示す通り貴族の出で、子爵家の三女。五年前からルチルと同じ部屋に住んでいる。おそらく今年、ちょうど二十歳になる娘だ。
王城の寮に入ったのは、実家がかなり辺境にあるためらしいが、言葉に訛りは全く無い。
「あら、今日は休みなの?」
ルチルが時計を確認すると、もう七時。いつもならば、ガーネットは既に部屋を出てしまっている。
「そんなわけないじゃない。それよりも、これ! さっき、部屋のドアの下に挟まってたわよ」
ルチルは、ガーネットが差し出した紙を受け取った。差出人はセレナ。昨日ルチルがやり残してしまった大量の仕事は、決済印を押す業務以外は全て片付けておいたと記されている。
さすがは天使! と内心諸手を挙げて喜んだのは束の間。次の文がいけなかった。
「ジェット・クンツァイト様とのお出かけって、どういうこと?!」
ガーネットは、ルチルの手元を覗き込んで、目をランランとさせている。
彼女は、人の噂が生きる糧というタイプだ。王宮の侍女らしいと言えばそうなのだが、その勢いの強さにルチルは時々疲れてしまう。そして、一度こうなってしまえば、二度と逃げられないことも、経験上分かっていた。
元々、前回バンデットを蹴散らしてくれたガーネットには、いずれ報告せねばならないと思っていた話でもある。ルチルは、前日あったことを説明することにした。
「実はね」
全て聞き終えた後、ガーネットは完全に興奮していた。
「なるほど。この十二年、自分の手ではかすり傷すらつけられなかった宿敵を討ちとってもらったあげく、庶民なのに貴族令嬢のように扱ってもらって、年甲斐もなく舞い上がってしまったと。でも、現実に立ち戻って、裏があるに違いない、乙女の心を弄ぶ悪い男だと思いながらも、ちゃっかりお茶とお茶を満喫して、その味が美味しかったことまで記憶できている。さすがその歳になると肝の座り方がちがうわね!」
的を得ているが、相変わらず歯に衣着せぬ言い方をする娘だ。ルチルは、年下のガーネットに、この程度でいちいち目くじらを立てたるような狭量さはないが、夕方のような疲労感を感じていた。
「訂正したいところは多々あるけれど、まぁ、そんなところよ」
「やっぱり。で、恋に落ちちゃったのね。素敵!」
「は? どこをどう捉えたらそうなるの?」
真顔で聞き返すルチル。
「え、だってジェット様は完璧にルチルの英雄だもの」
「確かにそうかもしれないけど、私が求めてるのは、そういうのじゃないの。あんな優良物件は高嶺の花って言ってね……」
「あ、もしかしてルチルは知らないのね」
ガーネットは、はっとした表情で口元を手で覆った。
「ジェット様は、公爵家の長男だれど、家を継ぐのは弟のレドメーヌ様だっていうのが専らの噂よ。彼は目が見えないからダンスもできないし、夜会にも来ないのよね。たぶん、貴族社会から半分忘れられかけた存在だわ」
ルチルは無意識に俯いた。
これまで、ジェットと目があったのは二回だけだ。彼と手を触れ合った時だけ。それ以外は、一度も合わなかった。
彼の屋敷はとても景色の良い湖畔のほとりにあるのに、それを彼はまだ目にしたことが無い。ルチルがどんな見た目なのかも、きっとまだ知らない。
他にも見えないこと、知らないことがたくさんあるのだろう。だから、彼は正当な評価を得て、公爵家を継ぐことができないのかもしれない。
でも、ジェットは、優しい。賢い。何より、茶会の際に分かったことだが、石についてかなり詳しい。笑顔も眩しい。ついでに言うと、顔もルチルの好みだ。
「悔しいわ」
「確かに。魔導品制作部では活躍しているみたいだけど、なぜか世間の評価が低すぎるのよね。気の毒な方だと思うわ。でも、だからこそルチルにも勝ち目があるはず!」
「やめてよ、そんな。私なんて、仕事中に拉致されて、お茶会に突き合わされて、次のことなんて何も話さないまま、寮の前にポイってされたんだから。感じ悪い!」
ガーネットは、ルチルから「次」という言葉が出たことに、何らかの感触を得たらしく、うんうんとしきりに頷いている。
「そもそも、それは勘違いなんじゃない?」
「どうして?」
「たぶんお茶会は、『蔵』で助けてもらった御礼の一環なのよ。彼は、決して社交的な人ではないっていう噂だし、わざわざ自分の別荘にまで招くあたり、最高の形で礼を尽くそうとしているんじゃないかしら」
言われてみれば、そうだ。ルチルの顔が青くなる。ルチルはまだ、ジェットに「ありがとう」しか伝えられていなかったのだ。
「どうしよう。私、不味い態度とっちゃったかもしれない」
「今からでも遅くないわ。こういう時は御礼状よ!」
「何を書けばいいの? むしろ、そんなのでいいの?」
ジェットのお陰で、偽物を持ち込んだバンデットは実質『蔵』が出禁になった。これは、誰かにお金を積んで頼めるようなことでもない。ましてや、ルチルだけでは到底出来ないことだ。
バンデットの手口の汚さは以前から分かっている。モリオンの助言もあり、命を狙われる可能性も考えて、ずっと隠れるようにして生きてきた日々。しかし、たまたま出くわして居場所を掴まれてからは、また何か嫌がらせをされるのではないかと怯えて暮らしていた。
でも、もう職場に乗り込んできたりはしない。どんなにほっとしたことか。
それなのに、ルチルはジェットに何かを差し出すどころか、貰ってばかりなのである。本当に何もできていない。
あまりの情けなさに、涙が出そうになった。
「とりあえず、落ち着いて。大丈夫よ、嫌われてはいないから」
「本当に?」
「えぇ。だって、今朝ドアにあったのは、セレナからの手紙だけじゃないんだもの」
ガーネットは、近くにあったテーブルから、薔薇のミニブーケを持ってきた。
「見て、ここ」
ルチルは、恐る恐るブーケについていたメッセージカードを読んでみる。
「薔薇色の瞳、いつかこの目で見てみたいです。 ジェイ」
ルチルの顔は、みるみるうちに赤くなった。この国で薔薇色の瞳をもつ女性は本当に珍しいので、間違いなくルチルのことだろう。
「私宛かと思ってたんだけど、私の瞳は赤くないから、おかしいと思ったのよね」
ガーネットが茶化したように言う。確かにガーネットは、年の割に妖艶さのある美人なのだ。花を贈るような男がいてもおかしくない。
「だけど、本当に良かったわ。ルチルも今夜からは、妄想彼氏じゃなくてジェット様に愛される夢が見れるわよ!」
ガーネットも、ルチルの密やかな願いを知る一人だ。
「そんなのじゃ、ないから」
もしかしたら、自分よりも年下かもしれないし、雲の上の身分をもった青年なのに。
ルチルは慌てて言い募ったが、顔は恋する乙女そのものである。
その後ガーネットは、大慌てで出勤していった。もちろんルチルは、ジェットとのことを噂としてばら撒かないよう、釘をさしてある。
部屋の中が静かになった。
そっとブーケを抱きしめる。
優雅な良い香りに包まれる。
お読みくださいまして、どうもありがとうございます。
次の更新は、2021年9月14日(火)のお昼過ぎの予定です。