01 出勤前
新作スタートします。
よろしくお願いいたします。
浴びる程に「好き」と言われたい。愛情の海に沈んで、溺れて、死にそうなぐらい強く乞われてみたい。私だけが、欲しいって。
桃色の世界。白い人影が、こちらへおいでと言うように両手を広げる。迷いなくそこへ飛び込んだ瞬間、すっと意識が浮上した。
また、妄想の塊のような夢を見ていたらしい。窓の外が明るい。鳥の声がする。すっかり朝だ。
ルチルは、寝ぼけ眼のまま、「よいしょ」という掛け声と共に寮のベッドから起き上がった。
ルームメイトの気配は既に無い。あくびをかみ殺しながら、壁際の鏡の前へ移動する。
愛らしいピンクがかった薔薇色の瞳が、ルチル自身をしげしげと覗き込んでいた。肩下まで届く透き通るような金髪は、寝癖で跳ね返っていて、残念ながら、手櫛だけでは整いそうにない。
「あーぁ」
荒れた指先で顔の輪郭をなぞる。最近、若い頃から長く使っている化粧品が合わなくなってきた。ハリも減った。ため息と小皺だけが増えた。
「私も、もうすぐ三十歳か」
ルチルは、王城に勤める文官である。埃っぽい部署だが、それでも働いているのは身元がはっきりしている貴族ばかり。しかし、ルチルの出自は庶民であり、とりわけ美人というわけでもない。となると、せめてもの悪足搔きとして、「雰囲気」美人を目指し、清潔感だけは保ちたいところだ。
「あーもー、落ち込んでても仕方ない。 今日も希少な素材が私を待ってるぞ。仕事だ、仕事!」
パンパンと頬を叩くと、自然と気合が入る。寝間着を脱ぎ捨てて、壁際に架けていた紺色のワンピースを手に取った。それに合わせたメイクと髪型を考えつつ、靴と小物も選ぶ。コーディネートさえまともであれば、きっと多少は見れたものに化けられるはずだ。
ルチル、二十九歳。十七歳の時に商人であった両親を事故で亡くしてからというもの、遺された家の商品を王宮へ押し売りした縁で、今の仕事にありついている。
文官とは名ばかりで、書類仕事よりも力仕事の多い体力勝負な現場。時たま異動してくる若い女の子達は、皆生粋の貴族のご令嬢ばかりで、全く戦力にならなかった。なのに、どこかの誰かに見初められたり、見合いで相思相愛になったりして結婚し、すぐに姿を消していく。
他の子達よりも、真面目にがんばっているはずなのに。十分に不幸を経験して、苦労してきたはずなのに。極端に不細工というわけでもないのに。そろそろ報われてもいい頃合いなのに、ルチルは未だに独りぼっちだ。
いつになれば、誰かに目一杯愛されるという夢を叶えられるのだろうか。
朝食は、昨夜買っておいた硬いパンだ。寮の狭いキッチンでお湯を沸かしてお茶をいれる。それを啜りながら、胸元のペンダントに視点を落とした。
父親の形見である。どう見ても、ただの灰色がかった石ころなのだが、家宝として代々伝わってきたものらしい。
いくらゴミみたいな見た目でも、自分のルーツを感じられる物はほとんど手放してお金に替えてしまったので、これだけは捨てられずにいた。何せ、いつか究極に困った時に願いを叶えてくれるお守りらしいのだ。
けれど、ルチルが親を亡くして独りぼっちになった時も、王宮で働き始めてすぐに貴族達から虐められて心が折れそうになった時も、石は何の奇跡も起こしてくれなかった。
ルチルは、心に秘めた乙女の祈りを石に捧げる。毎朝の儀式だ。夢を見るだけならば、誰にも迷惑をかけない。こんなこと、建設的でないことは分かりきっているが、誰かに愛されたいという願いだけは諦めきれなかった。
「そろそろ、あなたも真面目に仕事しなさいよ。じゃないと、私、三十歳になったらすぐに捨てちゃうからね?」
物言わぬ石と朝から会話する、行き遅れの女。その絵面の不味さに気づかないのは、本人のみである。