第十五話 炸裂
その日の学園は不穏な空気に満ちていた。
「シーカフィン公爵のご令嬢が、まさか……」
「宰相の息子や騎士団長の息子だけでなく、第二王子さえも『あちら側』となると……」
「真偽はどうあれ、こうなった以上は……」
隠す気があるのかないのか。
ひそひそと、令息令嬢たちの囁きは止まらない。
貴族は『評判』を重視する。
場合によっては実益さえも無視するほどに。
何せ貴族を貴族たらしめている力は権力であり、暴力や財力はあくまでその副産物でしかないのだから。
そう。
貴族だからこそ権力を持ち、ゆえに逆らえない仕組みがあればこそ貴族は貴族であることができる。総人口のほんの僅かな数しか存在しない貴族は平民の大半が反旗を翻した場合勝ち目はないことを知っており、それでも支配者として君臨できるだけの『見えない力』を構築している。
ゆえに、貴族は『由緒正しき血筋』を代表とした『見えない力』──実際には単にそうであると都合よく定められただけのものをあたかも真理か何かのように掲げ、数の上では明らかに優っているはずの平民たちを支配しているのだ。
ただし『見えない力』は言ってみれば錯覚でしかない。平時であれば疑問もなく傅いている者たちだって、憎悪や正義感によって『見えない力』に逆らうことだってあり得る。
好き勝手に振る舞えるのには上限があり、ある一定のラインを過ぎれば内乱や革命という形で逆襲されることを知っている貴族は、だからこそ普段の立ち振る舞いに(揉み消すことができる範囲であれば別として)気を遣っているのだ。
だから。
だから。
だから。
宰相の息子は元より、騎士団長の息子や第二王子さえも味方につけたティア=アークビー男爵令嬢を泣かせ、傷つけたという噂が出回っているシルヴィーナ=シーカフィン公爵令嬢は学園中の注目の的となっていた。
何事にも上限がある。
揉み消すことができる範囲はそのまま身分の高さに直結しており、今回の噂はいかにシーカフィン公爵家であっても揉み消せないものであった。
前述の通り貴族は『見えない力』を重視している。ノブレスオブリージュを例に挙げるまでもなく、平民たちの怒りから貴族という地位を脅かされないよう取り繕うのが暗黙の了解になっているのだ。
とはいえ、贅沢はしたいし気に入らない奴は始末したい。ゆえに彼らは『揉み消す』。地位も財力も何もないちっぽけな存在であれば始末したって見て見ぬふりという形で処理できる仕組みを構築している。
だが、それはあくまで自身よりも遥か格下に適応できるもの。アークビー男爵家程度であればいかようにも黙らせることはできるだろうが、いかにシーカフィン公爵家といえども王族の一角の言葉を揉み消すことはできない。
表向きは品位ある存在としてあることを義務として定められている貴族が自身より格下の令嬢を泣かせるまでいじめ抜いた。この話を見て見ぬふりすることなく、額面通りに判断を下す場合、立場が悪くなるのはシルヴィーナのほうだ。
真偽はどうであれ。
そう、真実など自身の主張でもって揉み消せるだけの力があるのが貴族というものなのだから。
「…………、」
シルヴィーナ=シーカフィン公爵令嬢は周囲の悪意ある囁きに、しかし表情を変えることはない。
その内心は、誰にも悟らせないと言わんばかりに。
ーーー☆ーーー
「な、ん……何なのよ、そのふざけた話は!?」
学園でのことよ。
休憩時間にスカーレットに呼び出された私は学園内に蔓延している噂話とやらを聞いて思わず声を荒げていた。
何やらひそひそと嫌な空気が流れているとは思っていたけど、なんでティア=アークビー男爵令嬢が乙女ゲームのようにシルヴィーナ様に嫌がらせを受けているって話が出回っているのよ!?
「ティア=アークビーが泣いただなんだってのが昨日の一件っていうなら、それはシルヴィーナ様が何かしたせいじゃない。私が悪いって話になるならまだしも、なんで偶然通りかかっただけのシルヴィーナ様が悪者にされているのよ!?」
「始点が誰であるかは不明でしょう。ですが、これだけは断言できるでしょう。この話は宰相の息子や騎士団長の息子、そして何より王族にして次期国王と名高い第二王子のお墨付きがあるからこそ真偽に関係なく、正しいということにされるでしょう。強固な利害関係、または明確に嘘だと証明できる証拠でもなければ」
「なんで!?」
「『誰が』という部分が重要だからでしょう。この話を嘘と断じるのは、すなわち第二王子たちを敵に回すことと同義でしょう。その結果生じる不利益を考えるならば、相応の理由がなければ誰も口出しすることはないでしょう。つまり、このままではシルヴィーナ=シーカフィン公爵令嬢は第二王子たちの庇護下にある令嬢を虐めた、貴族にあるまじき悪女というレッテルを貼られることでしょうね」
「……ッッッ!!」
私は、知っている。
シーカフィン公爵家の養子として引き取られたとはいえ、元はただの平民で血が繋がっているわけでもない私のことを妹として大切にしてくれるくらいシルヴィーナ様は優しいんだってことを。
婚約者のくせにシルヴィーナ様に(昨日の態度を見ればどうせ普段だって)冷たく当たっていた宰相の息子にだって若気の過ちを正すよう説くくらい公爵令嬢としての自覚を持って堂々と生きていることを。
奴隷商人やその護衛たちを前にしても臆することがなかったシルヴィーナ様が昨日はあんな弱音を吐くくらい傷ついていて、それでも貴族としての正しさを貫いていることを。
そんなシルヴィーナ様の品格が謂れのない噂で貶められているって? そんなの、そんなの! 放っておけるわけないじゃない!!
「ふざけやがって……。『誰が』なんて知ったことじゃない!! シルヴィーナ様を傷つける噂なんて私がぶっ壊してやる!!!!」
「待つでしょうっ。この噂はなぜか宰相の息子だけでなく騎士団長の息子や第二王子のお墨付きあってのもの。下手に突けば王族を敵に回すことに──」
「だったら、クソッタレな権力者なんて無視すればいい」
始点が『誰』であるかはどうでもいい。
『誰が』どう喚こうともどうしようもない状態まで持っていけばいいだけよ。
「ティア=アークビー男爵令嬢。嫌がらせを受けたとされている彼女にそんなことはなかったって一言証言してもらえれば、こんなふざけた噂はぶっ壊せるんだから!!」
宰相の息子をはじめとした攻略対象とはヒロインであるはずなのにろくに接点がない私だけど、ティア=アークビーであれば話は別。
昨日、私に会えただけで感動の涙を流していたのよ。私が一言協力を頼めば、ふざけた噂をぶっ壊すために協力してくれるに決まっている!
ーーー☆ーーー
古代文明。
ある『災厄』によって文明そのものが断裂したことで、古代文明はある種のブラックボックスと化していた。
ただし。
僅かに残された『痕跡』から、古代文明は今より遥かに優れた技術の宝庫であったのだとか。
魔法一つとっても炎水風土雷を操る性質を拡大解釈、あるいは複雑に組み合わせることで世界の法則そのものへの干渉さえも可能としていたくらいなのだから。
それほどの技術があれば。
ミクロな元素を操りマクロな世界に干渉することで今とは比べ物にならない機能を持つ道具を生み出すことは簡単だろうし、それこそ未来を予測することだって可能だろう。