第六話 ギリス=シーカフィン
シルヴィーナ=シーカフィン公爵令嬢は『悪役令嬢』である。
なのに、なぜ私を妹として可愛がってくれているのだろうか。
「はぁぁぁ……」
私は自室の机にだらーっと突っ伏して、胸の中のもやもやを吐き出そうと深く息を吐く。そんなことで何か変わるわけもないんだけど。
しっかし自室、か。
自分だけの部屋。実の両親と暮らしていた時はそんなものがこの世にあること自体想像もしてなかった。
突っ伏している机にしても腰掛けている椅子にしても、ふかふかのベッドも天井に吊り下がっているキラキラのシャンデリアも、他にもドレスが詰まったタンスに装飾品が並べてある棚などなど、どれもが少し前までだったら一生かかったって手が届かない高価なものばかり。
全ては『俺の娘なのだからこれくらい当然だ』と当主様が手配してくれたものだ。……あくまで必要最低限だから、気に入ったものがあれば支給されたお金の範囲内であれば好きに買って構わないんだとか。
お金は、ありあまっている。
私の好きに使っていいお金とやらは、それはもう目眩がするほどの大金だったから。
とはいえ、何も買ってはいないけど。
使いきれないくらいに物が揃っているのもあるし、『授業』で買い物する暇がないのもある。
だけど、多分一番は慣れていないから。
こんなにも何かを与えられる理由に心当たりがなくて、心が現実に追いついていないんだよ。
「むずむずするなぁ」
嬉しくないわけがない。
ハッピーエンドには『こういうの』も含まれているんだろうから。
だけど、私はまだ何も掴んではいない……はずなのに。
ーーー☆ーーー
「アリアネ、だったな」
それは私が公爵家の養子になって五ヶ月が経ったある日のこと。
養子になって数日後に一度顔を合わせただけで、それから顔も見たことがないくらいには忙しい男の人から声をかけられた。
ギリス=シーカフィン。
つまりはシーカフィン公爵家が長男にして次期当主である。
シルヴィーナ様と同じ金の髪を肩まで伸ばし、(見た目の印象だけは)強気で鋭いシルヴィーナ様よりも穏やかな赤き瞳の、それはもう息を呑むくらいの美形さんだった。
攻略対象ではなく、乙女ゲームの知識にも設定だけの存在でキャラデザすらないから詳しいことはわからないけど、噂好きの侍女から聞いた話ではすっごく優秀らしい。まあシルヴィーナ様からして単騎で奴隷商人を撃滅することを許されるくらいにはとんでもないハイスペックさんなんだから、その二つ年上の兄もまたハイスペックさんなのもそう不思議な話ではない。
「はっ、はいっ、アリアネです!」
「ハッ! そう緊張せずとも良い。アリアネはもう我が妹なのだから」
言って、ふっと鼻息と共に髪をかき上げるギリス様。
噂好きの侍女によると『こういうところ』さえなければ理想的な男の人なのだとか。
「どうだ、我が第二の妹よ。我もようやく時間のできたところだ。兄妹水入らずで語らうというのは」
「それはもう、はい!」
そんなわけでギリス様と中庭にある色とりどりの花壇近くのベンチに並んで腰掛けてお話しすることに。
内容としてはそう特別なものでもなかった。『授業』はどうだ、とか、公爵家の生活には慣れたか、とか、そういった他愛無いものだったから。
ただ、うん。
なぜか話の途中で『ふんっ』とか『ハッ』とか挟んでくるんだけど、鼻でも詰まっているのかな?
後、何度も髪をかき上げているけど、そんなに邪魔なら切ればいいのに。
「アリアネ、我が第二の妹よ」
「はっはいっ!? なんですか!?」
おっと、余計なこと考えている場合じゃなかった。せっかく次期当主としてお忙しいギリス様が私のために時間をとってくれているだもの。ちゃんとしないと。
「希少スキルは使いこなせているか?」
「……っ」
ゾッとした。
背筋に言いようのない悪寒が走り抜ける。
待って、落ち着け私。
ある程度優秀な魔法使いは希少スキル独特の気配ってのを読み取れると『授業』で習ったじゃない。そう、あくまで希少スキル独特の気配が読み取れるだけで、その詳細な能力まではわからないのよ。
だから大丈夫。
落ち着け私。
「ふん。そう警戒することもあるまい。言えないならば言えなくて良い」
自然に返せなかった時点で怪しさしかなかったはず。私は公爵家に入り込んだ異物、血の繋がっていない名義上だけの妹だというのに、ギリス様は追求の一つさえしないという。
「どう、して……ですか?」
私の問いに。
ぽんっ、と私の頭に手を乗せて。
シーカフィン公爵家が長男にして次期当主であるギリス=シーカフィンはこう返した。
「そうしたほうが格好いいだろう?」
…………。
えっと、なんだって?
「それだけですか!?」
「それ以上など必要あるまい。貴族として、そして男として生まれた以上、効率や最善よりも格好良さを追求するのは当然だ」
「いや、でも、だって!?」
と、次の瞬間だった。
「お兄様?」
ゾッッッ!!!! とギリス様に希少スキルのことを指摘された時と比べ物にならない悪寒が炸裂した。
深淵の闇にも匹敵する深く冷たい声だった。いつの間に近くまで迫っていたのか、シルヴィーナ様が私とギリス様の後ろから声をかけてきたのよ。
「おお。シルヴィーナ、我が第一の妹よ。ちょうどいい、兄妹揃って──」
「お兄様」
勢いよく。
私の頭の上に置いてあったギリス様の手をシルヴィーナ様が掴んでいた。
えっと、なんかシルヴィーナ様怒ってない!?
「いかに妹相手とはいえ年頃の女の子であるのは変わりません。あまり不用意に接触するのはいかがなものかと」
「……、ふっ。なるほどな」
一体何を納得したのか、身体の芯から震えの走る私を放ってギリス様はそのまま去っていった。
いや、あの、ギリス様ぁーっ!? 普通置いていく? ふっふっ言ってないでお怒りなシルヴィーナ様どうにかしてよお!!
「アリアネちゃん」
「ひうっ!?」
ギリス様の代わりにシルヴィーナ様が隣に腰掛けていた。怖い。なんでどこぞの奴隷商人を瞬殺した時よりも雰囲気出ているの!?
と、シルヴィーナ様は何を思ったのか、むすっとしながらも私の頭に手を置いて、わしゃわしゃしてきた。
こ、これはどういうこと?
まさか今から脳みそかき混ぜちゃうぞとかって新手の脅し!?
「アリアネちゃんは少々無防備すぎます」
「えっと……?」
「ですから! あまり身体を触られてはいけませんよ!! その、そう、淑女っ。淑女としていかに兄とはいえそう易々と身体を触られるのは控えなければなりません!!」
つまり淑女の嗜みがなってないと怒っていたってこと? なるほど。乙女ゲームの中で貴族としての品位がどうのとヒロインとぶつかっていた悪役令嬢がそうだったように、シルヴィーナ様もそういったことには厳しいってことだよね。
「うん、ごめんねシルヴィーナ様。気をつけるよ」
「ええ。気をつけてくださいね」
でも、そうなると。
「だったらシルヴィーナ様に触られるのも控えたほうがいいのかな?」
「そっ、それは、その……っ!!」
だけど、と。
私の頭を撫でているシルヴィーナ様の手に自分のそれを重ねて、私は意識せずにこう言っていた。
「もう触ってもらえなくなるのは、ちょっと残念かな」
意識していなかったからこそ、それは本音だった。
むずむずして、うまく言葉にはできなくて、だけど『違う』のは断言できる。
そう。
ギリス様に頭を撫でられるのと、シルヴィーナに頭を撫でられるのは何か違ったから。
「? シルヴィーナ様???」
気がつくと、シルヴィーナ様がプルプルしていた。
もしかして怒りを抑えようとしてプルプルしているのでは? と思って謝るために口を開きかけたところで──
「もうっ、アリアネちゃんは可愛いですねえ!!」
「わふっ!?」
ぎゅう! と思いっきり抱きしめられた。
うう。やっぱりむずむずして、熱くて、だけど嫌じゃない。
「わたくしは、その、そう! 姉ですから問題ありませんよ!!」
「そ、そっか」
なんだろう。
心臓がドキドキうるさい。




