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11 ルチルの身分

 『蔵』の事務室の奥。そこにはモリオンの執務室がある。王弟、公爵というのは名ばかりの肩書きだが、一応の体裁は必要らしく、彼専用の空間が用意されているのだ。


 ひと目でジュウェール王家の血を引くと分かる濃い赤の髪をかきあげる。ふっと笑うその姿は、山積みになった書類の影でなければ、様になっていただろう。


「面白くなってきたな」


 独り言を言わずにはいられない。手元には、ルチルの休暇届があった。


 勢いよく机に叩きつけるようにして決済印を押す。完全に事後であるが、こういった承認も資材部部長に課された大切な仕事の一つなのだ。


 休暇届の理由欄には、バカ正直に経緯が書かれてある。悪徳商人バンデットを撃退した魔導品制作部の天才、ジェット・クンツァイトと外出したとのことは、すぐに遠隔通信機による連絡で把握していたが、翌日以降のルチルの挙動不審さは、指を指して笑いたくなる程うぶもので。


「あのルチルがな」


 モリオンは目を細める。出会った時の彼女は、今にも飛びかかってきそうな、手負いの仔猫のようだった。周囲すべてが敵だと思い込んでいる少女を安心させるのには手を焼いたものだ。


 情け深いモリオンだが、誰彼構わず拾ったりするわけではない。やはりルチルは、初めから特別だった。しかし、手元に置くには身分があまりに低すぎた。


 王城は基本的に貴族名簿に名を連ねる者しか勤めることができない。ましてや、王城に関わる全て人間を物資で直接支える資材部には、妙な女を連れ込むなんて許されるわけもなく。


 思いついたのは、ルチルを自分の養子にすることだ。モリオンは一代限りの公爵だが、彼女を娘にすれば、たちまち公爵令嬢という肩書を与えてやれる。未婚の女性としては、王女に次ぐ最高位だ。


 モリオンは、当時も今も独身だ。下手に結婚して子どもでもできた日には、また一部の貴族がモリオンを担ぎ上げ、現在の王、つまりモリオンの兄を蹴落とそうと画策しかねない。反乱の芽を作らないためにも、一生独身を誓ってきたが、こんなイレギュラーな形で新たな家族ができるのも悪くはないと思っていた。


 しかし、大人には通すべき筋というものがある。モリオンは、ルチルを娘として迎え入れることを兄王に申し出た。すると――――


「認められぬ」


 なんと、却下されてしまったのだ。


 ルチルはしがない庶民で、見た目も普通。野心があるタイプではないし、浪費家でもない。石をひたすら愛する真面目な娘だ。モリオンと縁続きになったところで、王の脅威にはなりえない。


 しかし、必死の説得も虚しく、受け入れられることはなかった。代わりに、こんな提案を受けたのである。


「英雄将軍の妻になるのならば、許可しよう」


 当時、まだ隣国との国境沿いでの戦争が続いている時代だった。厳しい戦いだったが、平民出身の男、ラドライトがジュウェール王国軍の将軍になってからというもの、戦況はあっという間に優位に傾いた。


「あの男は使える。故に、他所の国に渡すこともできぬ」


 有能だからこそ、王家としては紐をつけておきたかったらしい。そのためには、王家と縁続きの女を宛てがうのが手っ取り早いという話だった。


「しかし、あの男は男色との噂で」


 既にルチルを娘にする覚悟を決めていたモリオンは、早速そのような男の元へ嫁に出すなんて、到底受け入れられるものではない。だが、あくまで決定権は兄王にある。


「どちらも平民同士、似合いではないか」


 きっと、既に他の貴族の娘にもあたったが、ことごとく断られて話がまとまらなかったのだろう。モリオンは王に譲る気が無いの察して、せめてもの希望を伝えることにした。


「条件があります。もし、ルチルに好いた男ができたら、自由に恋愛させてやってください。女である以上、あの夫から愛情は絶対に与えてもらえないのですから」

「不義をしても許せということか。ふんっ、その程度なら問題ないだろうて」


 そうして、急遽ルチルは公爵令嬢になり、すぐにラドライトの元に嫁ぐことになった。ラドライトもまた、これを機にクォーツという姓と伯爵位を授けられることになり、ルチル名目上、伯爵夫人となる。


 しかし、形式上の結婚式では指輪の交換をしただけで、その日の夜から別居状態。ラドライトはルチルの代わりに恋人を新居に迎え入れ、ルチルは王城に隣接する使用人の寮に入った。


 今でもモリオンは、あの日のルチルの横顔を覚えている。淡々と受け入れて、生きるための選択をした彼女。親も死んで、信頼していた実家の商会の従業員にも無視されて、さらには不誠実な政略結婚。


 並の女ならば、泣き腫らして嫌がりそうな状況なのに、ピンと背筋を伸ばしていた。それがあまりに痛々しくて、モリオンの方が泣きそうになった。


 そんなルチルが、やっと人間らしく笑えるようになり、仕事にも慣れて、今となっては彼女無しに資材部は回らない。


 『蔵』のことならば、ルチルに聞け。というのは皆の合言葉だ。お世辞抜きで、仕事はほぼ完璧。逆に言えば、ルチルには仕事しかなかった。プライベートは勉強一色か、たっぷりの睡眠だけ。


 おそらく、悲しい過去が重なりすぎて、誰かを信じたり、依存するのが怖いのだろう。モリオンにすら、未だに一定の壁を作っているぐらいだ。


 そんな彼女が取り乱すようにして、男に懸想するようになったなんて、あまりに感慨深い。


 モリオンは、こっそりとジェット・クンツァイトについて調査していた。なぜならば、日頃聞こえてくる噂と、『蔵』で目撃された彼の様子が違いすぎたからだ。


 その結果、弟が嘘を吹聴していることが発覚。実際はかなり優秀な男で、童顔に騙されがちだが、歳もルチルよりも一歳上ということで、釣り合いがとれている。良くも悪くも、家庭環境がよろしくないことはルチルとの共通点にもなっていた。


「嫁に出してやりたいが……」


 娘のルチルには幸せになってもらいたい。しかし、今も彼女はクォーツ伯爵夫人である。離縁しない限り、本当の意味でジェットと結ばれることはできないのだ。


 どうしたものか、と唸っていると、執務室のドアが激しくノックされた。


「誰だ?」

「ルチルです!」


 噂をすれば何とやら。

 モリオンは手自らドアを開けて、迎え入れた。ルチルの後ろには、件のジェットと、セレナまでいる。


「どうした?」

「すみません、取り急ぎ報告したいことが」


 走ってきたのか、ルチルは息を切らせている。ジェットはそれを気遣うようにして、ルチルの背中を支えていた。それをセレナがニヤニヤしながら眺めている。


「実は、第十四区画の奥で、棚の最上部に保管していたジャンクが突然落ちてきたんです」

「何だって? 怪我は!?」

「ジェット様に助けていただいたので、無事でした」


 ルチルの話によると、ジャンクを括り付けていた紐は、明らかに人為的に切断された形跡があるらしい。しかし、『蔵』はいつも警備士が守っているので、他所者が侵入していたずらするなど、ありえないのだ。となると、考えられるのは内部の犯行である。


「ジャンクが落ちる音に気づいたセレナがすぐに駆けつけてくれて、後始末はしてくれました」


 セレナは、力自慢を誇示するように腕の力こぶを見せようとする。


 モリオンは、労るようにセレナへ頷いていみせると、ジェットの方へ向き直った。


「クンツァイト殿、ルチルを守ってくれてありがとう」

「いえ、当然のことをしたまでです」


 モリオンは、ジェットの立ち姿を見つめた。とても盲目だとは思えないぐらいに隙が無い。きっと、様々な訓練を日頃からしているのだろう。頭に装着した感知器も相当高性能なものにちがいない。


「報告ご苦労。この件、しばらく誰にも口外するな。部長預かりとする。クンツァイト殿も、それでいいかな?」

「もちろんです」


 モリオンは、犯人の候補について考えを巡らせていた。心当たりが無いこともない。


 まず第一に、先日の悪徳商人バンデット絡み。もう一つは、ルチルの天敵であるあの男、キャスパー・ドラブラッドだ。しかし、キャスパーならば、今このタイミングでルチルの命を狙う意味が分からない。


 さらにもう一つ考えられるとすれば、兄王絡み。けれど、こちらも例えそうだとしても、なかなか尻尾を出してくれず、証拠など見つけられないだろう。


「きな臭くなってきたな」


 モリオンは、しばらく出張は控えて、『蔵』の中に目を光らせようと決意した。



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