(Side)竜のお気に入り
明日7/8に発売される、2巻の発売記念に書いたお話です。ほとんどが書き下ろしとなる2巻もお手に取っていただけましたら、とても嬉しく思います! みつなり都先生に描いていただいた、凄く素敵なイリスとマーベリックのイラストも、是非ご覧いただきたく思っています(今回は特に、幸せ感満載の2人のツーショットが多いです…!)。よろしければ、どうぞ活動報告もご覧くださいませ。
このサイドストーリーでは、レノだけでなく、イリスにも金色の竜が見えるようになっています。どうしてイリスに金色の竜が見えるようになったのか?の経緯につきましては、現在発売中の第1巻の番外編、イリス&マーベリックの新婚旅行編となる「二人きりの旅行」に書いておりますので、もしこちらも読んでいただけましたら、本当に嬉しいです…!
また、オザイ先生によるコミカライズ第1巻(コミカライズ版タイトル:「義妹に婚約者を奪われた落ちこぼれ令嬢は、天才魔術師に溺愛される」)も好評発売中です!
どうぞよろしくお願いいたします(^^)
早朝にソニアが調理場に足を踏み入れると、そこには既に、楽しげに立ち働いている人影があった。
「あら、イリス? おはよう。今朝はまた早いわね」
「おはよう、ソニア」
爽やかな笑顔のイリスを見つめて、眠い目を擦りながら調理場に現れたソニアは、欠伸を噛み殺した。
「相変わらず働き者ね、あなたは。……今日はどうしたの? そんなに大きなお弁当箱を用意して」
イリスは楽しそうににこにこと笑った。
「今日はね、レノ様の学校がお休みで、マーベリック様も時間を取ってくださったから、これから三人でピクニックに行くの。それで、今お弁当を準備しているのよ」
「へえ、そうなの。それで、朝早くからこんなに色々と作っているのね」
ソニアが調理場を見渡すと、もうコンロの上にある幾つもの鍋から湯気が上がっており、食欲をそそる匂いが辺りに満ちていた。
「イリス、何か手伝えることはある?」
「大丈夫よ、ありがとう。ソニアは皆への朝食の準備もあるでしょうし、それに、もうほとんどの料理は出来上がっていて、後はほぼこのお弁当箱に詰めるだけだから」
詰め掛けの弁当箱を前に、うきうきとした様子のイリスを見つめて、ソニアはくすりと笑った。
「わかったわ。マーベリック様も幸せね、ピクニックでこんな豪華な愛妻弁当が食べれるだなんて。レノ様もきっと喜ぶわ。今日はお天気もいいし、きっとピクニック日和になるわよ」
「ええ、そうなることを願っているわ」
イリスが調理場の窓の外を見上げると、空は雲一つない快晴で、眩しい朝陽が庭に差していた。開いた窓から吹き込んで来る、まだ涼しい朝の風が、時折調理場のカーテンを揺らしていた。
「……ねえ、イリス。念のための確認だけど、その服は着替えていくのよね?」
ソニアが、イリスが身に着けている紺色の侍女服を指差した。
「ええ。料理をしている今は、動きやすいようにこの格好をしているけれど、お弁当を作り終えたら着替えるつもりよ」
「それを聞いて安心したわ。……せっかくマーベリック様たちと出掛けるのだから、後で髪くらい結って、お化粧してあげるわよ。まだあなたも新婚だし、初々しいイリスが普段と少し格好を変えるだけでも、マーベリック様は喜んでくださると思うわよ」
(確かに、マーベリック様は、小さな変化にもすぐに気付いて、褒めてくださるのよね……)
イリスは、優しいマーベリックのことを思い浮かべて頬を染めた。マーベリックは、イリスが少し髪型や服装を変えたり、いつもと違う料理や菓子を作ったりするだけでも、いつもそれに気付いて、温かな言葉をくれるのだ。それも、うっとりするような美しい微笑みとセットになっているものだから、イリスは褒められる度、毎回のように頬に血を上らせている。
「……ありがとう、ソニア。じゃあ、お願いしてもいいかしら」
イリスが恥ずかしそうに微笑んだのを見て、ソニアは楽しそうに笑った。
「ふふ、私も腕が鳴るわね。……あら、そこにいらっしゃるのは……」
調理場の扉の陰からひょこっと覗いた小さな頭に、イリスはにっこりと笑い掛けた。
「あら、レノ様、おはようございます。こんなに早くにどうなさいましたか?」
「おはよう、イリス、ソニア。今日はピクニックが楽しみで、何だか早く目が覚めちゃってさ……」
すっかり着替えて、朝食以外は支度も済ませた様子のレノは、イリスの横にとことこと近寄ると、イリスが詰め始めていた目の前の大きい弁当箱を見て、その大きな瞳を輝かせた。
「うわあっ、美味しそうだね! これ、今日のピクニック用のお弁当だよね? 僕の好きなものが、いっぱいだ……」
彩りも鮮やかな弁当箱から視線を移すと、レノは、イリスが蓋を開けたばかりの鍋の中も覗き込んだ。
「わあ、こっちにはハンバーグも! ……僕、お腹が空いてきちゃったなあ……」
タイミング良く、レノのお腹がきゅるきゅると高い音を立てた。イリスはくすりと笑うと、膝を曲げて、恥ずかしそうに頬を染めたレノに視線を合わせた。
「まだ、この時間だと朝食の準備もこれからなので、このお弁当から召し上がりますか? レノ様がお好きなものを、ここから自由に取っていただいていいですよ」
「えっ、本当にいいの?」
「ええ、もちろんです。多めに作っていますから、大丈夫ですよ」
レノは、ぱあっと明るい笑みを顔中に浮かべると、きらきらした目で弁当箱の中を見つめた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
レノは、弁当箱に手を伸ばすと、白身魚のフライや具沢山のオムレツ、ゼリー寄せの野菜のテリーヌといった好物をひょいとつまみあげて、次々に口に頬張った。弁当箱の隣にあるバスケットには、サンドイッチや焼きたてのパン、レノの好物のパンケーキや、数種類のクッキーも覗いている。もぐもぐと口を動かしながら、レノは満面の笑みでイリスを見上げた。
「さすがイリスだね、どれもとっても美味しいよ! ねえ、このバスケットの中のパンケーキも食べてもいいかな? それと、このお鍋にあるハンバーグももらってもいい?」
「ふふ、是非味見してみてください。では、ハンバーグは今お皿に移しますね」
「ありがとう! あっ、ねえ、イリス。あそこを見て……」
イリスがレノの視線の先に目をやると、開かれた窓から、小さな金色の竜がするりと調理場の中へと入って来るところだった。竜は、イリスとレノの目の前まで羽ばたいて来ると、イリスの肩の上にふわりと止まった。そして、そのルビーのような真っ赤な瞳で、じっとバスケットの中を覗き込んだ。
イリスとレノは、屋敷の者たちへの朝食の準備のためにエプロンを着け、大きな鍋を取り出して、二人に背中を向けたソニアを見て、そっと目を見交わした。イリスは、ちょこんと彼女の肩に乗る金色の竜の頭を撫でると、興味津々な様子でバスケットを覗き込む竜を見つめてから、小声でレノに囁き掛けた。
「……この子、何か食べたいものでもあるのでしょうか?」
「うーん、竜ってそもそも人間の食べ物を食べるのかなあ? 聞いてみようか……」
こてりと首を傾げて、レノは金色の竜を見つめた。そして、小さく何か呟いてから、竜に向かって頷くと、イリスの顔を見上げた。
「あのね、どうも、前からこのパンケーキが気になってたみたいだよ。食べてみてもいい? って言ってるよ」
イリスは、レノの言葉を聞いて、肩の上の竜に優しく笑い掛けた。
「あら、それならもちろんどうぞ! パンケーキもたくさん焼いてありますから。お口に合うかしら?」
イリスがバスケットからパンケーキを一枚取り出して竜に手渡すと、竜は大きな口を開けて、ぺろりと一口でパンケーキを平らげた。竜はその目をきらきらと輝かせると、イリスの頬を、つん、と軽くつついた。
レノはそんな竜の姿を見てから、くすりと笑ってイリスを見つめた。
「とっても美味しかった、ありがとう! だって。それから、もうちょっとパンケーキが欲しいみたいだよ」
イリスは、レノの言葉に嬉しそうに微笑むと、竜の頭をもう一度撫でてから、もう一枚パンケーキを手渡した。
「それは良かったわ。いつも私のことを助けてくれるあなたに喜んでもらえるなら、私も嬉しいもの。お腹いっぱい食べてくださいね。……よかったら、もっと持って行く?」
イリスは、小さなバスケットを戸棚から取り出すと、あっという間に二枚目のパンケーキを食べ終えた竜に、そのバスケットにこんもりと盛ったパンケーキを差し出した。
竜は嬉しそうにイリスの前でくるりと回転してから、その尻尾にバスケットの持ち手を器用に引っ掛けて、窓の外へと羽ばたいて行った。
「レノ様、あの子に何が欲しいか聞いてくださって、ありがとうございました。竜も、パンケーキを食べられるんですねえ。気に入ってくれたのなら、嬉しいのですが……」
「うん、凄く気に入っていたように見えたよ! 夢中で喜んで食べてたものね。何て言ったって、イリスのパンケーキは絶品だもの」
「ありがとうございます、レノ様」
二人は温かな笑みを浮かべて、窓の外へと飛び去って行く竜の背中を見送っていた。
***
マーベリックは、馬車に向かいながら、イリスの手から大きな弁当箱とバスケットを受け取ると、イリスに向かって柔らかく微笑んだ。
「こんなにたくさん作ってくれたんだね。朝早くからありがとう、イリス」
「いえ。今日はせっかくのピクニックなので、私も楽しみで、つい張り切ってしまって」
にっこりと笑ったイリスを、レノも明るい笑顔で見上げた。
「僕は先に味見させてもらったんだけどね、凄く美味しかったんだよ! またお昼に食べられるのが楽しみだなあ」
「はは、それはよかったな、レノ。俺もとても楽しみだよ。……それに、イリス、今日の髪型も可愛いよ」
普段は髪を下ろしているイリスが、今日は編み込んだ髪をすっきりとアップにしている様子に、マーベリックは愛おしそうに目を細めた。イリスの頬が途端にふわりと染まる。
「ありがとうございます、マーベリック様。この髪は、ソニアが器用に結い上げてくれたんです」
「君たちは本当に仲がいいんだね。ソニアも、イリスのことをよくわかっているようだ。……そのワンピースも、イリスによく似合っているよ」
イリスは、侍女服から、さらりとした山吹色のリネンのワンピースに着替えていた。シンプルながらも、裾が適度に広がっていて可愛げがあると、ソニアにも太鼓判を押されたものだ。
「ふふ、マーベリック様はいつもお優しいですね」
「いや、思ったことを口に出しているだけだよ。では、そろそろ出掛けようか」
「うん! お天気もいいし、今日は絶好のピクニック日和だね!」
眩しい陽射しに目を細めながら、レノは顔いっぱいに大きな笑みを浮かべた。
そんな和気藹々とした馬車の前の三人の様子を、ソニアは、今しがたまでイリスの髪を結い、彼女に薄化粧を施していた自室の窓から、にこにことして眺めていた。特に、イリスがマーベリックの前で頬を染め、マーベリックが優しい笑みをイリスに浮かべている様子を見て、ソニアは心の中で小さくガッツポーズをしていた。
「ふふ、イリスったら可愛いんだから。だから、私も毎回、イリスの髪型をいじったり、お化粧をしたりするのが楽しくなっちゃうのよね」
ソニアは満足気に一人頷くと、大きくうーんと伸びをして、軽く欠伸をした。
「今朝はいつもより早かったから、まだちょっと眠いわね……」
両目を擦ってから、視線を徐に窓の外に向けたソニアは、驚きに言葉を失った。
「……!!??」
ソニアの視線の先には、風に舞うバスケットと、その中に入ったパンケーキらしきものがあった。しかも、バスケットから一枚ずつ飛び出したパンケーキは、順番に姿を消していっていた。
「嘘でしょ……!?」
ソニアがもう一度目を擦ると、もうそのバスケットは視界から姿を消していて、辺りを見回してもどこにも見えなくなっていた。ソニアはぶつぶつと呟いた。
「白昼夢ってやつかしら。寝不足だから……? 今日は、午前の仕事を片付けたら、いったん昼寝でもしようかしら……」
もう一度、ソニアは眠そうに欠伸をした。窓の外で、つい先程まで嬉しそうに空を旋回していた金色の竜が、今は葉の生い茂る木陰に隠れるようにして、バスケットを抱えてパンケーキを食べていたとは、彼女には知る由もなかったのだった。




