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モカの乾杯

 場所を変えて、そこは先ほどまで居た酒場よりはやや小さめだった。内装は明るく空いている席なんて見当たらない。特に違う点は、席によって種族が違うレベルで様々な人種が座っていることか。


「女将さーん、上使わせてもらっていい?」

「おや、モカかい。いいよ、ただ忙しいから飯の提供は遅れるからね」

「うんうん、おっけおっけー。お酒は持っていくねん」


 ふくよかな体をした、肝っ玉お母さんといった風の女将さんとも知り合いらしい。よっぽどここに通っているのだろう。


 そして階段を上がった先では、下よりは落ち着いた空気感の席が並んでいた。それぞれが壁で仕切られており、不思議な事に喧噪はあるものの会話の内容までは聞こえてこない。


「ここは貴族も通う酒場っすからねー。結界が張ってあるんすよ」

「へえ、そりゃすごい……何だか、俺達は場違いじゃないか?」

「そんなことないですって。ささ、座って座って」


 モカは勝手知ったるように席に座って三人分のエールを置く。そして、俺達は改めて乾杯した。


「ぷはー。で、何でしたっけ?」

「ロクト様とモカ……の関係ですよ。プリーストギルドで知り合ったんですよね?」

「ああ、そうだったそだった。ま、簡単に言うと……あたしも元々はプリーストギルドにいたんだよね。その時に一度会ったの。もう五年くらい前になるかなあー」


 五年前……流石に覚えてないな。俺は俺で自分の仕事に精一杯だったからな……。


「あたしは元々プリーストの適性があったんだけど――」


 ◇


「かったる……死んだ人の面倒までなんで見なきゃいけないの……」


 その日も、モカはプリーストの訓練をサボって森の中で寝ていた。彼女にはプリーストとしての矜持など無く、成績も伸びるわけはなく漫然と日々を過ごしていた。


 モカは幼い頃に両親と故郷を魔物に殺されており、孤児院よりは金がもらえるプリーストギルドにいただけのことで、ぶっちゃけて言えばグレていた。


「あたしも死んだら未練遺して、あんな風に記憶だけ消されて転生かー。ま、それでもいいんすけどねー……」


 そんなある日、いつもは侵入者もいない彼女だけの聖域に侵入者があった。闇より昏く見るだけで吐き気がするような怨念の塊……それはもはや、魔物のネクロと呼ぶべき霊魂だった。


「ひっ……!?」


 見る者全てを破壊するそのネクロは当然のようにモカに襲いかかり、聖魔法もろくに勉強してこなかったモカには打つ手が無かった。いや、聖魔法ではどうにもならない相手だった。


「誰かっ!」


 そして、その牙がモカの触れようとした瞬間……右から強烈な魔力が飛んできてネクロを吹き飛ばした。触れることすら容易ではないはずのネクロを消し飛ばしたのは……未だ鮮血滴る男から発せられた血魔法だった。


「……大丈夫か。すまない、霊魂を逃がしてしまった」

「あ、あんたは……無能のロクト……?」


 ロクトはある意味でプリーストギルドでは有名だった。聖魔法がとにかく下手で彼が担当する霊魂は成仏できないんだとか。


 だが、状況を鑑みてモカは即座に頭を下げた。


「ご、ごめんっ。助けてもらったのに……」

「構わない。そう言われても仕方ない俺だ。浄化一つでこんな血まみれになるくらいだからな……だけど、結界の外まで出て暴れるとは思ってなかったから、油断した」


 ロクトは本当に何でも内容に笑い、ネクロの残骸をかき集めていった。


「……何で、そんな風にできるんすか? 皆に馬鹿にされて、そんな傷だらけになって……プリースト、向いてないとは思わないんすか?」

「ああ、きっと俺には才能って奴が無いんだろうな。だけど、俺は誓ったんだよ。死後の苦しみなんてものから一人でも多く救ってやるって」

「誓ったって……誰かと約束でもしたんすか?」


 その問いにロクトはしばし固まり……髪を撫でるように血を拭って言った。


「いや……自分の魂に、か。向いてなくても、才能がなくても、諦めさえしなければ、いつか芽が出るって信じてるんだ」

「それで、何にもならなかったらどうするんすか?」

「そうだな……きっと、それでも俺は未練無く成仏できると思う。死ぬその寸前まで頑張ったなら、後悔する暇なんてないだろう」


 そんな意見を、モカは初めて聞いた。モカがロクトという男を先輩と呼び始めたのは、その時だった。


「先輩……あたし、死後の苦しみなんて興味ないんです。きっと、先輩みたいな人達があたしの代わりに救ってくれるから」

「そう思うなら、自分の望むものになればいい。望むものが分からなければ、旅でもするといい。外の世界は、出会いに満ちているらしいぞ」

「でも、さっきみたいに……まだ生きてるのに、殺されようとしてる人は、助けたいんです。死の恐怖と、救われた時の温もりを知ったから……いつまでこの気持ちが保つかなんて分かりませんけど、やれますかね?」


 モカの脳裏には、さっきの血魔法がこびりついて離れなかった。あれは自分の命を削る禁忌の魔法だということくらい、プリーストなら誰でも知っている。だけど、ロクトは躊躇わなかった。


 結果良ければ、とは言わないが……手段を選ばず上を目指すロクトの姿が、ただ格好良かったのだ。


「できるさ。飽きたらまた別の道を進めばいい。その足跡だけは、決して消えない。どこに行っても糧になるだろう」

「……なら、冒険者になりたいです。先輩みたいに血まみれになってでも、他人を助けるために力を振るう……そんな、カッコイイ奴になりたいです!」

「ああ……それじゃあ、いつか土産話を聞かせてくれ。成功しても、失敗しても、酒でも飲みながら話せたら、それでいいんじゃないか」


 そうして、モカは帝都へ出向いて冒険者になった。魔法を学ぶ日々は辛かったけれど、心にはいつもロクトの言葉があった。


 ◇


「……モカ? 悪霊から救われて……どうなったのですか?」

「あはは。別に、それだけ。あんな風に魔物をボッコボコに出来ればいーなーと思って」

「……ふふ。結構、あっさりした話でしたね」


 モカの話を聞いていて、ようやく俺も彼女のことを思い出せた。何度もある失敗の一つだったから、つい失念してしまっていた。


 そして、俺達の前に大きな蛇口の付いた木樽が置かれた。そして、空のジョッキが三つ。それを持ってきたのは、先ほどもみた女将さんだった。


「はいよ、モカ。これはアタシからの祝いだ。とっときな」

「わー、女将さんありがと!」

「……やっと、会えたんだねえ」


 女将さんは俺をチラリと見て、だけどその真意を探る前にモカがジョッキに酒を注いで言った。


「約束通り、あたしの話を聞いてくださいよー。今夜は寝かせませんから!」

「いいだろう。俺もどれだけ酒というものを飲めるか試したかった所だ。今は金もあるんだ」

「いーっすよ。あたし……じゃないや、女将さんからの奢りなんですから、ぱーっといきましょう!」


 モカはもう酔っているのだろうか、やけに上気した様子でジョッキを手に持った。そして、コツッと酒をぶつけ合う。


「乾杯!」



 ここまで読んで頂きありがとうございます!


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