第八話 ルート選択
それは私が公爵家の養子になって一年が経ったある日のこと。
今日、私は社交場の縮図とも評され、乙女ゲームの舞台でもある学園へと通うことになっていた。
当主様からの指示だから逆らうわけにもいかないし、そもそも学園に通わないと幸せになれないしね。
「ふざけた姿してるわね、私」
私は自室にある全身がうつるほどに大きな鏡を前にして苦笑を浮かべていた。
薄い赤髪に黄金の瞳、そして見たことないはずなのに知っている学園の制服。こうして見るとまんま『ヒロイン』なのよね。
……赤い花を模したブローチだけは知識の中のヒロインが身についていないものだけど。
「希少スキルが何よ。いくら私がヒロインだからって悪役令嬢と敵対しないといけないわけじゃない」
ゴヅンッ、と。
憎たらしいほどにヒロインにしか見えない私の顔がうつった鏡に拳を叩きつけて、私は己の望みを再確認する。
「私は幸せになりたい。だからといってシルヴィーナ様を不幸にしたいわけじゃない。そのためなら希少スキルが導く運命だって打ち破ってやるんだから!!」
さあ始めよう。
現状でさえもバグの出ている誤差を広げて、私が攻略対象の誰かと結ばれてもシルヴィーナ様と敵対する必要のないルートを切り開いてやる!
と、そんな風に決意を固めたところで。
「アリアネちゃん、もう着替え終わって……はっぐああ!?」
「うわっ。し、シルヴィーナ様!?」
私と同じ制服を身につけた──つまりは悪役令嬢そのもののシルヴィーナ様が部屋に入ってきたかと思えば、なぜか奇声と共に胸を押さえて蹲っていたのよ。
私は慌てて駆け寄って、息が荒くて顔も赤いシルヴィーナ様の肩に手を置いて、
「大丈夫シルヴィーナ様!? 胸が痛いの!?」
「ちが……か、かわっ……」
「かわ? えっと、ええっと、まさか皮って皮膚のこと!?」
とにかく公爵家お抱えのお医者様を呼ばないと、と私が駆け出そうとしたところで、世間からは淑女の鏡だとか至高の令嬢だとか賞賛されているシーカフィン公爵家が長女たるシルヴィーナ=シーカフィンはこう言ったのよ。
「アリアネちゃんがかわいすぎるんです!!!!」
…………。
…………。
…………、なるほど。
「あ、あれ、アリアネちゃん? 待って待って置いていかないでくださいよぉっ!!」
気がつけば、私は足早にその場から離れていた。シルヴィーナ様が何か言っていたけど、全部無視して。
まったく、まったく! シルヴィーナ様はすぐにそうやってさ!!
「ああもう」
ぱんっ、と手で顔を覆う。
意識してもなお、緩んでしまうからこうして隠すしかなかった。
むずむずして仕方ない。
心臓が高鳴ってうるさい。
やっぱりシルヴィーナ様は『違う』。
他の人に可愛いだの言われたって何も感じないのに、シルヴィーナ様からだったらこんなにも心乱されるんだから。
ーーー☆ーーー
「ああ、つっかれたぁっ!!」
学園への編入や令息令嬢との顔合わせなどを終えて、公爵家の自室に戻った私はベッドに飛び込んで胸の奥に溜まったモヤモヤを吐き出すようにそう叫んでいた。
丸々一年もの間、公爵家お抱えの家庭教師から『授業』を受けていたからか、それとも乙女ゲームの知識があったからか、貴族がうじゃうじゃ集まる学園への編入もなんとかこなせた……と思う。
平民の女が公爵家の養子になるという、色々と怪しさの塊である私は変に目立っていたものだけど、まあぶっちゃけろくに口も開いていないから良くもなく悪くもなくって感じだと思う!
そう、『ご機嫌よう』と『上品に笑う』と『向こうの言葉をそのまま返す』だけで乗り切ってやったんだから!!
下手なこと言って公爵家に迷惑かけたくないし、学園では比較的目立つことなく立ち回らないと。
もちろん攻略対象への接触に関しては例外だけどね。
「隠しキャラは誰かわかってはいるけど攻略法はわからないし、最初から攻略可能な三人の中から好感度稼ぐ相手を選ぶしかないよね」
乙女ゲームにおいて最初に攻略可能なのは第二王子、騎士団長の息子、宰相の息子の三人よ。
第二王子は不遇の死を遂げたとされている第一王子から繰り上がって王位継承権第一位の座に君臨する完璧超人って感じかな。
魔法に武術、ありとあらゆる学問を習得していてオマケに格好いい顔をしているという、まあ盛りに盛りまくったヒーローよ。
そんな第二王子にヒロインが地位に関係なく接していくことで二人は徐々に惹かれあっていくんだとか。
騎士団長の息子はまさしく脳筋まっしぐら。
魔法も勉学もからっきしだけど、唯一剣の腕だけは凄まじく、学生でありながらダース単位の騎士を片手間で薙ぎ払うほど。
攻略するにはヒロイン育成パートで鍛錬を選択しまくってステータスを上げて、アクションパートで騎士団長の息子を倒してフラグを立てないといけない。
……ゲームならまだなんとでもなったかもしれないけど、現実として剣の腕なら王国の中でも上位クラスである騎士団長の息子相手にどうやれば勝利できるのやら。
宰相の息子は魔法学を飛躍的に発展させた天才よ。
同じく天才である第二王子と違って、こちらは根っからの学者タイプ。基本的にラボに引きこもっていて、自分と同じ目線で物事を見ることができない人間には興味ないと平然と言うような男ね。
ちなみに攻略方法は知能のステータスを上げまくること。……だからさ、ゲームならどうとでもなるんだろうけど、現実としてどうやって真なる天才だなんだと持て囃されている天才さんに並ぶ頭脳を手に入れろってのよお!!
「こうして並べてみると、攻略可能なのって第二王子くらい?」
呟いて、私は小さく息を吐く。
宰相の息子は駄目だ。攻略のための頭脳云々は置いておくとして、そもそもどう転んでも政略結婚云々で悪役令嬢であるシルヴィーナ様が出てきて、なんだかんだと悪役令嬢が色んなパターンで死んじゃったりするのよね。
安全なのは騎士団長の息子。こちらは親のほうも脳筋だから早めに騎士団長の息子を打ち破ったら悪役令嬢の出番もなくすんなりとハッピーエンドに突入する。……まあ時間をかけると悪役令嬢が出張ってきて、以下略って感じだけどさ。
第二王子は、微妙なところ。
ランダムイベントの順番によって悪役令嬢が出る時と出ない時があるのよ。
一応ランダムイベントの組み合わせによってどんな展開になるかは頭の中にあるけど、問題はどうやって理想通りに持っていくかよね。
ちなみにランダムイベントでの好感度の稼ぎによって終盤のヒロインが第二王子の正体を知ってからの展開が変わる。そこで悪役令嬢が関わっていれば以下略ったら略よね。
まあ結局のところ武力にしろ学力にしろ天才たちのそれに追いつけるわけもないんだから実質第二王子ルートしか攻略のしようもないんだけどさ。
「うまくやらないと」
幸せになる。
そして、シルヴィーナ様を悪役令嬢にはしない。
どちらも果たすためには乙女ゲームにおけるランダムイベントをどうにかしてこちらから起こすことで悪役令嬢の出番がないルートを切り開くしかない。
大丈夫、大丈夫よ。
私には乙女ゲームの知識がある。自分にとって都合のいい展開がどれかわかっているのだから、その展開に持っていけるよう立ち回ればいいだけなんだから。
だけど、もしも。
失敗してしまったら──
「……ッッッ!!!!」
ばんっ!! と反射的に額に手を叩きつけていた。身体の奥から這い出そうになった何かを押さえつけるように。
「大丈夫、大丈夫。私はヒロインなんだから」
幸せにならないと。
ここまできたんだもの。私だってハッピーエンドに笑う『私』が得られたものを手に入れたっていいじゃない。
そうしないと……私は何のために十何年もの間、普通ならとっくに死んでいるような痛みを我慢してきたというのよ。
ーーー☆ーーー
「アリアネちゃんっ! 姉妹とは共にお風呂に入るものらしいですよ!?」
「いや、あの、シルヴィーナ様!? それって幼い姉妹ならって感じじゃない? 待って待って待ってよっ。流石にお風呂は恥ずかしいってえ!!」
どんばんどっしゃあーん!! と半ば揉みくちゃになりながらシルヴィーナ様と揃ってベッドに転がる。
何がどうなってこんな展開になったのかいまいち覚えていないけど、まあ、うん。シルヴィーナ様と一緒だとドロドロとしたものを忘れられるんだよね。
……それはそれとして一緒にお風呂というのは嫌ってほどでもないけど恥ずかしいから勘弁してよシルヴィーナ様あ!!